卍の城物語

弘前・津軽地方の美味しいお店と素晴らしい温泉を紹介するブログです

津軽観音巡礼第十番 円覚寺

2009-01-07 18:00:20 | 神社・仏閣
津軽三十三観音カジュアル巡礼第十番札所の円覚寺に訪れる。

西海岸の六番から十番のこの円覚寺まで一気に制覇したので、実際訪れたのは去年なのだが、この円覚寺だけ書き忘れてたために今回記す。

五箇所も廻ったために、円覚寺に着いたのはもう17時を越えていて、しかも雨が降っていたために視界は悪く、門や堂など暗くてあまり確認出来ていないのであしからず。

まず美しい紅が目立つ仁王門が構える。左右に立派な仁王像が据えてある。
門をくぐると大杉が天に聳える。この杉は樹齢1200年。古くから「竜灯の杉」と呼ばれている。この杉が妖しく光を放ち、漁で難破した船がこの杉の灯りによって助かったという言い伝えがある。
その向かいにはイチョウの木があり、その根元には地蔵堂がある。
階段を上がると境内になり、本堂が威風堂々として迎えてくれる。物凄く立派である。現在の本堂は大正九年に再建されたものだが、それ以前の元禄時代の木材を再使用している。隣あって金毘羅堂もある。
奥には寺宝館があり、拝観料を支払えば中へ入れる。
右手には修行大師石像、柴燈護摩道場、薬師堂がある。
そんな見所がたくさんあります。

開創は807年、坂上田村麻呂による。
859~877年に円覚僧が観音堂を再興。
1685年に寺号を円覚寺とする。

聖徳太子作とされる本尊の十一面観世音像は、三十三年毎に開帳されるとの事。

もっとじっくりと見たかったのが正直な所。今度は天気の良い明るい時に訪れたい。

最後に円覚寺のご詠歌

ただ頼め 行く末いのる 深浦の あすのいのちの ほどは白浪
 
住所・深浦町深浦字浜町275
電話・0173-74-2029

岩木山神社

2009-01-04 16:46:04 | 神社・仏閣
年末から正月までずっと飲み過ぎで気持ち悪い。どうでもいい話。

先日、初詣に岩木山神社へ行って来た。
三日の夕方に行ったので、そんなに参拝客は多くは無かった。
いつもの正月ならもっと積雪があるだろうけど、今年は少なくて道路も積雪なくてすんなり着いたし、参道も歩きやすかったと思う。

一応、岩木山神社の歴史をなぞっておく。

780年 岩木山山頂に社殿創建
800年 坂上田村麻呂が山頂社殿を再建
1091年 現在地に移遷。百沢寺となる
1602年 岩木山噴火によって百沢寺全山焼失
1640年 現在の本堂完成
1873年 神仏分離令により、百沢寺廃寺。岩木山神社となる

歴史が長く、歴代津軽藩主の信仰が強かったため、今のような立派な社殿や楼門が造られている。

まず駐車場付近から、天気が良ければ鳥居越しに山頂部の三つ山が真正面に見える。これは見所。
大きな石の鳥居をくぐり参道を歩く。石畳の参道は雪の参道に変わっている。
歩いてまもなく左手に出雲神社がある。そこも帰りにお参り。
更に歩くと左手におみくじやら絵馬なんかが売っていて、そこそこ繁盛している。明らかにバイトの女子大生たちが巫女姿で売っていた。結構な商売である。
いくつかの鳥居をくぐると巨大な紅い楼門が現われる。見事なもんです。
そして拝殿へ。もともと百沢寺の本堂だったため、さすがに大きい。こちらも綺麗な紅色です。参拝してるともう片付けの準備に取り掛かっていた・・・。
そのまま帰りましたが、奥には本殿、右手には白雲神社と稲荷神社もあります。

弘前付近なら一番大きい神社だろうし、初詣でなくても気軽に参拝出来るし、建造物としてもみどころが大きいのでまた訪れたいところ。
これからも津軽人の母なる岩木山を守り続けていって欲しい。

住所・弘前市百沢字寺沢27
電話・0172-83-2135

津軽観音巡礼第九番 見入山観音

2008-12-27 20:02:41 | 神社・仏閣
津軽三十三観音カジュアル巡礼第九番札所の見入山観音を訪れる。

日照田観音を後にし、101号線へ戻ろうとしたところでの事。道路に大きな犬が歩いているなと思ったのだが、犬では無い事に気付く。よく見ると猿であった。野生のニホンザルである。民家の敷地に入って何やらしてたみたいだ。冬場なので山に食べるものもなくて里に下りてきたのであろう。初めて猿見たので驚いた。
101号線に戻り、深浦方面へひたすら走る。右手方面はただただ海である。途中、千畳敷海岸も見受けられる。大地震で隆起した海底の岩場が聳える。
まだまだ進む。途中バイパスが二箇所も新設されており、アクセスも比較的便利になっていた。
そして追良瀬という集落があり、追良瀬川を渡る前に左折し、川に沿うように進む。
ちなみにこの地点から200mほど進むと海岸があり、私自身のお気に入りスポットで、毎年海に行くとしたら決まってここを訪れる。砂浜と岩場のどちらもあり、それでいて夏場のピーク時でもそんなに客が来ない穴場なのである。海岸の貸切状態になることもあり、「俺の海」と勝手に呼んでいる。だが年のせいか、海に行くのも億劫になってきて、随分の間訪れてないように思うので、来年の夏には遊びに来たいところである。

左折して5kmほど進むと見入山観音はある。
駐車場も兼ねた広場は整備されており、休憩場やトイレなどもある。参道への入り口には杖が置いてあり、無料で借りられる。そんなもの要る筈もないと思って登り始めたが、とんでもない難所であると後で気付く。

参道は一応石段になっているが、途中から急勾配で、樹木の根が剥き出しで悪路極まりない。しかも積雪ありで、しかも辺りはもう暗くなって見通し悪いという最悪な条件である。ここは本当に難所である。若い男子の自分でも大変であった。足腰悪い人はまず無理かも。断崖絶壁をグネグネ曲がりながら上り下り、手すりがあるだけでもなんと有り難いことか。
途中小さな観音石像があり、「あと少し」とか「すぐそこ」と示して勇気付けてくれる。
そして小さな堂を発見。やっと辿り着いたと思ったら不動明だった・・・。観音堂はもう少し先である。かなりバテながら頑張ってまた登り始めるも、そこからはすぐ着いた。
岩窟にすっぽり収められた様に観音堂は造られている。舞台造りで、清水観音ほどではないが、充分立派な堂である。
観音堂には如意輪観音、聖観音、地蔵菩薩像が奉られている。だが暗くて拝見出来なかった。残念。
その向かいには小さな堂が無数あり、毘沙門天、吉祥天、愛染明王、弁財天、薬師如来、十二神将などが祭られている。
もっとじっくり居たかったが、少し風邪気味ということもあり気持ち悪くなってきたので早々と後にする。下り道もなかなか困難であった。

見入山観音の歴史は、室町初期に僧の行円が創建したという説がある。
大正に入り、一度火災で観音堂が焼け、現在の観音堂が再建される。
この観音は珍しく、明治の大悪法・神仏分離令の影響を受けなかったとされる。

昭和から平成に渡り、一千万円の事業費を掛けて大幅な整備がされ、参拝しやすくなったそうである。整備されてもこんなにキツかったのだから、それ以前は遥かに悪路であったのであろう。今までで一番の難所であった。これも観音様のお導きによるものであると言い聞かせ、円覚寺へ向かう事とする。
 
最後に見入山観音のご詠歌

補陀洛や 岸うつ沢は 追良瀬の 見入の山に ひびく谷川

住所・深浦町追良瀬字初瀬山草分28

※無人仏堂です

津軽観音巡礼第八番 日照田観音

2008-12-26 19:08:32 | 神社・仏閣
津軽三十三観音カジュアル巡礼第八番札所の日照田観音を訪れる。

県道31号線の終点は国道101号線に突き当たりになる。その突き当たりには絶景の日本海が拝める。101号線を深浦方面へ向かう。途中、はまなす海岸があり、夏には大勢の海水浴客によって賑わう。
さらに海沿いを進み、赤石の集落を目指して左折。途中、松源寺という寺があり、これから向かう日照田観音とは由縁が深い。とりあえず先へ進む。101号線から4kmほど進むと左手に鳥居が見える。参道入り口まで200mほど車で行けるのであろうが、あいにくの積雪で断念し、徒歩でヤブを漕いで進む。

漸く入り口へ辿り着く。まず右手には銅製の観音像が出迎えてくれる。そして左手には巨大なイチョウの木が聳え立つ。老木の為、いわゆる「垂乳根」が出来ていた。この垂乳根に触ると乳の出が良くなるといわれている。
参道は138段の石段。周りには杉林。大雪が降った為、枯れ木が石段の上に何個も落ちていて危険であった。しかも石段もなかなかきつく、疲れる。
登りきると本堂が据える。本堂には十一面観音が納められている。残念ながら見ることは出来なかったが、大変立派な古仏であるとの事。

十一面観音堂は坂上田村麻呂が建立した。昔から地元に村人に愛されており、観音様自身が人間の若者に変身し、農作業を手伝ったという伝説まである。
その後、明治の大悪法・神仏分離令により、高倉神社となり、観音没収を求められるも、別の千手観音を身代わりに上納し、十一面観音は固く守り継がれたのである。
ちなみに、その千手観音は、先ほど通りかかった松源寺に納められており、以前まで日照田観音の納経所であったが、現在は行われていない。

日照田というなんとも有り難い名前の地域であり、この地を古くから守り続けてきた観音様も、これからも守り続けていかれるのであろう。

最後に日照田観音のご詠歌

沢山や 朝日かがやく 日照田を 照らさせ給う 観世音かな

住所・鯵ヶ沢町日照田

※無人神社です

津軽観音巡礼第七番 北浮田弘誓閣

2008-12-25 18:05:29 | 神社・仏閣
津軽三十三観音カジュアル巡礼第七番札所の北浮田弘誓閣を訪れる。

湯船観音からは近所である。県道31号線沿いのじょっぱりラーメンの店を右折。鳴沢駅方面へ。左折して1kmほど進むと小さな表札があり、それに沿って進むと北浮田弘誓閣がある。
ここも小高い山の途中にあり、悲しいかな前日の大雪で、ヤブを漕いで行かなきゃならん状態であった。

鳥居をくぐって参道を通り、境内へ。大きなイチョウの木が出迎えてくれる。社殿と観音堂が隣り合って立っている。
イチョウの木の下には昔湧き水があり、眼病や色んな病気に効くというので、各地から多くの人が訪れたとの事。

さて、巡礼といえば各寺社で納経し、全て納める事に意義があるのであろうが、自分はパスする。
そもそもほとんど知識もないままスタートした為、納経システムもよくわからなかった。
まず、納経帳か納経軸を購入し、判子のように各寺社で納経して貰う。料金は大体、納経帳は200円か300円。納経軸は墨書で500円。笈習にも別途200円で出来る。
納経帳や笈習などは一番札所の久渡寺で購入できる。納経帳は千円弱、納経軸は安くても一万円弱。数万円から十万円以上のものもある。
納経は各寺社で、とはいかず、ほとんどの寺社は無人である為、近くの民家や商店で行わなきゃならない事が多々ある。
結局は、面倒ということと、金銭的に余裕が無いとの理由から、納経はしない事にした。
こんな真冬に巡礼している馬鹿は自分くらいだろうから、その方がいいだろう。
スタンプラリー感覚で巡礼している人も少なくないだろうが、あくまで自分らしく、カジュアルに、最低限お賽銭を出来るだけ多くするという心掛けを大事に今後も進めていきたいと思う。

最後に北浮田弘誓閣のご詠歌

かかる世に 祈りて見れば 北浮田 神の恵みも 深き身なれば

住所・鯵ヶ沢町北浮田字今須前田17

※無人神社です

津軽観音巡礼第六番 湯船観音

2008-12-24 17:12:00 | 神社・仏閣
津軽三十三観音カジュアル巡礼第六番札所の湯船観音に行く。

弘前から鯵ヶ沢へ。県道31号線を進むともうすぐ日本海が見えてくる。その手前の鳴沢地区に入ると、こちらの湯船観音の大きな看板が目立つ。その看板に従って左折。すると湯船集落がある。道路脇に地蔵堂があったので、この辺かな?と思って探すも見当たらない。ちょっと迷ったが、地元の人に聞いたらもう少し先との事で進む。
教えてもらった通り看板があり、小高い所にそれはあった。

参道はそこそこな数と勾配の石段。周りはまたも立派な杉林。登り終わると境内になる。
まず社殿があり、その奥に四つの小堂がある。それぞれ、観世音菩薩、高皇産霊命、阿弥陀如来、鉱滓の御神体を祀っている。

観音を祀る発祥の一つ。昔、この地に住んでいた鬼神太夫という刀匠が作った刀で悪魔を退治した為、鬼神太夫を本尊とした観音様が祀られた。
もう一つ説がある。昔、大蛇が鬼神丸という若者に化け、刀鍛冶となる。親方の刀匠の娘に惚れ込んだ鬼神丸は刀匠に娘を貰う事を請う。しかし大蛇の正体に気付いた刀匠は、一晩で十腰の刀を鍛えれば許可するという無理難題を押し付ける。しかし鬼神丸は見事に十腰鍛え、娘を貰おうとするも、刀匠は一腰隠し、娘を奪われないで済んだ(十腰内の由来は「十腰無い」という鬼神丸の嘆きから来ているらしい。)
大蛇の御難を恐れた村人は、大蛇を観音と結縁させ「飛竜観音」として祀られた。

「飛竜宮」と呼ばれ続けられたこの地は、明治の大悪法・神仏分離令によって高倉神社になる。

不可思議な伝説に思いを馳せ、この地を後にする。

最後に、湯船観音のご詠歌

いまの世に 神といわれる 鬼神石 庭の砂も 浄土なるらん

住所・鯵ヶ沢町湯船町字七尾

※無人神社です

津軽観音巡礼第五番 巌鬼山神社

2008-12-21 00:40:18 | 神社・仏閣
津軽三十三観音カジュアル巡礼第五番札所は弘前市十腰内の巌鬼山神社。

南貞院を後にし、高杉街道へ戻り、鯵ヶ沢方面へ。十面沢集落に入るとまもなく巌鬼山神社への看板があり、左折。1kmほど走ると大きな神社が出迎えてくれる。

岩木山はご存知の如く、三つ山(岩木山、鳥海山、巌鬼山)になっており、古来から山自体が神として崇められていた。仏教が伝来した後は、中央の岩木山には阿弥陀如来、南方の鳥海山には薬師如来、そして巌鬼山には観世音菩薩が見立てられ、三位一体として崇められることとなる。

坂上田村麻呂がこの地に巌鬼山大権現を本尊として祀ったのが巌鬼山観音堂。
その後、歴代津軽藩主と蜜月関係となり、絶大な信仰を得、十腰内観音堂に改称。
明治の大悪法・神仏分離令により、名称は巌鬼山神社に。十一面観音は百沢寺に預けられるも、百沢寺の廃寺によって元に戻る。

参道の石段を上るとそこからは巨木が生い茂る林の中。日光の当たらぬ幽玄さと静寂が時をゆるやかに流れさせる。本殿も立派な造り。後部にも古い社殿がある。例の如く観音様は拝めず。
中腹右手には竜神社があり、小さな堂がいくつか祀られていた。

観音様は見れないけど、ここにはさらに大きなみどころがある。それは二本の大杉である。
参道の多くの杉も充分大きいのだけれど、本堂近くの二本の多すぎはケタ違いである。
二本とも幹周りは10m近くあり、高さも40m以上、樹齢は千年以上と、とんでもないスケールである。県の天然記念物に指定され、県内一とも東北一ともいわれる大きさはで、観音信仰とは別にも多くの観光客を招いている。
二本とも大事に祀られており、あそこまで大きいと御神体としての信仰対象になってもおかしくはなかろう。

さらにもう一つ伝説がある。それは鬼の右腕のミイラが本殿近くから発掘されたというもの。あまりに大きい右腕なので、身長を推測すると2mは越えるであろうとの事から鬼のミイラと伝えられた。
その後、学者によって調べられると、精巧に作られた偽者のミイラだと判明した。だが、誰が何の目的で作ってわざわざ埋めたのかは定かではない。
ここら一帯は鬼伝説が多い。坂上田村麻呂の鬼の征伐から始まり、鬼の刀鍛冶の逸話から十腰内と地名がついたり、少し離れると、鬼を祀っている鬼沢地区もある。

なんともミステリアスな伝説がある神社であるが、観音様を参るのもよし、大杉に見惚れるのもよしと、観光としては楽しめる有り難い神社でありました。

最後にご詠歌

参るより 頼みをかけし 十腰内 聞きしにまさる 古き宮立

住所・弘前市十腰内猿沢78-7
電話・0172-93-2202

津軽観音巡礼第四番 南貞院

2008-12-20 15:00:28 | 神社・仏閣
津軽三十三観音カジュアル巡礼の第四札所は弘前市高杉の南貞院である。

カジュアル巡礼と勝手に称して普段着でふらっと巡礼して回ってるけど、やはり正装で巡礼するのが観音さまに対しての信仰心のあらわれや、自身の清純さを表す為にも必要なのであろう。
まず笈摺(おいずる)と呼ばれる白衣を纏い、菅笠を被り、金剛杖を突いて歩くのが正装とされている。一式揃えるとかなりかかりそうなので、遠慮しておくことにした。第一札所の久渡寺の住職も「何よりお参りする気持ちが大切」と仰られている。この正装に、納経帳、線香、蝋燭を持っていくのが完璧であろう。
線香と蝋燭くらい準備出来るので、用意していこうと思ったが、さすがに火の始末も慎重にしないと洒落にならんことになるので蝋燭は遠慮しておく。神社を除くが、線香を置く台が設置してある所も結構あるので、これからは準備しておく事にする。

高杉街道と呼ばれる県道31号線を鯵ヶ沢方面へ向かうと、高杉集落がある。高杉交番が目印で、その向かいに加茂神社入り口があり、そこから入るとすぐ左にひっそりと南貞院がある。あまりに目立たない為、少し迷ってしまった。

この南貞院より少しばかり先にある加茂神社だが、もともと観世音が納められていたのは加茂神社があった場所で、この神社が札所であった。
天ヶ崎という場所にあった南貞院が現在の場所に大正に移建する。
明治の大悪法・廃仏毀釈によって、加茂神社の観世音は一時高杉家に預かれ、その後現在の南貞院に納められ、地元の強い要請により、第四札所になったのだという。

境内はかなり小規模である。観音堂、地蔵堂、納経所のみ。
いつもの如く観音様は拝めない。納められている観世音菩薩は聖徳太子作と伝われているが真偽は怪しい。
納経所もいろいろ祀られている。以前は無人でセルフサービスで納経出来たらしいが、「無人のときは入らないでください」との張り紙。納経するわけでもないので拝んでから後にした。

加茂神社に訪れておくのも歴史的に考えると正しいだろうが、全くの別物と思ってたし、時間も無いので見送る。
こじんまりとした無人の寺院ではあるが、これからも地元に愛されて守り続けられていくのであろう。

最後にご詠歌

はるばると 詣で来る間の わが心 名は高杉の 森にとどまる

住所・弘前市高杉字山下208

※無人仏堂です

津軽観音巡礼第三番 求聞寺

2008-12-16 02:13:04 | 神社・仏閣
津軽三十三観音カジュアル巡礼の第三回は岩木山百沢の求聞寺です。

場所は岩木山神社入り口の右隣です。岩木山神社ばかりが有名なので、この求聞寺の存在は知らなかった。

求聞寺の話の前に、百沢寺(現在の岩木山神社)の歴史をなぞる。

百沢寺は坂上田村麻呂が創建。
津軽藩主から大いなる権力を授かった寺であり、今の岩木山神社の楼門、伽藍の大きさから推測できよう。
百沢寺は明治の大悪法・神仏廃止令によって廃寺になる。
その後そのまま岩木山神社として現在に残る。

求聞寺の歴史は、津軽二代藩主信牧が草創。
為信亡き後の跡目争い、大地震や飢餓などが続き、家内・領内の平安を願って、現在の求聞寺があった場所で、真言密教の求聞持法という荒行を信牧が行ったことがはじまり。

霊場巡礼三番札所は百沢寺だったが、廃寺になった後、求聞寺が再建した時に引き継いだ。

ここも前の清水観音と同じく、一代様として、丑と寅年生まれの人たちが多く訪れる。

まず小さな橋を渡ると、右手にきれいに整備されたお庭と、大きな観音像(鬼神母子像かも)が立ってます。

そして参道の石段を登ります。
久渡寺も清水観音もでしたが、林の中には樹齢何百年もありそうな巨木が生い茂り、幽玄さを醸し出します。
途中石段脇には観音様の石造が迎えてくれる。
観音石像の下には、西国観音巡礼から持ち帰った土が埋めてあり、遠い西国観音巡礼にも行けない方にもご利益があるようにとのこと。

石段を登ると境内で、本堂、観音堂、地蔵、丑寅像、釣鐘などある。
丑と寅の像は緑色で気持ち悪いが、今にも動き出しそうな手の込んだ造り。
釣鐘は県内一大きいとか。一撞き100円だそうです。やめておいたが。

お参りして賽銭入れようとしたけど、賽銭箱がない。観音堂にもない。盗まれないように仕舞ったのかも。

立派な寺でした。岩木山神社に行った際には是非立ち寄りたい場所です。

最後にご詠歌

父母の 菩提を願う 百沢寺 仏といわれ 神といわれん

住所・弘前市百沢字寺沢29
電話・0172-83-2279

津軽観音巡礼第二番 清水観音

2008-12-15 23:52:09 | 神社・仏閣
津軽三十三観音カジュアル巡礼の第二回目。今回は弘前市桜庭の清水観音。

岩木川沿いの道路をひたすら西目屋方面へ。東目屋といわれる桜庭地区に入ると、清水観音の大きな看板があるので迷わず着く。

まず鳥居の前には清水(しつこ)があります。こちらの神社がある山から流れる湧き水です。
津軽ではこうした湧き水のことを「清水」と書いて「しつこ」と読む(富田のしつこや渾神のしつこが有名)。しつこの前には観音様の歴史を示した看板がある。そこには観音堂は京都の清水寺を模した様式となっている云々と書かれており、名前の由来がどちらからきてるのか考えさせられる。
しつこで手を洗い、本来は口を濯いで吐くのだろうけど、おいしいのでそのまま飲む。
参道すぐ左手には地蔵堂と参拝堂がある。参道はまず石段が続き、コンクリートの道へ。鬱蒼とした森の中には立派な杉や楠が生い茂る。そしてまた急な石段が続き、観音堂が見えてくる。
簡単にいうと、崖を背負う様にして建てられている。足場も物凄く悪く、どうしてこんな所に建てようと思ったのか不思議と思い、そしてこんな悪場に建立した先人達を誇らしく思わざるを得ない。

歴史的に坂上田村麻呂が創建した説と、行基という僧が大高森山(この場所からもう5kmほど西目屋村に入るとある)に千手観音を彫って岩窟に安置したのがはじまりという説がある。
津軽歴代の藩主はこの場所を大変大事にしており、石段、堂、鳥居を寄与されたとある。四代目津軽信政の頃に今の舞台式の堂が建立され、千手観音も大高森山から遷座したといわれる。
明治の大悪法・廃仏毀釈によって、千手観音は難を逃れ、弘前市茂森の陽光院に移遷される。そのため、この観音巡礼第二番所は、この桜庭と、観音が納められている陽光院との二ヶ所に指定されてたりもするが、大抵はこちらに訪れるのが正しいようである。
廃仏毀釈によって、清水観音は強制的に多賀神社になるが、その名は今も受け継がれている。

ちなみにこの神社は、子年生まれの一代様として、子年の人たちが数多く訪れる。

建物は清水寺と比べたら遜色落ちるが、建物としてはとても立派である。荘厳とした森の中に構える本堂は美しく逞しい。

最後に清水観音のご詠歌

わが庵を はるばるここに 清水の 流れに浮かぶ 法の月影

住所・弘前市桜庭清水流104

※無人神社です

津軽観音巡礼第一番 久渡寺

2008-12-13 19:58:52 | 神社・仏閣
新企画「津軽三十三観音カジュアル巡礼」スタート。

霊場巡礼といえば、お遍路といわれる四国八十八ヶ所や、西国三十三ヶ所が有名であるが、津軽にも三十三ヶ所の観音巡礼がある。
巡礼は宗教の信仰から、修行、お祈り、自分探しや観光など、人によって様々な目的に分かれると思うが、昔とは違って交通の便も発達した為、ほとんどの礼所は車で簡単に行けるらしい。
そんなことで、ほぼ観光の目的が強いが、単純なお参りとして、各所巡っていきたいと思う。
その他、津軽観音巡礼の詳細については追って報告していきます。

まず第一番の久渡寺に向かう。座頭石から久渡寺に抜ける林間コースを走っていく。なぜこの場所をわざわざ通ったかは後で説明します。
アップルロードから山間に向かって数分、久渡寺の駐車場に着く。前は食堂あったけど、冬だからやってないのかな?
そしてまず長く急な石段が迎えてくれる。227段の急勾配にまず息を切らす。両脇には立派な杉が茂っており、一気に幽玄な雰囲気が感じられる。霊感などなくとも、その妖しい空気は伝わってくるであろう。
なんとか登りきると観音本堂、鶴亀延命堂、奥ノ院、そして本坊と、どこになにがあるかわからない。お経を読んでいる真っ白な観音様の石造もある。2百以上ありそうな地蔵群も幽然として立っている。せっかくだから久渡寺山の山頂目指して登山することにした。
663mの標高だから簡単に登れるだろうと思ったのが不覚だった。天気も良かったのでどんどん進んでいったのだが、半分登った辺りからか、道は雪に埋れてしまっている。さらっとした積雪だったのでさして気にせず進むが、段々雪の深さは増していく。誰かはわからぬが、先に登山した方の足跡があったので、多分大丈夫だと思い、不安ながら登る。もう辺りは雪化粧で、低地の全く積雪のない状態とは違い、山だということを忘れて登ったのが誤りかと後悔し、途中で戻ろうかと思い休憩。だけど、せっかくここまで登った苦労が水の泡になるのがただ惜しかったので、踏ん張ってまた登る。ワイシャツにコートとブーツというあまりに軽装の状態での無謀な登山だったが、努力の甲斐があって、なんとか山頂に辿り着いた。山頂からは弘前、そして津軽平野が一望出来る絶景のパノラマ。苦労が報われた。山頂にはちゃんと鳥居と祠もある。あまりに疲れたので、逆に早く帰りたくなって、お参りしてすぐ下山。帰りはスイスイと下る。登山時にも気付いたが、途中石造が何個もあり、この山を守っておられる。礼をして帰る。
この久渡寺は弘前市管轄の「こどもの森」として、自然を体感出来る遊び場になっていて、キャンプ場やアスレチックもある。登山コースの途中にあるが、周りに自然しかないキャンプ場である。途中珍しい鳥も見かけ、運がよければカモシカやテンも見れるとか。
なんとか下山し、久渡寺の本坊に着くも、鍵がかかっていたので、お参りだけして後にした。
こちらの本坊には十一面観世音、阿弥陀像、薬師像の他、オシラサマが多数奉ってある。オシラサマとは桑の木の枝をもとに、人の顔を形作り、着物などを羽織らせた民家の神様で、蚕の神、農業の神として各家庭に奉られている。久渡寺はその総本山といっても過言ではなく、毎年5月16日には各家庭からオシラサマを集め、イタコを呼んで祀り、オシラサマを遊ばせる行事もある。久渡寺周辺ではオシラサマ信仰が強く、家庭で奉っているとのことである。

さて、久渡寺といえば、津軽地方では最も有名な心霊スポットとしても有名である。地元の人間だと、大抵心霊現象の噂を数多く知っている。夏には肝試しとして若者も多く訪れる。
先述した、座頭石からは久渡寺に抜ける林間コースがあるのだが、その道路を10年振りに通った。編笠森という峠道なのだが、18か19歳頃、車を買ってただ当ても無くドライブしてた頃、夜中に座頭石に辿り着いた。左手に休憩場所があり、そこに白いセダンが駐車してた。そんなに気にもとめず真っ直ぐ走ってたら急に道路が狭くなったので、これ以上進むのは危険と判断し、Uターンしようとしたら、さっきのセダンが後ろから走ってくる!狭い道路なので、後ろから来たら引き返すことは出来ない。なんでこんな道路に向かって走ってくるのか?恐くなった私はこの狭い道を進むしかなかった。後ろから迫り来る車のヘッドライトを恐怖に感じ、出来るだけ振り切ろうと必死に走った。だがこの道は一部ガードレールも設置されている所もあるが、大抵は道から反れたら落ちるだけで、下手すりゃ死ぬかもしれない悪路なのだ。それでもゆっくり走ったら追いつかれるので、限界までスピードを上げた。なんとかヘッドライトはバックミラーから消え、ホッとしてスピードを緩めるも、悪路のため、気をつけて走った。そして民家が見えて来て、安堵を感じ、車を停めると、そこは久渡寺だった・・・。
ほんの最近この話を仕事の先輩にしたのだが、白いセダンが追いかけてくるというのは、心霊現象だというのだ!あの付近に行くと、幽霊車が襲って来るんだとか・・・。ひょえー!知らぬ間に心霊体験してたなんて!恐ろしや・・・。正確には久渡寺じゃなくて座頭石での体験なんだけどね。
他にも、本堂近くに池があるのだが、その池の水面を覗くと、自分の死に顔が映ってしまうとか・・・。
そもそもなぜ久渡寺で心霊現象が多発するのか?要因は何なのか?一説によるとこの山で土石流があり、多数の死亡者が出たとか。また、これは友人に聞いたのだが、津軽藩の反乱分子が久渡寺に逃げ落ちたが、結局全員惨殺されてしまったとか。その要因は未だに謎である。
もう一つ恐ろしい話だが、久渡寺には幽霊の掛け軸が納められている。これは丸山応挙という画家が、ある人から幽霊画を描いて欲しいと頼まれたのだが、応挙は幽霊を見たことが無いのでずっと描けずに悩んでいた。ある晩、応挙は女の幽霊に出くわし、応挙は急いでその幽霊を描く。完成して喜んでいると、幽霊は消えたのだが、そこには自殺した妻の姿があったのでした・・・。妻は死んで幽霊になることで、亭主の役に立ちたかったという事なのか・・・。
そんないわくつきの掛け軸ですが、一年に一回お披露目されます。そのお披露目する日は必ずといっていいほど、雨が降るのだとか。

いろいろ妖しい面を持った寺だが、登山などしてみると、なかなか気持ちのよいものであり、清らかな心にさせてくれる普通の寺でもある。観世音やオシラサマなどはみれなかったが、きれいな心で参拝させて頂いた。
これから数日かけて長い巡礼の旅をしていこうと思うが、あくまで気軽にカジュアルに挑みたい。

最後に久渡寺のご詠歌

補陀洛や 恵みも深き 観世音 罪もむくいも 晴らす宮立

住所・弘前市坂本字山本1
電話・0172-88-1555

最勝院

2007-04-11 22:42:17 | 神社・仏閣
弘前市新寺町の左右の寺々に挟まれた通りの突き当たりにある、神聖なる一角の寺院である。

真言宗智山派の最勝院、隣には京都の分社の八坂神社。そして東北一の美塔といわれる五重塔が一堂に会している。

この小さな最勝院は弘前で初詣の人数が一番多いことで知られ、夏の宵宮も同じく多くの人が訪れる。
宵宮は弘前の若者が大集合し、喧嘩、ナンパ、花火、ゴミ捨て、違法駐車といった悪の巣窟と化し、由緒あるこの境内が台無しになるのである。なので生まれてこの方一度しか行っていない。

よく「大円寺」とよばれているが、もともとここの寺院は真言宗の大円寺だったが、明治の神仏分離令により、大円寺は大鰐町に移る。
そしてもともと弘前市田町にあった最勝院が、今の場所に移った。そのために古くの呼び名が今に伝わっている。

五重塔は、津軽統一の激戦で戦死した人々を敵味方関係なく供養しようと津軽三代藩主信義が着工、四代藩主信政により完成された。
総高31.2mで、心柱は、継ぎ手なしの一本ものの角柱。西目屋の山から運ばれたものである。
釘を一本も使っていない造り。そのために国指定重要文化財とされている。

他にも六角堂が今年修復を終え、名大仏師の渡辺勢山制作の如意輪観音が安置され、新たな見所になっている。

境内には本堂の護摩堂や、聖徳太子堂、名大工の堀江佐吉碑など他にも見所がたくさんある。
夜には五重塔はライトアップされ、高台にあることもあって、その美しさを遠くからでも拝むことが出来る。

個人的には漆黒の闇夜にシルエットだけ仄かに浮かぶ姿が何とも風情があって好きである。まるで京都といった趣が感じられる。

東北の小京都といわれる多くの寺院が密集する弘前。しかし多くの寺院はただ大きくて新しいだけの風情もクソもへったくれもないただの寺がほとんどで、見る価値のあるものは少ない。
禅林街の寺も同じく、長勝寺はもちろん歴史的文化財だが、現在本堂は修復中のため見ることが出来ないのが悲しいところ。

最近「五重塔」なるガッツ石松主演の映画が公開中です。もちろん見ませんけど。
最近訪れてお参り、そして散策。普段の煩悩が洗われたかのようでした。最近強欲だったなと反省。強欲は罪です。
清らかな心になりたい時は訪れる事にしようと思いました。

住所・弘前市大字銅屋町63
電話・0172-34-1123
拝観時間・9:00~16:30