階下に降りる途中で私が一番に目にしたもの、それは襖の所にいる祖母の姿だった。彼女はまたもや座敷の入り口に1人佇んでいたのだ。そこで私は、彼女に直ぐに父の事を報告する事が出来た。何だか父の様子が変だ、彼はとても元気が無いのだと。
私は階下に確りと降り立つと、父が悲感して嘆息していた時の惨状を事細かに祖母に報告した。そして彼女に詰め寄ると、これは我が家の一大事じゃないかと彼女に進言した。
この率直な私の意見に、意外な事に祖母は何とも返事をして来なかった。彼女は何時もの様に乗りよく体を弾ませて、それは大変だ、そうだ一大事だよ、等、私に相槌を打って来なかった。何時もの彼女らしくすぐさま行動に出て2階に駆け上がると言う様な動きも見せなかった。その場に静止した儘の彼女は身じろぎもせずにいたが、顔は段々と沈んだ表情になった。彼女の視線は自身の足元に落ちて行った。
この様に、祖母は私からの、彼女の息子である私の父の一大事という状態の報告や、その件に関して折角進言までした彼女の孫である私の意見にも係わらず、無言の儘でいて、我が家の年配である自分の意見を何かしら返すという事も無く、それに対して素早く行動を起こしたりもしなかった。この彼女の全くの沈黙が私を失望させた。
父の為に何かしなくてよいのか、私の父はあなたの息子だろう。私はそんな非難めいた気持ちを抱くと、立ち竦んだ儘の彼女を見上げた。そして、私もまた身じろぎもせずに無言の儘で彼女をひたすら見詰めていた。
静寂の時間が長く続くかと思った時、私の視界の中にいた祖母は顔を動かした様だった。祖母の視線が上向き、瞳が私の瞳を覗いている様子だ。しかし彼女の胴体の方は相変わらず動きが無い。この様子では祖母は当てにならないと私は失望した。『祖母はやはり本当は当てにならない人間なのだ。』そう思った。
と、室内に、そろそろと階段の方へと足を滑らせる彼女がいた。彼女は音も無く階段に足を掛け、それを静かに上って行った。しかし、彼女の足は階段を登り切らなかった。彼女の体は段の上に留まっていた。そこで祖母は顔だけを階上に出して、私達親子の寝室をそれとなく窺っていた。
私が見ていると、彼女は後ろ向きに静かに階段を降りてまた階下に戻って来た。彼女はそこで、彼女を見詰めている私に私の母を呼んで来るようにと言いつけた。「ねえさんは台所にいるだろう。」と、彼女は言った。
『縁側じゃないのかな?。』と、私は思ったが、実際に行ってみると祖母の言う通りだった。母は廊下の先、その先の台所にその姿が有った。私が母の元に近付いて祖母の伝言を伝えると、何の用だろうと彼女は訝った。
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