Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

うの華4 58

2024-09-13 08:24:42 | 日記
 (さて、この話はこの回で最終回にしたいと思います。前回のうの華4の57回から長く経ちました。急な場面展開で御免なさい。)

 私は一人、何時も遊び場にしている寺の本堂前に辿り着いた。この場所での遊びが習慣になっているせいか、馴染み有る空気と風景に包まれ、目の前の建造物を目にすると、私はほっとして落ち着くのだ。今日はその安堵感を改めて感じた。数段の石の階段を登り詰めると、私は自分を確りと個として感じた。

 続いて私は一歩一歩、この寺のご本尊の納められている場所、御堂の入り口、その高所へと続く木製の、欄干に挟まれた古めかしい階段下へと近付いて行った。今日はここへ来る道すがら誰にも会わなかった。そして境内に入ってからもそうだ。この場所には人気が無かった。その代わり、境内はこの季節の樹木や大気、ごく一般的な自然の香と音で満たされていた。否、寧ろそれらは少ない環境状態で有り静寂だった。
 
 「お寺で一人らしい。」

私は孤独という物を感じもしたが、直ぐに頭を振ると、それも良いなと考えてみる。一人だと落ち着いて自分個人の思索に耽る事が出来る。私はこの時何の不足も無いと感じ、そんな平和を享受出来る自分の幸福を感じていた。将にそうだと私は思った。

 『何について考察しようか。』

階段に向かう足を止め、私は振り返りその場に佇むと、広い境内の内々に目を走らせて、これからの考察物、対象になる物の選別に入った。

 私があれこれと目を走らせていると、ふと何やら気配を感じた。何の気配だろうか?。ハッとした私はキリリと拳を握り、緊張すると直ぐにその場を離れて走り出せる様身構えた。その儘前方にキョロキョロと目玉を動かしてみる。視界には何も映ら無かった。それで私はホッとするとそれは気のせいだと思った。キュッと詰めていた息が洩れ緊張が緩んだ。私はホウッと息を吐いた。

 『まぁ立っている事も無い。』

今の緊張で私は疲労した。そうだ御堂の階段の縁に腰掛けよう。こう考えた私は緩やかに身を翻すと、今迄背を向けていた本堂へと歩み始めた。常より重い足を感じる。と、下の石造の階段の横、下方から前方に回り込んで階段を上がって来る黒い頭が私の視界に入った。私は思わず身構えた。

 常日頃誘拐犯注意の言葉が喚起されていた頃だ。私は逃げ腰になりながら、それでも注意深くその人物を観察した。それは背広姿の様だった。男の人だ!。私は身構えサッと緊張しようとした。が、直前同様の気合が咄嗟には入ら無かった。緊張という物は連続して出来ない様子だ。覚束無い肢体の私は霞そうな目でのみ対応するしか無かった。私は近付いて来る男を必死で観察しながら、只々『ここへ登ってこ来無いでくれ。』と願うしかなかった。私の動悸は激しくなり足もガクガクした。
 
 上着にズボン、男の人の姿はラフな正装という感じだった。変な人でも無さそうだ。私はやや安堵した。しかし、私がホッとしたのも束の間、次の瞬間、私の願いとは裏腹に彼は石段に向きを変えた。本堂に来る気らしい。その儘彼は一歩一歩階段を登ってくる。俯きがちな彼は暗い表情をしている様子だ。歳の頃は若者とは言えない様だ。遂に階段の上に迄来た彼は、私に向かい歩み寄って来る様だ。私は逃げたかったが、足が動かなかった。こうなると度胸を決めるしかない、と私は思った。

 「お前何をしているんだ。」

ハッとした声で、男性は今私に気付いたという調子の声で言った。「こんな所で」、「一人で」。どうやら私の事を知っているらしい。そこで私はよくよくその人の顔を見詰めてみる。すると、声の主はこの寺の住職さんその人だった。

 彼は普段と違う洋装をしていた。普段と勝手が違うので、私は目を上下させて住職さんを眺め回すばかりだった。そんな私に住職さんは、お前こんな所で…と、独り言の様にポツポツ続けた。「本当に、間の悪い時に、選りに選って…。」彼は嘆息した。私の方は不審な人物が住職さんだと安心すると、何時もの様ににこやかな笑顔を浮かべ、こんにちはと挨拶した。

 が、この時の彼は子供の相手をする所では無かった。

 「本当に間の悪い子だ。最初の時といい、今といい。」

住職さんは頗る加減が悪かった。「私がこんな状態の時に此処に居合わせるなんて。」住職さんは黙として口を閉じると寡黙になった。そんな彼に私は愛想よく言葉を掛けた。子供というのはそんな物かもしれない。その後の遣り取りは私が一方的に進めた。不機嫌が私のせいなのかと思い尋ねてもみた。違うと分かると、住職さんの不機嫌な理由を尋ねて、その機嫌の悪さが気持ちの落ち込みだと察すると、彼を励まそうとした。あれこれと話す私に、遂に住職さんは言った。

 「私は怒っているんじゃない、悲しんでもいない。」

只、…。彼は言い淀んだ。

 「世の中には『喜怒哀楽』以外の感情がある。私は今その感情に囚われている んだ。」

きどあいらく、私は何日か前に父から聞いたこの言葉を思い浮かべた。喜び怒り悲しみ愉快、楽しい事さと、人の感情はこの四つに大別されるのだ。と父は教えてくれた。少しは分かりそうな気がする私だったが、はて?、それ以外と言うと、ここで私は行き詰まった。私の理解の範疇を超える事態に直面した。

 (短く纏めたかったのに、長くなったので、次回で最終話にしたいと思います。)


暑い日が続きます

2024-09-05 09:46:33 | 日記
 本当に近年は暑い日が続く7、8、9月です。今夏は汗疹に悩ませられる歳周りとなりました。頭の中も痒いので、スッキリとショートカットにしてきました。洗髪がし易くなりました。そして、見た目高齢者スタイルの定番になった感じがありありです。

 さて、長休みしがちな私のブログ。今年ももう9月に入り、そう大した実績を残さずに過ぎてしまいそうです。うの華も途中だし、エッセイもポツポツUPです。少しずつ纏めて行きたいと思っています。
 
 今日はこのページに来ています。こようと思えばすぐ来れるのに。不思議と足が遠ざかってしまいます。ここでふふっと、この表現で良いのかしらと思ったりしています。書き物なので、何かしらの手先表現がないかなと考えたりするのです。手が止まる、筆が止まる、目前で何をどうと考えているとそうですが、短期長期にお休みしがちな書き込みだと、休稿を使ったものかしら?。スランプ中とか。

 まだまだ未熟ですが、気ままに書いている私です。本も良いですが、編集は疲れます。ぽつぽつですね。少し涼しくなって、意欲が湧けば、また何かしら書きに来れると思います。

今年のお盆を終えて

2024-08-23 11:54:58 | 日記
 昨年は母の初盆ということもあり、何かと気忙しく過ぎたお盆でしたが、今年は気持ちも落ち着き、極めて冷静に過ごせたお盆でした。外出も墓参り以外、特筆するような外出先は無く、大抵は家にいて過ごしました。そうして両親は素より、自身の先祖に思いを馳せた1週間でした。

 と、そうこうする内に、私は家の近所におられた自称「お姉さん」、の事を思い出しました。私がその方におばさんと言うと、「未だ嫁に行っていないからお姉さんです、私のことはお姉さんと呼びなさい。」と言われたものです。私は面白がって、この方とその遣り取りを数回行ったものです。そうこうする内に、その方はその家の近所界隈の皆さんの祝福を受けて、幸福そうにお嫁に行かれました。

 さて、この方の事を思い出したのは、父に思いを馳せていた時でした。私に作家にならないかと言い出した父、最初に父からこの言葉を聞いた私は、あれっ!と思ったものでした。その後、また突拍子もない事を父は言い出したものだと、私は不思議を通り越して不審に思ったものでした。この言葉は、つい前日かその前日に、先のお姉さんから私が言われた言葉でも有ったからでした。「あんた作家になりなさい。」、とお姉さんは言ったのでした。

 思い出せば、父の言葉も、「お前作家になるのか?。」が第一声でした。こう問われても、そんな職業を知らなかった当時の私には、皆目意味不明です。答えようも有りませんでした。只々、直近で父とお姉さんの発した単語の、不思議な一致に驚いていただけです。

 当時の私は「偶然」という事、言葉を知っていたのですが、そんな偶然が有る筈無い、という事には全く考えは至らず、ただ妙な事だとのみ一片、脳裏に奇妙に感じ取るばかりでした。

 人生百年時代を通り越して百二十年時代と言われるようになった近頃、そう思うと現在は丁度人生道半ば程、まだ先は長いのかと悠長に達観すると、私は妙に欲を出しているではないか、と笑ってしまうのでした。

 さて、乱筆蛇足ですが、「あんた作家になりなさい。」云云と、ある日お姉さんは窓辺から顔を出して、如何にも私を待ち構えていた風情でこう私に言いました。彼女は一人頷くように続けると、「あんたの話し方をみていたら、そこに向いている、そうしなさい。」と、最後にはこれが留め、決定です。と言わんばかりで、私は判決同様に申し渡されたのでした。

 この時の私は、作家なるもの、この世に存在しているという知識等皆無、職業への知識等も殆ど持ち合わせてい無かったのですから、何それ?という、虚をつかれた状態で立ち竦み、パタンと締められた白い障子戸を見詰め、ポカンとしていた様に思います。相当昔の事なのでこの時の記憶は曖昧です。
 
 その後の私は、近所とはいえ、他家のお姉さんに自分の将来云々を決定された事に反感すると、それと無く反発したりしたものでした。ぶうぶう文句を言った事も有ったと思います。その方の言葉に言い返したりもしました。そんな私に、それそれ、その物言いだから作家に向いていると、お姉さんは言うのでした。また、私は別の面でもその道に進むようにと勧められたものでした。今から思うと、確かに後者は当たっていたと苦笑する私です。

 さて、細かくはもう忘れました。数回このようなやり取りをして、お姉さんは私に帳面の様な物とペンを示して、もう書いたから。ほれこの閻魔帳に書いておいた。もう決定したからこの話はお仕舞いだ。そんな一方的な言葉、態度で話は終わり。窓辺にこの方を見る機会はそれ以上無かったと記憶しています。思い出したついでに、私は還暦の記念に出した私の本を、記念品としてプレゼントしたのでした。存命であれば、そのお家の見知っている姉弟の方は、共に百歳前後になられるのではと思います。なので2冊の記念品を包装、贈呈致しました。


煮物の香り

2024-03-12 08:44:54 | 日記
 久しぶりなので、あまり筆が乗りません。暫くはエッセイを続け、腕鳴らししたいと思います。

 昨日、近くのスーパーの物産展で竹輪を購入。厚揚げや大根と共にそれを煮込んで、昨日の夕飯にしました。今朝もそれを温め直して、美味しく頂きました。大量生産の安価な品物とは違い、確りとした食感の練物でした。噛み締めるその味に、昔ながらのお店の品質を感じていました。

 その後、2階で用事を済ませ、階下に降りて来た時の事です。私は廊下に漂う煮物の残り香に出逢いました。ほんわりとして温もりのある香気です。『懐かしい…、』、これは何処かで嗅いだ事がある匂いだと、私は直ぐに気付きました。私の臭覚の記憶にある香り。そうして直ぐに合点しました。『これは母の里の台所の香りだ。』。

 私はよくこの香りに出逢いました。母の実家にいて、台所に足を踏み入れた時にほんわりと、その台所特有の、壁等の身に染み込んでいる様子にさえ思えた、その場所独特の所有物としての香りでした。当時の私は何時も、これは何の匂いだろうか?、と疑問に思っていたものです。
 
 「そうか、あれは練り物を入れた煮物の匂いだったのか。」

相当の年数を経て、当時の練り物と同等の品を材料にして、煮込み料理をしたお陰で、今朝私はその香りに合点したのでした。

 まぁ、エッセイの不出来な点はお許し下さい。


2024年3月ですね

2024-03-06 11:05:05 | 日記
昨夏からの久々の投稿です。今年もよろしくお願い致します。

さて、長く続いたコロナ禍が漸く過ぎたようだ、と思っていたところ、今年は新年から能登地震があり、過去数年同様に、今年も今迄のところ忙しなく過ぎて参りました。特にこの1年は個人的な家庭の事情もあり、尚更に世話しなく落ち着かない日々でしたが、皆様には如何お過ごしでしたでしょうか。本当に、3月になってホッと一息ついた私です。

私ももう高齢です。知人の訃報を目にすることが多くなりました。厄災や災害ばかりでなく、明るいニュースも聞きたいところです。身近なニュースなら尚更です。辰年に期待したいですね。