歩き続けながら、実際にこの身に何かしらの引力を感じているという現実を、私は有りの儘に受け入れるべきだと思いました。一体何が如何なっているのか、身の回りに何が起こっているのか、これは真実神のなせる技なのか?。この場所が神社なだけに、人の計り知れない畏敬の何かがこの現状を引き起こしているのか?。私は観察してみようと試みるのでした。
先ず私は、自分に掛かる何かしらの力を分析してみようと考えました。そこで身に掛かる力に注意を向けると、後方への引力を感じるのは私の体全体というよりも、私の下半身部分だけのようでした。下半身に注力すると、如何もその力は足の方向、靄に覆われている部分だけに強く感じるようでした。そう気付くと、私は自分の足元に掛かる白い物体の動きに留意するのでした。
如何も、靄の中、気流はするすると滑るように動き、確かに私の後方へと流れて行っている様子です。私はその事に気付くと、足に力を込めて立ち止まりました。そうして更に靄の中をよくよく眺めて見ました。すると、その中には白い色の他に透明な何かが流れている事に気付きました。これも白い水蒸気の筋が存在するからこそ気付ける事で、目に見える物体の動きから無色の流れが見えて来るのでした。なる程、と、私は自然の大気の動きに感動すると、その地表近くの気流を面白可笑しく眺めていました。
が、それはそれとして、この場から離れたい、神社から一刻も早く出なければという、先程の決定事項を思い出しました。私はこの場を脱出するという第一の目的を思い出したのです。好奇心も程々にしておかなければ、気の向く儘にこの場に踏み行ったからこそ私はこういう体たらくに陥っているではないか。私は先を急ぐ事にしました。
重い足を引くように歩き始めて、私が前方を見ると、靄はもうすうっとした筋のような薄い物となり、私の足の踝辺りの所迄低くなりました。流れは依然後方へと向かい、靴の先端から側面を擦り、すうっと筋を引くように流れ滑って行くのでした。こうなると足運びも楽になり、私は直ぐに参詣の為の石畳の上に辿り着きました。ここでは冷気を足裏に感じるのみで、私はコツコツとした足音を立てると、ただ只管神社出口への行程を辿り、思い掛けずの容易な脱出劇となりました。
さて、私はこの当時、やはり脳裏に境内奥の小川の事を思い出していました。振り返り靄から脱出しようと試みた時、私はふとあの奥に存在する小川の事を思い出していました。そうして先に進まなくてよかったと安堵しました。又、靄が霧のように沸き立てば不用意に境内へ踏み込んだ私は方向感覚を失い、何時の間にか奥に迷い込んでしまったかもしれないと、その事を危惧しました。私が小川と出会ったのは小学生の頃でしたから、成人したこの頃にはすっかり忘れ果てていました。本当に忘却とは忘れ去る事なりですね。しかし危険というシグナルは胸に折り込まれているようです。
私は境内から脱出すると、鳥居を潜り、日差しさす日向に出ました。暖かい、そう思うとホッと安堵しました。私の耳には小鳥の囀る声が聞こえ、ふうっと深呼吸すると新緑の清々しい香りが胸いっぱいに広がりました。ここは明るく暖かい。再度認識すると、私は今来た道を振り返りました。境内の中、石畳が延びる参拝路の向こうに本殿が見えました。私は御免なさいとお辞儀をしました。今日は祭りの翌日です。前日迄続いた賑やかな喧騒に疲れた身を休めていたであろう、この神社の御神体にお詫びしたのです。折角の朝の微睡の中、ホッとした安堵、静寂を取り戻した平日の朝です。その憩いの中へ私がズカズカと土足で踏み入ったような気がしていました。私はその事を酷く反省したのです。御免なさい、ゆっくりお休みください。私は合掌するのでした。