junjunのはなまる日和&ときどきネパール

日々の暮らしとネパールのことなど・・・。

ネパールの学校に飾られるはずだった絵

2023-02-17 09:12:49 | 日本でネパール

 2023.2.15(水)

 

 ネパールで大地震が起こったのは2015年4月25日のことでした。

 

 私の支援していた学校もやっと完成し、2015年5月8日からの訪問で完成祝賀式を行うことになっていました。

支援をすると決めたあと、その学校に飾って頂きたいと、私の友人の画家・桜井芳彦さんに「ヒマワリの絵」とだけ伝えて描いてほしいと依頼、2009年には描きあがっていました。

 

それを持っていくため、どんなに放り投げられても壊れないようにと何重にも発砲スチロールや段ボール紙で包んで(きれいにはできませんでしたがありったけの段ボールでとにかく頑丈にして)持っていくばかりになっていました。

  

 

 ですが、渡航を直前にしての地震で新しい学校が壊れてしまったのも運命でしたね。

地震が起こったのが生徒のいない時間だったのがせめてもの救いでした。

 

そのあとこの絵をどうしようかと思いながらも次の支援先も決まらずにずるずると月日が流れていました。

 

 そして2019年の12月の訪問を最後に、2020年初めからコロナの蔓延。

支援期間は20年と決めていたその支援がコロナで3年も中断してしまい、残るはあと3年だけになってしまいました。(実際にはパスポートの関係で2年とちょっとしかない

 

 コロナになってから、いつの間にか、とねるずの歩き仲間と国内の旅をするようになっていました。

国内の旅をするようになって、まだ行ったことのないところ、行ってみたいところがたくさんあることに気がつきました。

旅友からは「もうネパールはいいんじゃないの?私たちと旅を楽しみましょう」と誘惑もあります。

 

 コロナの間もず~~っと考えていたのですが、学校でなくベルギーのフランソワーズさんたちのように個人の支援もいいかなと思ってはいたのですが、今から探すとなるとどちらにしても中途半端。

どうしようか、やめてもいいかなと考えるようになりました。

 

 そこで、せっかく描いていただいた絵はどうしようかと・・。

2015年からずっと梱包したものを眺めていましたが、最近になってこの絵は自分で鑑賞してもいいんじゃないかと思うようになり、思い切って梱包をほどきました。

 

カビとか出ていたらいやだなあーと思っていましたが、幸い何ともありませんでした。

  

 

 ごちゃごちゃした部屋のどこに置いたらいいのかも決まらないのですが、当分は私の見えるところにおいて眺めようと思います。

 

 で、ネパールのことはもう少しだけ考えます。

 


OKバジさんの帰国報告会

2022-06-18 12:20:25 | 日本でネパール

 2022.6.16(木)

 

 私がネパールに通い始めてまもないころから、現地で長いこと支援活動をしていらっしゃる通称OKバジという方がいらっしゃるということは人から聞いて知っていました。

 

 お会いする機会もないまま今日まで16年も過ぎていましたが、私の住む近くの佐倉市で帰国報告会があるというのでお伺いしました。

 

 会場は志津コミュニティーセンター。

京成本線ユーカリが丘駅でユーカリが丘線に乗り換え2つ目の公園駅のすぐ近くのようです。

 

初めて降り立った駅のホームから見えたのが緑の多い公園。なんたって駅名が ”公園駅” ですからね。

右手の方には私が行こうとしている建物らしい屋根が見えます。

 

私の目に入った公園の白い花の咲く木。

今ごろ咲いている花でこんな木の感じは、夏椿かヒメシャラか・・・

ズームしてみましたが、私のカメラではこれくらいで限界。

目を凝らして枝の揺れ具合や花をみると、どうもヒメシャラのようです(でも近くに行って確かめていないので怪しい)。

 

”公園駅” の駅舎はこじんまりしてかわいい。

 

 改札を出て1分ほどでコミュニティセンターです。

木々で覆われているので全景はムリでした・・・。

 

 報告会は14:00~16:00

 

 主催は「ネパール応援団ブッダの目」という団体で団長さんは田中克彦さんとおっしゃる方でした。

2014年から活動をなさっているそうで、OKバジさんの活動報告や応援団の収支報告などもきちんとされていてしっかりした団体のように感じられました。

 

写真を撮ってもよいということでしたが、会場が暗くてブレてしまってうまく撮れませんでした。

 

 本名を垣見一雅さんとおっしゃるOKバジさんは、6/4日で83歳になられたそうですがとってもお元気そうでした。

 OKバジさんがネパールで活動を始めたのはもう30年近く前からとのこと。(私がネパールに通い始める15年も前から

きっかけは、ネパールでの登山で山奥の人々の貧しい暮らしぶりを見たことや登山でお世話になったことで、恩返しをしたいと思ったからだそうです。

 

 最初の頃はネパール語もよくわからず、なんでもOK、OKと言っていたので、ネパール語でおじいさんを意味する ”バジ” が付いて ”OKバジ” と呼ばれるようになったそう。

 OKバジさんの活動は多岐にわたっているようですが、やはり支援金等が確実に現地の人の役に立つようにと考えられて進めているとのこと。(失敗もあったそうです

 

 コロナ渦でもお米を配ったり水道を引かれたり学校を造ったりの仕事は進められていたようです。

そんな中でコロナにもかかってしまったそうですが、こうして元気になって3年ぶりにやっと日本に戻ることができたとおっしゃっていました。

 

スタッフの方々からお誕生日プレゼント等が手渡されました。

 

佐倉市長もお見えになるということでしたが、16:00を過ぎたので私は途中で失礼しました。

 

 コロナでネパールが遠のいていましたが、久々に懐かしく思い出されました。

 

※私がネパール語を習った時に、おじいさんを意味する言葉としてバジェと覚えましたので、聞いていても字を見てもバジは変な感じがしましたが、ネットなどではたいていOKバジとなっていますのでバジに統一しました。

 

 


ネパールのパンネくん

2019-09-26 17:26:18 | 日本でネパール
 2019.9.25(水)

2013年からネパールでお世話になっていた銀杏旅館の長男パンネくん(正式にはスンダル・ラームという名)が千葉の被災地で9/24日ボランティア活動をするというのでやってきました。

9/7日に関空に下り立ち、大阪、福岡、東京、千葉とスマホ頼りに一人でチケットを購入し、移動しているとのこと。今どきの若者はすごいなあと思って感心してしまいました。

弟のアシスくんも一緒に日本にやってきましたが、二人は別行動をとっていました。(アシスくんは今、盛岡に行っています)。こちらも一人で移動していました。

5姉妹兄弟の写真を見つけました(ちょっと古く2015.11.14のもの)
 左から 
長女ミナちゃん 長男パンネ君 次男サロズ君 次女ラスミちゃん 三男アシス君



パンネくんは数日前に福岡からヒコーキで成田に着き、その日のうちに日本人の友人と富士山に登ってきたとか。 彼はネパールで山のガイドをしているくらいですから「富士山はラクだった」そうです。 一緒の友人もネパールの山に登っている人ということですが、仕事終わりに出かけ寝不足だったらしく(夜勤だったのかな?)少々体調を崩したのでチョッと時間がかかったけど、一人だったらもっと早く登ってこられたそう。

そんな彼が、せっかくだからと日本でボランティアとしたいと一日だけでしたが台風15号の被災地(鴨川方面)に行ってきました。

一緒に行ってくださったのは、2015年ネパールの大地震の時からパンネくんの実家のあるラムチェ村の支援をして下さっているちょんまげ隊の隊長ツンさんことツノダヒロカズさんです。
(ツンさんは日本だけでなくネパールその他いろいろな国で精力的にボランティア活動をしていらっしゃりホントに頭が下がります。)

力持ちのパンネくんはとてもしっかりといいお手伝いができたとの報告をうけました。

そして、その晩だけ我が家に泊まることになりました。(ほんとうは前の晩と2晩の予定でしたが、近くに他の友達もいて最初の晩はそちらに泊まることになりました。)

9/25日(水)は17:00から、一緒にボランティアに行った6人で築地でミーティングをし、そのあと夜行高速バスで大阪に帰るとのこと。

昼間家でごろごろしているのはもったいないと、朝食後、都内のいくつかの場所を巡ることにしました。

東京タワーとスカイツリーには既に行ったとの事でしたので、それ以外のところを回ることにしました。


はとバスにでも乗ったら効率が良かったと思うのですが、前日ハードな仕事をした後だったので朝ゆっくり起きたのと、当日分はもういっぱいで申し込みができず、電車や地下鉄を乗り継いで回りました。


 津田沼(10:30頃) (JR) →  東京駅(トランク預け)  
外から東京駅を眺め、ついでに皇居前広場へ。






いまどきはスマホで自撮りするので私はあまり写真がありません。


 日比谷 (地下鉄)→ 浅草 
みんなと同じようなところで写真を撮って浅草寺境内散策。

                ↑ 後姿のパンネくん

どこも人でいっぱい。

浅草あたりで昼食を・・と言っていたのですが、おなか空いてないとのことで、おいしそうな最中風のアイスを買って歩きながら食べただけ(写真撮ればよかったのに忘れた)

 浅草 (地下鉄)→ 東京駅(預けたトランク受け取り) (地下鉄)→ 銀座 
銀座4丁目のあたりを眺め(トランクがあるのであまりぶらぶらはせず)、
築地17:00にあわせお茶をして時間待ち休憩。
(夜の部があるのでここでおなかいっぱいにするわけにはいかず)

(またまた写真撮る前に飲んでしまった!)

 銀座 (歩き)→ 歌舞伎座 外から建物を眺めただけ

(パンネくんはたくさん自撮りしていました)


 歌舞伎座 (歩き)→ 築地
集合地の朝日新聞社の隣のビル(一緒にボランティア参加した若い方の職場)16:50

あとはお任せして私はそこでパンネくんとお別れしました。


  ~ ~ ・ ~ ~ ・ ~ ~ ・ ~ ~ ・ ~ ~ ・ ~ ~

実はこの数日前(9/17)にはパンネくんと一緒に来日した三男のアシスくんにも東京駅で会いました。
 
江ノ島の知り合いのところに数日泊まり、盛岡に行くというこの日、東京駅のホームまで迎えに出、ほんの1時間ほどでしたがお茶をしながら日本に来てからのようすなどを聞き、新幹線に乗るところまでのお手伝いをしたのです。(アシスくん撮影;新幹線車内)


アシスくんは盛岡でいろいろな山に連れて行ってもらい、ガイドの勉強などをしていたようです。

10/1(火)には日本滞在を終え二人そろってネパールに戻りました。

   帰る前の関空のよう↓(facebookから)

ちなみに真ん中に写っている次男のサロズくんは技術研修生としてもう3年も前に来日、今は大阪でネパールからの介護士を迎える仕事をするために自分も介護の勉強をしているそうです。 

      左から 長男パンネくん 次男サロズくん 三男アシスくん 






ネパールの集まり ハテマロ会

2018-09-22 21:44:28 | 日本でネパール
2018.9.22(土)

我家の近くに住むネパールの人々と知り合いになったのはもう7~8年も前のこと。

最近は私が忙しくなったこともあって我が家での食事会もめっきり減りましたが、お子さんのお祝いの時や、今日のような集まりがあるときは声をかけて頂くので私が出かけて行きます。

今日の集まりは、千葉方面に住む方々の集まりのようで年一回開かれてる ハテマロ会 というもの。

以前は浦安の方でバーベキューパーティーやピクニックなども行っていて、声をかけていただいたこともあったのです出かけたことはありませんでした。

昨年から?は我が家の近くの公民館の調理室と他の部屋を3つも借りて、男性が朝から調理をしてくれての集まりになっているようです。

今日はちょうど私も用事のない日だったので参加させて頂きました。

2:30くらいからランチタイム

男性陣が作って下さった料理がたくさんできていました。


       

                

       神様にお供えするための一皿
       

一人分のお皿; おかわりは好きなだけ自由にできます。



4:00からは場所を変えて勉強会が開かれました。

        会長さんのあいさつ
          

日本での子供の教育はどうしたら・・・ というようなことを講師の方のお話を聞いた後、座談形式で行われました。



6:00頃にはランチとは別に夕食が出来ていました。

皆さんはそれを食べてから解散のようでしたが、私は翌日出かける用事があるため少し早めに失礼しました。

家の近くから空を見上げると、雲の上に満月に近い月が顔を出していました。

手前のこども園にはまだ明りがついています。 




ネパールのお菓子 ヨマリ

2016-09-22 16:22:38 | 日本でネパール
 2016.9.22(木)

カタツムリ歩行のあった9/18(日)のこと。

朝7:30分ころに電話が鳴りました。 

こんな早くに誰かな~と出てみると、近所に住むネパール人のアミタさんでした。

ネパールのお菓子 “ヨマリ” を作ったので届けてくださるとのこと。

アミタさんの二女アユミちゃんの2歳のお誕生日会のときに食べて以来です。(3年近く前)

その時が初めてだったのですが、とてもおいしかったので、うちに来た時などによくその話をしていました。


今、ご主人ゴータムさんのお兄さんのお嫁さんがネパールから来ているので一緒に作ったとのこと。


朝の7:30分にはもう出来上がって私にお電話を下さったということは何時から作り始めたのでしょう・・・。 それにしてもうれしいプレゼントです!


じつは、5つ戴いたのですが、カタツムリ歩行に出かける直前に 「作りたての方が絶対おいしいはず!」 と1個食べてしまったので4個しか残っていません




カタツムリから帰ったのが午後3時すぎ。

ちょうどおやつの時間なので又いただくことに・・・。 時間がたっているので少し固くなりましたがまだまだおいしい・・・。




外側の白い皮は米粉をこねて作ります。 大体の形にしてから手に油をつけて上に穴を開け袋状にしていきます。

中に入っているのはチョコレートのように見えますがそうではありません。

ゴマやいろいろな香辛料を入れてつくるどろ~っとした感じの チャク というものです。(お姉ちゃんのアガミちゃんが、ヨマリチャク と教えてくれました)


中に入れる香辛料により味も異なり、家々で違う味のヨマリができるようです。

そういえば、前回食べたときの味と今回の味は確かに違っていました!



あっという間に2つ目にかぶりつき・・・     お見苦しいものアップでゴメンナサイ



アユミちゃんのお誕生日会の時に、私も袋詰めに挑戦してみましたが、中にチャクを入れて閉じるとき、中身がとび出しうまく閉じられませんでした。

チャクを入れ、口がきれいに閉じられたら、蒸し器で蒸します。

さすがにアミタさんたちは上手です。 見た目も美しい。 こうでなくっちゃね。



ヨマリ は、ネワール族の12月の満月の日に作っていたお菓子だったようですが、最近ではなにか行事があると作る家庭も多くなったとのこと。
 

ちなみに、

ヨマリもチャクもネワール語なので私の手持ちのネパール語の辞書には載っていませんでした。

ヨマリの“マ”の発音はマとモの中間の発音ということで、どちらかというと“モ”に聞こえるかもしれません。このような発音のものはたくさんありカナで表すのも迷ってしまいます。(ヨモリと書いている人も多いです。)