2017.2.19(日)
「カタツムリ歩行が始まってもう27年目」と事務局を引き受けて下さっている土井さんがおっしゃっていました。
“カタツムリ歩行”として山さんこと山浦正昭さんの提唱で西船橋駅から府中本町までの武蔵野線を、1年に1駅づつ、年10回歩き、22年がかりで府中本町まで行くということを始めました。(この間に新駅が2つできました)
そして、続・カタツムリ歩行として逆に府中本町から西船橋に向かって、月に1駅づつ戻り始めて5年目。今年が最後の年となりました。
今日は 武蔵野線 新八柱駅 です。 10:00過ぎ出発。
いつも丁寧に歩いて “歩きメデス” にアップして下さるsaikoroatさんがお休みでした。
私はいつものことながらあまりたくさんは歩けそうもなく、いくつかの神社・寺院しか回らないのと写真もあまり撮らないので簡単にしか書けないのですが・・・。
スタート時、いつも武蔵野線の線路を基準に進む方向が何となくわかって歩き出すのですが、今日は、新京成電車で行ったため気がつかなかったのですが、武蔵野線の新八柱駅は地下にあり、線路が見えずちょっと戸惑いました。
歩き始めてじきに、地下から出てくる武蔵野線を見ることができました。
南北に走る武蔵野線をはさんで東に行ったり西に行ったり又東に戻ったりと駅の南側一帯を歩き、ゴールを目指しました。
最初に向かったのは白髭神社。 まわりは山が削られて住宅地になったようで、神社は崖の上という感じです。
正面の南側に回りました。
次に回ったのはすぐ近くにあった徳蔵院。こちらも寺院の裏に出ました。
車の出入り口から入り、表に回ります。
フェンスの向こうを見ると、二階建ての住宅の屋根が下に見えますので、ここがかなり高いところというのがわかります。
今日は北から南へと歩くようになったので、裏から入るようになることが多くなったかも!
徳蔵院本堂 ウメが見ごろでした。
本堂やまわりの建物も、建て替えてからそう年数は経っていないようです。 創建は約600年前だそう。
赤いエプロンの6地蔵は石の削れ具合からしてかなり古そうにみえました。
本堂に向かって右手に珍しい無患子(むくろじ)の木があり、立て看板に「実はお持ちください」とありましたので、戴いてきました。 植えたら芽がでてくるでしょうか?
この先に仏舎利塔がありましたが写真には撮らず仕舞いでした。
表の通りに出ようと坂道を下っていくと、松戸七福神の幟がはためいていましたが上がるのはやめました。寿老人が祀られているようです。
次は、少し離れたみのり神社を目指すのですが、途中で武蔵野線の下をくぐり、線路の西に出ます。
みのり神社。祭神は弁才天。
建物は小さいですが、謂れによると、創建は天文年間(1538年)とのことで、S40年にみのり神社と改称したとの説明がありました。
さらに南に向かって歩くと、小さいけれどしっかりと護岸工事のされた水路に出ました。橋は直刀橋(ちょくとうばし)
近くに安楽寺があるらしいのですが、ショートコース組はそちらにはまわらず、ゴールを目指すことにしました。
河原塚小学校の南を通り、武蔵野線の線路をくぐりなおしてすぐのところがゴールの熊野神社でした。
拝殿は朱塗りのりっぱなものです。
隣に菅原道真公を祀った新しい祠があります。(H27年築。 もともとここに天満宮があったそうですが、いつしか忘れ去られていたものを再建したとの説明あり。)
昼食後、ミーティングを行い、1時過ぎに解散となりました。
「カタツムリ歩行が始まってもう27年目」と事務局を引き受けて下さっている土井さんがおっしゃっていました。
“カタツムリ歩行”として山さんこと山浦正昭さんの提唱で西船橋駅から府中本町までの武蔵野線を、1年に1駅づつ、年10回歩き、22年がかりで府中本町まで行くということを始めました。(この間に新駅が2つできました)
そして、続・カタツムリ歩行として逆に府中本町から西船橋に向かって、月に1駅づつ戻り始めて5年目。今年が最後の年となりました。
今日は 武蔵野線 新八柱駅 です。 10:00過ぎ出発。
いつも丁寧に歩いて “歩きメデス” にアップして下さるsaikoroatさんがお休みでした。
私はいつものことながらあまりたくさんは歩けそうもなく、いくつかの神社・寺院しか回らないのと写真もあまり撮らないので簡単にしか書けないのですが・・・。
スタート時、いつも武蔵野線の線路を基準に進む方向が何となくわかって歩き出すのですが、今日は、新京成電車で行ったため気がつかなかったのですが、武蔵野線の新八柱駅は地下にあり、線路が見えずちょっと戸惑いました。
歩き始めてじきに、地下から出てくる武蔵野線を見ることができました。
南北に走る武蔵野線をはさんで東に行ったり西に行ったり又東に戻ったりと駅の南側一帯を歩き、ゴールを目指しました。
最初に向かったのは白髭神社。 まわりは山が削られて住宅地になったようで、神社は崖の上という感じです。
正面の南側に回りました。
次に回ったのはすぐ近くにあった徳蔵院。こちらも寺院の裏に出ました。
車の出入り口から入り、表に回ります。
フェンスの向こうを見ると、二階建ての住宅の屋根が下に見えますので、ここがかなり高いところというのがわかります。
今日は北から南へと歩くようになったので、裏から入るようになることが多くなったかも!
徳蔵院本堂 ウメが見ごろでした。
本堂やまわりの建物も、建て替えてからそう年数は経っていないようです。 創建は約600年前だそう。
赤いエプロンの6地蔵は石の削れ具合からしてかなり古そうにみえました。
本堂に向かって右手に珍しい無患子(むくろじ)の木があり、立て看板に「実はお持ちください」とありましたので、戴いてきました。 植えたら芽がでてくるでしょうか?
この先に仏舎利塔がありましたが写真には撮らず仕舞いでした。
表の通りに出ようと坂道を下っていくと、松戸七福神の幟がはためいていましたが上がるのはやめました。寿老人が祀られているようです。
次は、少し離れたみのり神社を目指すのですが、途中で武蔵野線の下をくぐり、線路の西に出ます。
みのり神社。祭神は弁才天。
建物は小さいですが、謂れによると、創建は天文年間(1538年)とのことで、S40年にみのり神社と改称したとの説明がありました。
さらに南に向かって歩くと、小さいけれどしっかりと護岸工事のされた水路に出ました。橋は直刀橋(ちょくとうばし)
近くに安楽寺があるらしいのですが、ショートコース組はそちらにはまわらず、ゴールを目指すことにしました。
河原塚小学校の南を通り、武蔵野線の線路をくぐりなおしてすぐのところがゴールの熊野神社でした。
拝殿は朱塗りのりっぱなものです。
隣に菅原道真公を祀った新しい祠があります。(H27年築。 もともとここに天満宮があったそうですが、いつしか忘れ去られていたものを再建したとの説明あり。)
昼食後、ミーティングを行い、1時過ぎに解散となりました。