2015.12.23(水)
カントリーウォークグループ とねるず の歩きに参加しました。
常磐線 土浦駅 10:00集合
今日は、土浦駅の西側、古い土蔵の商店などが残っている旧水戸街道沿いやかつてお城のあったところが亀城(きじょう)公園となっているあたりまでのほんの一部を歩きました。
マンホールのふたは先月の荒川沖にあったのと同じもので、筑波山、霞ヶ浦、帆掛け船(帆曳船)の風景でした。
土浦駅・西口を背にして交番前を直進、次の交差点ですぐに左に曲り南側の大きな通りに出てさらに西に向かいます。
歩き始めたのはいいのですが、寒さ対応の服装だというのにまだ寒い・・・ということで、角のコンビニに寄りホカロンを購入、みんなペタペタと貼り付けて再出発となりました。
大通りから寺院の屋根が見えたので寄ってみるとそこは東光寺でした。
横道から正面にまわりました。 正面は旧水戸街道に面しています。
瑠璃光殿と呼ばれる薬師堂は市の指定文化財となっています。光文4年(1739)年の建立。
この日は植木の手入れ中で脚立やコーン、ビニールシートなどが・・・
内田野帆の句碑。 声に身を持たせて揚る雲雀哉
勉強不足で私はこの方のことは知りませんでしたが土浦出身の俳人のようです。
芭蕉の句碑もあるらしいと探していたのですが、右手にあった句碑を見た人が後側を見て 野帆 と書いてあるというのでこれは芭蕉の碑ではないと思いあきらめたのですが、あとでネットで調べるとどうもこれが芭蕉の句碑だったようです。
上が切れてしまいましたが、八九間 空伝雨降柳可那 と書いてあるそうです。
↓ネットから拝借した芭蕉句碑。
八(はち)の字がかなり離れて上の方にあります。
東光寺から数十メートルのところには等覚寺があります。
元は常陸・藤沢にあった寺院だそうですが、慶長10年(1605)にこの地に移ったそう。
右手の鐘楼は市の指定文化財。 銅鐘は建永年間(1206~7)のもので国の重要文化財に指定されいます。
一時お城にあり時の鐘として使われていたそうです。
本堂。 名木のクロマツがりっぱすぎて本堂がよく見えません・・・
このあと
旧水戸街道沿いに保存されているという蔵づくりの商家の方に向かいました。
途中にあったこちらも蔵なのでしょうか、趣のある造りです。何のお店なのかはわかりませんでしたが・・。
吾妻庵というお蕎麦屋さんの前にあった盆栽は幹が皮ばかりになったりっぱなもの。
矢口家住宅(酒店)は現在修復中。 今の壁の色は茶色になっていますが、ネットで見たものは黒でしたが大分傷んでいるように見えました。これから黒に仕上げるのでしょうか?
まちかど蔵 大徳(大黒屋徳兵衛の略・呉服店) 1Fは観光協会事務局、売店、トイレなどがあります。
中に入ると右手につながる蔵がありますが、袖蔵と言って季節の商品をしまっておく蔵で、お客様の要望を聞いてここから取り出してきたとか。 今は展示場になっていて2Fにも上がることができます。
事務局になっている部分の2Fにも上がることができ、呉服を広げての商談はこの2Fでなされたそうです。
床柱はザクロの木。こんなに大きくてまっすぐなザクロの木はめったにないとか・・・。 床の間の壁は螺鈿塗り(今はメキシコ貝、震災前は夜光貝だったそう)
障子や桟の細工も素晴らしいものです。
2Fから見ると、表通りからは見えないのですが裏にいくつもの蔵がつながっているのが見えます。 手前は元蔵(もとぐら)といってオフシーズンの商品を入れておく蔵。 奥に見えるのが向蔵(むこうぐら)といって、大徳家の家財道具を入れた蔵だそうです。 豪商ぶりが伺われますね。
大徳の向かいにあるのが まちかど蔵 野村(砂糖を扱っていた店)
野村の右手奥に小さな琴平神社(左)と不動院(右)が見えます。
その少し手前に(琴平神社の敷地内ということですが) 退筆塚 があります。
江戸時代後期に沼尻墨遷の開いた寺子屋のあった場所で、文久2年(1862)墨遷7回忌に門弟たちによって建てられたものだそうです。
不動院には力石が2つありました。
ここから亀城(きじょう)公園はすぐ近く。 琴平神社と不動院の間を抜け亀城公園に向かいます。
土浦城は一名亀城(きじょう)といったため公園名は亀城公園となったようです。
裁判所前を通って進むと正面に高麗門が見えます。
高麗門は文久2年(1862)に建造されたもの。
城郭の門ではありますが、武家屋敷のあった多計廓(たけぐるわ)と町屋を仕切る前川口門と言われるものだそうです。
そう遠くないところに櫓門(明暦2年(1656)建造)が見えます。手前はお堀になっています。
東櫓(復元)
西櫓(復元)
隣接する市立博物館でトイレを借りましたが、時間の都合で観覧はせず、公園のベンチで昼食をし、集合写真を撮って帰路につきました。
本日の参加者
公園の一角にあるスダジイは樹齢500年とか! 歴史がありますね。
南門を抜けて少し進むと土浦小学校前に出ます。 2014年1月15日完成の真新しい和風校舎。
校舎東門?前には大手門跡碑が建ち由緒ある地ということがわかります。
ここからはもう駅に向かって急いで歩きます。
途中、小さな中城(なかじょう)天満宮脇を通りますが、みなさんは素通り。
天満宮によくいる牛・・・ 鳥居の向かいに石造の牛が鎮座していました。
背中合わせにりっぱな料亭などもありました。
この後も古そうな家を横目で見ながらサッサと駅に向かいます。
駅前はまだ整備中。 最近の工事現場のグッズもこんなにかわいく・・・
歩き初めは寒くてどうなることかと思いましたが、ホカロンのおかげと午後には寒さもやや緩み、おまけに帰りを急いだせいか身体も少々温まり、あったかいお茶を飲もう・・・と言っていたのにアイスクリーム付きのコーヒーゼリーなどを食べ、一息ついて帰途に着きました。
カントリーウォークグループ とねるず の歩きに参加しました。
常磐線 土浦駅 10:00集合
今日は、土浦駅の西側、古い土蔵の商店などが残っている旧水戸街道沿いやかつてお城のあったところが亀城(きじょう)公園となっているあたりまでのほんの一部を歩きました。
マンホールのふたは先月の荒川沖にあったのと同じもので、筑波山、霞ヶ浦、帆掛け船(帆曳船)の風景でした。
土浦駅・西口を背にして交番前を直進、次の交差点ですぐに左に曲り南側の大きな通りに出てさらに西に向かいます。
歩き始めたのはいいのですが、寒さ対応の服装だというのにまだ寒い・・・ということで、角のコンビニに寄りホカロンを購入、みんなペタペタと貼り付けて再出発となりました。
大通りから寺院の屋根が見えたので寄ってみるとそこは東光寺でした。
横道から正面にまわりました。 正面は旧水戸街道に面しています。
瑠璃光殿と呼ばれる薬師堂は市の指定文化財となっています。光文4年(1739)年の建立。
この日は植木の手入れ中で脚立やコーン、ビニールシートなどが・・・
内田野帆の句碑。 声に身を持たせて揚る雲雀哉
勉強不足で私はこの方のことは知りませんでしたが土浦出身の俳人のようです。
芭蕉の句碑もあるらしいと探していたのですが、右手にあった句碑を見た人が後側を見て 野帆 と書いてあるというのでこれは芭蕉の碑ではないと思いあきらめたのですが、あとでネットで調べるとどうもこれが芭蕉の句碑だったようです。
上が切れてしまいましたが、八九間 空伝雨降柳可那 と書いてあるそうです。
↓ネットから拝借した芭蕉句碑。
八(はち)の字がかなり離れて上の方にあります。
東光寺から数十メートルのところには等覚寺があります。
元は常陸・藤沢にあった寺院だそうですが、慶長10年(1605)にこの地に移ったそう。
右手の鐘楼は市の指定文化財。 銅鐘は建永年間(1206~7)のもので国の重要文化財に指定されいます。
一時お城にあり時の鐘として使われていたそうです。
本堂。 名木のクロマツがりっぱすぎて本堂がよく見えません・・・
このあと
旧水戸街道沿いに保存されているという蔵づくりの商家の方に向かいました。
途中にあったこちらも蔵なのでしょうか、趣のある造りです。何のお店なのかはわかりませんでしたが・・。
吾妻庵というお蕎麦屋さんの前にあった盆栽は幹が皮ばかりになったりっぱなもの。
矢口家住宅(酒店)は現在修復中。 今の壁の色は茶色になっていますが、ネットで見たものは黒でしたが大分傷んでいるように見えました。これから黒に仕上げるのでしょうか?
まちかど蔵 大徳(大黒屋徳兵衛の略・呉服店) 1Fは観光協会事務局、売店、トイレなどがあります。
中に入ると右手につながる蔵がありますが、袖蔵と言って季節の商品をしまっておく蔵で、お客様の要望を聞いてここから取り出してきたとか。 今は展示場になっていて2Fにも上がることができます。
事務局になっている部分の2Fにも上がることができ、呉服を広げての商談はこの2Fでなされたそうです。
床柱はザクロの木。こんなに大きくてまっすぐなザクロの木はめったにないとか・・・。 床の間の壁は螺鈿塗り(今はメキシコ貝、震災前は夜光貝だったそう)
障子や桟の細工も素晴らしいものです。
2Fから見ると、表通りからは見えないのですが裏にいくつもの蔵がつながっているのが見えます。 手前は元蔵(もとぐら)といってオフシーズンの商品を入れておく蔵。 奥に見えるのが向蔵(むこうぐら)といって、大徳家の家財道具を入れた蔵だそうです。 豪商ぶりが伺われますね。
大徳の向かいにあるのが まちかど蔵 野村(砂糖を扱っていた店)
野村の右手奥に小さな琴平神社(左)と不動院(右)が見えます。
その少し手前に(琴平神社の敷地内ということですが) 退筆塚 があります。
江戸時代後期に沼尻墨遷の開いた寺子屋のあった場所で、文久2年(1862)墨遷7回忌に門弟たちによって建てられたものだそうです。
不動院には力石が2つありました。
ここから亀城(きじょう)公園はすぐ近く。 琴平神社と不動院の間を抜け亀城公園に向かいます。
土浦城は一名亀城(きじょう)といったため公園名は亀城公園となったようです。
裁判所前を通って進むと正面に高麗門が見えます。
高麗門は文久2年(1862)に建造されたもの。
城郭の門ではありますが、武家屋敷のあった多計廓(たけぐるわ)と町屋を仕切る前川口門と言われるものだそうです。
そう遠くないところに櫓門(明暦2年(1656)建造)が見えます。手前はお堀になっています。
東櫓(復元)
西櫓(復元)
隣接する市立博物館でトイレを借りましたが、時間の都合で観覧はせず、公園のベンチで昼食をし、集合写真を撮って帰路につきました。
本日の参加者
公園の一角にあるスダジイは樹齢500年とか! 歴史がありますね。
南門を抜けて少し進むと土浦小学校前に出ます。 2014年1月15日完成の真新しい和風校舎。
校舎東門?前には大手門跡碑が建ち由緒ある地ということがわかります。
ここからはもう駅に向かって急いで歩きます。
途中、小さな中城(なかじょう)天満宮脇を通りますが、みなさんは素通り。
天満宮によくいる牛・・・ 鳥居の向かいに石造の牛が鎮座していました。
背中合わせにりっぱな料亭などもありました。
この後も古そうな家を横目で見ながらサッサと駅に向かいます。
駅前はまだ整備中。 最近の工事現場のグッズもこんなにかわいく・・・
歩き初めは寒くてどうなることかと思いましたが、ホカロンのおかげと午後には寒さもやや緩み、おまけに帰りを急いだせいか身体も少々温まり、あったかいお茶を飲もう・・・と言っていたのにアイスクリーム付きのコーヒーゼリーなどを食べ、一息ついて帰途に着きました。