junjunのはなまる日和&ときどきネパール

日々の暮らしとネパールのことなど・・・。

10度目のネパール ネパール最大のバンダ

2012-06-10 09:59:55 | ネパール
2012.5/20(日)

ジョムソンから戻った日(5/18日)は近藤亨先生のMDSA・カトマンドゥオフィス(パタン)に泊めて頂きました。

ムクティナートに一緒に行った、伝さん、袖山さん、森本さん、私、それに近藤先生も一緒です。 

翌日(5/19日)、私以外の3人はそれぞれ観光やスパに行くというので、私はタメルのホテルに荷物を預けてあるのと、少しでもネパール語の先生のところに通いたいと思ったのでホテルに戻りました。

5/20日は一緒にタメルの散策などをお勧めしようかとバスでパタンまで伺おうとしたところ・・・ 

今日から3日間は 「バンダ(スト)」 なので朝6:00から夕方5:00まで一切の交通機関は(バスもタクシーもリキシャーさえも)ストップです・・」 とフロントのナラヤンさんが教えてくれました。

3日間もネパール全土にわたってすべての交通機関がストップ、商店も開けることはできない、学校、役所もすべてお休み・・ というネパールでも最大の 「バンダ」 とのこと。

困るのは地元の人たちだけでなく観光客もおおいに困ったことでしょう・・・。


仕方ないのであきらめて、その 「バンダ」 のようすを取材しようと街に出かけることにしました。

街の辻々で赤い旗を持った人たちが集まって何かを訴えています。 たぶん、ネパールがよくなるようにとの訴えなのでしょう・・・。


車も止められてしまいます。 リキシャーもだめ、自転車の人も通してもらえませんでした。


竹の棒でとおせんぼ。


タヒティチョークのチョルテンのまわりの野菜売りの人たちもだれもいない・・・


アサンチョークのアンナプルナ寺院前の花売りはいいらしい。神さまだけは別扱いなのですね、きっと・・・。





花売りのおじさんもOKのようです。  健康のためにちょうどいいおしごと・・・ と思いました。



小さな花束にしてあります。 一束30ルピー。



街の辻の小さな神さまも大事にされていました。



いつもは観光客でにぎわう通りもすべてシャッターが下ろされています。





旧王宮広場も今日はフリー。いつもなら広場入場料として300ルピー払わないといけないのですが。

バサンタプール広場のバザールもご覧のよう・・・。


カトマンドゥ一の大通りもガラガラ。


たくさんのバスでごったがえすオールドバスパークも一台のバスもなし。


タクシー一台動いているわけでなし、こんな時観光客が空港に行くにはどうするのだろう・・・ と心配したら、私の滞在したホテル近くのタメルから役所が出しているというシャトルバスがあるとのこと。

これがその空港シャトルバス。 ホッとしましたが大きな荷物の人でここから離れたところに泊まった人は大変だなーと思いました。



こんな大変な「バンダ」のさ中の5/20日、何度か車を止められながらも近藤先生の案内で伝さん、袖山さん、森本さんの3人は先生がかつて指導をなさったキルティプールの試験農場の見学に行かれたとのこと。

そしてその翌日の5/21日、3人が帰国する日も「近藤亨先生が一緒」 というだけで、車を止められてもすんなり通してもらえ空港に行くことができ、無事帰国の途につかれたとのこと。

バンダが終わった翌日(5/23日)に近藤先生をお尋ねしてお聞きしました。

ネパールの人々のために私財を投げ打って働き20年、それ以前のJICA時代の15年をあわせて35年もの長きにわたり支援をしてこられ、ネパール国王から表彰も受けた近藤先生だからこそのことと敬服の念を新たにした次第です。



バンダで車がなかったので気がついたのですが、車道端や歩道の清掃をしてくれている制服姿の女性たちがいました。


カトマンドゥは乾季は極端に雨が少ないのでホコリがすごいのは仕方ないと思うのですが、一人一人がゴミを捨てないようにと意識を高めれば街はもっときれいでいられるであろう・・・ と車のない街を歩いて感じました。

そんなネパールも徐々に意識改革がなされ、いずれはきれいな街になることでしょう・・・。
何と言ってもいい人が多い国ですから・・・。


こんなことを書いてしまった翌日のニュースで、とうきょうスカイツリー周辺の街がごみだらけで困っていると伝えていました。 よその国のことをどうこう言ってられないと私も反省しました。


以上で 10度目のネパール の報告を終わりに致します。  


10度目のネパール ムクティナート

2012-06-09 09:03:00 | ネパール
2012.5/17(木) つづき

朝のオールドジョムソン散歩のあとに急遽決まったムクティナート行きでした。

伝さん、袖山さん、森本さんと私 の女性ばかり4人です。

標高の高いところ(3700m)に行くので高山病にならないためにも、現地には長くいないで早く行って早く帰るようにしたほうがいいという先生のアドバイスで、近藤先生が農場に行くために呼んだタクシーで、今朝私だけが見ていた ”ケンカをしてはいけない橋” のところまで送ってもらいました。

オフィスのミナさんが付いてきてくれましたので、次のような交渉時とても助かりました。

ジープはある程度人が集まらないと行かないということでしばらく待たされました。
人数が足りないのであと一人分余分に出してくれれば出発するという話があり、相談の上OKしました。

そのジープなどの写真は撮り忘れましたが、このジープは朝お茶を飲んだ時、その前の工事現場に停めてあったものを写したものです。 ムクティナート行きのジープ乗り場に停めてあるものはどれも、ジープとはいっても10年以上も使い古したようなおんぼろ(失礼!)なものばかりでした。


一番前の列に運転手さんを入れて3人、2番目の列に3人、後ろの席は横座りで3人、3人座れるところを私たち4人だけ。

お客さんが11人乗れるところ9人で出発してくれました。

帰りは後ろにぎっちり3人ずつでしたのでこれまた大変な旅となったわけです。(帰りのほうが行きよりももっとおんぼろジープでした。)

片道1時間半、行きはここより1000mも高いところに登って行くから1時間半、帰りは下ってくるのだからもっとずっと短い時間で済むのかと期待したのですが、それは間違い・・・ 行きと全く同じ1時間半かかりました。

出発後しばらくの間、道のようなものはありましたが、実はカリガンダキ川の河原を走っていたような気がします。

車の中から写真を撮ろうとしてもガタガタ道なので体を支えるのが精いっぱい。 とても写真にはなりません。やっととれたのがこれ・・・。




40分ほど走ったこの橋のところで休憩5分。 途中、トイレがあるわけではないので女性は注意が必要かも!


そこから又しばらく走ると突然見えてきたのがこの畑地。 この先に住宅が点在していました。


車はこれらの畑を下に見ながら徐々に高いところを走るようになりました。

最初に片道1時間半・・ と聞いていたわけではなかったので、まだか、まだかと思いつつ、運転手さんに「あとどれくらいでつきますか?」と聞くと、[15分」とのこと。

きっちり15分で到着しました。 車を降りてもしばらくは 頭、体はがくがく・・・!

振り返るとこんな景色が・・・。 ニルギリが一段と近くに見えました。


ジープを降りたあと、ムクティナート寺院はさらに高いところにあるのでバイクで上るとラク・・ と有沢さんから聞いていたので、「オートバイ乗り場はどこですか? オートバイ乗り場は?」と聞きながら進むのですが、[あっち」とか 「5分くらい」とか 「もうちょっと先」とか「この先」とか・・ なかなかたどりつきません。

あとでみんなが気がついたことは「ジープを降りてすぐのところにバイク乗り場があったのでは、このおみやげやさんは商売にならない」 ということでした。


なんだかんだ言いながら歩いているうちに、帰りに食事をしてすぐにジープにのるのは危険では? ということにも気づき、まだ11時過ぎでしたけれど先に昼食をとってしまいました。

この日の夜、私は後日ジョムソンを訪れる友人のためにジョムソンのホテルに1泊してみることにしたのですが、奇しくも、同じ系列のHotel Monarishaでの昼食でした。 

余談ですが、ここで食べたモモは私たちが作ったモモより数段おいしかったのが印象的です。

おなかもふくらみ、途中お土産も買い、やっとオートバイ乗り場に到着。

上のムクティナート寺院まで片道だけなら300ルピー、往復で600ルピーといわれましたが、そこは女4人・・ 往復で400では?と交渉しましたが、それはダメと言われてしまいました。 それでは500で・・・ となんとかOKしてもらいました。

ここでも乗る前に写真を撮ればよかったのですが、なんとなく急かされて写真は撮らずじまい・・・

あとで山から下りてきた人の写真をとらせてもらいました。 ここを歩いて登っていたらとてもその日のうちに帰ってくるなんてことはできなかったことでしょう。 


ムクティナート寺院の山門。 ここムクティナートはヒンドゥー教の聖地のひとつ。 インドからもたくさんの人が巡礼に訪れるそうです。


門の扉の模様も私の気になるところ・・・。こんな模様も好きなものの一つです。


門をくぐると左手に年季の入ったマニ車が・・・。 かなり傷んでいるように見えました。


ゆるやかな坂道を100mか200mほど登って行きます。 5月半ばの3700mの高地では木々はまだ芽吹いてはいませんが日差しはかなりきつく日陰がほしいところです。


やっとムクティナート寺院に到着しました。 私はカトマンドゥ近辺の寺院をたくさんみているので、正直なところ「あれっ」と拍子抜けしました。 もっと大きな寺院を想像していたのです。


寺院の後ろに廻ると108の牛の口から水が流れ落ちています。この滝の水で頭を清めることで、病気平癒、健康維持、家族円満、たぶんいろいろなことにご利益があるのでしょう・・・。 寺院のまえの小さな池で沐浴をしている人もいましたっけ・・・。


 


ムクティナートにはこの寺院のほかに仏教の寺院もあると聞いていたので行ってみようとしたのですが、どうももっと奥のほうの山の上らしいので?途中であきらめて帰ってきてしまいました。

下りもバイクに乗って下りました。ラクですが下りのほうが頭から振り落とされそうで怖かったですよ!

帰りはジープ乗り場まで乗せてきてくれます。

あとは帰りのチケットを買って帰るだけ・・・。 帰りのジープはすし詰め状態。一番端の私は体が窓枠などにぶつかり骨が折れるかと思ったほど。ちょとオーバーですが・・・。

そんなわけでジープだからラクとはいってもけっこう大変な思いをしてムクティナートまで行ってきました。

夕食は研修所の小林さん一家もいっしょにお別れのお食事会をいたしました。

私は9:00過ぎ、隣のHotel Monarishaに引き上げました。(バス・トイレつきで700ルピー、ほぼ700円。ホテルで食事をとる場合は600円でよい)




2012.5/18(金) ジョムソン~ポカラ~カトマンドゥ 

カトマンドゥに用事があるという近藤先生と一緒に朝の1番機でジョムソンからポカラに向かいました。

ポカラ空港で朝食。まだ7時前です・・・。


ポカラから乗り継ぐ便のチケットの手配がうまくいかなかったとかで、2便に別れてしまい、近藤先生、伝さんは先の便、袖山さん、森本さんと私は後の便となったため、カトマンドゥに着いたのはお昼近くになってからでした。

それでも短い日程で盛りだくさんの経験をし、無事に戻ってこられたので、めでたし、めでたし・・・です。


 ※ 10度目のネパール の一番最初の記事の後に近藤先生がお亡くなりになったことを書き加えましたが、先生はこの4年後の2016.6.9日 ご家族に見守られ天国へと旅立たれました。(享年94歳でした) ご冥福をお祈りいたします。



10度目のネパール オールド・ジョムソン

2012-06-08 18:12:03 | ネパール
2012.5/17(木)

明日はもうジョムソンとはお別れ・・・。 あす一番のフライトでポカラを経てカトマンドゥに向かいます。 そのためには今日の午後にジョムソンオフィスに移動しておかないといけません。

今日も朝早くに目が覚めてしまったので、荷物の整理をすべて済ませてしまいました。

そして、ともこさんから聞いていた「オールド・ジョムソン」に行ってみたいと思い、小林さんが起きてくるのを待って、朝食はいらないからと奥さまにことづけをお願いして出かけました。

ちなみに、先日のマルファの村のことといい、きょうのオールド・ジョムソンのことといい、ガイドブックには載っていないいい情報を下さったのはすべて小林さんの奥さまのともこさんでした。

「せっかくここまできたのならムクティナートへも行ってくれば・・」と言って下さったのですが、今生活しているところが2700m、ムクティナートは3700m・・・ 今よりも1000mも高い富士山ほどの高さのところに行くなんてと、とても私には自信がなかったので、「ムクティナートは今回はやめておきます」と言っていたのでした。

ところがこの日、このあと、思いもかけず、「ムクティナート」まで行くことになろうとは・・・!

ムクティナートのことは次回にするとして、今回はオールド・ジョムソンのことを少し・・・。


5:45分研修所出発。 

シャンの研修所からMDSAジョムソンオフィスまでの途中で見た朝日に輝くニルギリ





MDSAジョムソンオフィスの前を通ったのが6:15分。 何度かこの道を行き来しているうちに最初は50分もかかっていたのが今日は30分で歩けました。

早すぎてまだ寝ている人もいるといけないので、オフィスには声をかけずに通り過ぎ、とも子さんに教えてもらったようにそこから歩いて20分ほどのオールド・ジョムソンに向かいました。

ジョムソン空港からポカラに向かう一番機が動き出しました。


ジョムソンオフィスから道なりに20分も歩いたでしょうか、こんな橋に行き当たりました。 橋の右側の絵を見て下さい。 橋の上で人と人が出会ったら、ケンカはいけない、仲良くするのはOK! と。 (川はカリガンダキ川)

 

この橋は家畜やオートバイが渡れないようにひざより少し高いあたりに針金のとおせんぼができています。


橋を渡り終え横からみたところ。


※この橋の造りって面白いな~ と思っていたのですが、4ヶ月も過ぎたある時、橋を特集している記事の中に、山梨にある、日本でも三大奇橋と言われる「猿橋」が同じ造りではないかということを発見。 橋脚を用いないで作る「刎ね橋」という形のものだそうです。
これが山梨の「猿橋」です。




この橋を渡るともうそこがオールドジョムソン。

屋根の上にはやはりマキがたくさん積んでありました。厳しい冬の寒さを乗り切るにはたくさんのマキが必要とのことです。 

回りの山を見回しても木らしい木はそれほど見当たりません。 どこから手に入れるのか聞いてみたいところです。


そろそろお茶でも飲みたいな・・ と思って歩いてきたのですが、ジョムソンの街に入るあたりで開いていた店は横目で見て通りすぎてしまい、そのあと以前入ったことのある店などのぞきましたがまだ開いてなかったりで、やっとここまで来て開いている店を見つけました。 いつものネパールチヤーです。

ここのおばあちゃんがずっと一緒にいてくれましたので断って写真を撮らせて頂きました。



お茶を飲んで休んでいるあいだにも、ムクティナート方面に行くらしいトレッキングスタイルの人々が何組か通り過ぎていきました。 そして韓国から・・という若い女性の二人連れもやってきました。




このあとオフィスに寄ったときに、ムクティナート行きが急に決まったのですが、このすぐ先にムクティナート行きのジープ乗り場があるということをこのときはまだ知らず、ここから戻ってしまいました。


歩いているとここに住んでいるらしい人を見かけたので 「写真をとってもいいですか?」 と聞くと、「いいよ!」 と言って下さったので一枚。 この次訪ねるときに届けてあげることにいたしましょう・・・。



同じ道をただ戻るのはつまらないのでちょっと横道に入ってみました。





細い路地にあったお店屋さん。



しばらく路地の散策をし、オフィスに戻ることにしました。

カリガンダキ川の反対側を歩いているときに見えたたくさんのタルチョ(祈祷旗)とニルギリヒマールが素晴らしい。



帰りがけに渡った橋は今までに何度か目にしていた橋でした。 この橋がオールドジョムソンに通じていたとはね・・・。 こちらは牛も馬もオートバイも渡ります。



7:30分 MDSAジョムソンオフィス到着。

今朝はミーティングをやっていたとのことでまだ朝食前でした。 私にも作って頂けるというので皆さんと一緒にありがたくおいしいおかゆをいただきました。


このあとのことです。 近藤先生が突然、「今日はみんなでムクティナートに行ってきたらいい」とおっしゃったのです。

他の人たちもその気になり、私もついこの間までムリ、ムリと思っていたのに、なぜかこのときは 「わたしも・・・!」 となってしまいました。

午後には研修所から荷物をオフィスの方に移さなければ・・ と思っていたのですが、先生や有沢さんたちは農場に仕事に行かれるというので、帰りに私の荷物を持ってきていただくようお願いしてしまいました。

ムクティナートまで歩いたら何日かかるかわからないほどの道のりなのに、今はジープで、一日で行ってこられてしまいます。

ジープなので・・ と軽く考えたのが間違いのもとでしたが・・・。



10度目のネパール マルファ

2012-06-06 17:08:00 | ネパール
2012.5/15(火)

前日のうちに今日の予定が聞けるといいのですが、朝食は7時ころに終わっても今日の予定が分からないのでいつも「今日は何をするのかな・・」 と待つ状況でした。

今日の予定が摘果だったら私は休ませてもらい、リンゴ農園のある研修所の小林さんの奥様のともこさんから聞いた 'マルファ' という村に行ってみたいと思いました。

電話がないのでそのことを相談するために朝食後、研修所から2キロ離れたジョムソンのオフィスまで行くことにしました。

すんでのところで行き違いになるところ。

まもなくオフィスに着こうかというところで あちらは車で農場に向かうところ、私は事務所に向かって歩いて行く・・ それを車に乗っていた伝さんが見つけてくれ、車を止めて声をかけてくれました。

「今日はマルファに行きたいので摘果は休ませて頂きたい」と伝えて了承を得ました。(ムリヤリ!)

このとき、ジョムソンオフィスのミナさんから「昨日落ちた飛行機はあそこです」と教えられたのが、こともあろうに、MDSAジョムソンオフィスの目の前の山。 エンジントラブルということでしたがまさかこんな身近に・・・! 

その時に撮った写真がこれです。(5/15撮影、事故が起きたのは前日の5/14日)




ジョムソンからはマルファ行きのバスがあると聞いていたのでバスに乗ろうとしたのですが、まだ9:00だというのに次のバスは12:00とのこと、とてもそれまでは待てないし、3時間もあったらマルファまで歩いていけちゃう・・・ と思ったので歩くことにしました。

これがなんと、朝来た同じ道を引き返しその先までさらに2キロほど行くのです。 あ~ぁ なんと効率の悪い・・・・と思いましたが、「まっ こまかいこと考えるより動いてしまおう…」と、みんなが働き始めたシャンの農場を通ってマルファまで一気に歩きました。

といっても、途中から河原を歩いていく感じでバス通りから離れますが又バス通りに出たあとの先がゆるやかではありますが上り、上りと続き息が切れてしまいます。 なにせ標高2700mほどの地域なものですから・・・。

一人ということもあって、「マルファはまぁだかな♪ マルファ~はまだかいな♪」と勝手に節をつけて歌いながら歩きました。


シャンの農場を通りすぎるときに仲間に声をかけたら、ジョムソン・スタッフの有沢さんがマルファのきのこ工場(工場とは言ってなかったような・・)に行っていると聞きましたので私も寄ってみたいと思いました。

そのきのこ工場に着くまでに何人の人に声をかけ聞いたことでしょう・・・ たいていの人は近藤先生のことを知っていて「まっすぐ行ってあっち、左」とか「こっち、グル~ッと回っていく」とかの説明をしてくれ、大体の方向はわかるですが、なかなかそこにたどりつけないでいたら・・・ なんと! きのこ工場のスタッフのウペンドラさんにバッタリ。

そうはいっても私はウペンドラさんのことをどこで会っていたのかよく覚えていなかったのですが、どこかで会ったことがあるかも知れない・・・と思っただけで、あちらが「おぅ あなたは近藤先生のところの人!」と言ったわけでもなく、そんなそぶりをしてくれたのでお互い知っている人だと、思ったのでしょう・・・?!

近藤先生のきのこ・・・ と言っただけで「俺が案内する」といって畑道を通ってつれていってくれました。

本当は「グル~っと回って、あっちに・・・」と教えてくれたおばあちゃんのいうように行くのが正当だったようですが畑道がほぼまっすぐで近道でした。

ジョムソンの方から行くと、最初にこの看板が目に入ります。

マルファ村への案内板 


5分ほど歩くとマルファ村へ入るこの門が目にはいります。 村へはバス通りの右手にあるこの門を入って行きます。きのこ工場はこの門の少し先、左手(東)の畑の中にあります。


上の門の100mほど奥には古くからのこんな門がありました。 こちらのほうが味があっていいと思いますが、バス通りから少し離れているので、バス通りを歩く人によくわかるように上の新しい門が作られたようです。


ちなみに先の門と同じ新しいものが、ポカラ方面から歩いて来る人のためにもう1ヶ所、村の反対側にあります。 ポカラの方から歩いてきた人はそちらの門から村に入り、こちらの門を通ってジョムソン方面に抜けて行けるようになっています。



きのこ工場はバス通り沿い・・と聞いたような気がしたので「あの建物がそうかな?」と思いつつ一度通り過ぎてしまいました。 

バス通りから見ると、建物の真ん中の屋根がとんがったドームのようになっています。 それだけでも聞いていたらすぐわかったことでしょう。 人の話はよく聞かないといけない・・と反省したものです。

バス通りからの写真を撮ればよかったのですがうっかり撮りそびれました。

これはもっと近くで撮ったもので、これでは後々行く人の参考になりません。スミマセン。


そのきのこ工場とは・・・ かつて近藤先生がハイスクールとして建てた学校でしたが、今は必要なくなり空いたままになっている校舎でした。 

もったいないのできのこ栽培を・・と試験的にやったことはあるのですが、そのとき冬の寒さ対策をしないといけないということがわかり、只今改装中でした。 今ペンキを塗っているここが遠くから見たときにドームのように見えた部分です。



この建物を見た後、ウペンドラさんとマルファの村で昼食をとることにしました。


その前に、近藤先生がマルファで2番目に建てたという小学校を見学させて頂きました。


ウペンドラさんの紹介もあり、近藤先生のところから来たということだけで校内を丁寧に案内して頂いてしまいました。 授業中なので生徒はみんな教室の中でしたけれど・・・


私が「超」がつくほど気に入ってしまったマルファの家並み。


なんと、昔々、河口慧海が住んでいたという家が記念館になっていました。(入館料100ルピー)



昼食は「ニル・ゲストハウス」というところで・・・。 店の内部。




そのあと、少々高いところにあるチベット仏教の寺院を見学しました。

80数段ある階段を上って行きます。





階段の上から村を見下ろすと・・・ これまた素晴らしい! 屋根にたくさんのマキが積んであるのが独特の風景です。



気持ち寄付をする・・ということで、この建物の中に入ることもでき、写真も撮っていい・・ と言われました。


ここからさらに階段を上ると僧院などがありそのまわりを歩くこともでき、村の風景をじっくり眺めることもできます。


村を見たあと、ジョムソンのMDSA事務所に3時までに行くというウペンドラさんと一緒に、朝来た道をシャンの研修所まで歩いて帰りました。

シャンの研修所はジョムソンまでの途中にあるのですが、ウペンドラさんたちはその先のジョムソンまでくらいならいつも歩きで行ったり来たりするとのことでした。(マルファ~ジョムソン 片道 5キロくらいかな?)



この翌日(5/16日)、ほかのメンバーがマルファのきのこ工場を見に行くというので、私も又同行させて頂くことにしました。

そしてその人たちに 「せっかくマルファに行くのにきのこ工場だけで村の見学をしないなんてもったいない」と薦め、村の中心部を歩きました。

近藤先生と一緒・・ということで村の教育長さんの歓迎をうけ、おいしいリンゴジュースなどをごちそうになりました。

教育長ご夫妻です。


メンバーの姿のあるマルファの町並み。 



マルファは小さな小さな村ですが、私はすっかりこの村が気に入ってしまいました。



10度目のネパール 早朝さんぽ

2012-06-03 16:07:45 | ネパール
2012.5/14(月)

昨晩は夜中の2:00に目がさめ、トイレに外に出ると満天の星・・・。 月明かりに照らされたニルギリの神々しいこと・・・。 でも写真には収められず・・・残念。

布団にもぐってみたけれど4:30分には起きてしまいました。

ノートの整理などをしているうちに6:00。

そうだ、今日は、先日の学校訪問で見かけた高いところにあるシャン村の僧院までさんぽに行こう・・・ 7時には戻るからと言い置いて出かけました。

ジョムソンからポカラに向かう一番機。(飛行機は暗い所にありよく見えません・・)



先日、シャン小学校に行くときに通ったところを通って行きます。

先日は気がつきませんでしたけれど、農場のまわりは家畜が乗り越えないようにと石垣ができているのですが、人間の通行のためにこんなはしご(階段?)が作られていました。



MDSAの研修所はカリガンダキの河原に近く低いところなのですが、村の中心や小学校、寺院はかなり高いところにあります。

なので自然、眺めも違ってきます。

高いところから撮ったシャン村やニルギリの風景。


ポカラからジョムソンに飛んできた飛行機。








きょうは9:00に近藤先生はじめジョムソンオフィスに泊まっている仲間とスタッフ全員リンゴの摘果に見えるというので私は研修所の方で待つことに・・・

待つ場所が悪く、行き違いとなってしまい私は大分遅れての参加。

行ってみると先生が袖山さんにブドウの木の剪定を教えているところでした。

厳しい声も聞こえるけれど、たのしそう・・・



他にも作業をしていた人たちはいたのですが、私も作業を始めてしまうと写真を撮ってなどいられません。

摘果作業をしながら・・・ 「今日ジョムソンで飛行機が落ちた・・・」というニュースを聞きました。


11:30分まで仕事をして終了。

午後は自由時間でしたが私は半休してしまいました。 

何が疲れるって農作業より小さい子供と遊ぶほうがどんなにか疲れます。 子供の体力・元気恐るべし・・・ とてもついていけません。 笑って下さい。