junjunのはなまる日和&ときどきネパール

日々の暮らしとネパールのことなど・・・。

14度目のネパール 高校生のボランティア参加 3

2014-09-04 16:36:45 | ネパール

2014.8.26(火)

この日も朝から雨が降っていました。

朝食後、雨の降る中、高校2年生の大村健太クンのグループが住民調査に出かけました。

私も付いて行きたいところでしたが、なにせ雨で足下が悪く、若い人たちのようにスイスイというわけにいかないので今日はパスすることにし学校に残りました。

すると、常々地元の子と一緒にネパール語の勉強したいと言っていた私のために、筋田さんが先生に話しを通してくれネパール語(国語)の授業に出させて頂けることになりました。

この子と一緒のクラス(たぶん1年生)。 右にいるのはまだ就学していない妹です。

授業内容は私が習った日常会話から見るとずいぶん難しいものでした。

残念なことに20分もするかしないで、昼食の準備ができたからと迎えが来てしまいました。(この日に限って又昼食が早く出来たこと!まだ11:20分くらいでした。)

今回の授業参加は後にも先にもこれっきりでした。 でも次回につながるかもしれないので長い目で見ようと思っています。


午後には雨も止みました。

昼食後、部屋で休憩しているときのこと、森優斗クンがあまりにぐっすり寝ていると・・・女子大生が顔にいたずら書きをしました。 なかなか上手に描けています!


描いたのはこの人たち・・・



 外では・・・

大学生・高校生、ネパールの青年も交じって、こどもたちはまだ教室で授業をしているというのに校庭で水かけ遊びが始まってしまいました。

私は勘弁してもらいたいと観戦するだけにしました!

最初はかわいいかけ方でしたが・・・


だんだんにエスカレート。全身ずぶ濡れ。




いつの間にか先生まで水鉄砲を持っていました・・・。




水遊びをしている大人を横目で見ながら子供たちはランチタイムとなりました。

東京・新宿にある「住建ハウジング」という会社からの毎年の援助で今年から子供たちに平等にランチが出せるようになったとのことです。 

「♪大きなラックリの木の下で~♪」 毎日こんなふうに食べています。



授業が終わると子供たちも水鉄砲を持ち、夜になっても翌日の朝になっても水かけっこをして楽しんでいました!!



2014.8.27(水)

私と高校生2人、それに今日日本に帰るという滋賀県のTさんと女子大生のまりりんさんは今日でメールダラとはお別れです。(Tさんを見送るために筋田さんも一度山を下りました。)

来た時も盛大に歓迎して頂きましたが、帰りも盛大に送って頂きました。
男性にはトピー(ネパールの帽子)がかぶせられました。







まだ8:30とあって登校していない子供が多かったですが、来てくれた子供はこれが背負える?というほどの重い荷物を背負ってミルクトラックまで運んでくれました。

大学生の多くはまだ10日近くの日程が残っているため子供たちと一緒に見送りをしてくれました。


ミルクトラックに乗り込んだまりりんと優斗クン


健太クンとまりりん

上の2枚筋田さん撮影

棚田を見下ろしながらトラックは進み、4泊した学校ともお別れです。



来たときに渡ったスクテの吊り橋を渡り返し・・・



しばらく待ったのちやっと到着した迎えのジープに乗り込み、途中のバネパで昼食を食べてから銀杏旅館に戻りました。

3:00頃になっていたでしょうか・・・。

今日帰国するTさんから順に久しぶりのシャワーを浴びさっぱりとしました。

夕食は銀杏旅館のダルバート。

夜の8:30にはTさんを見送り、明日は私たちもこの時間に出発・・・と確認してそれぞれ床につきました。



2014・8・28(木) ネパール最後の日。

23:15発の便のため、昼間まるまる空くので買い残したおみやげ等を求めてローカルバスに乗りカトマンドゥまで出かけました。

買い物途中での一枚。 この帽子は「かぶってみただけ~~」でしたけれど・・・。


私と森クンは値切りヘタ。 

私は日常の生活に必要な食料品等の買い物ばかりで値切りたいほどの高価なものは買ったことがないのです。

森クンは妹さんへのおみやげにかわいいザックを買いましたが、2400Rsを1500といい、相手はとんでもない2000ならなんとかというし、こちらもじゃあ1600、1800となり、攻防戦の末1850Rsで手を打ちました。

大村クンの値切るときの度胸の良さ・交渉力には驚かされました! 彼なら一人で世界一周一人旅も可能かも!!


ある程度の買い物をすませ、昼食。 

せっかくだからカトマンドゥの旧王宮広場に行ってみよう・・・ と歩き始めたのはよかったのですが、なんだかすごい人ごみ・・・。 きれいに着飾った女性が目立ちました。

あとで聞いたところによるとこの日は「ウーマンズ・デー」というお祭りとのことでした。

筋田さんからのネパール通信にはメールダラに残った大学生(女子のみ)がこの日にネパールの衣装を身にまとった写真が送られてきました。みんなすご~くきれい! これはいい思い出になりそう・・・。
 
筋田さん撮影


私たち3人は王宮広場を目の前にして身動きが取れなくなってしまったので広場の見学はあきらめて銀杏旅館に帰ることにしました。

タクシーでバスパークまで行き、そこから又ローカルバスに乗ってサンガに戻りました。


ネパール最後のシャワーを使い、帰りの荷物をまとめ、サンガ・銀杏旅館のベランダからの夕焼けを目に納めました。


夜7:00過ぎに夕食をいただき8:30にはジープに乗り込みました。 送ってくれなくとも大丈夫だからと断ったのですが、パンネくんが空港まで送ってくれました。


帰りもまた中国南方航空。23:15発。

乗機する段になり森クンのチケットに不都合があり(私が先に通ってしまったのでその内容は聞けませんでしたが、ダブルブッキングだったよう・・)で、ラッキーなことに彼だけビジネスクラスに変更になりました。

動き出して間もなく眠ってしまったので食事は摂らなかったとのこと。(エコノミーとは違うおいしい食事だったかもしれなかったのに~?!)



2014.8.29

広州・白雲空港には朝5:40過ぎ到着。 3時間半ほどの待ち時間があります。


森クンも大村クンも広州に着くまで眠っていたため機内食が食べられなかったので、たった1軒だOPENしていたコーヒーショップで軽い朝食をとりました。(土産物店は何軒か開いていました)

来るときは運よく共同運航便のJALの航空機で機内の装備も食事も抜群でした。 帰りもそれを期待しましたが「う~ん残念!」南方航空機でした。(笑)

乗機後、1時間ほど遅れるとのアナウンスがありました。その間にとばかり食事が供されました。

かたづけが済まないうちに動けるようになったとのアナウンス。CAさんたちのあわてて片づけるのを待って動き出しました。


成田着は14:40の予定でしたが少し遅れただけで15:00過ぎには到着。

大村クンがカトマンドゥの空港から疲れが出たのか眠かったのか少々ト~ンダウン。成田空港で別れてしまいましたが、家に着いたら熱があったとのこと。

そうとわかっていたら薬を飲んだら少しはラクになったかもしれなかったのに、気がついてやれなくて申し訳ないことをしてしまいました。(3日後のメールでは熱は下がったということでほっとしましたが・・。)


ともあれ高校生二人はハチマキが縁でネパールに行くことになり、貴重な体験ができたことと思います。

特に森クンは3年生で受験生でしたが、私が「10日勉強を休んで大学に受からないなら10日頑張っても受からないのでは?」などとけしかけたせいか一番に名乗りを上げてくれました。

ご両親も反対することなく「行ってくれば」とおっしゃったそう・・・いい度胸をしていたものです!!


最後の日、銀杏旅館のベランダで聞いた、大村クンの 「あ~帰りたくないな~、学校行きたくね~」 という言葉が印象的でした。



 以上で今回の報告を終わりに致します。

14度目のネパール 高校生のボランティア参加 2

2014-09-03 17:28:04 | ネパール
2014.8.24(日)

ネパールではオフィスや学校は10:00から始まります。 

そして土曜日が休日ですので日曜のこの日は授業のある日です。

10:00になると高学年の子供が交代で前に立って号令をかけ体操を始めます。






筋田さんの主宰する岐阜ネパール会・銀杏グループでは、学校に来ていない子供の親と面接して子供を学校に通わせるように説得する活動、その子どもたちにカバン、制服を作ってあげて配布、全校生徒には文房具を一年分づつ(ノート20冊、鉛筆、消しゴム等)配布しています。

そのほか年2~3回衣類の配布を行っています。

昨日は私たちの到着が遅くなってしまったためできなかったのですが、今回はTシャツだけの配布だそうです。

Tシャツのサイズの仕分け中。


このほかに滋賀県から見えたTさんのお知り合いが作られたというかわいい鉛筆ケース(中の鉛筆と消しゴム、鉛筆削りはTさんからの贈り物)も配られました。

女の子にはピンクのペンケース


男の子にはブルーのペンケースが配られました。さっそく鉛筆削りの練習です。



授業も終わった午後、子供たちは大学生、高校生のところに飛んできて「ねえねえに遊ぼ!」とばかりまとわりつきます。


このような遊びは私たちにはとてもできません。若い人たちの力に脱帽・感謝です!


遊びの形はいろいろ変わりますが、大学生・高校生は夜寝るまで子供たちと一緒に遊んでいました。




2014.8.25(月)

朝から雨が降っていました。

今回の大学生の大きなボランティアテーマは「住民の生活実態調査」です。

先生の作成した住宅地図(一部分)をもとに始めます。


一番手は大学生二人と高校生のひとり・森優斗クンのグループで、英語とタマン語で通訳をしてくれる現地の高校生二人、それに初の試みとあって先生も一緒についてきてくださいました。

左・先生  右・通訳の現地高校生。


森優斗クンと同じ班で通訳をしてくれた現地の女子高校生。彼女は学校の管理人さんのお嬢さんで、毎日管理人さんと一緒に朝早く学校にやってきて私たちの朝食つくりや後片付け等・・・ ホントによく手伝ってくれました。

他にも女の子で通訳をしてくれた子たちがいましたがうまい写真がなく紹介できないのが残念です。


午前中は雨でしたが大人が働きに出る前にと第1班が調査に出ることになりました。

そこに私も参加させていただきました。


聞き取り調査の内容は 家族の名前、年齢、職業、月収など・・・ です。

雨なので傘が邪魔でなかなか地元の方との写真が撮れませんでしたが・・・。

一軒目のお宅。


二軒目は先生のおじいちゃんのお宅でした。以前差し上げた写真を持ってきて見せてくれました。


先生のおじいちゃんはあのダンスの上手な方です。


家の中も見ていいということで上がらせて頂きました。

2階、3階は住居部分で4階にあたる部屋にはトウモロコシが広げられていました。

5~60年前には日本でもよく見られた蚕を飼っていた農家のような趣でした。


午後になると雨が上がりました。

それでは運動会をしよう・・・ と授業そっちのけで運動会がはじまりました。

越谷北高校の生徒さんの寄付してくださったハチマキの出番です。

前回紅・白チームで競争しましたので、今回は緑・ピンクチームにしました。もちろん先生も卒業生も大学生も高校生も参加です! (ハチマキはあと3回運動会ができるだけあります。)


このゲームの名前は??





二人三脚ははじめての経験でとても難しそうでした。







この後、ドーナツ代用のパン食い競争。 玉入れ等も行いましたが見学が楽しくて写真を撮り損ねました。

今回の玉入れは、大学生がドッコ(背負いかご)を抱えて逃げるのに玉を入れるという方法。 口が広いせいか両チームとも3分のうちに120個の玉はほとんど入れられてしまいました。

アメ食い競争は今回もやりましたが、子供たちは前で懲りたのかアメだけを上手に口に入れ食べていました。


この後は大学生主導で「恋するフォーチュンクッキー」のダンス!地元の子はすぐに覚えて上手に踊るのには驚きです。


私の持参したバトミントンはパン食い競争の時にスプーン競争のように羽をラケットに乗せて運びドーナツを食べて帰って来ることに使われましたが、見ているとみんな羽を押さえて走っているので大笑いです。

でも運動会のあと、バトミントンとして使われ楽しまれていましたので持って行った甲斐がありました。



運動会が終ると子供たちには高校生二人と私とで用意したお菓子(ジャーキー入り)が配られました。

大学生からはぬいぐるみのプレゼント・・・。





そのあとは地元の子によるダンス。さすがに大学生(人にもよる?)軽々とリズムに乗り子供たちの輪に入っていました。素晴らしい・・・!
 

14度目のネパール 高校生のボランティア参加 1

2014-09-01 12:18:48 | ネパール
今回のネパール訪問はハチマキを集めるために全校生徒に呼びかけをし寄付してくださった埼玉県立越谷北高校の生徒会の生徒さん二人(森優斗クン3年生・生徒会長、大村健太クン2年生)が主役です。

ハチマキは6/13日に戴いていました。 250本もあります。



ハチマキにメッセージを入れてくれた生徒もありました。 日本語、英語さらにどこで調べたのかネパール語もありましたよ!













きっかけはカタツムリで一緒に歩いている加藤遼太郎くんのお母様からの情報でした。
遼太郎くんの高校ではハチマキは毎年新しく買い替えるので使ったものは廃棄されるらしい・・・とのことで、それならネパールに・・・ということになりました。

すぐに校長先生と生徒会長さん宛てに手紙を書いてお願いしての結果でした。(この方法も遼太郎君くんのお母様が教えてくださいました)

とにかく反応が早く校長先生→教頭先生→生徒会顧問の先生→生徒会と話しをつなげて下さり、生徒会ですぐに取り組んでいただいた結果のことで、ホントに感激したものです。

日本も捨てたもんじゃない・・・ と思うのはこんな時ですね。



今回は彼らが初めて経験したネパールの様子や山の学校で経験したことなどを書こうと思います。


2014.8.19(火)

成田空港9:30分発の中国南方航空、広州・白雲空港経由でネパールに向かいました。

私も初めての路線でしたので、高校生二人に引っぱってもらうことにし付いて行きました。

結果的には高校3年生、2年生ともなると私がいなくとも二人で充分行動できることがわかりました。

カトマンドゥに着いたのは現地時間の22:15分でしたのでその日の景色は見られませんでした。



2014・8・20(水)

昨夜、空港から車で50分ほどかかるサンガというところにあるボランティア拠点の銀杏旅館に着いたのが現地時間0:00近くでしたので(日本時間3:00過ぎ)、今朝は早くは起きられないだろうと思っていたのですが、みんな意外と早く7:00過ぎ(日本時間では10:15過ぎ)には起きてしまいました。 6~7時間は寝られたでしょうか・・・。

ボランティアの拠点となるサンガの銀杏旅館は現在建築中のためオーナーの筋田さんの部屋でみんなで雑魚寝状態でした。

朝起きて初めて見たのがこのベランダからの景色。 雨季なので遠くのヒマラヤは全く見えませんでしたがもやのあがって来るようすや近くの畑の風景を眺めながら朝食もここでいただきました。

奥に見える男性は20日も前から筋田さんのボランティア活動を視察に見えた滋賀県の方です。


朝食後少しゆっくりしてからローカルバスでタメルまで出ました。 

私たちだけでは心配だったのか筋田さんも一緒について来てくださいました。


地元の人の通う商店や露店を見ながらの歩き。おみやげ屋さん等も覗きどんなものがおみやげによさそうか下見をしました。

山の子供たちへのおみやげ(水牛の干し肉)を買ったりし、ぐるぐる見て回っているうちに12:00も過ぎお腹も空いたので、筋田さんお勧めのネパール料理のおいしいお店に入りました。

私は彼らが初めてのネパール料理・ダルバートが食べられるかとても心配でしたが、何ときれいに食べてくれました。


完食です!

手前は私の食べかけ・・。

※帰る日に聞いたところによると・・・ 二人ともネパールの食事が食べられなかった時のためにと、ふりかけやカロリーメイトなどを持参したそうですが、全く使わずに済んだようです。


食事をしながら筋田さんが、ここから世界遺産の一つ・スワヤンブナート寺院に簡単に行けるという話をしたため、食後彼らだけで行くことになりました。


森クン、大村クンはこの日の午後到着する大学生8名と合流し、大学生と一緒にボランティア活動をすることになっています。(大学生とはすでに日本で打ち合わせ済み)

スワヤンブナート寺院から戻って大学生と一緒に泊まるホテルで合流できるよう場所のチェックをし、少しだけ道案内して私と筋田さんは彼らと別れサンガまで戻ってしまいました。

その後無事大学生とも合流できたことが大学生から筋田さんに入った電話でわかりました。

(私はスワヤンブナート寺院には行かなかったため残念ながらその時のようすはご紹介ができません。)



2014.8.21(木)

高校生は大学生と一緒にタメルの散策、買い物、食事を楽しみ午後にはサンガのホテルに移動。(銀杏旅館の工事が間に合わず泊まれないのでサンガのホテル泊まりとなった)

夕方にみんな銀杏旅館にやってきました。

サンガのホテルはシャワーのお湯が出ないとのことで銀杏旅館でシャワーを済ませ、夕食は銀杏旅館で食べることになりました。

にぎやかな夕食風景。


大学生のお一人がこの日誕生日ということでサプライズがありました。 みんなしゃれたことをしますね!


夕食後は山の下のホテルに戻って行きました。


その戻り方ですが・・・

雨が降ったため下りの山道はすべって危ないからとパンネくんがバイクに二人づつ乗せ、5往復し10人をホテルまで送り届けたのでした。



2014.8.22(金)

高校生は大学生と一緒に銀杏旅館から歩いて1時間ほどのところにあるアサブリというところの学校に行きボランティア活動をしました。

(私は付いて行かなかったためこの日の様子もご紹介できません。)

帰りに銀杏旅館に寄りましたが、今日の夕食はホテルのレストランですることにし、全員シャワーだけ使い、6:30過ぎ山を下って行きました。



2014.8.23(土)

いよいよ今日からメールダラというところにある山の学校に出かけます。

チャーターしたバスに不具合が生じ、新しいバッテリーが届くのを待ち、取り替えるのを待ったりしたため朝の出発が予定より2時間も遅れました。


途中ドラルガートというところで食料の調達。約1時間。待つ間も暑くて暑くてまいりました。

  

その少し先で、魚のから揚げ付きダルバートの昼食、吊り橋のあるスクテに着いたのはなんと午後1:30ころ!


吊り橋を渡る森クン


大村クン



この先はミルク運搬のトラックで学校まで・・・。 ところがここでも問題勃発・・・。

大学生8人、高校生2人、その他の大人が4人、それぞれの大きなザックが14個にプレゼント用衣類の入ったダッフルバッグも数個。おまけに一般の村人も便乗するため6~7人も待っています。

さらにガスボンベ2本、大鍋二つ、圧力なべ、20人分の食器類に1週間分の野菜・果物・卵・油等々、一台では到底積みきれるものではありませんでした。

仕方なく2班に別れ、ミルクトラックには2往復してもらうことにしました。

学校で待ってくれていた子供たちのがっかりした顔が目に見えました。

それでも4:30頃には何とかみんな到着。


大歓迎を受けました。











私たちの宿泊する部屋は以前は半分しか床がなかったのですが、残り半分にも床が張られひろ~くなりました。


その広くなった部屋に落ち着き、大学生先導で打ち合わせ、班分けをし毎日の食事当番も決まりました。

さっそく夕食作りに取り掛かってくれました。 ストロボなしでは暗くてよく見えませんね。失敗。

 
次からはストロボをたきました。




夕食の終わるのを待ちわびたこどもたちは私たちの泊まる部屋に入ってきて大学生・高校生と遊んでいました。


大学生の代表・高島洸太さん(大学生メンバーの大学はそれぞれですが、彼は法政大学の3年生です。)


高島クンは子供たちに大モテです。それもそのはず、柔道をやっているという彼は全くの疲れ知らず。朝から晩まで目いっぱい子供たちと遊ぶのですから!




そのあと外でダンスが始まったそうですが、私はすでに夢の中でした。


夜中にトイレに起きたとき、教室で何かの気配を感じたのですが、ネズミかな・・?くらいで中をのぞいてはみませんでした。
 

朝起きてびっくり・・・!

教室から子供たちがゾロゾロと出てくるではありませんか!(男の子だけ10人くらい・・) 昨夜は食事を食べさせてもらい学校に泊まったということでした。