junjunのはなまる日和&ときどきネパール

日々の暮らしとネパールのことなど・・・。

メールダラの学校が大変なことに!

2015-09-06 05:09:10 | ネパール大地震2015
 2015.9.6(日)

昨日、ネパールから大変な知らせが入りました。

4/25日の大地震では私の支援しているメールダラの学校はその1ヶ月ほど前にレンガの壁を内・外ともコンクリートで補強し終えたばかりということもあって被害はたいしたことはなく、ほんの少しの補修が必要なだけで、10月の訪問時には完成セレモニーをすることになっていました。

ところが、今回の知らせによると、ほんの3週間ほど前のこと、4月と5月の大地震と余震で地盤が緩んでいたためか雨季の大雨で裏山が土砂崩れを起し校舎がひどい損傷を受け使えなくなりテントで授業をしているとのこと・・・。

送られてきた写真をみて愕然としました。


2棟ある間に流れ落ちたがれき。 右側の棟は2階建てでしたが、写真では2階部分が全くなくなって1階の上にトタンが乗せてあります。


2階に上がる階段も土砂で埋まり、2階のベランダの手すりも無くなっています。 1階の奥のほうが職員室になっていましたがこちらの校舎は危険ということで“使用禁止”と国から言われているとのこと。


幸い被害の少ない左側の校舎。(こちらはもともと平屋)


とはいえ教室内部はかなり壁のはがれが目立ちます。


門の横の塗り壁も以前はほんのちょっとひびが入ってただけでしたがひどくなってしまいました。


フェンスはベルギーの方々の支援で、校舎の修復を始めるより先に作られたばかりでしたがそれも崩れ落ちこのありさま。


足りない教室の代わりにこのテントで授業をしているようです。2張り見えますが実際は何張りなのか・・・。


仮校舎を・・ と支援を申し出て下さった方もいるとのことで嬉しい限りですが、本当は仮校舎ではなく本校舎の修復を急ぎたいところです。

そのためには一刻も早くがれきの片付けと校舎の修復が必要ですが、いかんせん資金がいくらでもあるというわけでもなくどうしたものかと遠い日本で気を揉むばかりです。




ネパール大地震③ ラムチェ村支援

2015-05-10 23:21:07 | ネパール大地震2015
 2015.5.10(日)

日にちははっきりわからないのですが、地震が起こって数日後のこと、今回の地震で一番被害の大きかったシンドパルチョーク郡のラムチェ村にいる長女のミナちゃんから 「お父さん(筋田さんのこと、)お米150袋、村に持ってきて!」 との要請があったけれど、筋田さんにはそれほどたくさんのお金がなくすぐの用には間に合わなかったとのことでした。

そんな話を聞いたからか・・・ ミナちゃんと弟のパンネくんの働いているカトマンドゥの 「富士山ゲストハウス」 と 「ソル・エベレストトレック」 という会社を経営している水出(みずいで)さんという方が、
5/3~4日にかけ、彼のところに集まった支援金76万円のうち73万円ほどを使い、緊急に必要とされる食料、調味料、ビニールシートなどを調達、2回目の支援としてトラック3台とジープ1台でラムチェ村に届けて下さったそうです。

その時のトラックも来るのか来ないのか・・・ ネパールのことなので内心ヤキモキしたようです。(私はこれらのことを何日もたってから知りました。)

その時の支援物資が 米 9000Kg 一戸30Kg × 300戸分
               油  300L     1L  × 300戸分
               塩  300Kg    1Kg × 300戸分
  大豆のタンパク・マショーラ 300Kg   1Kg × 300戸分   
       その他       ビニールシート(数は不明)
  
ラムチェ村は1~9までのブロックに別れており、全部で1300戸以上の家があるとのことですが、全部の支援はとても無理なので、ミナちゃんの家のある周りのNo.2と3のブロック280戸の支援だけに止まったとのことです
 
その時の写真(水出さんのブログから)








  


彼はこれ以前、地震発生の2日後、4/27日には、第1回目の支援として、その場にいた方6人からの支援金3万円ほどをパンネくんに持たせて「必要な食料とビニールシートを出来るだけ買ってラムチェ村に届けるように」と送り出していました。


5/10~11日には 第3回目の支援物資を届けて下さるとのことです。

それがほとんど無料で提供して頂けた食料と薬だそうで・・・!


以下 水出さんのブログから・・・(一部抜粋)
    ~・・・・・~・・・・・~・・・・・~・・・・・~・・・・・~・・・・・~・・・・・~
   インド系のかなり大きな団体が シンドパルチョーク(ラムチェ村も含まれる)
   は被害が大きいのでそこに行くボランティアや住民に食料を無償提供して
   更に車まで用意してくれるとの事。

   ラムチェ村にも米・豆・塩・油・マサラのセットを400セットだったら出し
   ても良いと!! 但し、ラムチェ村までは特別なトラックでないと登れない
   ので車は用意して欲しいとの事でした。

   この段階で薬の無償提供の約束をしていただきました。
   バラビシェの街の病院に居るその地区代表からもらえるよう取り計らっ
      てもらえました。
    ~・・・・・~・・・・・~・・・・・~・・・・・~・・・・・~・・・・・~・・・・・~


・・・ということで、ラムチェ村への登り口のあるバラビセからラムチェ村まで上がれる馬力の大きい車の用意だけすれば良いのだそうです。


現地にいて 今すぐ欲しいという物をすぐに届けることに心を砕き、一生懸命やって下さる方がいてよかったなぁ と、つくづく感心した一件でした。


銀杏旅館の筋田さんの方は 日本やベルギーの支援者からの支援金の届くのを待って長い目で見た村の復興支援を考えているとのことです。

日本人でもすごい人がいてうれしい限りです。 かくいう私は少々の支援をするだけで・・・









ネパール大地震②  シンドパルチョーク郡の被害甚大

2015-05-03 19:05:37 | ネパール大地震2015
 2015.5.3(日)

数日前のニュースで、今回のネパールの地震で被害の大きいのは シンドパルチョーク郡・・・と聞いていました。

シンドパルチョーク郡 てどこだろう… と思っていましたが、前回のブログに書いた銀杏旅館の5人兄弟姉妹の実家のあるラムチェ村に上がって行く登り口となる バラビセ という町がシンドパルチョーク郡の中にあるということがわかりました。

それは、ネットでニュースを見ていたとき 日本の医療班が、地震から6日目の5/1日 シンドパルチョーク郡のバラビセで活動を開始した という記事を読んでわかったのです。

普段、通り過ぎる村や町の名前はよく耳にするので聞き覚えがあるのですが、郡の名前や県の名前までは全くわかりませんでした。

カトマンドゥからアルニコハイウェイをチベット(中国)に向かう手前の郡です。


ドゥラルガート。 あまり詳しくはわかりませんが、このあたりはもうシンドパルチョーク郡かと思われます。 遠くに少しだけ崩れた家が見えますが、最近建てたらしい鉄筋の入った建物は意外と崩れていないようです。(4/30日筋田さんから届いたもの)


ドゥラルガートの市場。メールダラの学校に行くときにはいつもここで食料を調達していました。(2013.11月撮影) 地震後はどんなふうになっているのでしょう・・・。


 
この少し先が、メールダラの学校に行くときにつり橋を渡ってミルクトラックに乗り換えるスクテです。 

1年半前は何ともなかったスクテ。(2013.11月) 

それが今は・・・前回のブログのようにかなりの家が崩れてしまったようです。


さらにこのず~っと先が日本の医療班が活動を開始したというバラビセになります。

バラビセの橋を渡ってさらにその先に進むとチベットです。

こちらがバラビセの橋。 地震後の橋の写真はなく 2013.11月のものです

 
銀杏旅館の子供たち(長女ミナちゃん)の実家のある ラムチェ村 はこの橋の手前をグングン山の上に上がって行ったところにあります。

そんなことで、ラムチェ村もシンドパルチョーク郡ということで被害の最も大きかった場所といういことがあとでわかった次第です。

以下すべて4/30日に筋田さんから届いた写真です。

ラムチェ村に登り始めて間もなく写したと思われるバラビセの街ではないかと・・・。

2013.11月に私がラムチェ村を訪れた時は四駆のジープで登って行きましたが、あまりの急な山道なので、オーバーにいうと後ろにひっくりかえってしまいそう・・・と思うほどでした。この写真でその急な山の感じがよくわかるような気がします。

ラムチェ村までの途中の家とラムチェ村の家々










山の家々はほとんどがレンガや石を積んだだけの家ですので地震には弱く崩れやすいのですね。
 

ミナちゃんの実家のヤギや牛は無事だったようです。





ニュースの航空写真から、山が崩れて土砂に流され、村全体が消失してしまったところもあるらしいのですが、幸いミナちゃんの実家のあるラムチェ村は、家々は壊滅状態のようでしたが、土砂崩れはなかったようです。

そのラムチェ村に登って行くときに川をはさんだ対岸の山の中腹にも小さな村がいくつか見えましたが、それらの村のどこか(又はそれ以外のところか)が土砂に押し流されてしまったのかもしれません。

シンドパルチョーク郡だけでも死者の推定はまだ3000人くらいはいるらしい・・・との報道も・・。

なんと悲しい・・・。








ネパール大地震① ネパール訪問断念

2015-05-01 13:19:50 | ネパール大地震2015
 2015.5.1(金)

5/ 8 日~23日まで、ネパールを訪問する予定でしたが、4/25日(土)にネパールで発生したマグニチュード7.8の大地震の被害の大きいことを考え、今回は取りやめることに致しました。

ネパールのニュースを見るたびに私は東日本大震災を思い出しています。

あの時は地震発生の5日後にネパールに行くチケットがとれていました。 

羽田からの飛行機も飛んでいるのかいないのかもわからず、出発予定の前々日、やっと航空会社と連絡がとれ飛行機は飛んでいることがわかりました。

出発当日までどうしたものか悩みました(家を出るのは夜の8:00過ぎでよかった)が、結局日本にいても水は出ないし、スーパーからは食料品も消え、野菜も手に入らなくなってしまったこともあり、思い切ってネパールに行くことにしました。

2週間して日本に戻った時にはスーパーに品物が並んでいるのを見てホッとしたのを覚えています。


今回はその逆、ネパールが大変なことになってしまいました。 

水はない・・ 野菜もない・・ 他の食料も手に入らない・・ ガソリンなども手に入らないため私たちが訪問しても空港までの出迎えもままならないかもしれない・・・

こんな状況では迷惑をかける以外の何物でもありませんからね。 力仕事でもできればまだ役にもたつのでしょうが、私のように体力のない者では役にたつどころか邪魔なだけですし・・・

私の支援するメールダラの学校は壁を塗り替えたりの補強がしてあったためか大丈夫だったとのことですが、子供たちの家はほとんどが崩れてしまっていると写真付きでメールが届きました。

ちなみに私がお世話になる予定の銀杏旅館の筋田さんが育てている兄弟姉妹5人の実家のあるラムチェ村では家々も全滅、学校も崩れてしまったとのことです。

こんな状況ですので、今回の訪問は断念、チケットもキャンセル致しました。 残念ですがしかたありません。

以下 ネパールから届いたサンガの銀杏旅館や近所の様子、そのずっと先にあるメールダラ、ラムチェ村の家々と学校の様子です。(詳しい説明がなかったのでどれがどこの村の物かはっきりしないものもあります)

銀杏旅館の玄関の壁は少々崩れています。(今回の改修で手をつけなかったところ) 部屋の中はぐちゃぐちゃだそうです。


私たちが泊まる奥の部分は昨年建て替えたばかりでほとんど無傷だったようです。


銀杏旅館の玄関を出たすぐ隣の家


崩れてしまった近所の家々。







銀杏旅館のすぐ近くにある、ネパールでは珍しい?モデルハウス。 ネパール風の建物でとてもりっぱなものですが屋根や塀などのくずれが見えます。


メールダラ、ラムチェ村に行くアルニコハイウェイ沿いの家々?




下の3枚はメールダラの学校に行くときに渡る吊り橋のある スクテ の風景のようです。






余震があるので棚田にテントを張って生活しているようですね。(途中の風景)

この写真はラムチェ村でも下の方でしょうか?ミナちゃんの家のあるラムチェ村には写っているようなトラックが登って行くのはムリで、4駈でも馬力のあるものでないと行けないのです。


ラムチェ村の家


これはラムチェ村の学校のようです。 5/1日から新学期が始まるはずですがこんなふうになってしまって・・・。(4月いっぱいは春休みと聞いています)


よく見ると、ラムチェ村がいかに急峻なところにあるのかがうかがい知れる2枚。




ホントに大変なことになってしまいました。 

これから雨季になるのでどうしようかと筋田さんは頭を悩ませているそうです。


私事ですが、私の住む集合住宅の建て替えも東日本大震災でご破算になってしまいました。(あれさえなければ2013.12月には新居に入居していたはずでした)

新たに検討しているマンションは液状化対策をしないといけないとかでどれくらいの費用の上乗せがあるのかまだわからず(話によると最初の計画の倍はかかる・・?)、となるとその分も確保しておかなければならなくなりました。

ネパールにはあと一校の建設支援をする予定だったのですがいまのところ資金的に難しくなっている現状で、せめて縁のあるラムチェ村の学校くらいどうにかならないかとヤキモキしているところです。

人生予定通りにはいかないもので、 番狂わせ とはこんなことですね!



ネパールではこの時期ちょうどジャカランダの花が咲くころです。

これは2012年5/4~26の訪問時のもの。(5/15日頃には散り始めていました)







今年はこんなきれいな花を愛でているどころではないかと思うと心が痛みます。