junjunのはなまる日和&ときどきネパール

日々の暮らしとネパールのことなど・・・。

16度目のネパール タメル ~ カトマンドゥ・旧王宮広場①

2016-05-29 20:55:07 | ネパール
 カメラを修理に出してちょうど2週間、修理が出来上がりました。 

受け取るときに担当の方におそるおそる画像が出るのか聞いてみると、カメラを操作してくださいました。 わあーっ でた、でたー バンザーイ!

ということで、画像が無事でしたので、今回訪問の最初からブログを書くことができることになりました。

ですが、今回の訪問の目的が、“大地震から一年後の世界遺産の様子を見る” ことでしたので、新たにご紹介するようなことはなく、以前ご紹介した街の様子や崩れてしまった世界遺産等の様子ばかりになってしまいそうです。



2016.5.7(土)

今回同行して頂くことをお願いしたガイドのディネスさんはこの日は都合が悪いとのこと。

一日は私一人で街の様子を見たり、カトマンドゥのダルバール広場の様子を見に行くつもりでしたので、この日が充てられ好都合でした。
 
タメルの表通りは鉄筋の入った、どちらかというと新しい建物が多いせいかそれほど目立って崩れたままの家は見られませんでした。 


タメルチョークからタンヒティチョークに向かう通りをメインの通りとするとその一本東の通り(カレーのお店・ロータスや喫茶店・ちくさのある通り)をJyata(ジャタ)というそうですが、その通りは今では中国人街のようになってしまいました。

10年前は大きなホテルと病院が中国っぽいと思ったくらいでしたが、この3~4年の間に看板が中国語であふれていました。




中国からのお客様が多いのはいいのですが、その人たちが、中国人の経営するホテルに泊まり、中国人の経営するレストランで食事をし、中国人の経営するおみやげ屋さんでおみやげを買うのでは、果たしてどれだけネパールが潤うの??? と心配にもなるところ。


中国人街に続くここから先はネパール人の台所と呼ばれる通り。


通りの小さな寺院は今までと変わりない姿。(向かって左のシンガが少し傾いていますが。)







この路地の奥には広場を囲んで古い家々があるはずですが、そこまでは勝手には入れません。(入口には神さまへのお供えが置いてあります)


                  


道端ではシェルと呼ばれる米粉で作ったドーナツを揚げて売っています。

ここ数年はサンガの銀杏旅館泊まりが多かったので、シェルもしばらく買っていませんでしたが、値段を聞いてみればよかったー!(日本円にして一個10円か15円くらいかと・・・)


アソンチョークに近づきました。 

ネパールの野菜も日本とほぼ同じようなもの、色つやもいいですね。


香辛料など 


干し魚など
 


地元の買い物客でごった返すアソンチョークもこころなしかさびしくなっているような気がしました。


アソンチョークのシンボル アンナプルナ寺院。


10年前も5年前も変わりなくお花を売っていたこの方も今日も健在でした。


タパラ(葉っぱで作ったお皿)を売っていた人たちの姿が見えないのが心配・・・。 ここを通るたびに挨拶していたのでどうしたかな~と気になります。


アソンチョークから王宮広場とは反対のラトナパークの方に行ってみました。

なんと、こんなところで牛が休息しているではありませんか。


歩道橋の上から見た景色。 曇り空なのと排気ガス?で、今が盛りのジャカランダもぼんやりです。


乾季なのでラーニポカリの水も干上がっている感じ。


橋の手前にあった高校は地震のために使えなくなってしまったとのこと。



しばらく景色を眺めて元のアソンチョークにもどり、インドラチョークに向かいました。
 
途中にセトマチェンドラナートがありますが、何度歩いてもうっかり見落としてしまいそう・・。 

ハトがますます多くなって糞の被害も相当なもの・・・。でもネパールではハトだけでなく蚊までもかわいがり?ますので追い払ったり、殺したりはしないとディネスさんが言っていましたっけ・・・。

ご本尊は白いお顔の観音様ですがお参りの人が多くて写真には撮れませんでした。

よく見ると外の壊れかけたケースの中に白いお顔のこんな神さまもいらっしゃいました。


他にもいろいろな神さまが・・・。
        

               


やがてインドラチョークに出ました。

アカスバイラヴ寺院。 支えなどはみられませんので被害は少なかったのかもしれません。



いよいよカトマンドゥのダルバール広場(旧王宮広場)に到着です。

タレジュ寺院は私の最も好きな建物です。見るたびに心が引き締まります。 ヒンドゥー教徒でも年に一度(ダサインの9日目だけ)しか中に入ることはできません。一年前の地震でどれくらいの被害があったのかは塀の外からはうかがいしれませんでした。

7時過ぎから歩き始め、まだ9時ということもあって、商店が開く前のシャッター前露店がとにかくたくさん・・・。 

このあたりはカーテンやベッドカバーその他いろいろに使える大きな布や衣類を扱っている露店がが多かったですね。



シンボルのピーパルの木のところまでやってきました。

こんなに青々と葉の繁っているのを見るのは何年ぶりでしょう・・・。 木を見ても神々しさを感じます。

根元に作られた祠が少し崩れて傾いているのが気にかかります。


2007年12月のピーパルの根元の祠


懐かしく、又、心配しながら眺めていたら右の方に声をかけられました。

8年前に、ガイドのディネスさんから教えてもらったことを忘れないようにと本にまとめてあったその本と見比べたりしていると、本を見せてくれというのでお見せしたところ、たまたま私がサドゥーと一緒に撮った写真がはさんであるのを見て、自分もおんなじだといい、隣の建物で行っている儀式に出ていいよ、と招いてくれました。


この方は世界的にも有名なグル(えらいお坊さん)ということで写真を撮ってもいいとおっしゃってくださいました。
          
たくさんの方がお参りにきては、身体を揉みほぐすようなしぐさがあったり、しばらくお話をされたりして帰っていかれます。

ここで一時間近くもお邪魔してしまいました。 

10時を過ぎるとチェックポストも開いたので、入場料1000ルピ-を支払って広場に入りました。

2007年には200ルピーだったものが2009年に300ルピーになったのですが、たぶん地震のあと1000ルピーになったのではないでしょうか・・・。

この後目にする被害を見たら、外国人観光客から1000ルピーを徴収するだけでは “焼け石に水”くらいの役にしかたたないなぁ と思いました。

しかもです! 観光客の少ないこと、少ないこと! 

こんな時だからこそ多くの方にネパールに行って頂いて、復興の応援をして頂きたいものと思いました。


そんなことを思いながら広場へと進みます。

続きはまた後日になります。




16度目のネパール 2015.5.25大地震から1年

2016-05-21 01:17:04 | ネパール
 2016.5.6(金)~14(土)

昨年のネパール大地震から一年が過ぎました。

観光地の表通り以外はまだまだ復興には程遠い感じがします。

昨年の10月にも訪問しましたが、その時は長期の滞在がかなわない家庭の事情で、山の学校(メールダラ)の様子と銀杏旅館で暮らしているネパール人兄弟のふるさとラムチェ村の様子を見るだけで終わってしまいました。

今回も日程があまり取れないため、前回訪問したかったけれどできなかった7つの世界遺産などが一年たった今、どうなっているのかを見る事と記録するだけに限っての訪問でした。


今回は、初めてのネパール訪問時からお世話になり、本にまとめるほどに詳しくいろいろなことを教えて頂いたガイドのディネシュさんに事情を話し、久しぶりにお願いすることになりました。


それは出発する前の日のことです。

日本からディネシュさんのケータイに電話を入れてみると、中国語ガイドも始めた彼は、一時忙しくて嬉しい悲鳴を上げていたのですが、あの大地震後はめっきり仕事が減り暇をしているとのこと。

これ幸いとお願いすることができたのでした。


今回はバスでまわりたいとの申し出に、バイクでどうですか?・・・と。

おっとっと・・・と一度は尻込みしたのですが、考え直し、それもおもしろいかもしれないと了解しました。


ということで、今回の訪問はカトマンドゥの王宮広場(5/7日に一人で5時間かけて回った)以外はすべてディネシュさんのバイクの後ろにまたがり、ホコリをかぶりながら・・ おひさまの光をガンガンあびながら・・ 回りました。(5/8.9.10.11.12の5日間)

日程が少なかったこともあり、小回りの利くバイクで正解でした。

カトマンドゥのあちこちでジャカランダの花が満開でした。(バイク上から撮ったもの・予備カメラ)




  
ところがところが・・・です!  またもや事件発生! カ・メ・ラ・です!

メインに使っていたカメラ(SDカードのないデータ内臓のもの)。 

そろそろ充電を・・・ と、電気の来ているときにコンセントに差しこんでおいたのですが、途中で停電になってしまいました。

充電満了と思いコンセントから抜き、翌日使い始めてすぐに電池切れ・・・。 前の晩、いくらも充電しないうちに停電になってしまったのだと気がつきました。

そのことがあったので、翌日は、そのうち電気が来て、続けて充電されるだろう・・・ とコンセントに差したままにしておいたのがどうもいけなかったようです。

ネパールでは電圧が安定していないため、通電時に高電圧になった可能性があるとガイドのディネシュさんが言っていました。

そのためか、カメラは システムエラー となり 初期化が必要!とのこと。 パソコンにも一切反応してくれません。

え~~~~っ! いままで撮ったものはどうなっちゃったの~~~!

5/7日に一人で歩いた カトマンドゥ王宮広場、
5/8日にまわった スワヤンブナート、ボーダナート、パシュパティナート、
5/9日にまわった パタン、世界遺産ではないけれどパタン近郊のブンガマティ、
             コカナ等・・


そうはいっても今までまわった場所を再訪問する日程の余裕はない・・・。

やさしいディネシュさんは 「大丈夫、もし写真がダメだったら、僕が写真を撮ったところはみんな覚えていますから、もう一度撮って送ってあげますから心配することはありません」 と心強いことを言ってくださいます。

でもそんな大変なことをさせてしまうのはなんともお気の毒で申し訳なくて・・・。


消えてなくなってしまったものは仕方ない・・と、あきらめ、この後は不安のある予備のカメラを使うことにしました。

前回の訪問でもそうでしたが、この予備のカメラもあてにならなく、今回もまた途中でシャッターが押せなくなってしまったのです。

ですが、それはちょうど通りがかりにあったカメラやさんで見てもらい、SDカードを取り替えたらすんなり動いてくれました。 さすが、カメラやさん! でも修理やではないって!

この動かなくなってしまったほうのSDカードを日本に戻ってからパソコンで見てみると、カメラがいつのまにか動画モードになっていて、2GのSDカードがすぐに満杯になってしまったためにシャッターが押せなくなったということがわかりました。 

必要のない動画を消去したらなんのことはない、まだまだ何百枚もの写真が撮れそうなほど余裕がありました。

カメラの作りに問題があるようで、ちょっと触れただけで動画仕様になってしまうために起こった事件です。 それに気づかず、いつもあわてふためき冷や汗をかいている私も私です・・・。

郊外ではこんな黄色の花の並木もありました。 木はかなりの大木です。






日本に戻って、メインに使っていたカメラは修理に出しましたが、撮り溜めてあった最初の3日分の写真が見られるようになるかならないかは保証できないとのことです。(修理には2週間かかるとのこと)


ということで、今回も!? 予備のカメラに入っている、うしろの3日だけの紹介になってしまうかもしれません。

それも又後日のことになりそうです・・・  




ネパールに行ってまいります。

2016-05-05 20:34:36 | お知らせ
 2016.5.5(木)

これから羽田までバスで行き、日付の変わる5/6日 0:20分のタイ航空でネパールに行ってまいります。 戻るのは5/14(土)の早朝になります。

ブログもたまにしか書けていませんが、又しばらくお休みとなります。

帰ってからも、しなければならないことが優先されますのでブログはずっと先になりそうですが、少しづつ書いていこうと思います。

よろしくお願い致します。