junjunのはなまる日和&ときどきネパール

日々の暮らしとネパールのことなど・・・。

心温まるほんの一言

2016-12-31 23:55:43 | ちょこっとうれしい・たのしい
 2016.12.31(土)

今年も今日が最後。 今はもう夜中の12時を回りそうですが、いまやっと手があきました。

そう・・・、毎年のことですが、28日からつくり始めたおせち料理をお重に詰め終わり、キッチンの片付けも終ったところです。

なので、今日はパソコンを開くのも今が初めて。

心温まることがあったのですが、今まで書くことができませんでした。


それは・・・


今朝9時前のこと、宅急便やさんが荷物を届けてくれました。

いつもなら受け取りの印鑑を押して、ありがとう・・と言うだけで終るのですが・・・

 
数日前のニュースで、佐川急便の配達の男性が荷物を投げたり台車を投げたりしている画像が流れ、いろいろ考えさせられていました。

なにか嫌なことでもあったのかな? あまりに忙しすぎるのも気の毒・・・とも思ったものです。

なので、昨日も今日も配達して下さった宅急便やさんには悪いなぁ・・・と思い、私も丁寧過ぎるほどにお礼を言ったりしました。

ところが、今日の配達の方は、帰る時に、「良いお年を!」と言ってくださったのです。

「あらありがとう、あなたもね!」くらい、とっさに返せたらよかったのに、まさかそんな言葉を頂くとは思ってもいなかったので、私もオウム返ししかできず 「良いお年を!どうもありがとう」 と言うのが精いっぱいでした。

その方はヤマト運輸の方でしたが、会社の方針かしら、それともこの方のお人柄? いずれにしてもすばらしい一言でした。

年の終わりに 「嬉しい一言だったなぁ」と思いながら、一日仕事をしていました。 

たったの一言で 「ああいい一年だった」 と思い、私の心もほっこりしたものです。

このうれしい思いを 書きたいなぁ と思いながら書けずに夜中になってしまったのです。


そろそろ新しい年になります。

みなさまにとってもいい一年となりますよう、心よりお祈り致します。



とねるず 関東鉄道常総線 小絹

2016-12-27 16:54:45 | とねるず
 2016.12.23(金)

関東鉄道 常総線 小絹駅10:00過ぎ出発。

駅舎は西に向いています。 


地図を見ると、駅の西側は住宅が立ち並び、東側には畑や田んぼがたくさん残っています。

なので、私たちは駅の東側を歩くことにしました。

今日歩いたところには神社、仏閣は一つもなく、おしゃべりに夢中で写真もあまり撮らなかったので、少しの写真を紹介するだけとなります。


駅のすぐ近く(5分くらい)の民家ですが、いい風景として残っています。

右端の建物はかつてはかやぶきだったかもしれませんね。 畑はきれいに耕され、春の種まき準備も済んでいます。


向かい側は山林だったようですが、駅から近いせいか、開発の魔の手が伸びているのかも!?


ここは高台なので、遠くを眺め、森のありそうなところ、木々のたくさんありそうなところを目指すことにしました。

左のお宅のゆずの木から、実がたくさんこぼれ落ちて道路に転がっていました。 人もいなかったこともあり、無断で戴いてしまいました。


           そのゆずは後日ジャムになりました!
             
             (冷凍庫に入れてしまい数日後に撮ったので白く写っています)


道は徐々に下りとなり、田んぼの方に向かいます。

田んぼを見ながらさらに先の森を目指して行くと、こんもりしたところに何か祀られているもの(お墓?)がありました。 字はよく読み取れませんでしたが植えられている木々を見るかぎり古くて由緒ありそうです。


このお宅の大きな柿の木、下の方には実がまったくついてなく、上の方にだけたくさんの実が残っています。 どこかで見たことのある切り絵のような光景です。


裏手の林は切り開かれ、何ができるのかな~、まさか住宅地に?? などと言いながらたくさんの切り株などを眺めて通り過ぎました。
          

その先に、又、田んぼが現れ、遠くに筑波山も見えました。すぐ近くを小貝川が流れています。 



田んぼを左に見ながら、林に沿って回り込んで歩いて出たところは、県道502号の谷和原大橋のとっつきでした。(右に行くと、谷和原大橋)


そこに並んでいるヒマラヤ杉(6~7本)は、歩き始めの時に、あそこの三角の木の並んでいるところなんかいいのでは・・ と言っていた所で、会社か工場か・・と思ったのですが、何と、普通の住宅の玄関までのアプローチに植えられているものでした。


昼食時間も近づいてきたので、線路を渡り返して西のほうにある、さくら公園まで行くことにしました。


そこに行くまでに、いい山道を見つけ、その中を歩いたりしたのですが、残念ながらその写真は撮り忘れました。

その山道もほんの少しで住宅地に出てしまったのですけれどね!


線路の西側に出、公園にはトイレがないかもしれないと、国道沿いにあった大きなダイソ-に寄りました。

さくら公園もそこから近くにありましたので、着いたのは12時半くらいだったような・・。


今日の参加メンバーはこちらの3名と私も入れた4名でした。


この時期はさざんかがきれいですね。
          


今日歩いた地域は、地図には谷和原村となっていましたが、今は つくばみらい市 だそうです。(市の木はサクラ、花は菜の花、鳥はひばり)

そして、今日見かけたマンホールのふた2種。 

これは菜の花と桜のようです。


こちらは市の鳥のひばり?とハト?なのでしょうか。
          


昼食後、国道294沿いの ココス に寄り、お茶をしながらまたまたおしゃべり。 3:00になり、やっと腰を上げました。

「一人でこんな遠くの知らない駅まで来て歩くことはまずないけれど、こうして、決まった日に集まって、知らない土地を歩いて、おしゃべりをするって本当にいいことね」と話しながら小絹駅に戻り、3:20分の電車で帰途につきました。

12月にしては風もなくポカポカと暖かく、とても歩きやすい一日でした。


17度目のネパール ⑥ちょんまげ隊&帰国まで

2016-12-24 07:32:33 | ネパール
 2016.12.1(木)

11/29日(火)の午後、私と一緒にラムチェ村を訪問した大学生のあやさんの所属する支援団体 「ちょんまげ隊」の方々が日本からやってきました。

(ちょんまげ隊の写真がないのが残念。) 

あとになってちょんまげのイラスト入りの名刺を頂いたのを思い出しました。
        
          

彼らは昨年4月の地震のあとすぐにラムチェ村の支援を始め、すでに何度かラムチェ村を訪れ、お米や毛布、トタンなどを届けたり、映写会も行ったそう・・・。

今回はまだ配りきれていない人たちへのダウンジャケットや衣類の配布、学校用のパソコンなどを届けるようです。

30日にはブンガマティの施設訪問に行かれました。

私などとは比べ物にならない活動的な支援をされています。


今日(12/1)から2泊3日の予定でラムチェ村に出発です。



あやさんが以前の訪問で個人的に支援をすることになったという、耳が全く聞こえなかったサンティちゃん(左)。

あやさんの援助で補聴器を付けるという方法と3ヶ月ほど銀杏旅館から聾唖の学校に通うことにより、何とかみんなと意思の疎通ができるようになったのでラムチェ村に帰ることになったそうです。


ラムチェ村に行く人たちをみんなでお見送り。

 


私は、夜中に近い23:15の便で日本に帰るので、ほぼ丸一日のんびりできます。 

久しぶりのサンガ散策をしました。

銀杏旅館前のラックリ(シデ)の木はすっかり葉を落しています。


からし菜もほとんど収穫が終わり、残り少なくなっていましたが、いい景色です。


赤く見えるのはそばでした。



銀杏旅館もまだ現在建て替え中ですが、近所でも続々と新しい家ができつつあります。 でも、かなりお金がないとできない話のようです。






銀杏旅館の隣のお店のお母さんがコドの皮を剥く作業?を始められました。。


この方も同じ作業をしていました。
           



夕食を済ませ、8:30過ぎに空港に向かい帰国の途につきました。   

ちょんまげ隊と一緒にラムチェ村に行かなかったラスミちゃんとアシスくんが空港まで送ってくれました。


中国・白雲空港を経由して、12/2日の午後2時近くに羽田に到着(羽田着は今回が初めて)。

17度目のネパール訪問も無事終わりました。


※ あの大変な山登りをしたあとだというのに、山の子供たちのかわいさを考えると、又行きたい気分になっています。

学校修復のことはさておき、又、子供たちに会いに行こうと思います。

一緒に行きたい方がいらっしゃったら大歓迎です! 


 以上で今回の報告を終わります。



17度目のネパール ⑤ミナちゃんのご両親とウルミラ先生

2016-12-22 16:33:56 | ネパール
 2016.12.26(土)

前日の過酷な登山?から一夜明けました。 

目が覚めると、東の空が明るんできたところでした(ベッドの中から)。


簡単な朝食ののち、お世話になったミナちゃん、パンネくんのお父さん(一番左)お母さん(左から4番目)とお別れをしました。


ラムチェ村でもミナちゃんの家の近くまでは馬力のあるジープなら上がってこられます。 なので、建築資材を運ぶ苦労はあまりないようです。


問題は昨日登った山の向うのさらに向こうの山の上ですね・・・。

複雑な思いでラムチェ村を後にしました。

ラムチェ村の出発地点にあった一本のサクラ。 なぜか心が和みます。



この日は、街に出てから野菜の買い物をしてまっすぐ銀杏旅館に戻りました。




11/27(日)~30(水)

この間は予定もなかったので、カトマンドゥのネパール語の先生に電話をすると、うまい具合に午前の部、10:40から2時間なら空いているのとのこと。

たった4日間だけですがサンガから通うことにし、授業の終わったあと、これまでに知り合いになった人たちを訪ね歩いたりしました。


最後の日(11/30)には、次の授業に間に合うよう授業を早めに切り上げ、ウルミラ先生とお食事をしてお別れをしました。

先生ったら、食事をしに行く段になったらわざわざお着替えをしたのですよ。 ご主人が買って下さったものとかで、刺繍のある素敵なものでした!



私は必要なものを買い物してサンガに戻りました。



17度目のネパール ④グレ村の小学校 

2016-12-20 18:18:42 | ネパール
2016.11.25(金) つづき

12:00近く、やっとグレの集落に到着。 

おやおや、トタンは使われているもののぜんぜん足りていないような・・・。




新しく家を建てているお宅もありましたが、鉄筋の柱などない、石積みの壁に練った泥を塗り込める式の従来からの建物のようです。


屋根にトタンが乗せられ、石が積まれた壁の家はまだいいほうで・・・、


大半はまだこのように木の枝で囲われたものでした。



学校からもズガルヒマールがよく見えます。 景色は最高ですが、ここまで来るのがなんともはや・・・!

以前、私が写真で見たときは校舎のまわりの囲いがなかったのですが、今日は囲いができていました。


校庭のまわりにフェンスがあるわけではないので、ボール遊びをしたら、ボールはどこまでも飛んで行ってしまいそう。
 

校舎の裏には壁を作るためのたくさんの石が集められ、修復の準備も少しづつ進められているようにみえました。



教室では子供たちが私たちの到着を待っていてくれました。

学年の上の子たちは、翌々日に、ネパール全土で行われる試験のため、ほとんど休んでいるとのこと。 今日いてくれたのはこの子たちだけでした。



高価なものはないのですが、応援して下さる方から戴いたものなどをプレゼント用に持って行きました。

ビーズのブレスレットは娘が仕事でお世話になっているお宅の85歳のおばあちゃんが作って下さったもの。


小さなおもちゃも応援して下さる方からのもので、子供向きでちょうどよかったです。
       

実は、コマを作るための折り紙も、私が仕事をしていた時に、90歳のおばあちゃんが、ネパール支援と聞いてプレゼントして下さったものなのです。2000枚ありましたのでまだまだたくさんあります。
               

これらのものと、パンネくんが用意してくれたキャンディー6個づつをプレゼントしました。






私たちはこのあと、このあたりで取れるジャガイモはとてもおいしいので食べて行かないかとのお誘いをうけ、ごちそうになることになりました。

ジャガイモが茹で上がるのを待つ間に、大人の女性たちが、私の持っているブレスレットが欲しいとたくさん集まってきました。

子供用に小さなサイズに直して持って行ったのですが、大きいままのものもあり「よかった~、セーフ」でした。


たいしたプレゼントでもなかったのですが、子供たちは喜んでくれたようで、家の周りでそれらを持って遊んでくれました。


        



       

                


学校から少し離れた段々畑のグレの集落。
                



そうこうするうちにジャガイモが茹であがり、お腹もすいていたこともあり、遠慮なくたくさん戴きました。

寒いところで育つ野菜は甘味があっておいしいとよく言われますが、ほくほくしてほんとにおいしかったです。

         
               

こちらのお母さんがジャガイモをごちそうしてくださいました。      




そろそろおいとましないと・・・  13:30ころになっていました。

ラムチェ村のミナちゃん、パンネくんの家に着くまで、ここからどれくらいの時間がかかるのか見当もつかないのですが、帰りは下るだけとお気楽に考えていました。


ところが、歩き始めて、下りも全く油断が出来ないことがわかってきました。


それは、山に松がたくさん植えてあり、材木として売ったり、枝は燃料にしたりして村人のために有効に使われているようなのですが、落ちた松葉が積もって、とても滑るのです。


下りの上に滑る・・、

松葉の落ちていないところは段差のある下り道。 下りなのに、よいしょ、よいしょとおりないといけないし・・  「ラク」 などとはとても言えません。 私の考えが甘すぎました。 

転ばないように、転ばないようにと細心の注意を払いながら下りたものです。

なので、この間の写真がほとんどありませんでした。

やっと写したいくつかの花の写真。


       

               


帰りは行きとは違う道を下ってきましたが、ここに出て、「あっ、ここは行きに通ったところ」と分かり、もうゴールは近そう・・・と感じうれしくなりました。


ミナちゃん、パンネくんの実家に着いたのは午後4:00。 なんと出かけてから帰り着くまで約9時間もかかりました。


最後のさいご、身体も心も足もよれよれ、もうすぐ到着というところで、ちょっと油断したらしく転んでしまい、右のほほ骨の辺りを石にゴツン。

到着してすぐに懸命に冷やしたのがよかったのか、大したことにならずに済みました。


途中、谷に下りた時に一度休んだだけで、ほとんど休まず下りてきたため、帰りは2時間半で下りてこられました。


それにしても大変な一日でした・・・。


そして、

ラムチェ村までは車でやってこられるのでなんと恵まれていることか、 それに比べグレ村はなんと大変なところかと感じた一日でもありました。


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車の行けない山の上の学校建築は、鉄筋、セメント、砂を運ぶにも人力に頼るしかなく、特に鉄筋は重くて長いので、二人で運ぶとしても急な山道では下の人に負担がかかり過ぎ、運ぶのは不可能ではないか・・・ 

さらに、人件費も最近は値上がりし、一人一日1000ルピー(1100円位)、それが20人として資材を運ぶだけで一ヶ月かかるとして・・・ などと、考えただけでとても大変で難しい・・・ と筋田さんに言われました。


でも本当は、こんなところにこそ支援が必要で、なんとかならないものかと悩むところです。