junjunのはなまる日和&ときどきネパール

日々の暮らしとネパールのことなど・・・。

とねるず 府中本町

2015-01-26 23:12:19 | とねるず
 2015.1.25(日)

カタツムリ歩行の姉妹編 とねるず の日。

集合は 武蔵野線の最終駅 府中本町 10:00 です。

少し早過ぎるのですがいつも余裕をもって出かけますので7時には家を出ようと思っていました。

そのちょっと前にベランダに出ると何と幕張メッセの高僧ビルにちょうど朝日があたり赤く輝いていました。 長く住んでいてもこんな瞬間にはめったに出合えません。 ラッキーでした。


津田沼駅に着くとスズメ、セグロセキレイ、ヒヨドリが歩道で一生懸命なにかを食べていました。 人通りもあるのに食べるのに忙しいらしくなかなか逃げません。


     


府中本町駅集合はカタツムリ歩行で何回か経験しているのですが、西船橋から武蔵野線で終点まで乗って行けばいいところですが、私は新宿から京王線で 府中 に出、そこから武蔵野線の 府中本町 まで歩きます。なんといってもこの方がお・と・くなので・・・。

いつもの大国魂神社(おおくにたまじんじゃ)から伸びるケヤキ通りを通り、大国魂神社の前を右(西)に曲がります。


1~2分で甲州街道の交差点に出ますが、その角にあるのがこの黒い蔵。 お酒屋さんのようです。年代を感じますね。


その向かいにあるのが高札場。


高札場説明板。


甲州街道を南に歩くと市役所がありますが、その手前に、まだ9時ころで商店はあまり開いていない中、にぎやかな店が開いていました。


隣の隣あたりが府中市役所。 前にあるこの銅像がとても目立ちます。


この先で甲州街道から離れ、斜め右に入る道を進みJRの府中本町駅に出ます。 

まだ早すぎるので私は駅前でお茶をしながら時間待ちをします。 家を早くに出るためこの時間がとっても貴重・・・。ホッと一息です。

10:00近くになったら、みんなの待つ駅前に行きます。

集合地が遠くなったためかみなさん思ったより時間がかかるらしくまだ誰もいません。


そうこうしているうちに全員集合! 全部で7人です。

それでは出発いたしましょう・・・ と私が進んできた方向に歩き初めました。

甲州街道に近いところに山さんのお知り合いで地図つくりをしている方のお店があり、みんなで眺めワイワイガヤガヤ・・・ 地図を買い求める方もいました。


北陸新幹線(長野~金沢)もまもなく開業(2015.3.14)・・ すでに地図は準備済みですね!


甲州街道から西に入る小道があり、そこからこのケヤキが見えます。


ここはかつて歩いた記憶のあるところ、行ってみると・・・

見覚えのある善明寺でした。


その先で以前も富士山が見えました。今日もうっすらと見えます。


武蔵野線に沿って北に向かって細い道が続いていますが、以前はなかった 清水下小路 という案内ができていました。


この道に沿って歩き、高安寺の裏手に出ました。

そこで又こんな案内がありました。(古くてかなり見にくいですが・・)  赤い線が、府中伝説の道 となっています。 


案内のあるところから見えたこの建物・・ なんだか素敵な建物ね、何か書いてある・・


シェイクスピア ハウストウキョウ と書いてあるみたい・・・ 通る人もなく聞くこともできませんでしたが。



伝説の道の案内がなければ入って行くことはなかったかもしれませんが、みんなで 行ってみよう・・行ってみよう・・ということで竹やぶの見える道を進むことにしました。

こんなところに保育園・・・、高安寺の敷地内にある高安寺保育園でした。


門の横に、最近では見かけなくなった二宮金次郎像。


その門の斜め向かいに 秀郷稲荷 と書いたのぼりのある小さなお宮が・・・。


弁慶硯の井戸 という案内もあります。ちょっと奥まった低いところですが行ってみました。井戸には竹で作ったフタがしてあります。 そばにはあずまやもあり休憩もできます。


ここには何の説明もありませんでしたが、裏から入って高安寺の表に行くとそこに詳しい案内がありました。


広ーい墓地を裏から抜け、寺の正面に出ることになります。



山門の横に出ました。 その山門のなんとまありっぱなこと!

山門の後ろ側に大きな木造の 奪衣婆 と 地蔵尊 の像、




表側にはよく見かける仁王像です。




そして又屋根の下にある彫り物もすごいんです!

どれも種類の違う楽器を持った天女のように見えます。










これはまだ一部だと思います。グル~ッと一回りするとあと5体はあるかもしれません。

本堂に向かって歩くと右に 時の鐘 があります。冬の間は自動で鳴らしていると説明が・・。


その鐘楼にも立派な彫り物です。確認はしませんでしたが四方にあると思われます。



本堂の前の向かって右の木は市の名木100選の コウヤマキだそうです。


こんな木化石も・・ 驚き!



逆歩きになっていますので、ここから山門を抜け正面に出ました。

右手に見える8体の像は干支ご本尊だそうで、生まれ年によって守り本尊が違うようです。



山門側から撮った干支ご本尊。



さらに表にまわると観音堂。 真ん中が曇って見えるのはレンズの汚れのせいです。後で気がつきました。


さらにさらに・・・6地蔵もありました。


この寺院は足利尊氏の時代より前からあったもので、臨済宗から曹洞宗に改宗されたということです。

それにしてもりっぱなお寺さんで驚かされました!!

高安寺の正面前の通りは車が多いので、横切って一本奥の細い道を東に進みました。

するとここでも見たことのある寺院があらわれました。

長福寺。 本堂が8角形のコンクリート造りに見覚えがありました。


門前の住宅のこのうちわも、以前も何だろう・・・と不思議に思ったものでした。


ここから大国魂神社に行く予定が、裏道、裏道がいい・・・と歩いていたら元来た清水下小路に出てしまいました。

どこからでも行けないわけではないので、同じ道を歩いて大国魂神社に出、昼食時間に近いので、神社は横切って通り抜け、競馬場の緑地に行くことにしました。

途中で日吉神社にも寄りましたが、ホームレスの方がいたのでここもさっと通り抜け。



やっと競馬場に到着。

今日は競馬は開かれていないので施設内に無料で入れるとのこと、私たちにとっては幸いでした。

場内はきれいに整備され、清掃も行き届きなかなかいいところ・・・。 私はカタツムリの時も寄りましたが・・・。



みんなで座れるところを探し、昼食としました。



昼食後、初めて競馬場に来たという人は二度と競馬場に入ることもないだろうと建物の中も見学、さらに競馬博物館にも寄って帰途につきました。

ここでの競馬開催ではないというのにこの人出。 開催日はどんなことになるのでしょう・・・。



私と伊藤さんは京王線を使って帰るため伊勢丹の前を通りかかると、新撰組のイべントが行われていました。

扮しているのは市役所の職員だそうで、○○課で働いている・・ と自己紹介をしていました。

ゆっくり見ていたら よさこい の踊りなども見られたかもしれないのですが、遅くなってしまうので先を急ぎました。


毎年篠崎さんから戴く干支のストラップ。 今年も羊のついた新しいものをいただいてしまいました。


昨年のものもまだ付いています。



冬にしては風もなく暖かい一日、歩くには最高のお日和でした。




絵手紙

2015-01-24 15:27:49 | 絵手紙
 2015.1.24(土)

本当なら今日は都内・地下鉄赤塚のネパール語の先生のところに行く日でしたが、先生家族がインフルエンザにかかってしまい授業はお休みとなりました。

インフルエンザで亡くなる方がいらっしゃるというニュースはよく聞いていましたが、私のまわりには
幸いまだ一人もインフルエンザにかかったという人はおりません。

マスクの効果はほとんどないということを昨日、ネットのニュースで見かけました。 実験では70~80%もの呼気を通してしまうとか・・・ 今までマスクはした方がいいと思っていましたのにね。

それはさておき、本日の都内までの予定がなくなりぽっかりヒマができました。

何をしようかな~ と考えましたが、毎日ベランダにある フウセントウワタ を見ては 「描きたい、気が進まない・・・ 描きたい、気が進まない・・・」 と思っているうちに、あといくつかで種がほとんど飛んでいってしまいそうで、ここでやっと描こう・・・という気になりました。

でもほんとにたまになのでその描き方のコツを思い出すのも大変なのです。

18年前の記憶では5枚、10枚と同じものを描いているうちにだんだんそのコツがわかってきたような気がしました。

ですが、今日もやっと3枚で疲れが出てきてしまうのです。

これでは満足のいくものは描けるはずもなく・・・。
               


         


                 

                    
あきらめないでもう少し頑張ろうかと思います。

今日、午前の暇つぶしはこんなことをして過ごしました!
明日は とねるず の日です。 集合が府中本町と遠いので、朝7時過ぎには家を出ないといけません。




枯れ木に花?

2015-01-18 21:43:09 | 谷津干潟散歩(一部)
 2015.1.18(日)

外出の予定もない日でしたので 「それでは谷津干潟散歩・・・」 となりました。


 まずは前の公園から・・・

落葉樹は葉をすっかり落とし枯れ木のようですが、枝に残った花ガラやガク、葉などが青空に透けて花のように見えるのがおもしろい・・と思いました。

ニレノキ。 青空に葉のない枝が広がっている姿がなんともすてきに見えます。


付いているのは花の咲いた後の花ガラでしょうか・・・。 花のないこの時期、色はついていませんがまるで花のようです。



公園を抜け、京葉道路をまたいでいる緑道橋(りょくどうばし)を渡ります。 けっこう急なので自転車の人は若い人でも下りて押さないと登ることはできません。


橋を渡りきると、海へとつながる水路があり、たくさんの渡り鳥がエサをとっていました。 オナガガモ、ヒドリガモは常連ですが、裸眼では気がつかなかったオオバンが写っていました。(手前右の2羽:頭が黒くてくちばしとおでこの辺りが白)



キンクロがいる・・と思って写したこれには緑のきれいなコガモも写っていました。


この水路沿いにはユリノキがたくさん植わっています。 枝に付いている花のガクと思われるものがこれまた花のように見えます。


京葉道路の防音壁に沿って植えられているシラカシはみずみずしいきみどり・・・。  春や夏には少しも目立たない木ですがこの時期だからこそ、その美しさが目立ちます。


津田沼高校沿いのケヤキには少しだけ残っている葉がまるで花のよう。




 干潟に着くと・・・


この寒さになってやっとたくさんの渡り鳥が飛来していました。


大きな漂流物が・・・ と思いよく見るとそれは羽毛布団でした。 他にもありましたので遠いどこかの海からやってきたものでしょうか。



観察センターの年間パスポートを更新しようと思ったのにお財布を忘れてしまいました。 お金がなくては観察センターにも入れませんのでそちら方面には行かず今日もバラ園の方に歩きました。


アオサを食い止める実験・・・のさおがさらに広範囲に立てられていました。

干潮ということもあって鳥たちはくいのこちら側にはこられず、かなり遠くの方にまとまっていました。


りっぱな望遠鏡をお持ちの観察会の方々はその鳥たちを見ては 「○○がいる・・、△△も・・・」 などと教え合っていましたが、裸眼の私には遠すぎてどんな鳥がいるのかよくわかりませんでした。

ここから私はいつも引き返します。

ヒイラギナンテン。 「みてみて・・私きれいでしょ」 と言わんばかりに赤く目立っていたのはこれだけ。


ハマナス、トサミズキは枯れてしまったとしか思えないようなこの姿・・・。




一番面白いと思ったのがこれ。 なんかの木にひっかかった松葉がまるで珍しい花のよう・・。


ニセアカシアはすら~りと空に向かって伸び、葉のない枝を存分にひろげていました。


午前中は冷たい北風がピュ~ピュ~・・・ 行きは向かい風で肌にまで風が突き抜け、散歩も楽ではないな~と思いながらの歩き。 帰りは追い風だったせいかラクラク・・ 楽しみながら歩いて帰りました。



絵手紙年賀状Ⅱ

2015-01-16 16:13:10 | 絵手紙
 2015.1.16(金)

お正月過ぎにへたな絵手紙年賀状を紹介しましたが、過去の年賀状も紹介してしまおうか・・ なんて思いたってしまいました。

私は 「絵だけはかんべんして~」 というほど絵が苦手(字も・・)。 人さまの描いた絵を見るのは大好きでよく展覧会などに行っていました(最近はあまり行っていません)。 ですが自分ではどうしても目で見るように描けないのです。

ところが、絵手紙というものを知ったとき、その合言葉が 「へたでいい、へたがいい」 とあり、 「へたでいいの? ホントに? それならまかしといて!」 と思ったのが始めるきっかけでした。

はがき・・というのもよかったかもしれません。


私の描いた一番古い年賀状が1992年(H4)ですので、絵手紙を始めたのはその前年、1991年の春頃からではないかと思います。

ですが、1997(H9)年の転職前後、親の介護や仕事の疲れで絵手紙を描くどころではなく、徐々に描かなくなってもう18年にもなろうかというところです。


とにかく、絵だけは勘弁して~ な私なので、年一回の年賀状の図案など思い浮かぶはずもなく、花や置物は別にして干支に関してはたいてい何かを見てヒントをもらって描いていました。

ということで、もしかしたら 「これどこかで見たことあるな~」 なんてものもあるかもしれませんが、お許し下さい。 そして 「へたくそ~!」 と大いに笑って下さい!

                    1992(H4)
                    

          1993(H5)
               
       

                    1994(H6)
              
                    

                              1995(H7)
                              

                    1996(H8)
                    

          1997(H9)
          

                    1998(H10)
                    

↓これは、描いてみたものの色を付けるところが多すぎて大変なのでこれ一枚きりでやめてしまったものです。 年賀状は毎年50~60枚描いていましたので手のかかるものや色をたくさん使うものは向かないことがわかりました。
                              1998(H10)
                              


                    1999(H11)
                    

          2000(H12)
          

                    2001(H13)
                    

                              2002(H14)
                              

↓これも書いては見たものの細かすぎて大変で一枚だけでやめてしまったものです。 
                    2002(H14)
                    

          2004(H16)
          

                    2005(H17)
                    

                              2006(H18)
                              

                    2007(H19)
                    

          2008(H20)
          
          

                    2009(H21)
                    

                              2010(H22)
                              

                    2011(H23)
                    

          2012(H24)
          

                    2013(H25)
                    

          2014(H26)
          

先日書いたこの今年の物でおしまいです。 
                    2015(H27)
                    

年賀状にしろ普段の手紙にしろよく印刷したものを頂きますが、私は一枚一枚手で描いたものがいいな~といつも思っています。

年賀状に関しては一度に描く枚数が多いので手がかかりすぎて大変になってしまったのと、数年前からは家庭の事情もありとにかくまたまた忙しい日々となったため廃止の方向で進めていました。

年賀状はやめると思いますが、やっと 「絵手紙、又描こうかな」 という気になったので、これからはのんびりとした趣味としてずっと続けられたらいいなと思っています。 

問題は画材がちゃんと手に入るかどうか・・・です。 

絵手紙をはじめたころは毎日花やさんの前を通っていましたので、週末になると一本買って帰っては5枚10枚と同じものを描いていたものです。 今は2枚くらいで疲れてしまいます。 年とともに根気がなくなったということでしょうか?



                                        

どんど焼き

2015-01-12 09:41:00 | ウォーキング・ご近所さんぽ
 2015.1.11(日)

ベランダから横一線の雲の帯の風景を見た後、ふと公園を見ると、どんど焼きの準備が始められていました。

どんど焼きの様子は数年前にも 谷津干潟散歩 で紹介しましたが ネパール探訪 に合流してからは初めてなので、又紹介させて頂きます。


10時近くなると、何か行事があるたびに聞こえてくる おふれ太鼓 の音が鳴りだしました。




 
どんど焼きの由来を調べてみると・・・

旧暦の小正月(こしょうがつ)、1月14日の夜か15日の朝の満月の日の行事なのだそうで、無病息災、家内安全、五穀豊穣を祈るお正月の火祭り行事とのこと。

どおりで・・・、 昔々、私がこどものころ、田舎だったこともあり、ひろーい田んぼで、夕方に行われていました。 

お正月は新暦で行われていましたが、どんど焼きはお正月からは日にちがずいぶん離れていたような気もするので、それは旧暦の1月14日の夕方だったのかもしれません。
  


いま私の住むこの地域でのどんど焼き、今年で32回目にもなるとのこと。(見ていると、スタッフの方々のご苦労も大変なよう・・ 感謝・感謝です)


お正月の松飾り、しめ縄、書き初めなど、炊き上げるものの受付に加え、以前にはなかった絵馬を奉納する場所まで作られていました。


かたわらでは、参加した方々に振る舞うためのお餅を担当の方々が焼いています。


お正月にはめでたい獅子舞もつきもの。 袖っ鼓連(そでっこれん) という太鼓のグループによる獅子舞です。(舞っているのは中学生か高校生の男子)



どんど焼きの山。 青竹等で高く積まれ、上の方にはだるま、下の方には神棚?のように見えるものもあります。






茅の輪(ちのわ)くぐり も作られていました。  

これは、疫病や罪穢れ(つみけがれ)を祓う(はらう)神事とのことで、年末に行われる 「年越しの大祓い」 と6月末~7月の中ごろに行われる 「夏越し(なごし)の大祓い」 の年2回行われるのが正式らしい・・です。 (昔は茅(かや)を使って作ったそうですが、最近は葦(あし)を使うところが多いとか・・。 ここのは藁(わら)で作られていました。) 


先に茅の輪に火がつけられました。

年配の方から若い人たちまで、たくさんの人が参加しているのがとてもほほえましく思えます。







どんど焼きの山にも火が入りました。(中学生が特別参加で点火)


ちびっこメインの獅子舞もはじまりました。


大人の太鼓演奏にも力が入ります。


獅子舞も力いっぱい・・・(本当は右にもう一人いるのですが・・)



習志野や船橋に昔から伝わる ばか面踊り も 袖っ鼓連 の人たちが踊ります。



その間に参加者には焼けたお餅が振る舞われます。




演奏はまだまだ続きます。





まわりを見渡すと・・・

暮れから咲いていたローバイは、遅咲きの3株が今、見ごろのようです。


足元には茎の全く伸びていないタンポポが枯草にうずまるように咲いていました。



公園を一回りしてみると・・・

私を楽しませてくれた一本のヒマラヤザクラは花が終え、真冬だというのにみずみずしい新緑に変わっていました。


若いお父さん方もたくさん出て、小さい子供を遊ばせています。



空を見上げると・・・

何やら何かの形に見える白い雲がふわ~り、綿あめのように浮いています。


風もなく、穏やかでとても暖かないい日和でした。