2024.4.29(月・祝)
東京で生まれ、東京で育ち、職場も東京都内だけという友が福岡に住まいを移すことになりました。
長年、少年少女たちや私たちにも野道あるきの楽しさを教えて下さった、今は亡きカントリーウオーカーの山さんこと山浦正昭さんのパートナーの敬子さんです。
そのお別れの食事会が開かれました。
計画をして下さったのは、山さん発案の野道あるきグループの一つ「カタツムリ歩行会」の土井さんご夫妻です。
敬子さんと親交の深いと思われる人にお声かけ下さったようです。
場所は京成金町の駅前のビルの中にあるレストラン。(例によってお食事の写真は撮ら~ず仕舞い)
お食事がすっかり終わってからの一枚。
福岡に行ってしまわれる山浦敬子さん、土井さんご夫妻、小林さん、笠原さん、亀田さん、青木さんと、加藤家を代表して健太郎君、それに私を入れた9名でした。
笠原さんは、最近埼玉の息子さんと同居しているのですが、その息子さんが桶川から車で送って下さったとのこと。
30分くらいと言って待っていただくことにしたそうですが、3時間にもなってしまいました。
ビルの上の方に図書館があったので…と、そこで待って下さったようですが優しい息子さんには感謝です。
おかげで楽しいお別れ会ができました。
このあと、笠原さんと小林さんはお帰りになりましたが、他の7名は場所を変えてお茶しながらつづきのおしゃべり、17:00すぎに解散しました。
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集合前に・・・
私は、集合地に行くために、京成高砂駅で乗り換えるのですが、以前、山浦さんの追悼ウオークで、お墓参りをしたお寺さんが近くにあることを思い出し、お墓参りを済ませてから参加しました。
お寺さんまでの行きは駅の北側、寿老人のある観蔵寺前を通っていきました。
(以前も通り過ぎただけでしたが、今回も・・)
山さんのお墓のあるお寺さんはここから数分のところ。駅からも10分ほどかと・・。
見覚えのある寺院、大光明寺です。
りっぱな本堂は南向き。(大光明寺のすぐ後ろ(北)を電車が走っています。)
山浦家のお墓。
お参りをしていると、本堂の高いところにいらっしゃったご住職さまが「山浦さんのお墓はずっとそこにありますからいつでもお参りして下さい」と声をかけてくださいました。
(永代供養をしていただくことになっているそうです。)
少しだけ境内を拝見させて頂きました。
山門裏にあった六地蔵+観音様?
本堂の脇にあった古い石仏など・・・
元禄2年(1689)、元禄12年(1699)、享保4年(1719)、元文3年(1738)などの銘が見えました。
お寺さん自体も由緒ある古いお寺さんのようです。
(途中で道をお聞きした農家さんのご主人が「あそこは名前が変わったんだよね」とおっしゃっていましたので昔は大光明寺という名ではなかったようです)
駅に戻る時は線路の南側を歩きました。
大光明寺のすぐ近くに、以前には見かけなかった神社がありました。
村社 天祖神社 と。(こちらも拝観はせず通り過ぎました)
このあと、約束の集合地、京成金町駅(11:50集合)に向かったのでした。
お墓参りの時、お花を持って行かなかったのですが、供えてあるお花が萎れていたので、帰りに又寄らせて頂き、新しいお花を供えてきました。
お昼前の集合で、家に戻ったのは18:40ころになりました。