junjunのはなまる日和&ときどきネパール

日々の暮らしとネパールのことなど・・・。

続・カタツムリ歩行の日でしたが・・ 

2015-07-20 17:43:37 | カタツムリ歩行
 2015.7.19(日)

今日は続・カタツムリの日。

駅に着くころにカメラを忘れたことを思い出しました。 いつものsaikoroatさんにおまかせすればいいかな・・ と思いましたらsaikoroatさんもお休みのようでした。

・・・ということで、本日のレポートは無し・・ です。


今日は又あまりに良く晴れすぎて、私は数年前のカタツムリで熱中症の症状を患い大変な思いをしたことを思い出し、ゴールに直接歩く方法をとろうと思いました。

ところが、今日に限りゴールがかなり遠い・・・。 どうしようかな~と考えていたところ、私以外にも故障者や歩かないという人が数人あり、その人たちは駅近くでお茶だけ飲んで帰るそう・・・

それがいい・・ と私も仲間に入れて頂きました。

山さんの最近の情報もお聞きすることが出来ましたが、具合はあまり良くなくて心配な状況のようです。
山さんの奥様の敬子さんはそんなことで、11:00過ぎには帰りました。


他の人たちは12:00近くまでおしゃべりをし、昼食を食べて帰ろうということになり、お弁当を持って行った人はそれを、ない人は購入して駅からほんの300mほどの南越谷小学校まで歩き、隣接の公民館で一応許可を得て、心地よい風の通りぬける藤棚の下で昼食をとることができました。

その時の写真を事務局の土井佳子さんが送って下さいましたので数枚だけですがご紹介いたします。

昼食後に撮りました・・ 

こちらの4人に私が加わり、先に帰ったけい子さんを入れた6人がお茶組でした。

藤棚の木陰が何ともありがたかったです。


駅近くで見かけたマンホールのふたにはハトが・・・。





岩波映画 「沖縄 うりずんの雨」 観賞

2015-07-10 21:23:52 | ちょこっとお出かけ
 2016.7.10(金)

大分前のことになりますが、6月23日は 沖縄慰霊の日 でした。

その日に合わせるように公開されたドキュメンタリー映画が 「沖縄 うりずんの雨」 です。

うりずん とは春、草木が芽吹き大地が潤う3月ころから沖縄が梅雨入りする前までの時期をさす言葉だそうです。


監督が日本人でなく ジャン・ユンカーマン というアメリカ人ということに驚きました。(リーフレット中央の方。ナレーションも務めています)

アメリカで保存されている 沖縄戦当時の目を覆いたくなるようなフィルムなども使われていますが、よく映画に使わせてもらえたな~と感心しました。

摩文仁(まぶに:沖縄の地名)にある24万人の戦没者の慰霊碑(1万4000人はアメリカ人兵士)を 平和の礎(いしじ)と読むことも初めて知りました。 

ニュースでは聞いていましたが正確に いしじ とは聞こえていませんでしたので字だけ見て いしずえ と思っていました。

アメリカが沖縄を「戦利品」と考え、基地を作り、これからも作ろうとしていることに、アメリカ人である監督さんが 沖縄の人たちだけでなくアメリカの市民も日本の市民もがどうすべきかを考えなければいけない・・ と言っています。 本当にその通りですね。

ドキュメンタリーというのは興味のある人しか見に行かなので映画が訴える力としては弱いとか・・・。

なので、是非是非、若い方にも見て頂きたい・・ 見せて頂きたい! そして考える機会を持って頂きたい・・・。 日本ではそういう機会が少なすぎる気が致します。

その気になって知ろうとしないとなかなか本当のことは見えもしないしわからないものです。 私は映画を観てそれを再認識しました。

沖縄のことについてはこれからも勉強です・・・。





とねるず 常磐線 佐貫 

2015-07-02 17:22:57 | とねるず
 2015.6.28(日)

常磐線 佐貫駅 10:00集合です。

佐貫は カタツムリ歩行の兄弟編 埼玉グループの 彩小路(さいころ) が3月に歩いたところですが、私たちはちょうど彩小路の歩かなかったところを歩きました。(距離にして5分の1ほどですが!)

今日は、戦中戦後の数年間、佐貫に疎開していたというカタツムリ常連の笠原さんと、この地で生まれたという妹さんの岡部さんも参加です。

笠原さんと岡部さんは疎開していた家の近辺を尋ね、昼食地点(川原代八幡神社)で合流することにし、駅で別れました。


私たちは駅の東側、川崎町 南中島町 入地(いれじ)町 川原代(かわらしろ)町の辺りを歩き、ゴールに向かうことにしました。



佐貫駅東口



駅から東に向かって 龍宮通り と名づけられた大通りをしばらく歩きます。

歩道には白鳥でしょうか? ところどころにこんな石板がはめ込んでありました。


マンホールのデザインにも白鳥? このあたりからは富士山や筑波山も見えた・・とあとで笠原さんからお聞きしましたので山は富士山でしょう・・・。



整骨院の前ではこんなワンちゃんがお出迎え。 通うのも楽しそう・・・。




佐貫駅東入口 交差点から右に曲り、南に向かいます。

交差点から駅の方をみたところ。(歩道橋に 龍宮通り と書いてあります)


500mほどで馴柴(なれしば)小学校の北東角に到着。そこには古い道標がありました。

文政9年(1826)に建てられたものだそうで、 正面には 水戸16里 右には 江戸13里 左には 府川3里 と彫られています。

小学校の広い校庭のちょうど中ごろには大きな板碑がありました。

当地の偉い方を称えたものです。 他でも立派な方を称えるという大きな板碑を見たことがあります。 

この少し先に3種のアジサイを植えているお宅があり、ちょうど今が見ごろ。


       

              


さらに少し先で関東鉄道竜ヶ崎線の線路を横切ります。



ここから500mほどで広い通りに出るのですが、その20mほど手前の実線の道を東(左)に向かって進むことにしました。 いわゆる裏道です。


寺社よりも花を愛でる方の多い とねるず の歩きですが、それはそれで又楽し・・・。

ブットレア


民家の庭にはいい具合にカットされたノーゼンカズラ
       

道端にはカヤツリグサ科のようなこんな草が・・・
              


しばらくは住宅が密集していましたが、だんだんに緑の生い茂る地域になります。


7~800mも歩き、集合地に向かうにはそろそろ南に進路をとらないといけないと右に曲りました。

するとこんな水路わきの住宅が現れました。 こんな塀も私は好きです。 


もうハギの花も咲いています。(ちょっと見えにくいですが)


畑の脇に点々と植えてあるこれは? オレンジに見えるのは花でなく葉の一部。名前はわかりません。


進路を南にとって500mほどで広々とした田んぼに出ました。 のみち歩きはやっぱりこんな風景がいいですね~。



目指す神社はこの田んぼに出て、左に曲がるとまもなく・・・と、少し手前で近くに住む人に聞いてしまいました。


川原代(かわらしろ)八幡神社


横から入って行くと隣に小学校も見えました。

神社の正面はこちらでした。



川原代小学校は今はりっぱな鉄筋の建物に変わっていましたが、ここは笠原さんの妹さんお二人が疎開中通ったところだそうです。(本日同行の岡部さんは戦後生まれなので学校に通う前には東京に戻ったようでこの小学校には通わず) 笠原さんはこのころは竜ヶ崎の女学校に通っていたそうです


ちょうど神社の鳥居の横に小さな公園がありましたので、合流できた笠原さんたちと一緒に昼食をとりました。

トイレは、ミニバスケットの試合があるため開いていた川原代小学校でお借りすることができました。

関係者の方々に感謝です!!


みんなが揃っているところで集合写真。



帰りは、笠原さんと岡部さんはすぐ近くにあった巡回バス乗り場から駅に向かい、私たちは関東鉄道竜ヶ崎線に乗りたいという希望者があったため、一番近くの入地(いれじ)駅に向かいました。 ほんの500mほどのところでした。

待つほどもなく電車が来ました。 なんとかわいい・・・!


たったの一駅でしたがなんだか楽しくいい気分でした。


佐貫駅前で再び笠原さんたちと合流し、お茶を飲んで3:20分ころに解散、帰路に着きました。