junjunのはなまる日和&ときどきネパール

日々の暮らしとネパールのことなど・・・。

久しぶりにウォーキング

2019-12-24 16:44:55 | ウォーキング・ご近所さんぽ

 2019.12.23(月)

ネパールから戻って2週間もすぎてやっと、銀行、郵便局の用事を済ませがてらウォーキングコースにもまわりました。

木々の葉はすっかり落ちて見晴らしがよくなっていました。

 

水路には鳥は一羽も見えず、

 

遠くのほうのコンクリートの上に数羽の鳥が見えたので行ってみました。

        ヒドリガモ

       

 

               カワウ?ウミウ?

              

                 

  これはコガモかな?                  

 

橋の下を住処にしているらしいネコも出てきていました。

          

 

   そうそう、フェイジョアの実も少し落ちていたので拾ってきましたよ。

            

少しなので、どんなもんかな?と思いつつ生のままで食べてみると・・・、今年食べたなかでイッチバンおいしかったのです。一番の食べごろは今ごろなのかもしれません!

          

 


とねるず 新京成線・前原駅

2019-12-23 19:30:48 | とねるず

 2019.12.22(日)

 とねるずの日。

集合は 新京成線 前原駅 10:00

とても冷えたさむ~~~い一日でした。

それでも9人もの人が集まりました。 

いつものことですが歩いたのはほんのちょっとだけ。

出発前は①②③④・・と印は付けたのですが、結局①②と昼食を食べる時にお世話になった⑤だけになりました。

 

歩き始めてすぐのマンションの前に井戸がありました。これからは何かのときに備え、このような井戸あるといいですね。

 

①の道入庵の手前にあったお宅は古い農家のようで、庭木などもすばらしく手入れの行き届いたものでした。(仲村さんというお宅)

 

①道入庵(どうにゅうあん)

このあたりは開拓地のためお寺というものが無く、出身地の寺院を菩提寺としていたそう。そのため共同墓地の法事の便のために建てられた御堂が道入庵の始まりだそう。

 

延宝3年(1675)の古い地蔵尊

この地蔵尊の説明書きによると、先の仲村さんの江戸屋敷にあったものをこの地に移したそう。

49番札所にもなっていました。

 

六地蔵の左にある石仏も古そうですが、第四十・・まで見えるので札所のお地蔵さま?

 

これは宝永2年(1705)とあります。

                       

 

おかしかったのは裏のお墓に行くのに遮断機付きの踏み切りを渡ること。

鉄道が走るようになってこんなことになったのでしょうね。

 

お墓まで行ってみました。 無縁仏の墓には古そうなものが。

仲村家のものらしいお墓もりっぱでしたが、他にも由緒ありそうな古いお墓もありました。

 

 

ここから線路に沿って駅まで戻り、北に向かって進みます。 

地図に 16 とあるところを左に曲がり②に向かいます。

右側はかなり高さのある崖で、その上に住宅が並んでいました。急な階段を20段ほど上らないと玄関につけず、自転車や車などを置くところもないようなのです。 そして、無人らしい家もチラホラ。

 

途中で②の寺院のことを聞いた方によると、その寺は他に移転し今はないということでしたが、一応行ってみましょうと崖の上まであがりました。

住宅に上がるよりはなだらかでしたが、階段の数を数えた人によると、60数段もあったようです。

 

②泰真院(たいしんいん)

なんだか普通の住宅のように見えました。

確かに今は使われていない感じがしましたが、手入れはされているよう。

 

赤い階段をおりたこちら↓が正面入り口のよう。 詳しいことは何もわかりません。

 

 

さて、お昼に近くもなってきたので、次は③の神社を目指し、そこで昼食としましょうと歩き始めました。

 

学校(中野木小)の左に階段が見えたので上ってみると公園になっていました。

そこでは少年野球の親子が、餅つきをやっていました。

 

たまたま通りかかった女性はこの公園一帯にあるURや民間マンションの総代表をしているという方で、お昼を食べるならこの自治会館を使っていいと言ってくださったのでした。

 

さむ~い、さむ~い日でしたので、なんとうれしいお声を頂いたことでしょう・・・。

遠慮なく使わせていただきました。 おかげでポカポカの暖かい部屋でお弁当を食べることができ、心もほっこり温まったのです!

 

寒いこともあって午後の歩きは無しで駅に向かうことにしました。

近くの歩道脇の小さな公園にベンチがあり、そこでお菓子交換をし、通りがかりの方に集合写真も撮っていただきました。

駅の近くまで来てお茶をし、3:30ころには解散、それぞれ帰途につきました。

 

  ~  ~  ・・  ~  ~  ・・  ~  ~  ・  ・~  ~  ・・  ~  ~

(ここから下は14ポイントに直していないので文字が小さいままです)

 

 今日はまた文字の具合がおかしくなりました。

投稿画面で書いているときは12ポイントでちょうどいい大きさなのに、公開するとこの小さいサイズになります。

仕方ないので14ポインにしたのですが、そうすると、こんどは以前のブログよりずいぶん大きな文字となりサイズが合いません。 

TEXTエディターになってしまってからホントにいろいろなことが起こっています。

 

 

 


21度目のネパール 11日目 サンガ散策/12日目帰国

2019-12-19 11:47:05 | ネパール

 2019.12.5(木) 11日目 

今日はネパール最終日。 

夜8:00には銀杏旅館を出て空港に送ってもらえるようアシスくんにお願いしました。

 

フランソワーズ、エディさんとも今日でお別れ、昼すぎまでサンガの町を散策しようということになりました。 

 

ひとりではなかなか思いつかないことですが

サンガはラプシという木の実でつくるお菓子(ラプシ・キャンディーとして有名)の一大生産地で、今が製造の真盛り。 その工場見学をしようと山をおりました。

工場といっても家内工業のような感じなのですが、今は乾季で雨が降らないので作ったお菓子を天日干しするのにちょうどいい季節のようです。

フランソワーズ、エディさんの二人ともこれらのおかしは苦手で食べられません。私は全種類を食べたわけではありませんが、けっこうおいしいと思って食べられます。

 

    これがそのお菓子のもととなるラプシの実。

    

これを梅干のように?何かで漬け込んでから天日で干して砂糖をまぶす・・ とか、種を取り除いてどろどろっとしたものに味をつけたり、薄く延ばして乾燥させて食べやすい大きさにカットして袋詰めするとか・・・ 

できるお菓子の種類はものすごくたくさんあるようです。 

             

エディさんはぜんぜん遠慮のない人で、どんどん工場に入り込んで行っちゃいます。 

 

熨したものを天日干ししているところ。

これは漬けた実(種つき)を丸のまま干しているところ。

 

干したあと砂糖をまぶす作業。

 

バス通りをはさんで反対側に行きます。 シヴァ神像のある方面です。

こちらには町の中心となる寺院があります。

近くにも小さな寺院

            

     住宅の壁にも神さまが嵌め込まれています。

      

 

          

 こちら側のもう一軒の工場にも行ってみました。

先頭はエディさん、勝手にぐんぐん入っていきます。ご主人とは英語で話します。

 

ここでは又べつのお菓子に仕上げていました。 袋入りをいくつか頂いてしまいました。(みんな私のもの!)

 

近くのお店にはたくさんのラプシのお菓子。とろとろっとしたものはどうやって売られるのかな?食べ方は? 聞くのを忘れました~。

 

この先に行くと、銀杏旅館から見える大きなシヴァ神像のあるところです。

途中の景色も楽しんで歩きます。 からし菜(ラーヨコサーグ)の

シヴァ神像の敷地内に新しくなにか建築中。

 

ポインセチアも野生?大きく育っています。

シヴァ神像の近くまでやってきましたが・・

登り道がでこぼこの整備されていない山道。 フランソワーズは足を怪我して手術をしているので、上りは良いのですが下りが危ないとのこと。

フランソワーズとエディさんは前に一度、私は二度、上にあがって中に入ったこともあるので、今日はでこぼこ道をあがるのはやめて、先の寺院のあったところまで戻ることにしました。

 

まだお昼には早いのですが、フランソワーズとエディさんがバクタプルに行った時に食べた串に刺さったフライドポテト(どんなもの?)がおいしかったので、機械を見せてもらったり作る課程も見せて頂いて食べることにしました。

見かけた写真はこれ、右の上から2番目のものですが写真ではよくわかりませんね。 Potato Tornade(ポテト トルネード)と いうもの。 

 

 

用意するもの ジャガイモと串

     生のジャガイモに串をさすのが大変そうでした・・・。

     

専用のカッターでくるくるまわすと、つながったままで薄くスライスできる・・・                    

     つながっているポテトを一枚づつ幅を広げます。

       

   揚げる前にも味付けが必要のよう。(小麦粉+マヨネーズ+香辛料)

       

        専用の油鍋

        

こんな風に仕上がりました;ピンクのソース(マヨネーズ+何だったかな)を付けて食べる。

バクタプルで食べたものはもっとおいしかったそうで、今日のはちょっと揚げすぎだそう、              

      

  お昼はコーラとこれだけ! (お値段忘れました)

 

    ~  ~  ・・  ~  ~  ・・  ~  ~  ・・  ~  ~ 

なぜこんなに熱心に見せて頂いたかというと・・・

フランソワーズとエディさんは、ポカラに住むサビナちゃんというすごーく貧しい子(と言ってもこどものいるシングルマザー)の支援をしているので、その子の仕事にいいかもしれないと思ったのだそう。

そんなことで、あのカットする機械の値段なども教えて頂きました。 ポカラで2ヶ月も過ごしてからカトマンドゥに来たので今年はもうポカラには行かないと思いますが、来年、どうなっているかな?

油で揚げるための設備や場所もないといけないし・・・。 本格的にやるにはもう少し検討が必要かもしれません。 それと揚げ具合の研究もしないといけませんね。

    ~  ~  ・・  ~  ~  ・・  ~  ~  ・・  ~  ~    

 

次に向かったのは銀杏旅館の長女ミナちゃんが始めたというフェルト工場。

 

途中にあった製粉所も遠慮なく覗きました。 

 

粉が舞っています。

       きれいな粉に仕上がりましたよ。

       

私が子供のころ、おばあちゃんに連れられて農協のレンガの工場のようなところでこのような光景一度だけ見た記憶がよみがえりました。

 

エディさんが覚えていたミナちゃんのフェルト工場は一室を借りているだけのところ。

部屋の中

                    

        

 

3人の女性たちが外で仕事をしていました。

   

         

この工場を見ながら考えました。

余程の数が売れないことには商売として成り立たないのではないだろうか?と。

カトマンドゥの街中にはこの手のフェルトを扱ったお店はたくさんあるけれど、それほど売れているようには見えないので心配になります。

 

ブーゲンビリアもまだまだ咲いています。

 

遠くに車の見えるところがアルニコハイウェイ。 ここを横切って左の山をあがって銀杏旅館まで戻ります。

 

いつものように山を上がるので汗をかきますがシャワーをするにはちょうどよいのです。 今日の洗濯はなし。 日本に持ち帰ってしますので。 

今日もおいしいお茶を入れて頂きました。 

このあと荷物の整理。 夕食は7:00、出発の8:00まで十分時間があります。

 

今回の失敗?(というほどでもないのですが・・・。)

空港に向かうのにパンネくんの車はまだ直っていないので、アシスくんの知り合いに夜8時に迎えに来ていただいたのはよかったのですが、山を下りるとすごいトラックの列。 こちらの車が入り込む余地がなくドライバーさんも苦労していました。

やっと入り込んでも車がソロリソロリしか進みません。 

法律が変り、昼間、トラックはカトマンドゥ市内に入れなくなったとのこと。

夜8:00まではバネパで待機、8:00になるといっせいにカトマンドゥを目指して出発するのでこんな状況になるそうです。

アシスくんもここまでは気がつかなかったよう、ありゃりゃのできごと。 

途中だんだん心配になりましたが、なんとか間に合いました。 次回から7:30分に出れば心配なし・・・のできごとでした。

 

飛行機は少し遅れての出発だったような。

 

 2019.12.6(金) 12日目

乗り継ぎのクアラルンプールに着いた時はもう日にちが変っています。

クアラルンプールでは4時間もあるので空いているベンチを見つけて1時間ほど寝みました。

出発は30分遅れ。 でも心配はありません。もう乗り継ぎの心配することはなく日本に帰るだけですから。

 

成田にはほぼ定刻の17:45に着きましたが、駐機場の?空きがないとかで飛行機の中で1時間も待ちました。 この経験も21度目にして初めてのこと。

家には夜の7:30頃着く予定でしたが、9:00になりました。

それでも無事に帰ってこられたので、めでたしめでたしです。

   ~  ~  ・・  ~  ~  ・・  ~  ~  ・・  ~  ~  ・・  ~  ~

今回ラムチェ村に行っていろいろなところを見てまわり、フランソワーズは、一番はコミュニテイハウスが必要ねと言いましたが、私はず~~っと以前から、ラムチェ村ばかり支援する人が多いのはどんなものかと思っていたので、あまり乗り気になれませんでした。

が、ちょんまげ隊がなんとか・・・と声を上げてくれましたのでその件はおまかせしようと思います。

今回の旅ではフランソワーズたちのように、サビナちゃんのような支援したいと思う人とはめぐり合えてないのでまだこれからも考えながら、探しながらのネパール訪問となりそうです。

ボランティアと言っても、私の場合一人で、のんびりとネパールという国や人とのつながりを楽しませて頂きながらやっていきたいと思うのであわてずに探しの旅を続けようと思っています。

    ~  ~  ・・  ~  ~  ・・  ~~  ・・  ~  ~  ・・  ~  ~

これで今回の報告を終わります。

 


21度目のネパール 10日目 ちょんまげ隊と障害者施設へ

2019-12-17 12:09:19 | ネパール

  2019.12.4(水) ちょんまげ隊と障害者施設へ

 

昨夜ちょんまげ隊の方々10人が銀杏旅館にいらっしゃいましたので、今朝は早くからとてもにぎやかです。

 

大勢なので朝食は屋上で摂ることになりました。 英語が得意な方々ばかりでフランソワーズやエディさんともホントに楽しんで話してくださいました。

 

左がちょんまげ隊長です。 いつものスタイル。

 

 

フランソワーズ(手だけ見える)もノリノリ。 

  

最後はこんなことも! それはそれはおかしかったです。フランソワーズってこんな人なんですよ。

 そのうちダンスまで始まりましたからね。

 

会話も楽しくはずんで、

ちょんまげ隊が今日訪問するという障害者施設にフランソワーズやエディさんも行くことにいつのまにか話がまとまっていました。 

私もきのうお誘いをうけたのですが、今日私はもういちどだけカトマンドゥに出ようと思っていたので、お断りをしていたのですが、フランソワーズたちが行くならと急遽予定を変更して私もその障害者施設の訪問をさせて頂くことにしました。

 

私たち3人は皆さんと一緒の車には乗り切れないので、バスで行くことに・・・。

場所はこのところ何度も話に出てきたバネパの町の少し手前だそう。 エディさんがアシスくんからバス停の名などを詳しく聞いていたのでおまかせ。

 

バスは予定の停留所でうまく降りられました。 アシスくんたちが車でやってくるはずなのですがなかなか現れません。 きっと今頃シャワーでも始めたのでは? ここはネパールだからネ・・・ なんて言って笑って待ちました。

 

バスを降りたところの小さなお店でキャンディーなどを買っているときにやってきたかわいい子。

 

 

30分もしてアシスくんがやってきました。 

その施設はバス通りの反対側の坂道をあがってじきのところにあるとのこと。

 

施設に着くと先生方から全員にマリーゴールドのブーケを頂きました。(そのときの写真はなく、話し合いの時にたまたまテーブルにあったものが写っていました。ピントは合っていいませんが。)

               

               

普段は2教室に分かれている子供たち。みんなで迎えてくれました。

 

教室に飾ってあるたくさんの作品を見て↑ ↓、ここはいろいろな人がサポートをしているのではないかと感じました。(数日前のfacebbookでも一人の男性が訪れていたようなのです)

 

 

今回は(も)デザイン会社TAKI工房の方が一緒で、こんなことをしようと考えて準備してくださいました。 さすがデザイン会社の方だけあります。

 

手袋が足りないので、ない人は画用紙に手形を書いてそれに色を塗ったり、絵を描いたりしました。 

 

 

 

みんなと交われない子もいてその子だけ私とお絵かき。(私は後ろのテーブルにあるクレヨンの調達係)

          一生懸命書いた絵がこちら↓

          

うまく描けたとこの顔!

私の写っている写真はちょんまげ隊の隊長ツンさんが 「写真とりますよ」 と言って私のカメラで撮ってくださったものです。 

 

集合写真も撮りました。

 

ちょんまげ隊がたくさん持ってきた洋服がみんなに一枚づつ配られました。

きれいなジャケットを手に入れたこの子はなぜか私になついてくれて・・・。

 

 

そのあと、会議室で話し合いが行われました。

先生はネパール語、、ネパール語⇔日本語通訳はパンネくん、 フランソワーズとエディさんにはネパール語⇔英語はアティットくん(長女ミナちゃんのだんなさん)が通訳してくれました。

 

帰る頃、こどもたちはお昼ご飯を食べていました。 質素な食事は山の学校(メールダラ)も同じだったなあと思いました。

 

 

ちょんまげ隊がここの施設を支援することになったきっかけなど聞けぬまま、あわただしくお別れしてしまいました。 彼らはこれからカトマンドゥに移動して、他の施設にも行くようです。

皆さんホントに精力的に活動なさっていますね。

 

 

私たち3人は、長男パンネくんの車でバネパまで送ってもらい昼食としました。 

 

ピザ屋さんをみつけました。 既に14:00近くではらぺこ。

ピザとアイスクリーム盛り合わせ(私とエディさんはS、フランソワーズはどちらもL)、最後にカプチーノで仕上げ。 

ピザもおいしかったし、今日のカプチーノもおいしかったね・・と。 ざんねんながらその写真もありません。

 

バスパークに行くと、露天がたくさん出ていました。 私とフランソワーズは孫用のジャケットなどを買い求めました。

 

そしてやってきたバスに乗ってサンガまで。 10分ほどなのでらくちんです。 

あとはいつもの山をのぼって銀杏旅館まで。 シャワー、洗濯、 おいしいお茶も頂きました。

 

   


21度目のネパール 9日目 アサブリ寺院 のはずが &・・・

2019-12-17 11:04:48 | ネパール

 2019.12.3(火) アサブリ寺院のはずが &・・・

 

 今日の朝食は、おとといラムチェ村に行き、きのう帰ってきた岐阜の池田さんグループと一緒に、寒いのでコタツで摂りました。

 

岐阜の池田さんグループは今日からバクタプールに移動だそうです。

 

私たち3人は

きのうナモーブッダでけっこう大変な思いをしたので、今日は銀杏旅館から歩いていけるアサブリ寺院くらいにしておこうと10:00ころに出発しました。

少し行ったところから道路拡張工事が始まっていました。 

軽いさんぽ程度とはいえ最初はゆるいのぼりがず~~っと続きます。 少し行ったところで、フランソワーズが 「今日はちょっと腰が痛い」 といい、戻ることになりました。

私も便乗して 「今日は私も休息日とする!」 とフフランソワーズと一緒に戻ることにしました。

エディさんはすご~く寂しそうでしたが一人で行ってくると出かけました。 

 

岐阜の池田さんグループは車の都合でまだ迎えが来ず銀杏旅館に留まっていました。

こどもたちは毎日日記をつけ、日本に戻ったら学校のみんなに報告会をするのだそうです。

 そのうち遊びが始まったので私も仲間に加わってしばらく過ごしました。

 

やがてお昼の時間となり、私とフランソワーズもラーメンを作っていただきました。

 

そうこうしているうちにラスミちゃんが仕事から帰り、エディさんも戻ってきました。

帰ってきたエディさんが言うのには、ずっと道路工事中で、道も悪く眺めもよくなかったとのこと。それでもアサブリ寺院まで行ってきたそうです。

 

やがて池田さんグループのお迎えの車が来てお別れとなりました。

 

みんながいなくなったあと、私は本を読んだり、パズルをしたりして過ごしました。 たまにはこんな日があってもいいとわたしは思っています。 私もぎっくり腰を2回も続けてやっているので無理はしたくない派。

  

  &・・・  

 

夜になると、今度はちょんまげ隊がラムチェ村から帰ってきました。 

私たち3人が一足先に夕食を済ませるあいだにちょんまげ隊の人たちはシャワーをしたり洗濯をしたりして食事時間をずらしました。

 

夜、私が部屋で、目のさめるパズルをしていると、9時ころになってアシスくんが、「ちょんまげ隊のひとたちが一緒に話をしたいと言っている」と迎えにきました。

ちょんまげ隊の隊長のツンさんは3年前に会っていたのと、9月にパンネくんが日本に来て千葉でボランティアをしたときにも会っていたのでよく知っていました。 ・・が、他の9人は・・・ 。 

ところが、9人のうちのお一人はパンネくんが来た時に、朝日新聞のとなりのビルまで送っていき一度だけお会したデザイン会社TAKI工房の方で、もう一人は3年前にちょんまげ隊の一員として見えた時に会っていた方でした。

他の7人がこの日初めてお会いした方々で、紹介して頂きましたが、7人もの顔と名前が一度で覚えられるはずもなく。。。 

・・・で、 

話は、筋田さんと知り合ったきっかけやどんなことをしたか、どれくらいの費用がかかったなどを聞かれたり、ちょんまげ隊の活動のことなどをお聞きしたりして10:30ころまでみんなと一緒に過ごしました。

 

ちょんまげ隊の方々の活動には以前から敬服していますが、なにせ若い人が多く私にはとてもついていけないので一緒の活動はムリと思って遠慮しています。