junjunのはなまる日和&ときどきネパール

日々の暮らしとネパールのことなど・・・。

富士山すそ野ぐるり一周ウォーク 第2回 午後の部

2020-03-05 15:50:43 |  富士山すその一周ウォーク

 2020.3.1(日) 

午後の部は、午前にゴールした花の都公園までバスで戻ってからのスタートです。

 

花の都公園内の溶岩樹型の観察ゾーン

樹形型溶岩とは;

1000数百年前(864?)、富士山噴火で流れ出た溶岩が生木を覆って木は燃えてなくなってしまったけれど周りの↓溶岩が残ったもの。

 

蜂の巣のようになった溶岩など珍しいものも展示してあったのですが写真はどれもピンボケになってしまいました。

     

 

    赤色つらら状溶岩↓ 赤みを帯びた溶岩がツララのように

    下がっているのですが、この写真ではよくわかりませんね。

               

 

これは噴火でこうなったのではなさそうです(ケヤキ)。

 

外には花はまったくないので温室の花を眺めました。

温室内にお雛さまが飾ってありました。

 

見たことのない花や見たことはあっても名前のわからない花がいくつか・・・。名札も付いていましたが、覚えられないので名前は無しで写真だけ並べることにしました。

     

          

          

   黄色いツバキ↓ これは珍しい・・・

  

 

外に出ると、入り口横にこんな木が↓立っていました。

枯れてしまった木の脇から若い枝が伸びているようなのです。

 

 

花の都公園をあとにし、次の目標の山中諏訪神社に向かいます

 

ヤドリギがたくさん目に入るようになりました。

木々の葉の落ちたこの時期だからよく見えたのですね。

この先にウリカエデの並木というのがあったのですが、木肌がホントにウリ坊にそっくりでした。

      

この木からメープルシロップがとれるのだそうですね。

 

まもなく山中諏訪神社到着。

安産の神さまが祀られているということからか拝殿の屋根下の彫り物は赤ちゃんを抱いたものでした。

       

私が写真を撮っていると、講師の先生が手水舎にもありますよと教えてくださいました。

           手水舎の屋根下の彫刻

            

 

祭神は 豊玉姫命(とよたまひめのみこと)

      建御名方命(たけみなかたのみこと) だそうですので二ヶ所に?

 ※ ここでは9月の例大祭のお神輿は女性もかつぐのだそうですよ。

 

隣接して 山中諏訪神社があります。

 ←左におみこしの格納庫。 

三基のうちの一基。とてもきらびやかです。

 

諏訪神社をあとにして次に進みます。

 

山中湖小学校の入り口のお地蔵さま↓ と 双体道祖神↓

  左の愛宕地蔵は江戸時代中期のころ作られたと考えられるが、

  正確な建立は不明とのこと。

    

         右の双体道祖神は↓ 宝暦10年(1760)に建立されたもの。

            村の守り神、子孫繁栄、往来の旅人を守護する神

            として信仰されたそう。

              

 

山中口留番所跡; 旧鎌倉街道の入り鉄砲に出女を防ぐための関所だったところ。

           当時の礎石

          

   ※ 旧鎌倉街道は鎌倉往還と言っていたようです。

その往還にレールを敷き、馬に引かせた馬車が通っていたので馬車道とも言われているそう。 富士吉田~御殿場まで。

 

お旅所; 山中諏訪神社の9月例大祭のとき、お神輿がここで一晩休むところ。

       りっぱな神楽殿もあります。(中ほど右手に)

入り口のところに大きな柏の木がありました。(葉がないと何の木かさっぱり分からないところですが根元に名札がありました。)

 

このあたりでもたくさんのヤドリギが見られました。

 

馬頭観音; 昔は馬が働き手だったためこうしてちゃんと供養したのですね。

 

              

 

この街道を歩いて珍しい家の造りを見ることができました。

茅葺きを一部残して新築したのか改築したのか・・・ 新築したあとで茅を葺いたのか? ほかにもたくさんありそうですが、今日はこの2軒だけを目にしました。

 

歩きの終わりに見えた富士山はまったくの逆光になっていましたが見られただけでウキウキでした。

 

 

   ☆☆ 

マスクはずっとつけていてくださいと言われましたので、メガネが曇ってよく見えず、ピントが合っているのか合っていないのかもよくわからないままシャッターを押していた一日でした。       ☆☆

 

歩き終わりは15:00

ここからバスで近くの温泉に行き、今日の疲れをとって帰ります。15:20~16:20

紅富士の湯です。

 

帰りも石川パーキングでトイレ休憩。17:35~ 15分間。

 

出発地の京成津田沼駅前に着いたのは19:00前だったかもしれません。 

何しろ車も少なく事故もなく道路もスイスイ・・・ 早く帰り着きました。

 

 

 


富士山すそ野ぐるり一周ウォーク 第2回 午前の部

2020-03-04 13:42:15 |  富士山すその一周ウォーク

 2020.3.1(日)

富士山すそ野ぐるり一周ウォークの第2回目に行ってきました。

一昨年の9月に第1回に参加して以来です。

(全17回コースはなくなり今は12回コースしかないそう。ところどころうる抜いてバス移動をしてしまうので歩くところはほぼ同じだそうです)

 

毎日毎日新型コロナのニュースで持ちきりの中、バスの中が心配と思っていましたが、それは無用のことでした。

なぜなら20数名の参加予定がコロナのために大勢の方がキャンセル、たったの4名だけの参加だったのです。(+講師の先生とツアーガイドさんでトータル6名)

なのでバスもかわいいマイクロバスでした(別のところで写したものですが)。

座席も飛び飛びで私の心配は全くの無用。よく中止にならなかったものです。

 

 

京成津田沼7:10分発の予定でしたが早めに出発できました。

 

途中、石川パーキングで休憩20分。

 

相模湖付近で富士山が見えてきました。(バスの中から) 

 

富士急ハイランドのあたりではもっと大きく見えました。 

我が家のベランダから見るのとは大違い!

 

前回歩き終わりの忍野八海近くの駐車場に到着。(9:25)

いつもなら中国からのお客さんの観光バスでいっぱいなのだそうですが今日はガラガラ。

富士山がだんだん雲に隠れ、見えなくなりそう・・・。

 

軽く準備体操をして9:40分ころスタート。

 

第2回の今日は忍野八海~山中湖まで歩きます。

まずは、前回行かなかった忍野八海の8つの池のうちの一つ出口池へ。

ここだけは少し離れたところにあります。

        

10分ほどで到着。(ここも世界遺産のうち)

神社は出口稲荷神社。

池の水はものすごく澄んできれい、マスがたくさん泳いでいます。黒だけでなく金色や白っぽいものまでいろいろ。

湧水がこんこんと湧き出しているところにも案内して頂きました。

 

      近くの花壇には福寿草。(これは園芸種らしいということです)

          

 

上部をバッサリ切られた大きなもみの木のところまで戻ります。 大きな板碑は何の碑だったか・・・

       

 

ここから花の都公園を目指します。

 

途中、りっぱな看板のある浅池がありましたが、これは個人宅の池らしいとのこと。このあたりでは掘れば水が湧き出すのだそうです。

 

 

右側一体に広がる天然記念物だというハリモミ純林の広大な林を見ながら進みます。

 

講師の先生の勧めでハリモミの葉っぱをさわってみると、「いたい!」と思わず声の出てしまうほどチクチクしていました。 名前のとおりのハリのような葉っぱでした。

          

 

ちなみに先に見た大きなもみの木の葉っぱもさわっていましたが、それはまったく痛くありませんでした。

 

 忍野村946とある近くの交差点(上村とあったような)を右(南)に曲がります。

 

もともとハリモミの林だったところに道路を通したようで両側にハリモミ純林が広がっています。

ところどころにマメザクラの木が生えていて(今はまったく枯れ木状態ですが)5月の連休前ならかわいい花が見られるとのこと。

 

コンクリートばかりの道をせっせと歩くだけというのはなんとも味気ないもの、こういうところはバス移動でもいいですね。

普段は3500歩くらいしか歩かないのに、今日のような日は23,000歩超にもなってしまいましたからね。

 

前方に富士山が見えるはずですが、ほとんど雲に隠れています(残念)。

 

 やがて花の都公園に到着。

今、外には花は何もありません。待っていてくれたマイクロバスで昼食地に向かいます。

山中湖畔の海馬(=タツノオトシゴ)というお店。

食事の写真はやっぱり撮り忘れ・・・。 ワカサギや湯豆腐などの昼食でした。

 

食後、湖の畔に行ってみました。

コブハクチョウがゆったり泳いでいます。

最初は集客のために数羽放したものが今では増えすぎて困っているそう。

          

 

ハクチョウの観光船はいつ見てもかわいらしいですけれどね。

 

3/1日にしては気温も高く暖かですが、標高があるせいか(湖面標高982m)寒くはないのですが渡ってくる風はひんやりしています。(午後の部に続く) 

 

       


富士山すそ野ぐるり一周ウォーク 第1回 午後の部

2018-09-09 17:12:29 |  富士山すその一周ウォーク

  2018.9.2(日)

午後の歩きは約2時間です。

道の駅の近くにある富士山ミュージアムに隣接する復元された建物を見学。

御師(おし)の家(旧小佐野家、古図をもとに復元);御師とは富士講の人たちのために、宿泊、案内、祈祷など一切を請け負った神職の人のこと。

↑パンフレットの小さい写真を拡大したのでちょっとボケてます。 ↓玄関 


江戸時代中期の住宅↓

旧武藤家;江戸時代後期に改造されたものを復元



旧宮下家;宝永4年(1701) 当時の部材が残っていたためほとんど江戸時代中期当時のままに復元
 

富士山ミュージアム(やはり白くなってしまい写真はありません)

玄関内にあるミニ富士塚と吉田の火祭りに使う松明(1/2に縮小したもの)だけを見せていただき、展示室は見学しないで裏口へと通り抜けました。

ミニ冨士塚


松明(1/2サイズ)

顔出しパネルは木花開耶姫命らしい・・


富士山ミュージアムから少し行ったところにある滝

鐘山(かねやま)の滝(この写真もちょっと白くなっています)

山中湖で湧いた水が忍野(おしの)を通り、富士五湖地域では桂川と呼ばれる川を下り、この滝を経て相模川につながって行くそうです。

このあと、ほんのちょっとだけ国道138号線に沿って歩きます。


忍野村方面に曲り、少し行ったところから忍野八海方面への森の道→に入りました。


人が一人通れるくらいの自然歩道です。


大きな実だけになったユリ(オオウバユリ)や、葉の上に黒い実のついた花筏などを眺めたり、途中、倒木もあり、またぐ人、くぐる人いろいろでしたがそんなことも楽しんで歩きました。


やがて忍野八海(おしのはっかい)に到着。 

8つの池のうち7つだけまわるのだそう。(一番大きい出口池だけ離れたところにあるのでパス)

先に5つまわり、トイレ休憩20分。

①お釜池:小さなものですが、吸いこまれそうなコバルトブルーが印象的。


②銚子池;平たい形のお銚子がありますが、その丸さに似ている。


③底抜池;こう書いて 底なし池 と読むようです。 私有地内にあり垣根でよく見えず。見たい人は300円払って入場すると、高いところからよく見えるらしいです。

④湧池(わくいけ);忍野八海を代表する池で水中洞窟からの湧水量が豊富だそう。


⑤濁池;みすぼらしい行者が一杯の水を求めたが断られ、池の水が濁ってしまった
という伝説がある。
この池の近くは外国の方も多くおみやげ屋さんもにぎわっています。

↑↓同じ池かも・・・



休憩後2つ。

⑥鏡池:向こう側に富士山が逆さに映るのだとか・・・


⑦菖蒲池:周りにショウブがたくさん生えています。


合計7つの池を見て最後に整理体操をして今日の歩きはおしまい。 3時少し前だったような。

バス乗り場まで歩く途中で見かけたマンホールのふたは忍野村とあります。
       

バスで10分ほどのふじやま温泉に向いました。

1時間の入浴タイム。そのあと30分のミーティング。 これで今日の行事はすべておしまいです。

あとはバスの運転手さんにおまかせで家に帰るだけです。

最後に温泉に入れるこのシリーズはとても人気があるそう。
1回目だけどういうわけかランチはつかないのですが、2回目以降はランチ付き!
 

外に出てよく見ると、ふじやま温泉は富士急ハイランドのホテルとつながっているようでした。


そう、隣は富士急ハイランドだったのです。(以下、写真は走るバスの中から)



温泉近くで見えた近くの山と中腹を流れる雲。


談合坂パーキングと石川パーキングと2回のトイレ休憩。(途中かなり渋滞していたらしい・・)

その後も寝込んでいたら・・ 添乗員さんが、神宮の花火が・・・と教えて下さって目を覚まし、ビルの谷間の花火を見、ライトアップされたレインボーブリッジ、お台場の観覧車、ディズニーシーのホテルなど、夜景を楽しみました。(残念ながら私には夜の写真は全くうまく撮れません)







予定より1時間半ほど遅れて20:30分ころ無事出発地に帰着。 

いつも2kくらいしか歩いていないので8kなんて大丈夫かなぁ・・と心配していましたが(途中、腰に疲れを感じましたが)何とかなりました。

最後に温泉に入ったのが良かったのか当日も翌日も疲れはほとんど感ずることなく済みました!!

   ~  ・  ~  ・  ~  ・  ~  ・  ~

前日(9/1<土>)までは30℃越えの蒸し暑い日が続いていたので、てっきり当日も暑いと決め込み、飲み物も凍らせたものと少し冷たいものと・・ 暑い日用の準備しかしておりませんでした。

前日に夕立があったあとからグッと涼しくなり、当日出かける寸前には上着を一枚余分に持ったりとちょっとあわて、凍った飲み物はそのまま持って出かけました。

でも温泉に入ったあとには凍っていた飲み物もほとんど融けて冷たすぎもせず飲むのに困ることはありませんでした。

天気は、時々ポツポツと雨が来たくらいで、カッパを着たりもしましたが、ほとんど脱いで歩くことができ、暑すぎることなくまずまずの一日。

残念ながら肝心の富士山は見えませんでしたけれどね!


1回目だけが 緑の多いカントリーウォーク的な歩き のようですが、2回目からは車と一緒のアスファルト道路が多いとか・・・。 これは私にはイマイチ・・・ と思うので、のちの参加はどうしようか考え中・・・。 

この手のツアーは並んでサッサと歩かないといけないので、止まってゆっくり写真を撮るというわけにはいかず、ヘタな写真がもっとひどいことになります。

気が向いたら途中数回だけ参加するかも! こんな参加の仕方もOKのようです。



富士山すそ野ぐるり一周ウォーク 第1回 午前の部

2018-09-05 10:29:24 |  富士山すその一周ウォーク

  2018.9.2(日)

富士山のすそ野を17回に分けて月1回歩くという案内が旅行会社から届いたので、どんなものかとその第1回目に参加してみました。(午前の部と午後の部の2回に分けて投稿します。)


JR津田沼駅発7:00、私の乗った京成津田沼駅は7:10分。
(出発地は関東一円、いろいろな場所から日にちを違えてたくさん出ています)

1時間ちょと走り、石川パーキングエリアでトイレ休憩。 

冨士浅間神社(正式名称は北口本宮冨士浅間神社)の近くでバスを下りたのが9:30ころ。 

第1回目の今日は北口本宮冨士浅間神社から忍野八海までの約8Km。ほぼ平坦な道ということです。

二の鳥居からスタート。 扁額(神社の場合は神額という?)の冨士はウ冠でなくワ冠です。上の点は神さまで、見えないところにいるのでここにはいないということだそうです!


年代を感じさせる樹木


参道右手に角行(かくぎょう;富士講を起こした人)の立行石(たちぎょういし)。 角行はこの石の上で爪立ちで血を流しながら30日もの荒行をおこなったとか。


左手に 仁王門礎石 明治の廃仏稀釈により仁王門の礎石だけが残ったそう。


厳かな玉砂利の参道です。


この大鳥居は木造。 木造の鳥居としては日本一だそう。

土台部分だけでもすごく大きい↓      奥に見えるのは隋神門↑↓

鳥居の扁額に 三国第一山 とありましたが、三国とは日本、中国、インドのことで、富士山はその中で一番高い山という意味だそうです。
後で知ったことですが、上の三国で、仏教観で言うところの「世界」を表しているとのことです。

大鳥居前を左右に流れる福地用水(桂川から分水したもの)
上流側


下流側


鳥居の前の狛犬 
           向かって右;阿形(あぎょう)
           

向かって左;吽形(うんぎょう)


日本では狛犬ですが、中国にも顔の形は少々違いましたが似たものがありました。ネパールではシンガ、シンギニという似たものがあります。仏教その他文化的なものがインド、中国からやって来たことを考えるとみんなつながっているということですね。


大鳥居をくぐった先にあるのが隋神門(ずいじんもん)  


門の左右にある像(隋神像のレプリカ?? 背負っている矢の向きが違う)
向かって左 (ピンボケに・・・)


向かって右 (同じく・・)
         

ネットで調べた隋神像(1520年作)はこちら↓のよう。(背に矢のないものやあるもの、弓を持っているものや持っていないものなどいろいろ、どれが本物でどこに所蔵されているのか等はっきりわかりません)


うっすら赤味が見えるこれは2像1対のうちの右側のもののよう。
               
             
      

隋神(ずいじん)は富士山の神さま・木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を守る神だそうです。


   ~  ・  ~  ・  ~  ・  ~  ・  ~  ・  ~

北口本宮冨士浅間神社は、景行天皇40年(110)に日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の折、「富士の神山は北方より登拝せよ」とおっしゃられ、大塚丘(おつかきゅうと読むらしい)というところに祠を建てたのが始りとのこと。

ということで、北に北口本宮冨士浅間神社があり、南にある富士山に登って行くという形になります(下図;上が南、下が北になります)


延暦7年(788)に甲斐守紀豊庭(かいのかみきのとよひろ)が現在の地に神殿を建て、享保18年(1733)に江戸の富士講を率いる村上光清が幣殿、拝殿、神楽殿、手水舎、隋神門を造営したそう。

御祭神は木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)と他にお二人の名が・・・

   ~  ・  ~  ・  ~  ・  ~  ・  ~  ・  ~

拝殿に向かって左手には樹齢1000年の冨士太郎杉

全形はうまくとれず。これでは実際に感じた大きさ・すごさが全く伝わりません。


右手にあるのは夫婦ヒノキ(こちらも同じく)


拝殿屋根下の彫り物


お参りを済ませ、左側から裏手に回りました。

拝殿うしろに見えた本殿。中はよく見えませんが・・。


東宮(とうぐう)↓  屋根の形・・ 反っていて、前側が長くて後ろが短い・・なんという形だったか・・カタツムリの歩きで資料を頂いたのに見つからず。(流れ造り?←こんちょさんがこれでよいと教えてくださいました)


恵比寿社(建物などほとんどが国指定重要文化財に指定されていますが、この像も国指定重要文化財です)


西宮(せいぐう)


西宮(せいぐう)の右に富士登山道吉田口があります↓


諏訪神社 拝殿に向かって右手にあります。こちらの方が古く、もともとあった村社のようとのこと。

吉田の火祭りの時に使われるおみこしが二基展示保管されています。

富士山形のみこし↓



ざっと一回りしましたが準備体操なども含めて約1時間ほどが過ぎました。

(ここでは埼玉から見えたという同じシリーズの団体さん26名と会いました)


このあと、昼食地点の道の駅・富士吉田まで歩きます。 ほんの一部を除きうれしい野道・里道歩きでした。

↓カタツムリ歩行で歩く景色とおんなじです。




少し歩いたところに新屋(あらや)山神社がありましたが、足を止めただけで中には入りませんでした。


道端にはいろいろな花が咲いています。 ↓ツリフネソウ
          







          

マンホールのふたは防火用。


このすぐ近くが 富士吉田・道の駅。 約1時間の歩きでした。 

ここで45分間の昼食休憩(あまりゆっくりはできません)。

朝から、カメラの具合が悪く(技術的なこと?、)画面がほぼ真っ白になってしまうという困った現象がおこりました。 何年も使っていてこんなことは初めてです。 道の駅の写真も何度やってもみんな白くなってしまいました。
ちなみにこんなふう・・・。


第1回目だけは昼食がついていませんので、お弁当を食べる人、吉田のうどんを食べる人、ソフトクリームを食べる人、買い物をする人、それぞれに過ごします。