junjunのはなまる日和&ときどきネパール

日々の暮らしとネパールのことなど・・・。

涼しい一日

2015-08-23 18:19:39 | 花・緑・空・・・鳥など
 2015.8.23(日)

今日は北の窓から南の窓へと涼しい風が吹きぬけ、しのぎやすい1日となりました。

夕方5:45分ころ、ふと北の窓から空を見上げるときれいなうろこ雲が見えました。


他はどうかな? と南のベランダ側にまわってみると西の空はこんな感じ。

下の方が東京方面なのですが、24時間テレビでマラソンの中継中、雨が降っていると放送していました。 この黒い雲が雨を降らせていたのですね。 ここ津田沼方面はずっと晴れていたようでしたが・・・。


このブログを書いているうちに、あのきれいなうろこ雲はなくなり東京方面と同じ黒い雲が迫ってきてしまいました。 そのうち雨がくるのでしょうか? 


先週は月、水、金が娘のところの手伝いの予定でしたが、木曜日の朝早くに 「朝になったら熱があるので応援頼む」 と連絡が入り、木曜も行くことになったので、月、水、木、金と出かけました。

家事はそれほど疲れはしませんが、子供の世話をまる2日は重労働なのでしょうか、土曜日になってから徐々に疲れが出、一日ダウンしてしまいました。

今日、日曜日は回復したのですが、どこにも出かけず一日家で過ごしました。

来週もまた月、水、金と川崎通いの予定なので、ブログに書く情報もなかなか見つかりません。
当分はこんなペースかもっと間遠になるかもしれません。

プランターの雑草

2015-08-14 20:46:52 | ベランダ園芸
 2015.8.14(金)

今年はきゅうりを植えなかったのでプランターが一つ余っていました。

ものの本によると、畑を休ませる年は雑草に地中の悪いものをすべて吸わせ、翌年の作物に備えるとか・・・。

そんなことを読んだので、そのプランターは草の生えるがままにしていました。

ですが、一つ、春に芽が出てきたものを見て「これはクスノキではないかな~」と思ったものがありました。

クスノキ?? 葉をつまんで匂いを嗅いでみると確かにそのようです。 右側にバジルの葉も見えます。


これは松葉ボタンの原種のような・・・ よく見かける松葉ボタンから比べたらなんと小さな花!

手前にはホシツキソウ、奥にはフウセントウワタの茎が見えます。

これは葉がトゲトゲしているのでオニノゲシ?かな・・・と。



最近は川崎通いで疲れる日々を送っているため、家にいられる日でも早起きが出来ず、暑いこともあり散歩にもいかずウダウダと過ごしています。(最小限の買い物はできるだけ歩いて行くようにしています)

そのためブログに書く情報も少なく、こんな雑草の花さえも楽しみに眺めています。

地域の盆踊り

2015-08-09 21:16:25 | 家族の風景(含留守番時)
 2015.8.9(日)

きのうと今日は地域の盆踊りでした。

きのうはカメラを持って出るのを忘れましたので、今日、ベランダから写しました。



我が家にはきのう二女親子3人がやってきて、まだ明るいうちから盆踊りに出かけました。

子供たちは6歳と3歳になり 「櫓の上で踊れば?」 とすすめたのですが踊りませんでした。

夕食は済ませて行ったので特に食べ物や飲み物は欲しがらず、二人とも公園の遊具で少々遊び、屋台のスマートボールすくいがやりたいとそれをしただけで3~40分ほどで家に戻ってきてしまいました。

娘曰く、「この原価は50円くらいじゃないの?」と。 上の子が掬いたかったものが掬えなくて欲しそうにしていたらそれも付けてくれたり、ピカピカと光るものもつけてくれましたが、一人500円で楽しませてもらったのでした。

家に戻って、すくってきたスマートボールやおまけにもらったピカピカ光るものをお風呂に持ち込み、長いこと遊んでいました。

盆踊りにはカメラを持って行くのを忘れましたのでお風呂で遊んでいたところを一枚・・・。


娘の仕事の都合もあり、今日はそのスマートボールを持って喜んで帰って行きました。

葛飾の戦争体験紙芝居

2015-08-02 20:14:47 | ちょこっとお出かけ
 2015.8.2(日)

葛飾昔ばなし研究会の方々による戦争にまつわる紙芝居を見せて頂くためにJR金町駅前にある 「ヴィナシス金町」の読売カルチャーセンターに行ってきました。

一作目は 「コスモスの花はさいたけれど」

1945年8月15日の終戦の一年前に疎開をした子、しなかった子供や家族のお話。 疎開をしなかった子供の家族は不運な目に遭い、終戦後、疎開から戻った友達は疎開をしなかった友達には二度と会えなかったけれどその友達の家にはコスモスの花が咲いていたという内容・・・。


二作目は 「ガラスのうさぎ」

左の方が読み手、右の方は現・会長さん。

当時国民学校6年生だった高木敏子さんという方の体験記を紙芝居にしたものです。

敏子さんは二宮町の親戚の家に疎開し、1945年(S20)3月10日の東京大空襲のあと、ガラス職人だった父と一緒に自宅に戻ってみると、焼け跡からグニャグニャに変形した父の造ったガラスのうさぎが見つかった。 母や2人の妹は行方不明。

お父さんも運悪くその後敏子さんが戻った二宮町の疎開先に行ったときに米軍の機銃掃射に遭い亡くなってしまった。 その後敏子さんは一人残った兄と一緒に暮らし始め、兄の働きで女学校にも行くことが出来た・・ というお話でした。


三作目は 「ゴローのさけび」

当時葛飾区小菅に住んでいた竹内昌三さんが体験したことを紙芝居にしたもの。
飼っていた犬を戦争中に「犬や猫を飼うのは贅沢! 贅沢は敵! 極寒の地で戦っている兵隊さんに毛皮で作った手袋や帽子、服を届けてあげよう」と、犬のゴローを供出させられたというお話。

現在88か7歳という写真の斉藤昭一さん(本人は年は内緒・・と)が読んでくださいました

斉藤さんは初代の葛飾昔ばなしの会の会長さんだった方で、東京で初めて空襲があった終戦の3年前の1942年4/18日のことをよく覚えているということで詳しく話して下さいました。

最後に、

葛飾のお花茶屋には 「高射砲陣地」 というものがあり、その形跡となる写真も見せて頂きました。 
土地の所有者はそれを取り除こうとしたけれどしっかり出来すぎていて取り除くことができず、そのままにして駐車場にしてあるとのことです。


外は暑かったですが、室内は寒いほどで1時間半はあっという間に過ぎました。

知らないことを知ることができた有意義な紙芝居によるお話会でした。 


 ※ 私ごとですが、先週日曜夜から、孫のMIYUUが又熱を出したと連絡が入り、手伝いに行ったのですが、月曜日に病院に連れて行くと 「手足口病」という診断でした。

特にひどかったのが口内の炎症で、飲み物も一口飲んでは痛みがあるらしく泣き出すし、食事はなおさらのこと、ほとんどムリで、豆腐やゼリー、プリンのようなつるんとしたものしか食べられず(たまたま作ったワンタンの皮だけは食べられたのでつゆを薄めて主食代わりに・・)、それでは保育園に預けることができないと、まるまる一週間、ベランダの野菜を枯らしたくないという思いもあり、自宅と娘の家とを行ったり来たりして面倒を見ていました。

朝は4:45に家を出、帰り着くのは夜の10:30ころ・・・ とハードな日々を送っていました。 かなり疲れましたが、きのう、今日とちょっとホッとでき、今日のカルチャーセンターの行事にも参加できたのでした。