junjunのはなまる日和&ときどきネパール

日々の暮らしとネパールのことなど・・・。

12度目のネパール  5.スカイプ交信 ネパール⇔日本の小学生

2013-12-29 18:02:51 | ネパール
2013.11/21(木)~22(金)

マテ村にソーラー発電を寄贈した大須ロータリーさんの計らいで、マテ村の小学生と日本の小学生とでスカイプ交信をしようとしたのですが、残念ながら、事前のテストでマテ村からは電波の状況が悪く交信ができないことがわかりました。

かといってマテ村の子供たちに銀杏旅館まで来てもらうには片道7時間の過酷な旅となるためそれは断念。

それでは・・と、筋田さんが支援するメールダラの小学生・・となったようですが、こちらも通信事情は悪く、検討の末、メールダラの小学生に銀杏旅館まで来てもらい交信をする・・・ということになったようです。 メールダラからでも片道6時間はかかるのです!  なので前日に来てもらって一泊してもらわないといけません。


 スカイプ交信前日 2013.11/21(木)

まだかまだかと私たちが首を長くして待つなか、日も暮れかけた4:30分過ぎに13人の子供たちが銀杏旅館に到着しました。(年齢は7歳~11歳)+(付添いの先生2人)  

6時間もかけてたどり着いたというのにけっこう元気。 夕食までの時間、こたつに入っておやつを食べ、ミルクティーを飲み、トイレを済ませたあと、お楽しみの洋服(上下)のプレゼントがありました。

7:00過ぎ ようやく夕食ができました。 いつもみんなが食べているダルバートです。 

これらはミナちゃん、ラスミちゃん、それにちょうど銀杏旅館に来ていたパンネくんのお嫁さん・ウルミラちゃんとパンネくん、サロジくんも加わって準備されたものです。







食べ慣れている物なのでよく食べてくれました。



夕食の後はネパールのダンスを披露してもらったり、国歌を歌ってもらったりして過ごしました。(ダンスは私たちにも踊れ、踊れと言われ苦手な私はギョギョギョでした!!)








ちなみにこどもたちが歌ってくれた国歌は、ネパールの王制がなくなった後(2008か2009年)に作られた新しいものだそうです。 そのため、そのころ学校に在籍した人たちやその後に入学した人は知っていますが、少し上の人はよく知らない人もいるそうです。

子供たちの歌声は澄んだきれいな声でほれぼれするほど! あとで歌詞を教えてもらったのですがその内容も素晴らしいものでした。


そして、9:00ころには布団に入りました。 こんな経験は初めてかな? 寝るのも楽しそうでした。







スカイプ交信当日 2013.11/22(金)

7:00過ぎ、屋上にて朝食。


朝食後、子供たちは屋上から見えた大きなシバ神像まで行き、おでこにティカをつけてもらってきました。 (ネパールでよく見かける赤でなく白いものでした。)  往復で1時間半くらい。 あの山道を登って帰ってきたのです。 それもスカイプ交信の始まる10:15分ぎりぎり・・・ ひやりとしました。 ここはネパール!!



いよいよスカイプ交信の始まりです。

日本側は名古屋の大須小学校の5年生です。

ネパール側にも日本側にもネパール語⇔日本語の通訳がいます。 
ネパール側はミナちゃん、日本側には男性のネパール人です。 (二人とも日本語ペラペラ)

子供たちの挨拶のあと

ネパールの子供たちが国家を歌いました。日本の子供たちも国家を歌ってくれました。
ネパールの子供たちは国歌を歌うときはみんな胸に手をあてて歌います。国を愛している姿が形に現れています。




大須小学校の子供たちは前もって班ごとにネパールのことを勉強し、いろいろな質問を用意してくれました。

ネパールの子供たちがそれに答えたり、ネパールの子供たちからの質問に答えてもらったりしました。





最後にネパールの子供たちはダンスを披露・・・ 自分たちで歌って踊ります。


約1時間の交信。 無事に終了しました。


この後、銀杏旅館の玄関前で記念撮影。 ミナちゃんの着ているのがタマン族の民族衣装です。


ここからまた6時間もかけてメールダラまで帰るので昼食を食べます。 またまた眺めの良い屋上です。



昼食後みんなが遠くを見ています。 どうもヒマラヤを見ているのではなさそう・・・。

なんと、「タイガー」がいるということです。 ですが、ネパールの人は○○○○のことをタイガーと言うそうです!! ニワトリや大きな牛まで襲うそう・・。 さて○○○○とはなんでしょう・・・?


私もみんなの見ている先を見てみました。  いました、いました 確かに「タイガー」というより○○○○のようでした。


1:00すぎ、いよいよお別れです。 ここからこのジープでスクテというところまで行き、つり橋を渡って、向こうで待っているミルク運搬のジープに乗り換えて(もしかしたらミルク運搬のジープでなく歩いて帰ったかも?!)6時間がかりでメールダラの家まで戻るのです。 楽しい思い出になったと思いますが、みんなホントにおつかれさま!!





次回は私たちがメールダラを訪問した時の報告になります。クイズの答えも次回に・・・


 

12度目のネパール  4.マテ村 ソーラー完成式典

2013-12-27 23:00:10 | ネパール
2013.12/14(木)

今日はサンガよりももっともっと奥に入るマテ村の訪問です。

ここは筋田さんが名古屋の大須ロータリークラブから 「電気のない村にソーラー発電を寄付したい」 と依頼され、この地を探し出し、苦労の末ソーラーを取り付けた村です。

あいにくこの日はバンダ(ストライキ)の真っ最中。 大須ロータリーさんの日程変更ができないため、移動にも危険があるということで、特別にPOLICE(3名)のガードを依頼しての訪問となりました。

晴れた乾季にそこに到着するまでの道のりも大変なものでしたが、雨季にそれを取り付けるための資材購入、運搬から取り付けまでの苦難はどれほどのものであったか十分に想像ができました。 特に運搬に関しては・・・! 

なにせ、プロのドライバーもおじけづくような山また山のそのまた奥の山あいの村でしたから・・・。


大須ロータリーの方々は私たちの住むサンガからはだいぶ離れたカトマンドゥに近い所に宿をとったので、朝6:30分にサンガ・ゲートで待ち合わせをしました。


ところが、何があったのか待てど暮らせど一向にあらわれず。なにか早くに出発できない事情があったらしい・・・。

そこでわれわれサンガのイチョウ旅館出発組の筋田さん、パンネくん、ミナちゃんと私は少し先のバネパまで行き、そこで待つことにしました。

バネパは大きな町です。


危険なバンダ中(ストライキ)なので、少しでも早く行き、早くにセレモニーを済ませて早くに帰る予定だったのですが、その予定が出発から大幅に狂ってしまいました。

2時間も遅れて合流。 朝食予定の地点で打ち合わせ。 


かたや、遅れている間に朝食を済ませてしまい、私たちサンガ組はその遅れのせいで、朝食も昼食も抜きになってしまったのでした。(トホホ)

最初のころこそチベットへと続く高速道路(アルニコハイウエイ)を走りましたが、途中からは、川を何度も渡り返し・・・細い山道の上りの続く悪路。

途中でのトイレ休憩は女性には向かない道端。



坂道があがれない!! 

私の乗っていた車(四駆でした)が、ズズズ~ッとあとずさり、肝を冷やしました。 みんな車から降りて車だけで上ることに。



ここはマテ村への難所の一つらしく、マテ村の青年たちが、何人も迎えにきてくれていました。 


ポリスのジープも後ずさりしたらしい・・・



 
一難去ってまた一難・・・ 

その先に進むと・・・ はるか下に見える村がこれから行くマテ村・・と分かると一人のドライバーが 「あんなところまで行けないよ~。」 と駄々をこねだした。 つづら折れと言っても一度では曲がりきれない細い山道となり、何度かハンドルを切りなおさないと進めないのです。 
 


それでもなんとか目的のマテ村の小学校に到着しました。 こんな素晴らしいところです!



村人総出でお出迎え。















そして校庭の隅にこんなりっぱなプレートも作られておりました。



歓迎の花輪が首にかけられました。フルコマッラ(花の首飾り)といいます。 ちなみに結婚式の時に男性がするものはドゥボコマッラ(芝の首飾りといいます)


大須ロータリークラブから子供たちへのプレゼント。


セレモニーが始まりました。


ミナちゃんがタマン語の通訳をしてくれます。



かわいいお嬢さんの歓迎のダンスが披露されました。




村人も一緒に楽しみます。





このあと、盛大なパーティーが行われるはずで、マテ村の方々の準備したお料理などが供される予定でしたが、時間の関係で早々に帰らねばなりませんでした。

村の若い人たちも、あの坂道をちゃんと登っていけるかと心配し、けっこう先まで送ってきてくれました。


筋田さんがソーラーを取り付けるために苦労して通ったことを知っている女性がとても残念がって何度も何度も挨拶をしてくれました。


朝早くから準備をしたマテ村の方々もがっかりされたということをあとで聞きました。



帰りも、山道が心配で心配で怖かったですが、何とか車から降りることなく上り下りすることができました。

行きには撮る状況でなかった川を渡る風景が帰りにはとることができました。

何度渡り返したことでしょう・・・。











この川渡りが終るとまもなくハイウエイに出ます。

そこで車の交換。 私と筋田さん、サロジくん、ポリス一人がジープの荷台に乗りました。





どれくらい走ったのでしょうか・・・

ナモーブッダへの分かれ道という地点のバッティ(茶店)で休憩。 朝から飲まず食わずでここまで来てやっとお茶を一杯飲むことができたのでした。


そしてここから見えたのがこの素晴らしいヒマラヤ・・・・ 夕日に輝く ズガルヒマール だそうです。 これまでの疲れが一気に吹き飛びました。  片道7時間の過酷な旅でした。

12度目のネパール  3.アサブリ寺院

2013-12-25 21:34:50 | ネパール
2013.11/13(水)

ネパールに着いて3日目、銀杏旅館からゆっくり、の~んびり歩いても2~3時間で行ってこられるというアサブリ寺院を訪れました。 案内は長女のミナちゃんと二女のラスミちゃんです。 

銀杏旅館を出て右の方(南)に、この道を上がって行きます。 
銀杏旅館の客は珍しいのか、ご近所さんの目が私たちに向いています。 でもみなさん好意的な感じです。


この辺のトウモロコシはみんなこんなふうに干されます。トウモロコシだってヒマラヤを見て育つのでおいしくなる?!


振り返れば、銀杏旅館からと同じヒマラヤが見えますが、ほんの少ししか違わいなのに見え方が違って又新鮮。 一番左のアンナプルナⅡもよく見えますね。


後ろから地元の女性が追い付いて来てこのあとしばらく一緒に歩きました。 この先(高いところ)に住んでいるとのこと。 野菜を街まで売りに行っての帰りだそうです。 右の女性がその方 左はミナちゃん。 



Y字路に来ました。この大きな木の左を進みます。 帰りは右から戻ります。


少しづつですが、ず~っと上りが続きます。

30分も歩いたところから見えた景色。 わ~お!! 銀杏旅館から見たときに右の方に見えるランタンリルンやガンチェンポでしょうか・・・。 


ネパールでは5000m、6000mの山には特に名前はなく、ただの 「やま」 なんだそうです。おかしいですね。 日本では3668mの富士山や100mの山にだってみんな名前があるのにね。

この少しあとで先の女性とは別れました。 

すると今度は別の男性があとから追いついてきました。 銀杏旅館のご近所さんらしくミナちゃんと親しく話していました。 アサブリ寺院にお参りに行くのだそうです。

 
途中で、「この赤い実は食べられるんだよ」と言って採ってくださいました。 見ると、日本でもよく見かけるガマズミでした。 日本では見かけても食べてみようなんて思いもしませんでしたが口に入れるとほのかな甘味がありました。


このあとキイチゴも採ってくださいましたが、写真はピンボケで使いものになりませんでした。

この方とはこの後もずっと一緒に歩いて銀杏旅館近くまで帰ってきました。

歩きながら見た景色のすばらしいこと。 これぞ私の趣味のカントリーウォークで見る風景だぁ! ここまでがちょっと息が切れましたけど!! 







黄色く咲いているのは「からし菜」です。(ネパール語でラーヨコサーグ『からしの野菜』という意味)



1時間半も歩いたでしょうか。

早稲田大学の学生さん支援で建てられた学校がありました。 ここまでは車が入ってこられるようですが結構苦労もあったようです。


アサブリ寺院が見えてきました。


寺院手前の茶店で一休み


アサブリ寺院はホントに小さな寺院ですが、特別な日にはたくさんのお参りの人が訪れます。 その日はバイクや歩きの人など、続々とこのアサブリ寺院に向かう光景が見られます。

こんな小さな建物なのですよ。




寺院入口のシェプ。(想像上の動物で寺を守っている) シェプの食べ物は蛇です。 スワヤンブナート寺院の『空』を表すサンティプールという場所にもありました。


寺院前にはたくさんの石像が・・・。




聖牛・ナンディはシヴァの乗り物です。 なんだか親子でいるみたい・・・。


これはガネシュと母親のパールヴァティでしょうか?

みんんなどこかで見たことのあるものです。

ミナちゃんと途中で会った方とラスミちゃんも一緒にお参りをしました。



ヒンドゥー教寺院のすぐ近くには仏教寺院があります。 どちらかというとヒンドゥー教寺院のほうが慕われているように感じました。




サンスクリット語で書かれているというとても古そうな石版がありました。


お参り後昼食。 これが私の食べたもの。 マメのおかずは辛かったけれどおいしかったです。



帰りは別の道を通って帰ることにしました。
 
少し高いところに上がって下をみると・・・

川で洗濯をしている人がいました。


こんなところからもちょこっとヒマラヤが見えたり・・・ 左右の山の上にも家があります。



途中でラスミちゃんが木の実を見つけてその実を拾い始めました。 

ラプシの木(かなり大きな木)です。


これが実ですが、センダンの実みたいでよくわからないですね。センダンの実をずっと大きくしたようなものです。


そこでネットで調べてみるとその実の大きく写したものがありましたのでちょっと拝借しました。 大きさは中くらいの梅の実くらいでしょうか・・・(直径5~6㎝くらいで少々楕円)


ラスミちゃんと、同行の男性とでけっこうたくさん拾いました。 そのまま食べても酸っぱいフルーツとして食べられましたが、後日それが他の物と一緒に漬けられた漬物になって食卓にあがりました。


ラプシの実で作る“ラプシキャンディー”は素朴な味のするお菓子で、私のお気に入りとなりました。2種ともラプシのお菓子。甘いものです。 辛い物もありますのでご注意を。

皮もそのままお菓子になるのでゴミが入っているようにも見えることもありますがそうではありません。

ラプシの種はこれ。 実に対してかなり大きく2㎝くらいあります。


少し歩いているとカンパニュラに似た花が・・・。でも・・こんな実が?


こんな花も・・ 名前はわかりません。


シソ科の花(紫)とからし菜。 (どこにピントが合っちゃったの!!)


この実は? と思いましたら、先ほどのラプシの実を写していた山小屋さん(所沢在住の方)がワルナスビと書いていました。 花は知っていましたが、実だけではわかりませんでした。


その先にあったのが、今が盛りのヒマラヤ桜です。これまでにもあちこちで見かけましたが、遠すぎたりでうまく写真に撮れませんでした。


少しズームしてみました。 ヒマラヤにヒマラヤ桜・・・ よく似合いますね~。 カトマンドゥのようにホコリをかぶっていないのがいいですね。



近くで写してみると・・


やっぱりきれい・・



こんな花々を眺めながら歩いていたら、見覚えのある場所に出ました。



ここまでくればもう銀杏旅館はすぐそこです。



2~3時間のはずが、なんと4時間半もかけての歩きになりましたが、ステキなカントリーウォークでした。



12度目のネパール  2.銀杏旅館のご近所さん

2013-12-23 10:43:57 | ネパール
2013.11/11~12/10日までの訪問でお見かけした銀杏旅館のご近所さんや風景などをご紹介致します。

ネパールの練炭は・・・

ネパールの練炭は石炭からできているのではなく炭でできているそうです。 一酸化炭素中毒になることはないかわり、一個の練炭の持ちは長くはなく、3時間くらいで燃え尽きてだんだんと冷えてきます。

練炭がぬるくなるのを合図に夜の8時(遅くても9時ころ)には部屋に戻り、体が冷えないうちにと早く寝るので朝は早くに目が覚めていました。(4時とか5時)

でも早く起きても寒いのでついつい明るくなるまでベッドにもぐっているのですが、ネパールの人々(特に女性)は暗いうちから起き出し外で仕事を始めます。

その音で起き出して外を見たりするのですが、まだ暗いので写真は撮れません。

そんななかの一枚がこれ。 “ハイ、チーズ”というわけにはいかないのでブレブレですが・・・

マキを割っている音でした。



このマキ割りの音のない日には、筋田さんが話していた「会話をするような小鳥のさえずり」が聞こえます。 

ほんの短い時間ですが確かに「会話しているような・・・」 
「もうすぐ明るくなりますよ、そろそろ起きませんか」とでも言っているのでしょうか?

これは明るくなる寸前の6:15~20分ころ。 どんな鳥なのか全く姿は見ることはできませんでした!


明るくなるといろいろなご近所さんが見え出します。
 

銀杏旅館の前に一本の大きな木があります。 名前は “ラックリ” だそうです。 (私の見たところ 日本名「シデ」・・・ 葉の散る様子ですぐにそれとわかりました。) 

かつてここにチョウタラ(休息所)を作るという話で揉めたということですが、今は銀杏旅館から出た石を積み上げて座れるようにしたことで解決済みだそうです。木の根元がそれ。



ミルク出荷風景

毎朝、この木の下で行われる風景です。 

銀杏旅館前の商店主さんが取り仕切っているよう・・(銀杏旅館の屋上から撮ったもの)






持ってこられたミルクは、ちゃんと濃度が測られます。それによって値段に差があるのでしょうか? それとも出荷できない? 聞くのを忘れました!


銀杏旅館のラスミちゃんはいつもここでミルクを買ってきてくれ、おいしいミルクティーを作ってくれました。

ポットにいっぱい作ってくれますので好きなときにいつでも飲むことができます。


筋田さんがおいしそうに食べていたこのおかしは? 「ドゥングロ」というそうです。軽くておいしい。 


ヒマラヤを見ながら食べるこのお菓子に甘いミルクティー なんともいえないねぇ!



銀杏旅館の2F屋上から見えるお隣さんでは・・・

やはり屋上で(1Fの)、大根をたくさん、たくさん薄切りにしていました。
何をしているの?と聞くと 「アチャールを作る」 とのこと。 


アチャールはちょっと酸味のある「漬物」です。 ネパールの食事にはなくてなならないもの。おいしいですよ!

これはラスミちゃんが漬け込んだアチャール。いろいろなものが入っています! (断りなしに写真に撮ってきました。)



ちょっと先の家ではトウモロコシの実をはずす作業が行われていました。

男性が高く積んである束の上に乗って一つづつ落として行きます。

そのあとご近所さん総出で実をはずしていくのだそうです。

この数日前、ここのお宅の庭ではチャン作りも行われていました。 聞くところによると、近々結婚式が行われるそう・・・。 なるほど!





布団を作っている風景にもあいました。

インドから来た人が作っているということです。 カトマンドゥで見かけた布団を作っていた方もインドから来ていました。 一年後に写真を届けたらインドに帰ってしまったあとだったことを思い出しました。



こちらでは家の新築が・・・。 

壁の厚みが50㎝くらいありそうなので、これがホントのネパール式の壁の作り方のようでは? と思って写真に撮らせていただきました。
 


銀杏旅館のすぐ前にバッティ(茶店)があります。 

ある日の午後、筋田さんに誘われお茶を飲みにいきました。 このときはメールダラへご一緒するピアニストの池田大介さんも一緒でした。


お茶を飲んでいるとそこに学校帰りの小学生がお菓子を買いにきました。(手に持っている新聞紙に乗ったものがそれ。トランプ付き?! これはどうもスプーン代わりのよう)


私たちも同じものを食べようとすぐに注文・・ それがこれ。「チャッ(ト)パティ」という物で少々辛い・・・


先に食べたこれは辛くはなく誰にでも食べられるもの。 名前は「ダルモット」 これに「ブジヤー」というお米のはぜたものを混ぜるといいらしい・・・ と後日行ったときに教えて頂きました。



また別の日、銀杏旅館の屋上で・・・

グレープフルーツ(ルビー)のお化け??のような果物。 「ボコテ」というそうです。 


水分は少なくそのままでもおいしいのですが・・・ヨーグルト+ 砂糖たっぷり・・で食べるのがネパール風らしい。 


食べたあとは・・・ こんな帽子に早変わり。 右・長男パnネくん。



満月の夜もありました。 きれいというより 「美しい・・」 がぴったり。




部屋にはちょっとも動かないこんな友達も・・・。




12度目のネパール  1.銀杏旅館

2013-12-22 23:15:38 | ネパール
2013.11/11~12/11日まで12度目のネパール訪問をしてまいりました。

今回はたまたまTVで拝見した 「筋田雅則さん」 という方の仕事を拝見させて頂くのが目的でした。

筋田さんは長年ネパールでトレッキングなどをし、お世話になったネパールに恩返しをしたいとネパールに住み、ネパールの貧しい子供たちの支援をしている方です。

筋田さんのブログを2度3度と読ませて頂き 「この人なら私の思いを託せるかもしれない」 と思ったのが訪問のきっかけでした。

それは 「ネパールでは支援をしようとすると、支援金の半分が地元の有力者やガイド、その他に行ってしまうのが現実、そんなことのないよう100%子供たちのために使われるように心を砕いている」 と書いてあったからです。

私もこの6年、支援を考えながらその場所や協力者などを探してきたなかで、うすうす同じことを感じ、それだけは避けたいと思っていたところでしたのでその考えにはピンとくるものがありました。

さっそくメールで連絡をとり、夏に日本に戻られた折、初めてお目にかかる機会を得たのでした。

そして今回の訪問となりました。


今回は

1.筋田さんの住まい(銀杏旅館)や同居しているネパール人の子供たちのこと
(ホントの子供ではありませんがホントの子供と同じように生活しています)。 

2.ご近所さんのこと。

3.アサブリ寺院を尋ねたときのこと。

4.大須ロータリークラブの依頼を受けて電機のない村にソーラーを取り付けたあとの完成式典に行ったときのこと。

5.日本の小学生とネパールの小学生のスカイプ交信のときのこと。

6.メールダラの小学校訪問をした時のこと。

7.ポカラの施設見学。

8.大きなシバ神像まで行った時のこと

9.フルバリグンバに行ったときのこと。

10.誕生日サプライズのことなど。  に分けて書いてみようと思います。




まずは筋田さんの住まいのこと。 

最初はカトマンドゥでボランティア拠点としての 「銀杏旅館 」を始めました。
ですが、立ち退きを迫られ、今の地 「サンガ」 に同じ名前の 「銀杏旅館」 を作り、ボランティアの拠点にしています。

「なぜ銀杏旅館という名前に?」 と聞くと 「うん、ただなんとなくね」 とあっさりした答えで拍子抜け・・・。

銀杏旅館ができるまでの苦労話は筋田さんのブログ 「ネパール通信」に詳しく書いてあります。
http://nepalnepal.blog25.fc2.com/ です。

カトマンドゥから バネパ、ドゥリケル行きバスで50分ほど。 「サンガ」 で下りてちょっとした登山をして銀杏旅館にたどりつきます。

登り始めは商店の横から・・


最初は元気・・・ でも5分でハアハア・ゼイゼイ もう一休み。


だいぶ上がったところで下の街を見おろすと・・・。 まあきれい!


子供たちにもどんどん追い越されてしまいます。みんな先に行っていって… で又一休み。


腰を上げ、先へと進まねば家にたどりつけない・・・


やっと頂上に着き下を見下ろしたところ。( 実際にはまだこの先に道はいくらでも続きますが、とりあえず銀杏旅館はこのすぐ先)


登りきったところに、このヒマラヤの見える高級分譲住宅があります。(少し歩いてから振り返ったところ。)


そしてティハールのこんな飾りがまだ残っていて私の目を楽しませてくれるし・・・



ここまでくればもう家に着いたも同然。 ホッとしたものです。


私は滞在中10回くらい上がり下りをしました。 3回目くらいからだんだんに体は軽くなり、最初は休み休みで30分もかけないととても登れなかったものですが、慣れてくると20分で上れるようになりました。

そんな ’チョット登山’ をした高いところにある銀杏旅館です。(でも心配はいりません。タクシーやジープは門前まで上がってくれますので)


筋田さんと同居しているネパール人の子供たち4人。

右から 筋田さん パ(ン)ネくん(長男) サロジくん(次男) ミナちゃん(長女) ラスミちゃん(二女) 三男のアシスくんはまだ小さいのでご両親の住むラムチェ村です。

ミナちゃん、パ(ン)ネくんは筋田さんの片腕として働き、サロジくんはまだ学校に通っています。 3人とも、旅のプランから宿、車の手配、トレッキングガイドまでなんでもこなします。 ラスミちゃんは今度のSLC(国家試験)のために家で勉強中。 でも、姉のミナちゃんが通訳ガイドとして長いこと家を空けたりした時などは、食事作り等すべててやってくれました。 みんな筋田さんの強力な協力者です。


正面門扉と筋田さん


建物正面(奥に長いので全景はむずかしく・・・)


入口と銀杏のモチーフ


中はこんなふうになっています。 大きなこたつが2つ。ここで食事をしたり打ち合わせをしたりします。


2階客室。階段は屋上へとつながっています。


筋田さんの部屋のベランダ


朝一番のお茶、朝食はいつも屋上でいただきました。



その屋上から見えるヒマラヤです!!

朝陽のあたるヒマラヤ  左端にうっすらと見えるのがアンナプルナⅡ その右に陽のあたっているのがヒマルチュリ 右の方がガネシュヒマールだそうです。 

さらにこの右にランタンリルンやガンチェンポ、ドルジェラクパが見えます。


少しズームしてみると・・・ 左から順に

アンナプルナⅡ(かなり距離が離れているので天気の良い日でもうっすらとしかみえません)


三つあるとんがりの真ん中がヒマルチュリで 右がマナスルだそうです。(距離が遠いので低く見えるけれど8163mの山)


ガネシュヒマール


私の部屋のドアを開けると正面にいつもガネシュヒマールがありました。


その右に見えるランタンリルンとガンチェンポ(これは夕日かな?)


朝霧のあがってくる風景 (右の方から左に向かって進んできます)

こんな現象を “放射霧” というのだそうですね。1年後の(2014)秋の天気予報で知りました。

霧でいつものシバ神像付近が浮き島のようになってしまいました。



屋上、東側にまわってみれば・・・・

ちょうど朝日が昇るところです。 サンガの街はこの雲海の下です。



毎日毎日こんな素晴らしい景色が見られます!

でも後半の一週間ほどは雲が多くヒマラヤもあまりはっきりと見えませんでした。 運が悪いとヒマラヤが全く見えないこともあるようです。