junjunのはなまる日和&ときどきネパール

日々の暮らしとネパールのことなど・・・。

いい出会いを求めての旅は続く &ヴィソバサキャンパス

2010-10-28 18:10:13 | ネパール
 前回までのブログでとりあえず2007年~2009年の6回の訪問をまとめた「ネパール紹介」を終わりと致します。


 今、私はネパール語の勉強を楽しくやっています。 日本での先生は多くの方がご存じかもしれない ’ネパールの花嫁’や ’スルジェ館物語’を書かれた平尾和雄さんです。

 ネパールでネパール語の勉強を始め、日本に帰ってからも続けたいとインターネットで調べ、いくつかの候補を書き出しました。 

 どの先生にしようかと考えている時、偶然にもその中にディネシュさんの隣の家の人だという先生がいました。 日本にいる数あるネパール人の中で何と奇遇なことでしょう。 その方はどちらかというと私の近く、千葉県の松戸にお住まいでした。

 ですが、話をしているとディネシュさんは平尾先生のことも知っていました。 平尾先生のお宅は我が家から2時間もかかるところなのでどうしようかと思案していたところに、ディネシュさんがわざわざ友人・ラヴィさん(平尾先生の奥さまのガイドさんでした)から、奥さまのケータイ番号を聞きだしてくれたのです。

 申し訳なく思い、平尾先生の奥さまに電話を入れましたら留守電になっていました。 伝言を入れたところ、あとで奥さまからお電話を頂いてしまったのです。 これも何かの縁と他の先生には連絡は取らないまま平尾先生にお世話になることになりました。

 高齢のため、なかなか頭に入らず、覚えの悪い生徒ですが、間違っても怒られることもないし、試験があるわけでもなし、知らない新しいことを覚えられるので楽しいことこの上ありません。


 ちなみにネパールの先生も分かりやすく教えてくれ、初心者の私にはとてもいい先生でした。 12歳のお嬢さんとこんなかわいい小さなお子さんのお母さんでもあります。   
ウルミラ先生とかわいいウットサブくんです。


 約一カ月、お世話になりましたので、最後の日にウルミラ先生、ディネシュさんと私の3人で日本食レストランでお食事をしました。 ブログのブの字も考えてなかった時でしたので写真も撮らずにおしゃべりしながら過ごしました。

 ホテルで出会った方が 「美味しい」 と言っていたので期待して行ったのですが、ちょっと期待はずれでした。 店の構えは大きく立派でしたが、いつも行っていた小さな日本食レストランのほうが感じもよく、味もいいと思いました。 いつかの中国料理と同じ経験をしてしまいました。


 そういえば、いつか私も長期滞在(2年ほど)をして本格的にネパール語の勉強をしたいとトリプヴァン大学のヴィソバサキャンパスの見学にも行きました。

 残念ながらお祭り期間で授業は休みでした。 教室などは見せて頂くことが出来、見学だけして帰りました。


先生・ディネシュさん、生徒・私一人だけの模擬授業。  誰もいないのでこんなことをして楽しんでしまいました。



 そんなこんなで2009.10月(6回目のネパール訪問)の楽しい一カ月はあっという間に過ぎてしまいました。



 私の日本でのネパール語授業の日、私と入れ違いに授業を終えて帰る若い男性がいます。 彼はネパールでも一つの同じ村にしか行かないとか。 たまたまカトマンドゥで知り合った人の生まれ故郷なのだそうです。 きっとそこが気に入ってしまったのでしょう。 

 実は、私もそんな自然な出会いを求めて訪問をしているのですが、まだいい出会いにめぐり合えないでいます。 いつかそんな出会いがあるといいなと思いながらまだまだ私のネパール訪問は続きます。 

 学校建設を・・・と思って始めた訪問ですが、のんびりしている間にもネパールの物価はどんどん上がっていくと思うと気が気ではありません。 もしかしたら、物価が上がり過ぎてレンガの土台くらいしか出来ないのではないかと不安にもなります。 が、あわてても仕方ないと思って過ごしているこのごろです。

 まだまだいい出会いを求めてのネパールの旅は続きます。


 次回、7回目のネパール訪問は2010年11月半ばからの予定です。 同じところを何度も訪れるので新しく紹介できるところがあるのかないのか・・・ まだ細かい予定はたてておらず、あちらに行ってから決めるつもりでいます。


   

6度目のネパール ③ダンプス~ポカラ ~カトマンドゥ

2010-10-26 18:22:56 | ネパール
 2009.10/26


 ダンプス3日目は、ダンプスを下ってカトマンドゥまで帰ります。


 昨夜は隣の部屋にヨーロッパからのご夫婦が泊ったようです。 6:10分前、そのお隣さんの話し声で目が覚めました。

 カーテンを開けるとまだ薄暗い中にヒマラヤがよく見えました。 ところが顔を洗って部屋に戻った時にはもう雲が出て、あれよあれよとヒマラヤを隠してしまいました。 

 カメラを持って外に出ると、オレンジに輝くアンナプルナサウスだけが見えました。


 
 雲の動きとヒマラヤの現れ具合を見ているだけで30分や1時間はすぐに過ぎてしまいます。

 そのうちディネシュさんも起きてきて、知り合いだという隣のホテルの庭に入りこみちゃっかり朝のチヤ (甘ーいミルクティー) など戴いているではありませんか!  ・・で、私も一緒に・・・。

出たり隠れたりするヒマラヤの山々を眺めながら、ディネシュさんと二人で鳥になったりかかしになったりして写真を撮りあい、それを見てはまた大笑い。


 そんなことをしていたら朝食も遅くなり、8:30分には出ようと言っていたのが9:00になってしまいました。

 登りではヒマラヤの山が見えたのか見えなかったのか考える余裕もありませんでしたが帰りはまあ良く見えること・・・。 この写真の右下にちょっと見えるのがベルギーのご夫婦が寄付をして建て替えられたという新しい学校です。 グラウンドからもヒマラヤの眺めが素晴らしいのです。


授業風景をチョッと見学させて頂きました。 日本語で挨拶する子がいてびっくり。 私も覚えたてのネパール語でお礼を・・・。 


日々の暮らしがヒマラヤと一緒なんですねー。


ここのお祭りの縄にはマリーゴールドと赤・白の布が綯えこまれています。


昨日見たあずまやは藁だけの屋根でしたがこれは竹で編んだカバー付き。 ちょっとしゃれています。 ここも茶店のようですがごく普通の家に見えます。


 下りは途中で一度だけ休憩。 登るときに休んだところでした。

上りのポーターさんが後からくるお客さまを待っていました。 敷石の様子がよくわかりますね。
 


街に出る若い人の服装。 


街から戻ってきたチョッと年上の女性の服装。

女性の服装もだんだん上の若い人のようになってしまうのでしょうか? 寂しいですけれど時代の流れで仕方ないかもしれませんが・・・。



 登りに比べれば下りは百倍もラク。 ストックを使ってびゅんびゅん下れます。

アッと言う間にここまで下りてきてしまいました。 登りではここでもうバテバテでしたけど今日はまだ元気いっぱい!


そしてこの日もポカラのチベット難民キャンプから来た二人が店を広げていました。
今日はたくさんのお客さまがいるので私は難なくスルーです。


もうほとんど着いたも同然。ガンジス川に続く川がゆったりと流れていました。


 登りは4時間、下りは2時間半。 下りって何てラクなんでしょう!

 ただし・・・ 下りでは翌日、翌々日もその次の日もふくらはぎが痛んでひどい思いをしました。 若い方といえども同じかもしれませんので、当日しっかりとふくらはぎを揉んでおくことをお勧めいたします。



 ポカラにはあまりにも早く着いてしまったのでポカラで休憩はせず、帰りの飛行機を早めてカトマンドゥに帰ってから昼食を摂ろうということにしました。

 帰りの飛行機では通路の左側に座り、行きと同じヒマラヤを見ながら、幸せな気分で帰ってきました。

ポカラに近いヒマラヤ  


ポカラを発ってまもなくの景色。 山の上まで道路が続いています。 


カトマンドゥ空港の近く。 インド式で建てられた家が目立ちます。

 

 1時過ぎにはカトマンドゥに着き、2泊3日のミニトレッキング体験が終了しました。

 
 ※当時は、もうあの体験は一度でたくさんと思っていましたが、一年たった今、又あそこまで行ってみたいと思うようになっています。 出産の痛みを忘れて又子供が欲しくなるのと一緒かもしれません。 自分でも可笑しいと思います。

 ※このあと2度ほど登りましたよ! 


 


6度目のネパール ②ダンプス~オーストラリアンキャンプ

2010-10-25 16:23:18 | ネパール
 2009.10/25


 昨夜7:00過ぎにフランスからの団体さんが遅れて到着。 なんでもカトマンドゥからの道路が混んでいて大幅に遅れてしまったとか。 先にシャワーする人、体だけ拭く人、洗顔だけの人それぞれの用事を済ませて8時からにぎやかに夕食となりました。 彼らは車でここまで来てしまって、ここからトレッキングを始めるらしい・・・。

 私は部屋の電気が暗過ぎてノートも書けないのでさっさと布団にもぐりこんでしまいました。 


 今朝は6:05分前に目覚めましたが外は雲が多くほとんどヒマラヤは見えません。
ヒマラヤを見に来てヒマラヤが見えないのは寂しいでしょう。 私はきのう、おとといと堪能したので 「まあ見えなくても仕方ない」と我慢できますが・・・

今朝のヒマラヤ  朝日に輝くヒマラヤが白くチョッとだけ見えました。 真ん中の建物が「ホテル・ヤマサクラです。」 一部屋にベッド3台の部屋が8室とベッド1台だけの部屋が1室。




 8:00a.m. 昨夜遅くに着いたフランス人一行はトレッキングに出発です。

ポーターが先発。


続いてトレッカーの出発です。 どこまで行くのか聞きませんでしたが私のように散歩感覚ではなさそうです。


スタイルからして違います。



 このあと時間とともにヒマラヤも姿を現しました。 ・・が雲も出たり消えたりたくさん見えるはずのヒマラヤが一度に全部見えるということはありませんでした。

 私は彼らより少し遅れて、ここから3時間くらい登ったところにある、オーストラリアンキャンプまで往復することにしました。

 8:30分出発。

 昨日ほどの高低差はないようですが今日も行きはゆるやかな登りばかりとのこと。

歩き始めて間もなく上から下って来た人たちに会いました。


見ていたのはこの景色です。   マチャプチャレと右の小さいとんがりがアンナプルナⅣ


ゆるやかとはいえ、ずっと登りばかりですからねー、今日もまたエンヤーコラヤッ の掛け声とともに上がります。

私の楽しみといえば、途中で会う子供たちとあいさつを交わしたり写真を撮らせてもらったり、 (キャンディちょうだいと言われましたが・・)


牛にも話しかけてみたり・・・ ここは得意の日本語で。 わからないとそっぽを向かれてしまいましたけれど。


茶店のご主人ともあいさつを交わし・・

 
花の写真を撮ってみたり・・・ と道草するのが(休憩するのが目的?)なんともいえないのです。


 花の写真と言えば他にもたくさん写したのにどれもピンボケになってしまって残念なのですが、この写真 (ノボタン) などを見て思ったことは、ネパールその他の国で自然に生えている花が日本の園芸店でけっこう売られているということ。 ニュージーランドを旅したときもそう思ったものです。


この道もずっと石が敷き詰められ歩きやすくなっています。 なのでスニーカーでも十分大丈夫。 ただし雨などが降ったらそうはいかないでしょう。


 ここまですでに2時間くらい歩きました。 オーストラリアンキャンプも近いそうです。


 3時間の予定でしたが、途中かなりの道くさをしても2時間半で着きました。 

 11:00到着。 

 オーストラリアンキャンプにはまとまっていくつかの宿があります。 

この時は雲があって遠くの景色は見えませんでした。


少し時間をおいたら雲が切れてヒマラヤが顔をのぞかせてくれました。
 アンナプルナⅣ(小さいとんがり 7525m) と そのすぐ右 アンナプルナⅡ (7937m)がかなり大きく見えます。


お祭りの縄がはられ、マリーゴールドの花が挟み込まれています。



ここで昼食をとってから下山しました。(下山とはちょっとオーバーですが。)

私はあまり食欲がなかったのでスープヌードルを。


ディネシュさんは典型的なネパール料理です。



 12:00過ぎ、下山開始。 帰りは早い、早い・・ 1時間くらいで帰ってきてしまいました。

 行きにも見かけたのですがお祭りの時だけ作られるブランコ。 以前見たものは竹を使っていましたがここでは木で作ってありました。 

子供たちは学校に行っている時間なので座る板ははずされています。 ヒマラヤを眺めながらブランコを漕ぐなんて最高に幸せな子供たちだこと。



 途中で笛を吹く少年に会いました。 とてもいい音色・・・こんなところでこんな笛の音が聞けるなんてうれしい・・・ 私はただ練習をしているだけと思って聞いていたらどうもそうではなさそうでした。 

 私の前を歩いていた人がチップを渡しているのが見えました。 するとディネシュさんも渡しました。

 ふーん・・・ 彼も仕事をしていたのか・・・。



 行きには目に入らなかったこんな風景。  ここはもうホテルの近くです。

これは日本で言う 'あずまや' のようです。 屋根の下がベンチになっています。


トウモロコシの乾燥風景


冬に備えてマキの準備も


この赤い葉っぱも日本の園芸店で見たことがあるような・・・



 1時過ぎにはホテルに戻りました。 私はそのあと休息時間としました。 シャワーを使い、夜は暗過ぎてノートがとれないので昼のうちに済ませようと整理をしているうちに眠くなり、3:00ころ横になったらいつの間にか眠ってしまいました。

 5時過ぎ、目を覚ましたらディネシュさんが隣のホテルにいるのが見えたので私もお邪魔しました。

だんだん暗くなっていく中にヒマラヤが浮かびあがってきました。 

アンナプルナサウス 7219m とそのすぐ右 ヒウンチュリ 6441m  右の方にマチャプチャレが小さく見えます。


 暗くなって間もなく停電になってしまいました。 するとどうでしょう。 暗ーい中にピカーリ ピカーリと光るものが飛び交うではありませんか!  何とホタルが飛んでいたのです。

 ホタルを見たのなんて何十年ぶり? 子供の時以来だったかも!  遠くの山あいの家々にはあかりがついていてその美しいこと。 苦労してここまで登った甲斐があったというもの。

 いくらもしないうちに電気がついてしまいました。 間違って停電になったとのこと。 私にはうれしい間違いでした。

 戴いたコーヒーもおいしかったです!




6度目のネパール ミニミニトレッキング  ①ダンプスまで

2010-10-22 23:44:50 | ネパール
 2009.10/24

 体力のない私には山歩きはムリだろうと、はなからあきらめていました。 ・・が、ある時突然ひらめきました。 「誰かに合わせて急いで登るのでなく、自分のペースで普通の人の2倍、3倍の時間をかければ登ることもできるのではないだろうか」 と。

 そこで、一番距離が短かそうでラクそうなところを選んで体験してみることにしました。

 目標はダンプス。

 ここならばトレッキングシューズでなく普通のスニーカーでも大丈夫ということでした。 

 登り始めのフェディが1220m、ダンプスが1799mということなので 高さにして約580m登ることになります。 アンナプルナ地域のトレッキング地図を見るとたったの100分の1くらいの距離です。 ちゃんとしたトレッキングをする人からみたら笑われてしまいそうです。


 早い人で1時間半、普通の人で3時間くらいということなので私は5~6時間みてもらうことにしました。


 ホテルを8:30分に出発。 登り始めのフェディまで車で40分くらいということでしたが30分足らずで着いてしまいました。

 9:00スタート。 最初の1段目からきつい登りです。 でも普段5階に住む私はこれくらいは全然平気。 最初の15分、20分は楽々でした。

 ところが30分も登りが続くとだんだん怪しくなってきました。 それからもひたすら登るばかりです。 ちょっと登っては休み、ちょっと登っては休みの繰り返し。

 振り返ればこんな景色も見られたはずですが、登りでは写真を撮る余裕などありません。 これは下りに撮ったものです。

  

 大汗をかいて1時間ほど登ったところに休憩ポイントがありました。 ザムネというところ。 事前に頼んでおけばここで作りたての昼食が食べられるようです。 私はダンプスに着いてから昼食予定なのでここでは休憩だけ。

 ポカラのチベット難民キャンプから通ってくるというアクセサリーを売る人が二人、こんなところにも店を広げていました。 私は何も買わないので気の毒に思ってしまいますが。
 

このすぐ上では稲刈りをしていました。 ドレスで・・・ね!


 ここからも登り、登りとただ登るだけ・・・ 何だ坂、こんな坂、 何だ坂、こんな坂と掛け声をかけたり、えんやーこらやー、どっこいじゃんじゃんこーらやと歌ってみたり・・・

 辛い登り道だけれど、救いは時々会うこんな人と挨拶がかわせることです。 ネパール語が話せるようになったらおしゃべりしちゃうぞ・・なんて思いながらこの時はまだ挨拶だけ。


 2時間ほど登ったところで二回目の休憩をとりました。
EVER GREEN RESTAURANNT と書かれていました。 建物はごく普通の家のようです。 通り沿いに四角いテーブルとベンチが用意されており、ほんの少し手を加えて売店風にしてあるので休憩所とわかります。 お茶を頼むと奥の方で作ってきてくれます。


いまはポカラの大学に通っているというお嬢さんが休暇を利用して里帰り中で手伝いをしていました。 彼女がいるところが売店になっています。


 

登山道はきれいに整備されており、登り始めからずっと石が敷き詰められています。 どれほどの歳月をかけてここまで出来たのだろうかと考えながらがんばりました。


 この先もひたすらエンヤーコラヤー♪ ドッコイジャンジャンコーラヤー♪ の掛け声とともに登りました。


さらに上のレストランの近くで会った姉妹。 ここでは休憩はしませんでしたが・・


到着した時間から逆算して目的地まであと30分というところで、この近くに住む子供たちがこんなプレゼントをしてくれました。 マリーゴールドの花びらをつなげて作った花輪です。


ここまでほんとに苦労して登ってきましたので、うれしくて、うれしくてしおれないうちにと写真をとりました。



 午後1時近くようやくゴールとなりました。 約4時間がかりでした。 ディネシュさんは5時間はかかると思っていたけれど思ったより早く着いたと言っていました。

 このあと、どこが痛いということもなかったのですが疲れてしまって一休みのつもりがずっと休むことになってしまいました。

 4時ころディネシュさんが散歩に行きませんかと声をかけてくれましたがそのまま休憩状態が夕食時間まで続いてしまいました。 笑って下さい。


今晩の宿はこの 「ホテル・ヤマサクラ」 です。 このあたりでは「サクラ」の方が通りがいいということです。 名前からして日本通とわかりますが、オーナーは日本で6年も働いていたことがある方なので、日本語OKです。 ビールの看板がやけに目立ちます。
 


ヤマサクラのオーナーご夫妻。 オーナーの名はブッディマンさんです。




6度目のネパール 第2の都市 ポカラ ②

2010-10-22 15:52:07 | ネパール

 2009.10/23


 ポカラ二日目は夜明け前からはじまりました。

 目が覚めたのが6時10分前。 カーテンを開けると今にも夜が明けそうな中にヒマラヤの山々がくっきりと姿を現し始めていました。 まだ暗すぎて写真はこんな風。


マチャプチャレに陽が当たってきました。

 美しいというより神々しいという方があたっているかもしれません。うれしくて興奮してしまいました。 ベランダに出たり、屋上に上がったり、どきどきしながら時のたつのも忘れ眺めてしまいました。

ズームしないで見るとこんなです。
 
左端にちょっとだけ見えるのはダウラギリ? 8167m   真ん中がアンナプルナサウス7219m  そのすぐ右がアンナプルナ I 峰 8091m  とんがっているのがマチャプチャレ6993m  その右 アンナプルナ Ⅲ 7555m

右端に見えるのがアンナプルナⅣ 7525m
 

すっかり明るくなりました。 気がついたら2時間もたっていました。                  

 


 朝食を済ませて本日の活動開始です。


 この日はフェワ湖から少し離れ、北東に向かいました。

 車で12,3分も走ったところにあった町


 ☆オールドバザールと言われる古い街並 (地元の人はプラノバザールというそうです。プラノ=古い)

 ここもネワールの町だそうです。 その名のとおり街の雰囲気はいかにも古くからありますという感じ。 私はフェワ湖のほとりの観光地的なところよりもこういう古い街のほうがどちらかというと好きです。 

ここから見えるヒマラヤはさらに大きく近くに見えます。  アンナプルナⅢ


            マチャプチャレ と アンナプルナⅢ

 新しく建て替えられる家はほとんどが左に見えるようなインド式の建物になるようです。 古い街並みもだんだん新しい街になってしまうのでしょうか・・・  



 ☆ビンドバシニ寺院

 パールヴァティの化身ドゥルガーの別名ビンドバシニを祀っている寺院です。 ドゥルガーは殺戮の神といわれています。 そのせいかどうなのか寺院の手前にある生け贄を捧げる祠には赤い血が飛び散っていました。

寺院の後ろ、遠くにヒマラヤが見えます。

日本の女性がこの寺院の絵を描いていました。



 ビンドバシニ寺院の向かいには、新しく出来たラダクリシュナ寺院があります。
ラダは女性の名前 クリシュナはヴシュヌの8番目の化身。 ラダは長いことクリシュナが愛した女性でしたが、どうしても結婚出来なかったという悲しい話があります。この寺院はその二人を祀った寺院です。

 クリシュナは笛を吹く姿で表されています。 クリシュナが笛を吹くと回りに人間や動物が集まってくるそうです。


ラダとクリシュナ?



狭い境内には他に、ブラマーの妃・サラスワティーの像、大きな菩提樹(上の方はなくなっていいる)にからみついたブーゲンビリアの花、その下にはハヌマンも祀られています。


よくわからないのですがこれがハヌマン像です。 カトマンドゥやパタンのハヌマン像は赤いマントを羽織っていたので分かりやすかったですが・・



同じ境内の少し離れたところにはりっぱなナンディが見守るシヴァ寺院もあります。
ナンディ像だけですが・・




 次に向かったのは・・・


 ☆ケアシン橋                          入場料20ルピー

 橋と水路が一つになったもの。 橋の下に水を送るための水路がドッキングされているという感じです。 日本で通潤橋といわれる物かなーと思いました。 いつごろ作られたのか聞き忘れましたが当時の首相だったケアシンという人が作ったのでこの名がついたとか。
橋の下は細くて切れ込みの深い谷となっていてごうごうと音をたてて水が流れています。 この川の名がセティガンダキ。 (セティ=白い ガンダキ=川) 石灰岩を含んでいるため白く濁って見えるということです。 



 セティガンダキは上の写真のように細く切れ込んだ谷のようなところあり、川幅の広い河原になっているところあり、場所によって姿が変わるそうです。

 切れ込みの深ーい谷のポピュラーな見学場所がマヘンドラプルと言う橋のあたりだそうですが その橋を渡って南に10分ほど歩くと吊り橋がありそこからの眺めがなかなかいいようです。 私は行けませんでしたが・・・。 



☆ポカラ博物館                          入場料100ルピー
 
 昨日の国際山岳博物館から比べると小さなものですがここではアンナプルナ地域に住むたくさんの民族の中のいくつか(タカリ族、グルン族など)の衣装や住まい、生活風景などが紹介されています。



  これで午前の観光は終わりです。 今日訪れたところはわりと近くにまとまってありますので効率よく見て回れました。
 


 昼食はレイクサイドまで戻り中華料理店に入ってみることにしました。 中国からの団体さんがたくさんいました。 りっぱなお店のようでしたが、お味のほうはというとカトマンドゥの小さな小さな店で食べたものの方がおいしかった・・・なんていったら怒られそうです! そんなわけで紹介はちょっとやめておきましょう。


 一度ホテルに戻り一休み。 4:00からフェワ湖でボートに乗ることにしました。
 
 
 
 日本のボートを想像していたら少し違い、自分で漕ぐものではなくボートと漕ぎ手がセットになっていました。

一つのボートにこぼれそうなほどたくさんの人が乗って湖の真ん中にある小さな島にある寺院にお参りに来るのです。(残念ながら写真がありません)

 私たちも島に降り立ちました。

タールバーライ寺院 (ガイドブックにはバラヒ寺院と書いてあります)タール=湖 バーライ=雌いのしし ヴィシュヌの妃・ラクシュミーが猪の姿で祀られているそうです。



 ボート代はディネシュさんが払ってくれましたのでいくらかかったのか聞きそびれました。


 ポカラ二日目の予定はこれでおしまいです。

 
 湖のまわりの広い通りに植えられている並木の大きさには驚かされます。 どれも数百年はたっているであろうと思われるものばかり。 そんな通りをのんびり歩いてホテルに戻りました。



 ポカラ3日目の朝もヒマラヤを期待したのですが、雲が多く前日のようにはうまく見えませんでした。 2日目の朝はほんとにラッキーだったと言えます。

ヒマラヤはよく見えませんでしたが、私のすぐ近くにこんなきれいな鳥が飛んできてくれました。 これはこれで超ラッキー!

2年も後になってからわかったことですが、この鳥は「シリアカヒヨドリ」という名前らしいです。