junjunのはなまる日和&ときどきネパール

日々の暮らしとネパールのことなど・・・。

キルティプール

2010-09-28 16:55:23 | ネパール
 キルティプールを訪れたのは2007年12月、2度目のネパール訪問の時でした。

 キルティプールはカトマンドゥの西南・5Kmほどの小高い丘の上にあります。 車で20分くらのところでした。

 キルティプールの町は大きな岩の上にあるといわれ、1934年の大地震でも崩れなかったそうです。 

 ネワール文化の黄金期(12世紀)に造られた町がそのまま残されているこの町は、狭くて急な坂道を上がったところにあります。

車を降り、細い通りを歩いて進みました。




 バグバイラヴ寺院 (バグ=トラ バイラヴ=シヴァの化身)

 シヴァの化身バイラヴを祀っています。 ここにもちゃんと猿神がいらっしゃいます。 

      ↑この後ろ姿が猿神です。


寺院の裏手に廻ると素晴らしいヒマラヤが見えました。(裏に廻る時も左から・・・)




 12月でしたが、ちょうどお祭りで町の中心部は大賑わい。

 身動きがとれないほどの人、人、人・・・
まず音楽隊が町を一廻りし、お祭りをふれ歩きます。 本隊は神輿と音楽隊。 太鼓、シンバル、笛、柄の長ーいラッパ(ホラ貝のような音)など伝統的な楽器が賑やかに音楽を奏でます。


今は王宮はありませんが、かつてそこにあったという広場で、まず羊の生け贄が行われます。 生け贄の血を神輿にふりかけ、神輿の中にいる神さまを喜ばせてから町を練り歩くのだそうです。



どこの国でも子供たちにとってお祭りの出店は最大の楽しみですね。







このあと2010.11月にも訪問しました。 その時のことは 7度目のネパール キルティプール に書いてあります。


"初・海外一人旅 " ネパール最後の日

2010-09-27 14:10:02 | ネパール
2007.4/21(土)

 初めてのネパール訪問はガイドブックを購入して、毎日それを眺めてここもあそこもと盛り沢山のスケジュールを組んでしまいました。 ただ1日1日の予定はかなり余裕のあるものだったと思います。

 7日目はもうネパール最後の日。 夜中の直行便で日本に帰る予定ですがホテルにはぎりぎりまでいられるようにしてありますので、ほぼ1日ゆっくりできます。

 朝のうち、ディネシュさんから電話があり、「パタンの山車祭りを見に行きませんか、」とのお誘いを受けたので、即、「行きます、行きます」と返事。 

 その時のことはパタン訪問のところで紹介してしまいました・・・

4時に迎えにきてくれるというのでそれまで一人で街をブラブラしよう・・・


 午前中はタメル地区の散策をしながらお土産やさんをのぞいて小さなものを2,3買い求めました。

 ホテルには1時過ぎに戻り買ってきたパンとお茶をいれて昼食とし、シャワーも使ってしまいました。

 デネシュさんが迎えに来てくれるまで、荷物を片づけ、少し休んで待つことができました。

 お祭りを見たあと、夕食に最後のネパール料理を食べて、空港に送ってもらったのは夜の8時過ぎ。

 空港内には見送りの人は入れないのでディネシュさんとは入口でお別れしました。 なんだか急に不安になってきましたが、何があってもここからは一人でやらなくては・・・と心を落ち着かせ、風の旅行社のやさしいスタッフさんが教えてくれたようにまず、空港税を払ってからチェックインカウンターに進む・・・ 

 2009年からは空港税は航空運賃に含まれるようになりましたので、この作業は必要なくなりました。

 けっこうたくさんの人が、空港に入ってすぐにチェックインカウンターに進んでしまい、チェックイン時 「空港税は?」 と言われあわてて支払いに戻ったりしていましたから航空券に含まれるように改善されてよかったのではないでしょうか。


 その後ニュージーランドに行った時も、先に空港税を支払う形式で、大きなトランクを持って右往左往した記憶があります。 いい風に改善されるのはありがたいですね。

  
 チェックインを済ませたら、2Fに上がって出国審査を受けて23:15分の出発まで待てばよし。  2時間以上もあるなーと思いながら時間をつぶす。

 持ち物検査も受けてさらに奥に進んで出発ゲート近くに進んだ時、偶然にも同じ旅行会社のタグを付けた若い女性がとなりに座り、おしゃべりができました。

 彼女は一人でエヴェレスト方面のトレッキングをしてきたとのこと。 もちろんガイド、ポーターさんと一緒で。 若いのに一人なんてエライナーと妙に感心してしまいましたが、その後、けっこうたくさんの女性が一人でもトレッキングをしていることを知りました。

 飛行機は最終的には2時間以上も遅れて、夜中1:35分の出発となってしまいました。


 帰りも上海空港で飛行機を降りて1時間待ち。 帰りは少し余裕ができ、トイレも済ませお土産やさんものぞき、中国のお土産も買うことができました。

 再度搭乗したのが朝の7:30分(まだネパール時間のまま)でしたがこれまたなかなか出発とならない・・・  8:15分ころになって一人の女性が乗ってきました。 

 この方は再搭乗の案内が分からなかったのではないだろうかと思いました。

 実は行きもそうでしたが、再搭乗の際のアナウンスがよくわからないのです。 ボードとにらめっこしていてもよくわかりませんでした。 行きはトイレにも行かず入口近くで待ち、時間を見計らって空港スタッフに確認をして乗り込んだものです。

 帰りも同じく再搭乗の際のアナウンスがよくわかりませんでした。 が、見慣れた顔の日本人の山帰りの人たちが動き出したので、聞くこともなく私もうまいこと乗り込むことが出来たのでした。

 遅れたご婦人が乗り込むと間もなく出発となりました。

 あとは日本に向かって飛ぶだけ。 もう心配はないでしょう・・・


 私は関空から羽田に戻り自宅へと向かいました。 なんだかんだと丸1日がかりで8日目の夜7時近く家に着き、長ーく感じた初一人旅が終わったのでした。



 この時(2007.4月 初・一人旅時)はまだパソコンも持っておらず、ブログなどということも全く念頭にありませんでした。 もちろん本にしようというのもこの時は考えてもいませんでした。

 何度か訪問するうちに、せっかく教えてもらったことを忘れたくないので記録しておこうと、先に本にまとめることを思いたち、2008年の5月からパソコンを習い始めて1年がかりで本の形にしました。(誤字、脱字ありのひどいものですが)

 その後、ブログを書いている人が身近にいて、私にも出来るのかなーとやってみたらなんとか出来そうでしたので始めた次第です。 (それが2010年8月)


 本にしてもブログにしてもパソコンの知識のない私だけでは出来るはずもなく、多くの方にお世話になりながらやっとできているのが現実です。

 本作りでお世話になったパソコンの恩師・土井さんとパソコンボランティアの方々、それにブログでお世話になったsaikoroatさん、ほんとうにありがとうございます。

 

ヒマラヤ・ビューポイント

2010-09-26 18:06:14 | ネパール
 カトマンドゥから行けるヒマラヤのビューポイントとして 「ナガルコット」 「ドゥリケル」 が紹介されているので、一度は行ってみないことには話にならないと思い、初めてのネパール訪問で予定に入れました。


 ☆ナガルコット (標高2100m)                            ザ・フォートホテル泊

 ネパール訪問の二日目、パタン訪問のあとサンセット、サンライズが素晴らしいというナガルコットに向かいました。

 つづら折れの山道をかなり高いところまで登って行きました。 途中小さな集落をいくつか通り抜けます。 どこまでも続く段々畑。 山のてっぺん、ホテルの近くまで畑が拓かれています。

 だんだん畑は日本のあちこちにもありますが、その規模の大きさに 「こんなに山を切り拓いてしまって大丈夫なのだろうか」 と内心心配にもなりました。

 残念ながら曇ってしまって夕日は見ることはできませんでした。 星もみられませんでした。 代わりに見えた素晴らしい夜景・・・ それは、点在する家々の灯り。 幻想的でもありました。

 ネパールは電力不足の為計画停電が行われています。 カトマンドゥのホテルはたいてい自家発電があるのでそれほど困ることはありませんが山の方ともなるとそうはいかないようです。

 この夜は7時から10時までが停電タイム。 部屋にはろうそくが置かれているので困りはしませんが、私はいつも小さい懐中電灯を持っていきます。 それがあれば少しの時間なら書き物もできるからです。

 4月のカトマンドゥやパタンでは、昼間はとても暑くてフーフー言っていました。 ナガルコットは標高が高いので朝晩は寒いだろうとそれなりの準備をし、覚悟して出かけました。 

 夕食後、だんだん寒くなってきたのでシャワーでも使って温まろうと思いましたがお湯が出ません。 これもネパールではよくあることと聞いているのであまり気にはなりません。

 明日は早起きしてサンライズを見るのだから早く寝てしまおうとベッドに入ってみたもののなんだか薄ら寒い・・・ 旅先で風邪も引きたくないので、背中にホカロン、布団の上には持って行ったGジャン、温熱アルミシートも広げて寝ました。 おかげで朝までぐっすり。

 前日、ホテルの若いスタッフから 「明日の日の出は5時半ころ」 と聞いていましたので目覚ましを5時にセットして寝ました。 一度鳴ったらしいのですがすぐに止めてしまったらしく、ハッとして起きたのが5時35分。 あわてて窓を開けると東の空がうっすら赤くなり始めたところでした。 「あ~間に合ってよかった!」 

 太陽が顔を出し始めたのは5時45分ころ。素晴らしいサンライズが見られ、来た甲斐があったと思ったものです。

 ここのホテルには三浦雄一郎さんが75歳でエヴェレスト登頂を果たした後に泊まりに来たとかで、エヴェレスト登頂時の日程表や写真などが張られていました。

ナガルコットのサンライズ





 ☆ドゥリケル (標高1524m)                                  ドゥリケル・ロッジ・リゾート泊

 バクタプールの訪問の夜はドゥリケルに泊まりました。 それにしても、どこまでも続く段々畑の眺めは壮観です。 10月から6月ころまでは乾季なので雨がほとんど降りません。 4月は小麦の収穫期でした。 刈り取りが終わっていないところは黄色く色づいていますが、刈り取りが終わって何もないところは茶色の棚田です。 なんだか山が痛々しく見えました。

 7月になり稲の苗が植えられれば緑の棚田となることでしょう。


 この日も夕方からは曇ってしまってサンセットを見ることは出来ませんでした。 ですが、痛々しくはありましたが壮大な棚田が見られたことでなんだか満足してしまいました。


 夕食時・・・ 前夜のホテルは夕食のメニューは決まっていましたが、この夜はメニューを見て注文をしなければいけませんでした。 メニューをみてもさっぱりわからないので、ネパール料理がいいとスタッフにおまかせしてしまいました。

 トマト味のタケノコの入った辛ーいスープと大皿に乗った料理が届きました。 スープは辛過ぎて飲めませんでしたが、中身はおいしく食べられました。 大皿のネパール料理は全部食べられました。

(ネパール語の勉強を始めてから じゃがいものことをアルー たけのこはタマ ということを知り、そこで思い出したのですが、このときのタケノコのスープは アルータマスープ と言われたような気がしました。
アルー=じゃがいも タマ=たけのこ で、じゃがいもとたけのこの入ったトマト味のスープでしたね。)

 私はネパールにいる間はなるべくネパールの料理を食べようと思っていますが、ネパール料理は私の口に合い、どれも美味しくてうれしいです。(人によっては香辛料が合わず、ほとんど食べられないという人もあるようです。)

 朝食はビュッフェスタイルでしたので私の好きなジャガイモ料理をたくさん食べてしまいました。

 ちなみにネパールで飲むコーヒーはどこで飲んでもアメリカンです。 ミルクを入れるとコーヒーの味がなくなるので私にはブラックでちょうどいい具合です。

 この日のサンライズショーは5時40分~55分ころまででした。 サンライズはやっぱり素晴らしかったです。 残念なことにはこの日ももやっていてヒマラヤは見えませんでした。 遠くのヒマラヤが見えるのは空気の澄んだ12、1、2月がいいのかもしれません。

ドゥリケルのサンライズ 



 二日ともヒマラヤの山並みを見ることができなかった私の為に、後日ディネシュさんがメールで写真を送ってくれました。

ドゥリケルから見たヒマラヤの山並みはこんな風に見えるようです。

 よーく見ると、この写真に山の段々畑が写っています。



 ネパールの電力(停電)事情
 
 2007年には一日6時間の停電でした。 2008年にはディネシュさんが「驚かないでください、停電が、一日12時間ですよ」と。 そして2009年の4月にはなんと一日16時間の停電でした。 乾季にあまりにも雨が少ないとダムの水がなくなりこうなるとのことでした。

 ですが私はそれほど困ることはありませんでした。 ただ、夜7時半とか8時に停電になると自家発電で付けられる部屋の電気が限られ、明るさが足りなくて、書き物も本を読むのも目が疲れて長くは出来ないので寝るしかなく、寝過ぎて頭がぼーっとして困りました。

 こんな時、男の人なら街に出て何か楽しみでも見つけたりするのでしょうが、私は怖いので人と一緒のとき以外、めったに夜の街に出たことはありません。 

 ネパールで生活をしている人の中には、パソコンやプリンターが使えなかったりして仕事にも支障があるという方もいました。 

 カトマンドゥはホテルや住宅、もちろん人も増えすぎたためこうならざるを得ないのかもしれません。


 ティミ

2010-09-24 18:18:43 | ネパール
 一度寄ってみたいと思っていた焼き物の町 「ティミ」 もネワール族の町です。 古い歴史を持ちマッラ王朝以前からあるといわれています。


 バルクマリ寺院

 シヴァの妃・パールヴァティの化身、バルクマリを祀っているヒンドゥー教寺院です。 ちゃんとした敷地の中にあるというのでなく、通り端に建てられています。

 16世紀に造られたもの。 政府が30万1ルピー、市民が5万ルピ-を出して建てられたとか・・・ 当時としては莫大なものであったと思います。


寺院前にあるお堂  シェプがヘビを食べているのがよくわかります。


中に祀られているのは・・・  チェック不足でした。




 車の中から見かけた腰くらいまでもある大きな壺(水甕)は見られませんでしたが小さめの壺を作っている人や電気コンロを作っている人にお目にかかることができました。

壺のまわりに小さな穴をあけているのですが、特にしるしがあるわけではなく長年の感であけているとのこと。 見事にそろった高度な業でした。


彼は鉢カバーと電気コンロを作っています。




 絨毯を織っている女の子たち




弟の面倒を見ているお兄ちゃん  今、日本ではこんな風景ってあまり見られないのでは? 昔はよくあった光景だと思うのですが・・・


日本のワンちゃんもネパールのワンちゃんもおっぱいを飲んでる姿はおんなじ!





 翌年、2008年10月に伺った時はダサインのお祭りで大賑わいでした。

 各地区からおそろいの民族衣装で、手にはお供え物を持って揃って寺院にお参りをします。














 お参りに使ったお供え物はそれぞれの寺院に集められ、あとでみんなのごちそうとなります。




 どこの町を尋ねてもそうですが、一度や二度の訪問ではほんの一部しか見えないのでもう少しゆっくり滞在したいものとつくづく思います。

 ただ、私は今のところネパールという国を知りたい、楽しみたいと思っているところですのでできるだけたくさんの町や村を訪ね、いいところを見つけたいと思っています。

 今はその過程で、皆様にそのよいところをご紹介したいと思っている次第です。


 

世界遺産七つ目 チャングナラヤン

2010-09-22 13:56:24 | ネパール
2007.4.20(金)

 今日はカトマンドゥ盆地にある世界遺産七つのうちの最後、 「チャングナラヤン」 の訪問です。

 チャングナラヤンはカトマンドゥの東の方にあるネワール族の村。 標高は1541m、カトマンドゥの町より150mほど高いところにあります。

 カトマンドゥからは車で約1時間くらいかかったと思います。 バクタプールの町の入り口の前を通り過ぎてから左に曲がり、両側に畑を見ながらくねくねした道を上がって行きます。

この時(4月)の風景が撮れてないので翌年の10月に行った時の写真を紹介します。

 10月はちょうど稲刈りのシーズンでした。   ドレスを着て農作業!?  いえいえこれが仕事着なんです。




私もお手伝いをしているの・・・ うふふ。



 チャングナラヤンへはバクタプールから歩いて行ける距離のようです。 地元の人は1時間くらいと言いますが、実際に歩いた人の話ではだらだらと上るばかりで1時間ではとても着かなかったとのことです。


 バスの終点が駐車場になっています。 そこにツーリストボックスがあります。


 チャングナラヤン   (チャン=土 グ=山 ナラヤン=ヴィシュヌの別名)    入場料 100ルピー


 ツーリストボックスを過ぎても少し上り坂が続きます。 両側には民家があったりレストランがあったりお土産屋さんがあったりします。

トウモロコシが軒いっぱいに干されていたり・・


山羊が遊んでいたり・・




 チャングナラヤンは学生の研修地にもなっているため、制服姿の学生も目立ちます。

これは2007.12月に訪問した時の高校生です。 参道のお土産やさんで。


こんな制服もステキですね!




 しばらく歩くとチャングナラヤン寺院の東の門に到着します。 (こちらは寺院の後ろ側でした。)
境内には由緒ある建物や石造がたくさんあります。


 チャングナラヤン寺院

 ナラヤン神(ヴィシュヌの像)を祀っているこの寺の開基は4世紀(リッチャビ王朝・323年)、ハリダッタ・ヴァルマ王によって建てられ、ネパールで一番古い寺と言われています。

 15世紀、インドからのイスラム教徒の侵攻により破壊されましたが1702年に再建されています。
境内全体が一つの石の上にあるといわれ、1934年の大地震の時にも倒れなかったそうです。



 チンナマスタマイ (チンナ=ない マスタ=頭 マイ=女神)

 金色に輝くこの建物は、頭のない女神、チンナマスタマイを祀っています。 チンナマスタマイはチャングナラヤン全体を守っている女神です。



 制作途中のゾウ

 チンナマスタマイの近くにある一体のゾウの石造。
 

なぜ途中? それにはこんな話が・・・

 ゾウの彫刻を始めた職人が一日では終わらなかったため、翌日続きをやろうと門の近くに置いて帰りました。 次の日行ってみると、現在のところに移動していたのです。 さらに驚いたことにそのゾウは血を流していました。 「これは神さまに違いない」と彫るのをやめてしまったというものです。



 寺院の三方には寺院を背にして対になって置かれている動物の石造があります。

寺院東 (東門をくぐった正面)  想像上の動物 グリフィン (顔:わし 体:ライオン)


寺院南 (チンナマスタマイの近く)  象  



寺院北側  これも想像上の動物だそうですが名前がわかりません。 ひょうきんな顔がなんともかわいく笑っているように見えます。




 チンナマスタマイの先、寺院南側には歴史のある板碑が4枚あります。

 手前から

 ☆マナマハヴィシュヌ  ガルーダの上にヴィシュヌとラクシュミーが乗っています。



マナマハヴィシュヌと背中合わせにあるのが

 ☆ヴィソルプ (ヴィソ=宇宙 ルプ=形) 4Cか5Cのもの。石造に彫られているものが宇宙を表しています。


 ☆ヴィシュヴィクランタ  ヴァマン=司祭


 ☆ナルシモ (ナル=人間 シモ=ライオン) 顔:ライオン 体:人間 
ヴィシュヌ神が化身ナルシモとなり悪い鬼のお腹を引き裂いている図





 寺院西側  こちらが寺院の正面です。


 寺院の方を向いて座っているのが

ブパティンドラマッラ王と妃   寺院の再建をしたのがこの王ということです。 

 バクタプール・ダルバール広場の高い石柱の上で王宮を見守っているのもこの王です。

隣にいるのがヴィシュヌの乗り物 ガルーダ


 
 その先にあるのが

 バイクンタナラヤン  ガルーダにまたがったヴィシュヌ   10ルピー札に描かれています。



 その右となりにあるのが

 ヴィシュヌと妃・ラクシュミーとガルーダ





 以上で七つの世界遺産を全部廻り終えました。 メモに取り忘れたことも多く書けないこともたくさんありました。
 


 バクタプールやチャングナラヤンの行き帰りの途中、道路わきに大きな壺がたくさん干してある町がありました。 一度寄ってみたいと思っていたその町の名は 「ティミ」。

 この時は寄らずに帰ってしまったのですが、その年の12月、訪問することができました。

次回、ティミの紹介を・・・