junjunのはなまる日和&ときどきネパール

日々の暮らしとネパールのことなど・・・。

21度目のネパール 6日目 カトマンドゥへ

2019-12-13 23:48:18 | ネパール
 2019.11.30(土)

この日私はバスでカトマンドゥまで出かけました。

アサンチョーク近くで野菜を売っているおじさんに写真を渡さないといけないのでそちら方面に歩きます。
 
ついキョロキョロしてしまうので、まるでおのぼりさんみたいと我ながらおかしくなりました。


写真を撮った場所に野菜はあるけどおじさんがいない。

近くにいた人に写真を見せてこの人知りませんか?と聞くと「これは私・・」というではありませんか。ええーっ というと、おじさんはシャツを指さして、この写真と同じシャツというのです。 あら~ ほんとだ、と私。1年たったので少し古びてはいましたが確かに同じ柄でした。

お渡しした写真がこれ↓


そして又写真を撮ってしまいました。来年もまた訪ねないといけません。



ネパール語の先生にも会いたいなと思ったのですが、土曜日はネパールは学校もお役所も銀行も休日、先生の教室もお休みのようでお留守でした。

もし先生がいらっしゃって、数日でもネパール語の授業に行く約束をしてしまったらこのあとの予定は全くちがうものになっていたのですが、結果から言って先生がお留守で良かったかもしれません。

なぜなら、このあと毎日のようにフランソワーズとエディさんに誘われ一緒に出かけることが出来たからです。


さて、両替もしないといけないのでいつもの両替屋さんへ。

今日のレートは10円 → 10.22ルピー  10000円は10220円になります。 ホッホー 今はこんなにいいレートなんだとうれしくなりました。 
 
そして店に入ってその数字を見ながらいくらにしてもらおうかな、10.27くらいで交渉しようかな・・・なんて考えていると、店の人から 10.30でいいよ! と言ってくれるではありませんか。

またまた ホッホーラッキー! です。 ほんの少しの差かもしれないのですが、5万円くらい両替するのですごーくうれしいのです。(それでも日本円にして450円くらい多いだけなのですけどね・笑)

とりあえず宿の支払いやこれから動きまわるお金ができ一安心。

さて、この近くに銀杏旅館の長女・ミナちゃんのお店があるはず・・と思って探したのですが、とうとう見つからず。 


あきらめて、カトマンドゥに出たついでにお土産も買ってしまおうと、いつものお茶やさんやスーパーにもまわりました。

既に13:00近かったのでお昼にしようと、昨年山芋を3本も戴いてしまった日本食の 和(なごみ)へ。

観光客はみな観光地めぐりをしているためか客は一人もおらず、ゆっくりと過ごさせてもらいました。

去年食べておいしかった肉じゃがのセット。お通し(突き出し)があったのですが、写真は撮り忘れました。
        

              食後のお汁粉(本音はもうちょっと甘さがほしい)
                  

私の食事が終わる頃、ヨーロッパ系の若い男性が一人入ってきました。和食を食べにくるなんて珍しいなと思って見てしまいました。


このあと、昨年会えなかったキランさんのお店のあるスリガーストゥーパに行ってみました。

昔はソーラーのポールなどはなくもっとすっきりしていたのですけどね。

キランさんの店のビルは昨年新築されてTo Let となって閉まっていたのでお店は辞めてしまったのかと思いがっかりして帰ったのですが、なんと!お店は再開していたのです!!

店も広くなり、おおきな曼荼羅も展示してあり、豪華なお店になっていました。

 
                     
 
2Fも借りてそこで曼荼羅製作をしているそう。観光客だけの仕事ではなくお弟子さんにも教えたり、地元の人からの注文もあって忙しいとか。 ヒマすぎるよりはいいですよね。

キランさんは日本で仕事をしたこともあるので日本語もしゃべれちゃいます。


しばらくおしゃべりをし、15:00をまわったので帰ることにしました。

バスパークまで歩いて、そこからバスで1時間かけてサンガに戻り、あの山道を登らないといけませんのでね。

やっと銀杏旅館に帰り着き、なにが飲みたいかと聞かれ、おいしいお茶が戴けたりするので、それまでの疲れも吹き飛びます。

体が熱いうちにシャワーし、洗濯するのはいつものことです。 
 


21度目のネパール 3・4・5日目 ラムチェ村

2019-12-13 00:06:00 | ネパール

  2016,11.27(水)(ラムチェ村1日目)

11/27、28、29と2泊3日で、筋田さんと同居していた子たちの生家のあるラムチェ村に行くことになりました。

この日にちだけがアシスくんに空きがあるようです。

私はもうず~~っと前からラムチェ村のお父さん(buwa)、お母さん(ama)に会いに行きたいとアシスくんにリクエストしていました。

ラムチェ村にはフランソワーズとエディさんも一緒。彼らは2015年以来、私は2年ぶりの訪問。

長男パンネくんの車で送ってもらい、三男アシスくんがラムチェ村に留まって、村のボランティアの現状などを見るための案内をしてくれることになりました。


アルニコハイウエイをバラビシェまで行き、そこから山のラムチェ村まで上がります。

途中のドラルガートというところで野菜や果物を仕入れます。もう何度も紹介したところです。




2015年の大地震から4年半、今にもくずれそう・・↓ でも誰か住んでいるみたいとみんなで心配しながら見上げました。



ここからちょっと先のおいしいお魚のお店に寄って昼食。ここのお魚は小さくて骨まで食べられるように揚げてありとってもおいしかったです。 以前筋田さんと寄っていたお店とは別のお店。(お魚のあるところを写せばよかったのですが・・)



以前の学校・メールダラ(フランソワーズとエディさんはカリカチャーと言っていた)に行く時の町を通り過ぎ・・

寝具・雑貨・衣料等を多く扱う町も通り・・





大地震のがけ崩れでたくさんの人が亡くなった村のあたりも通り・・


やっとバラビシェの橋の袂に着きました。ここでも少し買い物を。



パンネくんの用事が済むまでお茶を飲んだりして1時間ほど過ごしラムチェ村に上がりました。

山道は、2年前はまだジープがやっと1台通れるほどでしたが、車2台がすれ違えるくらいの広さにしていました。




ようやくお父さん、お母さんの家に到着。

道路から5~6段さがったところが3Fで穀物や豆などを入れる倉庫、さらに下がったところが2Fでダイニングルームとベッドルームがあります。 その下が1Fで大勢が寝られる部屋があり、少し離れたところにトイレ洗面所があります。

段々畑を利用して建てるのでこうなるのは仕方ないですね。

道路と反対側の2Fベランダ側の眺めはこんな感じ。




自分の家ではないのに自分の家に来たような気分です。


既に15:00過ぎ、お茶を戴いたりしてこの日はゆっくりしました。

ベランダから左の方を見ると牛を使って畑を耕していました。なつかしい光景です。と言っても私が子供の頃の日本ではもう牛を使った農作業はしていませんでしたけれど・・。


夕食はアシスくんが腕をふるってくれました。写真がちょっと・・。


お父さんとお母さんの写真も撮らせて頂いたのですが、これもちょっと・・でしたね!


ダルバートの夕食、写真はありませんがみんなで一緒においしく頂きました。



  2019.11.28(木)(ラムチェ村2日目)

朝、目が覚め、外に出ると薄暗いうちからこのおばあちゃんはもうなにか仕事をしていました。

明るくなるとこの草を刈っていました。


このあとアシスくんの家に来ていました。

この草はネパールのほうきを作るための草で、アシスくんの銀杏旅館で使うようにと刈ってくださったのだそうです。ありがたいですね。


朝食を済ませたあと、アシスくんの案内であちこち見て歩きました。

ラムチェ村は、地震のあと大勢のボランティアの人が入って、いろいろなことを提案し、応援をしてくれています。

 *その一つがコミュニティハウスの建築(お寺も兼ねる)

ある大学生の団体が30万円、30万円と2回募金を集めてここまで↓作ってくれたけれど、その後その団体の活動はストップしてしまい、そのままになってしまったそう。

そういえば2年前もここまでだったなぁと思い出しました。 私もお寺のことは気にはなっていましたが、問題は資金でした。

 ※数日後、2016年にお会いしたちょんまげ隊の方々もラムチェ村入りをし、後日話をする機会があったのですが、ちょんまげ隊が何とかしてくれそうな話になりホッとしました。

2016年に戴いたちょんまげ隊の名刺。精力的な活動は“すばらしい”の一言です。
     

 
 *2番目は旧学校跡。門だけが残っています。

今は空き地になっているけれど、村の人たちで話し合って何かに活用したいよう。


 *3番目はヒヨコハウス。

ここでひよこを育てて卵や鶏が売れるようになれば村の人も潤うのでは・・と、泊り込みで応援できるように作ったとのこと。


まだひよこはいません、これからのようです。ここの主もお留守でした。


ネパールは日差しが強いのでひよこ、鶏、人間にもこの建物では少々問題あり。 どうなるのでしょう・・・



途中で小さな鍬のようなもので木を削って作業しているおとうさんがいました。牛が畑を耕すときに使う道具を作っているのだそう。

フランソワーズがタバコをお分けし少し休憩させていただきました。



 *4番目はコーヒー畑。 

コーヒーの木はまだあまり育っているようには見えません。



村人の働く場ができて、少しでも生活が潤うならとボランティアの人たちと村人が共同で始めた事業なのだそうですが乾季は雨がほとんどないのと、ヤギなどが食べてしまったりするそうでなかなか思うようにいかないようです。


 *5番目は新しく出来上がったという学校です。

学校帰りの子たちに会うと手に持っているものを見せてくれました。

前に見ていたので牛が使うあの道具!とすぐに分かりました。自分で作ったのだそう。

ネパールでは女の人がよく働きます。 竹を切り出し垣根や畑の柵などに使うようです。先に見たひよこハウスの壁部分も竹で作られていました。


まもなく新しく出来た学校到着。


一段下の畑でゴムとびをして遊ぶ女の子たち。なつかしい!


建物は2棟あり、1棟は教室のある校舎。正面からのものがなく、後ろから撮ったもの。


こちらは職員棟だそう。


とにかく立派な建物ができていました。

ところが、先生方も生徒たちもきれいにする・・という意識がないせいか、どこもここもゴミだらけ。新しい校舎が泣いていました。






空き教室の中もこんな具合、日本では考えられないことです。




見学をしたフランソワーズが怒る怒る、なんでこんなに汚いのか! と。

アシスくんを通訳にして先生にそのことを伝えるが、先生たちも汚いのはいけないという意識がないためどうしたものかと気まずそうにしていらっしゃいました。

しばらくお話をして学校を後にしました。


お昼を大分過ぎてしまったので一度アシス君の家に戻り昼食をとり、4:00まで休息時間としました。


16:00からトゥロ・ドゥンガ(英語でBig Stone)まで行きました。フランソワーズは2016年にも行ったので今日はいいと・・・。

パンネくんは予定ではサンガに戻ると思っていたのですが、車の調子が悪いとかでまだ留まっていて、一緒に行きました。

おおきな岩の上では近所のおじさんがコド(粟)の実のゴミを飛ばす作業?をしていました。

私たちのために少し場所を空けてくれました。

家族総出です!


7月頃に来たら段々畑には水も入って緑がきれい、11月のはじめ頃なら刈り取り前の黄色がきれいと・・。

あと一ヶ月早かったら別の景色が見られたかもしれませんでした。


2016年に来た時は知らなかったのですが、すぐ近くに古いお寺があると聞き寄ることにしました。

由緒あるとても有名な寺院だそうです。


隣に立つ大きな木もそれを物語っていました。 日本なら樹齢800年といいたいところですが、ネパールだとどれくらいなのかな??


チベット仏教の地なので祀られているのはブッダのような気がします。


柱や扉の彫り物はネパール独特のものです。
       

            

     

左隣に少し小さな建物があります。トゥリサーティ(三叉の矛)があるのでシヴァの寺院かな? ネパールでは仏教とヒンドゥー教が混在、同じように崇拝していると聞いています。



年2回のお祭りの時は大勢の人がけっこう遠くからも訪れ、狭い敷地はあふれるほどになるそうです。


帰りにパンネくん、アシスくんのお父さんのお姉さん(=おばさん)のおうちに寄りました。


この方は彼らのおばあちゃんではなく親戚の方でおばさん家族と一緒に暮らしているとのこと。耳がご不自由だそうですがとても人懐っこくてかわいいおばあちゃん(失礼!)です。


左がおばさん。 おいしいお茶、ごちそうさまでした。



夕食には近所の方がたくさん見えましたが、このおばさんたちもいらっしゃいました。話は聞こえなくて通じなくてもなんだか楽しくうれしい時間を過ごしました。

私は5年生のソビッツくんと会話? ネパール語がほんの少しでも話せると楽しく
過ごせるものですね。

              

          (写真は↑いつの間にかフランソワーズが写したもの) 


             
8:30頃には私たちも部屋に戻り、ラムチェ村2日目が終わったのでした。



  2019、11、29(金)(ラムチェ村3日目)

今日はサンガに帰るだけの日。

パンネくんの車はエンジンを取り替えないといけないとかで、結局動けず、あすからラムチェ入りするちょんまげ隊、あさってやってくる岐阜の池田さんグループのために学校をきれいにしておくとそのまま村に留まることになりました。

おとうさん、おかあさんとは名残惜しいけれど次回お会いできるまでお別れです。


アシスくんと私たち3人はたまたまカトマンドゥに仕事に行くという人があり、サンガまで安く行って下さるというのでその方の車に乗り込みました。

8:50分に出発、途中タバコ休憩一回しただけでほぼノンストップ。 銀杏旅館には11:50分に着いてしまいました。


アシくんはその足ですぐに空港にちょんまげ隊グループ10人を迎えに行きました。

あしたはちょんまげ隊と一緒にラムチェ村入り、あさって夜には岐阜から池田さんグループが見えるのでそのお迎えにも出ないといけないようで大忙し。


私たちは3日ぶりにシャワーして、洗濯もして午後はゆっくり過ごすことにしました。

ラムチェ村では水しかなくシャワーもシャンプーも出来ずにいましたので・・。


おいしいお茶も入れて頂き、夕食もおいしく頂き、銀杏旅館に戻ったというのに、我が家に戻った気分ね・・・と言って笑い合いました。



※ 私たちの後にラムチェの学校を訪れた方々はきれいになった学校が見られたのでは?

それは、車が壊れて動けなくなったパンネくんがラムチェに残ることになり、フランソワーズがあまりに怒ったからか(私もホントホントと渋~い顔をしていたからか)、ちょんまげ隊が来るまでに学校をきれいにするとがんばってくれたのだと思います。

・・・と思ったのですが、あとでFBをみると、どうも皆さんがいらっしゃってから皆さんと一緒にきれいにしたらしい・・・ようですね。

 

 


21度目のネパール 1日目 /2日目 ドゥリケル

2019-12-10 13:39:55 | ネパール

 1日目 2019.11.25(月)

今回の訪問も特別な目的を持たない旅でした。しいて言えば次になにをしようかを探す旅の続きです。

2013年からお世話になっている銀杏旅館に滞在。(銀杏旅館はカトマンドゥからアルニコハイウェイをバスで1時間のサンガというところの山の上にあります。)

でも主の筋田さんはもういらっしゃいません。今年(2019)の4月1日に天国に旅立たれてしまわれたのです。

ですが、筋田さんがネパールのこどもとして10年以上も一緒に暮らしてきた姉妹兄弟が、力を合わせて日本からのボランティア活動の人々を受け入れ、通訳業もこなし旅館業をがんばっています。
  
左から 長男パンネくんの奥さんウルミラちゃん、三男アシスくん、ベルギーからの客・フランソワーズ、日本人客・ゆうさくクン、長女ミナちゃん。(赤ちゃんはウルミラちゃんの次男です) この時、長男のパンネくん留守、次男のサロズくんは日本で勉強中、次女のラスミちゃんも留守でした。


筋田さんは亡くなられてしまいましたが日本の筋田さんの自宅にはまだ山の子どもたちのためにと集まったたくさんの衣類があるとのこと。

少しでも役に立つならと預かって持って行きましたので空港まで迎えにきてもらいました。

クアラルンプールの乗り換え時間2時間しかないのに成田出発が1時間半も遅れヒヤヒヤしましたが、クアラルンプール発も1時間も遅れたので乗り継ぎは何とか大丈夫でしたが、カトマンドゥ着21:30の予定が22:30過ぎになってしまいました。

おまけに、私のトランクは出てきたのですが、最後の最後まで待っても筋田さんの奥さまからお預かりした衣類10kの入ったバッグだけが出てきません。 

調べてもらうと、「あした着く」とのこと。 引き取りのための書類をもらってやっと外に出ることができました。

出て行く人は他にはどなたもなく、迎えの人があきらめて帰ってしまったらどうしようととても心配しましたが、長男のパンネくん、三男のアシスくんの二人がちゃんと待っていてくれました!

届かなかった荷物は翌日パンネくんが取りに行ってくれる事になりました。なんだかんだでもう23:30くらい。 

銀杏旅館に着いたのは0:00を回ってしまいました。(日本時間では3:15分すぎ)シャワーを使ってすぐに寝みました。



 2日目 2019.11.26(火) ドゥリケルへ

前の日にちゃんとネパール時間に合わせたはずだったのに、1時間まちがえていました。

目が覚めたら7:30分、ちょうどいい時間と思って起きたけれど、それは6:30分だったようです。

今日の空はイマイチはっきりしません。もやに包まれヒマラヤも見えません。




滞在中、毎朝6時になるとピ~リリ♪ ピ~リリ♪とやさしいさえずりが聞こえてきました。これは↓ムクドリに似ているけど鳴くのは別の鳥かな?


ヒマラヤの見える側(北側)のおうちもりっぱな3階建てが出来ました。


私の滞在する3階からでも水道タンクがちょっとヒマラヤを隠しますが、2階の人はヒマラヤの眺めが・・・といっていました。


 朝食は7:30ころ。

ここでやっと今回会えることになっていたベルギーのフランソワーズとエディと顔を合わせました。

以前、メールダラの学校の水道ラインの設置、トイレ、手洗い場や校舎の修復のお手伝いをしましたが、その時にグランドの崖が危ないからとフェンスを作る支援をしたお二人で、2015.11月、大地震後のメールダラに一緒に行ったのが最初の出会い。

2回目に会ったのは、昨年(2018)の12月、
銀杏旅館からバスに乗るため山を下りた時に偶然途中でお会いしたのでした。その時私はカトマンドゥに出かけるところで、筋田さんはあと2時間するとタライの病院に行くため出かけるので今ならまだ間に合うという話をしただけで別れてしまったのでした。

その時の写真。



 今回が3度目。

face bookでお二人がネパールに来ていて、11/23日から銀杏旅館に泊まっていることを知り、チャットで会話し、会えるのを楽しみにしていました。

今日は私たちのお世話をしてくれるアシスくんが忙しいとのことでフランソワーズとエディさんに誘われドゥリケルに行くことになりました。

ドゥリケルは何度通過したかわからないほどたくさん通ったことのある町(村なのかな~?)なのですが、ゆっくり町の中を歩いたことはありませんでした。

ただ・・・ ガイドさんのいない散策はなんとも心もとないもので、ただ歩いて、見るだけ・・のため、写真を並べるだけになってしまいそうです。


今回エディさんだけがサン付けになりますが、フランソワーズが数日前から銀杏旅館に泊まっている間にみんなが “エディさん” ”エディさん” と呼んでいるのを聞き、フランソワーズまでもが ”エディさん” と呼んでいたので(おかしかったですが)ずっとこのままでいきます。

フランソワーズは名前が長いのでサン付けは面倒でフランソワーズのままです。


 ☆ドゥリケル

ドゥリケル~ナモーブッダ~パナウティのトレッキングコースの始発点のようですが、寺院のことなどはガイドブックにもあまり詳しくは載っていません。

黄色い実はみかん? かき? と思って写真をとったのですが、フランソワーズやエディさんが先に行ってしまうのでちゃんと確認できず、結局どっちかわからないまま。



古い路地を歩き始めてすぐに厳重に囲われた池がありました。

門にはシッダポカリと書いてあります。 
(シッダは聖人という意味のようです、ポカリは池)

シヴァ神の特徴が、額に第3の目、首に巻かれた蛇、三日月の装身具らしいで、この青い神さまはシヴァ神のようです。 




そのまま進むと広場のようになったところ(チョークという)に寺院が。

これはガイドブックにあるヴィシュヌ寺院のようです。


寺院に向かってあるのはヴィシュヌを見守るガルーダ (左のはなんだったかなぁ)

鳥人ガルーダはヴィシュヌの乗り物で顔・体は人間だが羽があって飛ぶことができる。
       
ハヌマン(さる神)


まわりにあるこのような祠も寺院というようです。


同じチョークのすぐ近くにも古そうな寺院。土台は最近新しくなったよう。


しばらく眺めてそこをあとにしました。


エディさんはスマホに "googl なんとか・・" というアプリをインストゥールしてあるそうで、それを見ると今いるところの寺院やこれから行こうとする寺院までのルート案内もしてくれ、小さな寺院の名前もしっかり知ることができる便利なものを使っています。

でも私にはそれはない・・・


このあたりは古い町並みが残っているところ。

地震のあと修復したらしい建物も古い建築様式を残してくれてうれしいですね。






まだ修復の済んでいない建物もあります。



それほど離れていない高台にあるバグワティ寺院。(これもガイドブックにありました。)






門のところにはこんなこて絵?のようなものがあり、上にバグワティ モンディール(寺院)と書いてあります。(バグワティはシヴァ神の妃・パールヴァティの化身ですが、ガイドブックにはシヴァ神を祀る寺とあります。)
         

その近くにいたおばあちゃんと小さな子ども。


やはり寺院のまわりにはいろいろなものがありますが詳しくはわかりません。




上にあがって建物を左回りに回ると正面に出ました。お参りをしている女性がいて、中に入ってもいいというので入らせて頂き写真も撮らせていただきました。

神さまはバグワティ(シヴァの妃・パールヴァティの化身)のようですが、お花で隠れてよくわかりませんが、スワヤンブナートで見たことのあるサンティプール(空をあらわすところ)というお堂にあったもの↓に似ているような気がします。
       


ここからはどこに行くのかな? 

エディさんが地元の人に聞くと、
向こうにある山の上に寺院があり、そこはすごく眺めのよいところとのこと。

ガイドブックによると、その寺はカーリーモンディールという寺院らしいです。(カーりーもシヴァの妃・パールヴァティの化身)

教えられたほうに進むと、満開の黄色の花がみごとな大きな木がありました。

なんの花でしょう?


       

さらに歩いていくと道路わきにこの寺院。

中に見えたのはこの神さま。ガネシュ?なんだかよくわかりません。
       


ここで人懐っこく寄ってくる人がいました。 その人はレストランをやっていてギャラリーにもなってるよとエディさんに名刺を渡しどこかに行かれました。

観光客を見つけては宣伝しているのかな?

 
池がありました。ネパールでは水はとても大切なもので町のそこここにこんな水場が作られています。

真ん中に立っている像は楽器をもっているのでサラスヮティかな?


すぐにあのおじいちゃん?のお店が見つかりました。


ちょうどお昼過ぎだったのでそこに寄ることにしました。ちなみにフランソワーズは絵も描くとのこと、知りませんでした。

飾られていない絵も出してくれ一番熱心に見ていたのはフランソワーズでした。

食事はというと、トゥクパ(だったかな?)を食べましたが、麺がのび過ぎてイマイチだったな~。

それでもよし、トイレを借りたり帰ってきたおじいちゃんともお話できたりしましたからね。


眺めの良い高いところのにあるという寺院を探しながら教えられた方面に歩いて行きます。


桜が見えました。今回初めて見たヒマラヤザクラ。

こんな花もありましたが、名前は・・?



いろいろな人に聞いてカーリー寺院への登り口までたどりつきました。

が、ものすごい数の階段を上らないといけないとか・・・800数段?と聞いたような。

地元の人は片道20分というけれど、私とフランソワーズは絶対そうは行かないだろうと思い、午前ならともかく、午後で疲れも出てきていることだしと恐れをなし、「エディさんだけで行ってきて、私たちここで待っているから・・」というと、エディさんは残念そうだったけれど行くのをやめて帰ることにしました。

帰りに揚げたてのシェル(ドーナツ)を買って歩きながら食べました。フランソワーズとエディさんは二つ目を購入しました。冷えたのはおいしくないけど揚げたてはおいしい!と言って・・・。
       


そしてバスパークの近くでステキなコーヒーショップを見つけて入りました。そこでは先に若いヨーロッパ系の女の子がお茶を飲んでいたのです。

3人ともカプチーノを注文、出てきたのがこれ。
          

フランソワーズは母国語はもちろんフランス語、英語、ドイツ語、スペイン語に他にもいくつか・・とにかく語学堪能。お隣の若いお嬢さんたちとはフランス語で会話していました。


エディさんも私も全く分からないので仲間には入れず、写真だけ撮らせて頂きました。


帰りがけ、3人で口をそろえて、ここのカプチーノはおいしかったね!・・と。


このあとドゥリケルのバスパークからバスに乗りバネパを通ってサンガまで、20分ほど。サンガに着いても銀杏旅館まではもう一仕事、山をあがらないといけません!

そんなこんなで銀杏旅館に戻りついたのは15:30ころ。 

次女のラスミちゃんが出てきて、何を飲みたいかと聞いてくれたので、私はネパールチヤー、フランソワーズとエディさんはハチミツたっぷりのジンジャーティーをお願い。ホテルではこうはいきませんね、銀杏旅館だからこそのお・も・て・な・し・・・。

明るいうちにシャワーを使い、洗濯も済ませ、夕食(7:00ころ)まで休憩。程よい疲れのいい一日でした。

あの800数段の階段登らなくてよかったなぁと言うのが正直なところ。(これを書いているときに、なんかのコマーシャルで金比羅さんの階段が785段と言っていたのが聞こえ、ちょうど同じ位と思って聞きました。)又の機会に致します。



 休憩といえば・・・

旅をするときはいつも読みたい本を持っていきますが、今回それに加え、小田原のYさんの得意なナンプレと漢字パズル(Yさんを見習って私も最近始めた)などを本から切り取って20枚くらい持っていきました。

不思議なことに、本を読んでいるとじきに眠くなったりするのですが、気分を変えてパズルを始めるとその眠気はどこへやら・・・ すっきりと目が覚めてしまいます。
不思議、不思議! でも夜寝る前はまずいですけれどね。

いいことを発見した今回の旅です。





20度目のネパール

2018-12-12 16:55:10 | ネパール
 2018.11/29(木)~12/7(金)

20度目のネパール訪門をしてきました。

春・秋と年2回は行きたいと思っているのですが、都合で行けないこともあります。
今年も春から夏にかけていくつか他の予定が入って春は伺えず、約1年ぶりの訪問となりました。

ここ数年ずっとお世話になっていた銀杏旅館の長女ミナちゃんが12/15日の結婚式を控え、とても忙しいのと、ミナちゃんが友人と共同でカトマンドゥにお店を開くとかで、その準備でも忙しそうでした。

さらにさらにみんながお父さんと呼んでいる銀杏旅館の主の筋田さんのがん治療のためタライの病院にも同行するということで(2泊3日)、とてもミナちゃんの実家のあるラムチェ村訪問の予定はとれませんでした。もちろんその山またむこうの山の上のグレ村にも行けませんでした。


ということで、あまりご報告することもないのですが、少しだけ・・・


2014年から始め2015の大地震をはさんだ建て替えもすっかり終わった銀杏旅館。


前から見ると・・・(ちょっとかすんでいますが)

かすんでいるといえば、銀杏旅館から良く見えるはずのヒマラヤが今回7日間の滞在で一度も見られませんでした。こんなこともありますので、ヒマラヤが見たいという人はよほど心がけがいいか、時期(普通だったらこの時期は良く見えるはずなのですが)を選ばないといけないかもしれません。

銀杏旅館では次女ラスミちゃんがボウダナート住まい、次男サロジ君は日本住まいなので、ミナちゃんの兄弟姉妹5人のうち3人と長男のお嫁さん(ウルミラちゃん)・子供(リョウマくん)のほかに、私が以前、学校修復でお世話になったメールダラの学校の管理人さんのお嬢さん2人(サルミラちゃん、パルミラちゃん)の計7人と筋田さんの古くからの友人の安部先生が支援していたというバサンティちゃんが今年の春ころから加わって8人、それに5人兄弟のお父さんとしてがんばっている筋田さんを入れてトータル9人で暮らす大家族になっていました。

メールダラの姉妹2人は来年4月ころには日本に行く予定とか、バサンティちゃんは今年から中学に通っているとのこと。

筋田さんは3年前に癌にかかり、良くなっていたと思っていたのですが、どうも再発したらしく抗がん剤治療後、体調が思わしくないとのことで、年明けには日本に里帰り、2月いっぱい日本で過ごすそうですがとても心配です。


サンガのバス停から銀杏旅館までは山道を登るのですが、なんと! 山道が石の階段に変わりつつありました。
上のほうを少し残すだけでもう少しで完成です。

木の枝が置いてあるところは前日作業のところ。そこはまだ通らないようにと枝が置いてあるようです。

毎日のようにこの山道を登り降りしましたが、階段になったらそれまで20分かかっていた登りが15分で登れるようになりましたので、やっぱり階段にする意味もあったのかなあと思いますが、ホンネを言うと私は前のままのデコボコした山道が好きですね~、ただし雨の日に登り降りしたことはないので地元の人やハイキングの人たちの気持ちとは別かもしれません。

銀杏旅館のまわりの家もどんどん新しくなっていました。

ここの家もあそこの家もあっちの家も・・・

屋上のわらボッチのように見えるのはとうもろこしです。



ラムチェ村にもグレ村にも、前回ハイキングの途中で会った人にも会いに行くことができないので(一人では危険かもしれないので)、一人で行動できることをして過ごしました。

銀杏旅館のあるサンガから片道1時間以上(時には1時間半)もかけてバスでカトマンドゥまで出、ネパール語の先生のところに行ったり、前々からの知り合いを訪ね歩いたりして過ごしていました。

途中の道路は私がネパールに行き始めたころに日本の支援で工事をしていた道路の拡張や整備でとてもいい道になっています。(カトマンドゥ~バクタプルまで)

カトマンドゥの街なかに一部、街路樹として合歓の木が植わっているところがありました。



バスが揺れたり、風で木が揺れているのでなかなかうまく撮れませんでしたが、カトマンドゥは今乾季のため緑の街路樹はほこりで真っ白になっているのですが、これはそれほどでもなくきれいな花を見せてくれていました。


私が初めてネパールを訪問したのが、2007年の4月でしたから今年で12年が過ぎたということになります。

2015年には大きな地震が起こりびっくりしましたが、町も村も少しづつ、ゆっくりと修復されつつあるように思います。 でもそれもほんの一部なのかもしれませんが・・・。

アサンチョークの野菜売りのかたがた(露天)の顔ぶれは12年前の顔もあったり、すでに見えなくなっている人もあったりです。(いつもの顔が見えなくなっているのはさびしいです)

この方は初めてお話ししたので写真を撮らせていただきました。次回お届けしなくては・・・。


     

          

香辛料を売っている間口半間ほどの家がずらっと並んでいるこの建物、いつも下ばかり見て歩いているらしくふと見上げると、まだひどい状態のままでした。びっくりです。




キランさんのお店がない!
タンヒティチョーク近くの寺院の本当の名前はカシ・スヤンブーと教えて下さったキランさんのお店がなくなっていました。

このカシ・スヤンブー寺院↓の前にキランさんのお店や紅茶を売っていた方のお店があったのに・・・
  

一年前には建て替えをしているなあと思ったのですが、新しくなったその建物はドアが閉まっていました。

左隣のシャッターの閉まったところに、地震後奥様もアクセサリーのお店を開いたというのにそれもありませんでした。 どちらも TO LET となっていました。

どうやらお店はやめてしまったようです。 

キランさんのお父さんのころからこの近くに住んでいたらしく、このあたりのことをとてもよくご存知でいろいろ教えて頂いたりしたのですが、いつ行っても会えたものが、いつ行っても会えないんだと思うと寂しくなりました。



変わらぬ景色
カトマンドゥ市内では12年前も今も全く変わらない風景があります。

それはこのおびただしいむき出しの電線(電話線?)



この光景は市内のあちこちで見られますが、これでもなんとかなっているのでこれでいいということなのでしょうね。


奇遇な出来事
私がカトマンドゥに出るため、銀杏旅館から山道を下りていき、途中、車の上がる道を横切るのですが、そこを下から上がってくるヨーロッパ人の二人連れがありました。

あら、この人どっかで会ったことがあるかな?と思ってじっと見つめてしまいました。 あちらのほうが先に思い出してくれ、3年前に会ったね~ と言ってくれました。

2015年、地震のあった年の秋にメールダラを一緒に訪問した、筋田さんとは古い付き合いのベルギー人のフランソワーズさんとエディさんのカップルでした! 

その日の2時間後には筋田さんはタライに行くことになっていましたが、電話がつながらないので来てしまった とのこと。

今から上がっていけばまだ間に合うといって、写真を一枚撮らせて頂き私はカトマンドゥに向かいました。何とかセーフのお二人でした。

10秒でもずれていたら私は会うことはできなかった・・と思うと奇遇な出来事でした。お二人は山道のほうでなく車の通る道を上がっていくようでした。


別の日
近所でもめったに会うことはない銀杏旅館の近所のおじさんに2日続けてお会いしました。 かつて写真を差し上げたことがある方で、私のことを覚えていてくれて、ミナの・・・と声をかけてくれました。

おじさんはヤギに草を食べさせるために散歩をさせているところでした。
 
最初の日はあの石の階段の途中でした。


2日目は山道を登りきったモデルハウスのあるとことろでした。




こうして毎日行ったりきたりしていると村にも知り合いが出来て楽しくなります。これも写真が縁ですね。


新しい日本食レストラン「和み(なごみ)」
銀杏旅館に泊まりにきていたJICAの職員で、1年前からカトマンドゥに滞在しているという方から、「1年ほど前に新しくできた日本食レストラン「和み」がおいしい・・シェフは元おふくろの味のシェフだった人」と教えていただいたので「それならおいしいかも・・」と行ってみました。

路地を少し入ったところなのでわかりにくいかもしれませんが、私はすぐに見つけることができました。

2日続けて行くことになってしまったのですが、一日目に、厨房に山芋があるのを私が見つけ、「どこで買ったの?毎日のようにバザールで探していたけどなくって・・・」というと、「買っといてあげますよ」という話になり翌日もまた行くことになったのでした。

その山芋はお金は要らない・・・と無料で戴いてしまいました。(それほど大きくはないけれど3本も!)
写真はとらなかったのですが、筋田さんやミナちゃんがタライに行っているときだったので、サルミラちゃんがボイルしてくれたものをみんなでおやつに食べてしまいました。

肝心のお食事ですが、1日目は私のおなかの調子が悪く単品で、焼き鳥とあげだし豆腐を頂きましたが、これにも向こう付け、お汁粉のサービスが付きました。

2日目は肉じゃがセットにしました(右端の山芋のすりおろしは特別サービスでつけて下さったもの)。漬物はぬかづけでしたよ。

前日の焼き鳥や揚げげだし豆腐もすごくいい味でしたが、肉じゃがも味噌汁もほんとにいいお味、ぬかづけもちょうどいい漬かり具合でそれはおいしかったです。

向こう付けもサービスで付きましたが写真は撮り忘れました。たしか酢の物だったと(前日と違ったのでこれは日替わりのよう・・)。

ご飯と味噌汁はおかわりできるそうですよ! 


ご飯だけは減らし頂きましたが、完食。 とにかくおいしかったです!!
    

最後のお汁粉も必ず付くそう。(これは私の作るものよりかなり甘さ控えめ。)
           

銀杏旅館では毎晩ネパール料理、おいしいのでつい食べ過ぎていましたが、外では日本料理でちょっと胃を休ませたのも良かったかもしれません。

ちなみに以前からあった おふくろの味 というお店は、昔、私が風邪を引いて食欲のないときに食べた酢の物が超おいしかったのですが(ほかの料理もおいしいかったですが)、一時閉店してしまい再開したと聞いてそこにも足を運んでみましたが、味が濃すぎて(特に味噌汁)以前とは雲泥の差、全く私の口には合いませんでした。 

それもそのはず、かつてのあのおいしい日本料理を作っていたシェフが出て行ってしまって「和み」を開店したのですからね。


こんな一週間で、あまり実のないものでしたが、わたしはそれでもいいと思っています。ゆっくり、じっくり、カタツムリのようにアンテナを張って過ごすのが好きなので・・・。 

以上で今回の報告を終わりにいたします。



19度目のネパール グレ村の小学校へ

2018-01-04 14:10:55 | ネパール
 2017.12/12(火)~14(木)

グレ村の学校に行くには3日がかりです。

1日目 サンガの銀杏旅館 ~ ラムチェ村まで
2日目 ラムチェ村 ~ グレ村まで(今回は日帰りでなくグレ村で泊めて頂けることに)
3日目 グレ村 ~ ラムチェ村 ~ サンガの銀杏旅館まで


 2017.12.12(火) 1日目

サンガを10:00ころに出発、いつものようにラムチェ村までで一日が終ります。

銀杏旅館ではミナちゃんの弟のパンネくんがインド製の4輪駆動のりっぱなジープを買い、それを使った仕事を始めたので、今回はそのジープでラムチェ村まで送ってもらいました。

途中、ドラルガートというところで食材を仕入れます。(メールダラの学校に行っていた時もここで食材を仕入れましたのでいつものところという感じです。)


        カリフラワーは日本の倍くらいの大きさです。
        


以前にもここを通りましたが、ここは2015年4/25日の大地震で崖崩れが起こり、3つの村がすっかり消えてしまったところ。7~80名の人が亡くなっています。

ピカピカの新車がよく映えますが、かつて大変なことの起こった場所なのがつらい。


メールダラの学校に行く時はアルニコハイウェー途中のスクテというところから山に向かいましたが、ラムチェ村はそのずっと先の中国寄りのバラビシェまで行ってから山に向かいます。


バラビシェの少し手前の街で昼食。ネパール料理ですが、ここのものはかなり辛くて参った、参った・・・。

バラビシェからは以前だと馬力の大きいジープに乗り換えていましたが、パンネくんのジープはその必要がありません。

そのままラムチェ村のミナちゃんの実家まで乗って行けます。

ミナちゃんの実家(地震後モデルハウスとして建てたもの)の写真は写しませんでしたが、もう2年にもなるというのにまだ5割方しか出来上がっていない感じに見えました。

でもミナちゃんのお母さんは元の家のあったところがいいと言っているそう・・・。

私もそう思うなぁ~!! 不便かもしれないけれど眺めがいいので。

夕食はミナちゃんのお母さんの作るネパール料理。とってもおいしいのですよ。



 2017.12.13(水) 2日目

昨年グレの学校に行ったときは、ミナちゃんの家から歩き始めましたが、今日はパンネくんのジープで一つ目の山の上にあるチュルチェの学校まで送ってもらえるそう・・・。

ということは、ふた山登り下りしなければいけないところひと山だけでいいのです。なんと楽なことでしょう。。。

ただし、途中すごいがたがた道ですので車といえども覚悟が必要です。 それと、雨が降ったらこのジープでも登るのはムリだそうです。

途中ミナちゃんの家の見下ろせるところで休憩をしました。車でもすごく遠回りをするのと、がたがたの急な登り坂なのとでここまででも40分くらいはかかった気がします。

歩いて登ったら、何せ休み休みなのでここまででも2時間はかかるような・・。

一枚記念に。


チュルチェの学校↓を通り過ぎ、車の行けるところまで行くと一人のおばあちゃんに会いました。


ミナちゃんやパンネくんと同じタマン族の人なので、会話はタマン語。 全くわかりません。

一緒に写真を撮らせていただきました。ミナちゃんのあげたセーターがぴったり!


時間に余裕があるせいか、疲れてもいないせいか、みんなで撮影会。 


遠くに見えるヒマラヤは ガウリシャンカール。 




あとで写真を見ていて気がついたのですが、パンネくんの後ろのひと山向こうの山の上にこれから行くグレの赤い屋根の校舎が写っていました!(去年はまだ仮の校舎で青い屋根だった)

今いる山から谷まで下り、又ひと山登るとあそこに着くのです。

でもひと山だけなので時間には余裕あり?


ここでパンネくんとはお別れ、ミナちゃんは私に合わせてゆっくりゆっくり進んでくれました。

歩き始めたのは10:00近く。 昨年は朝の7:00から歩き始めたので3時間分もラクをしたってことかも!!

ミナちゃんが大きな荷物を持ってくれました。

途中で、ヤギや牛のえさになる枝を運ぶ女性とすれ違いましたが、ネパールの女性は重いものでも頭にベルトをかけて上手に運びます。

ミナちゃんも同じようにスカーフをベルト風にして運んでくれました。

11:30ころ、ミナちゃんが持ってきてくれたトウモロコシと昨日の残りのお菓子を食べ、水を飲んで休憩しました。

休んでいるところを通りかかった女性。


みんなと一緒に。


しばらく休んで歩き出すとすぐにあのハニーハンターの崖が見えてきました。 ここまで来たら村はもう近い。

今年もたくさんのはちみつがとれるといいですね。でもそれは村のみんなの物。 私たちが手に入れることはできないのです。


12:00ころようやく村に到着~。 ひと山だけとはいえやっぱり大変だった~~!


明日試験なので今日は学校は休みとの情報は前日に知りました。 

昨年もこんな感じでしたので、今年は学校が休みに当たらないように調べて置いていただくようお願いしてあったのですが、うまくいきませんでした。

造りかけの家がありましたので写してみましたが、このあたりでは鉄筋など使ってはいないようです。







今晩お世話になるお宅でお昼のネパール料理を頂き、一休みしてから学校に行ってみました。

よほどお腹が空いているのかどうしても食べる前に写真がとれず・・。


なんと、学校はすでに新しくりっぱなものが出来上がっていました!

昨年訪れたときは左のトタン囲いの校舎だけでした。

正面はこちら。 残念ながら今日は臨時休校なので(明日の試験のため)扉はすべて閉まっていました。



近所の子たちが10人くらい集まってくれました。 後からもぱらぱらと・・・。


今回グレの学校を訪問するに当たり、カタツムリ歩行で一緒だった善宝さんや理事会でご一緒の男性のOさん、女性のOさんからプレゼントの品々をたくさんいただきました。

善宝さんはかわいい折り紙のポチ袋を折って中にシールを入れて下さり、さらに別のシールも頂きました。


男性のOさんは職場から手に入れたというグッズをいろいろ。
       

女性のOさんからは息子さんが小さいころに集めたであろうレアもののブリキのおもちゃ。
             

文房具もたくさんいただきました。

 
ミナちゃんがうまく配ってくれました。


これはうちにあったもの


健太郎くんとお母さんは厚紙を使って “ぶんぶんゴマ”を60個も作って下さいました。


最初からうまくできる子もいて、できない子は真似をして練習しました。



健太郎君の作った折紙のぴょんぴょんカエルや古いカレンダーを使った紙鉄砲も人気でした。






その他、輪投げもどういうわけか男の子が夢中に・・・。


大縄跳びをしようとしたのですが、慣れていないらしくうまく飛べず、すぐにひっかかってしまいます。

短くして二人ならうまく飛べると・・・。


そのうち、卒業生の大きな子も集まってきてサッカーが始まりました。



柵という物がないので、ボールはどこまでも飛んで山から落ちていくのですが、子供たちは慣れたものですぐに追いついて取ってきます。

かわいいかわいい山の子供たちです。


昨年撮った写真を近くにいる方々に見てもらって、いる方には直接お渡しし、いない方には預かって頂き後日渡して頂くことにしました。

みなさまから頂戴した品々も先生に渡して頂き、うまく子供たちの手に渡るようにお願いしました。

去年の写真を差し上げた方↓のお宅に呼ばれ、またあのおいしいジャガイモをを頂いてしまいました。


するとそこに見えたのが、去年おいしいジャガイモをごちそうになったこの方↓

去年はうちでジャガイモ食べたね・・・と覚えていてくれました。 

うれしいですね。これも写真がつないでくれているような気がします。

なので、写真を撮らせて頂いた方にはできるだけ自分でお届けしたいと思ってしまいます。


今晩お世話になるのは又別のお宅。

着いてすぐにお昼のネパール料理もいただきました。
 

夕食の準備風景も撮らせて頂きました。



夕食を待つ間も健太郎クンは外で子供たちと大さわぎして遊んでいました。


外から戻った9年生の息子さんとその友達のスマホがこんなことになっていました。

シールをプレゼントして頂いた善宝さんゴメンナサイ。大事にしてくれる子もいると思いますので。


夜トイレに起きたのですが、グレの冬の外は北風がびゅうびゅうでとっても寒かったです。

でもでもでも・・・ 星空のすばらしかったこと!! これは忘れられないかも!

家の中は風が遮られシュラフで寝ましたが、暖か。

最初はテントで寝よう…といっていたのですが、ミナちゃんがこちらの方にコンタクトしてくれて泊めて頂けることになったそうです。

朝は3:00から壁を隔てた隣の部屋でニワトリが鳴きだしました。


お世話になったみなさんホントにありがとうございました。

帰りには大きな大根をおみやげに頂いてしまいました。


朝のカジャ(お茶とジャガイモ)を頂き一路ラムチェ村に向かって山を下りました。

落ちた松葉が滑るので、転んで骨でも折ったらと思うと下りも油断はできません。 そろりそろりと下ります。


あ~やっとここまできたか~。

見覚えのあるチョウタラ(旅人の休憩所)

これから山に仕事に行くという人が一休みしていました。ミナちゃんのお知り合い。


ここがミナちゃんちから見上げたひと山目の稜線上。 この先もずっと下らないといけないので油断は禁物。


ミナちゃんちに着いたらお昼のネパール料理を頂き、少し休んでからジープを頼んで下のバラビシェまでくだり、バスでサンガまで戻りました。

サンガでバスを降り銀杏旅館にたどり着いたのは、既に日も暮れ真っ暗になった17:30ころでした。


山を登っている時は あ~たいへん あ~大変と思うのですが、戻ってくると、あ~またあの子たちに会いに行きたいなと思うから不思議です。



   ~  ・  ~  ・  ~  ・  ~  ・  ~  ・  ~


簡単ですが、これで19度目のネパール訪問の報告を終わります。


あすからカンボジアに行ってまいりますが、カンボジアのことは歩き仲間のsaikoroatさんが2年ほど前に詳しく書かれていましたので、私は省略したいと思っています。

どうぞよろしくお願い致します。 今年も元気で有意義な日々が送れますように。