kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

教育勅語と高村光太郎の詩

2017-03-19 23:30:36 | せいじの政治カフェ

森友学園問題の核心はタダ同然の国有地払い下げ疑惑の解明にあります。同時にその追及の過程で明らかになってきた異様な園児教育や稲田防衛相の発言を通じて教育勅語がクローズアップされています。

本当はここに教育勅語の底本(明治23年・1890)10月30日の『官報』の写真を載せたかったのですが、またもや写真アップができませんので、

ここを➡︎  http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2945456/2

教育勅語を暗記させられた最後の世代は私たちだったでしょう。終戦の年に小学校当時の国民学校2年生でした。私の記憶になかにも「朕惟フニ我カ皇祖皇宗ヲ……」あたりまで出てくるのです。学校にあがるまで幼稚園などに通った記憶はありませんが、森友学園の運営する例の塚本幼稚園児のように園児年齢から暗記させられていたら、ほとんど全文が蘇ってきたかも知れません。

三つ子の魂百までも、になっていたでしょう。

そんなことを考えていましたら、一冊の本を思い出し本棚から取り出してみました。

高村光太郎の『詩集  大いなる日に』です。これもアップできず残念ですが、昭和十七年四月の発行、「序」として

支那事變勃發以来皇軍昭南島入城に至るまでの間に書いた詩の中から三十七編を選んでここに集めた。ただ此の大いなる日に生くる身の哀情と感激とを傳へたいと思ふばかりである。  (哀情の哀は詩集では口に縦棒がある)

とあります。

私にとって高村光太郎の詩集は『智恵子抄』です、その『智恵子抄』の刊行が昭和十六年です。同じ時期に智恵子を詠む心と中国大陸を侵略する「皇軍」に感激する心が一緒になっているのです。