先週の「てんがらもんラジオ」から一週間たつのです、いやはや早い、川柳のことも書くことは頭にあったのですが……、この一週間森友学園問題を追っかけて過ぎました。
それを追っかけながら川柳に似た落首(らくしゅ)のことを考えました。
今月は歴史に残る桜田門外の変のあった月で、安政七年の三月三日、1860年3月24日です。
朝からの雪の桜田門外で大老(たいろう)井伊掃部頭直弼(いいかもんのかみなおすけ)が水戸浪士等に襲われ首をとられたのでした。首のない亡き骸が屋敷に運ばれてきた時、奥方が「こりゃどう(胴)じゃ」と言ったという小話がその日のうちにひろまったそうです。
市中には、
井伊きみとご隠居かげで舌を出し とか
井伊掃部(いいかも)を網で取らずに駕籠でとり
という落首などが広がったとか。
ご隠居とは直弼との政争にやぶれた徳川斉昭公で、直弼は江戸の市民には同情されなかったようです。
江戸時代、庶民には言論自由はなく政治や君主に対する批判は、匿名で詠われたこのような落首などで表現されました。言論の自由が庶民のものになったのは現在の日本国憲法の時代になってからです。
しかし、言論の自由がない時代であっても鋭い政治批判を詠み込んだ、
政治屋に内閣というオモチャ箱
という昭和七年の井上剣花坊の川柳は、とても政治家とは呼べない政治屋の集りの安倍内閣そのものの姿です。
季節は春を迎え、ある種の混沌を蔵しながらより春らしさを現してます。俳句に関心を持つ者は季節の変化へ目を開いたり細めたりいています。五七五という短さゆえに、より精確に自分の気持ちが表現できる、表現したいとの思いであり、十七音の可能性への挑戦です。
時代も社会も変化を迎えつつあります、川柳による人生と社会の自分なりの表現も、十七音の可能性への挑戦だと思えるのです。