kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

怒髪天の響き……。

2018-02-23 23:22:31 | 「てんがらもんラジオ」

   昨日の「てんがらもんラジオ」でロックバンド「怒髪天」のドラム坂詰克彦さんの声が……、この方面にはまるで無知の私には坂詰克彦も怒髪天もみんな初耳でした。昨日心に残っていたのですが、余りにも知らぬ世界ですので今日はイヤホンを離さず「怒髪天」、ロックというものを聴きました。

坂詰さんの歌「待っているのよ」はこちらで聴き、
http://youtu.be/MvZ6Q6gdKrk

聴きながら義父が元気だった頃、大晦日の紅白を聴かずに演歌番組を見ていたことを思い出しました。紅白は何んかガチャガチャうるさいだけだ、と評して。

   今日ロックの響きに浸っていると、義父の気持ちも分かるけどこれは耳で聴くというより体が受け付けるのだ、と思えました。少し勉強しようと広げた辞典によると【 ロックは1930年代後半、アメリカ南部の黒人たちの間に広がったリズム・アンド・ブルース(略 R & B)という音楽が広まった】のが元だそうです。
「怒髪天」についてのネットタネでは、「ロックのリズムで浪花節を歌う」と称され JAPANESE R & E(リズム &演歌)とも言われていました。
確かに「待っているのよ」の第一の印象は演歌です、演歌歌詞をロックのリズムで歌う、の見本のようなものでしょう。ロックのリズムは錆つきそうな気持に快くサビ落としの感じで皮膚から響いてきます。

あと何曲か聴きましたが、これ(ひともしごろ)は歌詞が気持に通じます。http://youtu.be/nkcF374pktY

 

坂詰さんのブログに、「てんがらもんラジオ」のことが……。
http://blog.livedoor.jp/dht/archives/cat_6549.html


オリンピック選手を生み出した自然。

2018-02-23 00:02:27 | 「てんがらもんラジオ」

   今日の「てんがらもんラジオ」は伊敷歴史研究会の会長池田さんのオリンピックの話からはじまりました。オリンピックといえば当然冬季オリンピックですが、鹿児島と冬季オリンピックは中々結びつかない話です。その通りで、話は夏季オリンピックのことです、オリンピックで二連覇した伊敷出身の選手を知っていますか? と池田さんが問いかけます、戦前のことだそうです。

番組はこちらで、 http://www.ustream.tv/recorded/113125499

    この記事を見てください、10年前の北京五輪の時の記事ですが、その80年前今から言うと90年前の偉業を紹介しています。日本人がはじめてオリンピックの競泳平泳200mで金メダルを獲得したのでした、このオリンピックでは陸上で織田選手が三段跳びで金メダルを得ています、私は織田選手の名前は記憶にあります。

さらに鶴田選手は次の1932年ロスアンゼルス五輪で金メダルを得て連覇の記録をつくったのです。水泳では1936年に女子平泳200mで前畑選手が金メダル、この時の放送は戦後も何回か聴き耳に残っています。

この鶴田義行選手が今日の伊敷の歴史の主人公です。

鹿児島の伊敷村で生まれたのは明治36年(1903)です。子供の頃から泳ぎが大好きで学校で先生に引率されて行った先で、一人で泳ぎ先生を困らせたと池田さんの話でした。鶴田さんのことを紹介しているブログに、こんな話がありました。鶴田少年が甲突川を泳ぎ下り、桜島まで行きターンしてきたと言うと、他の少年がそれは無理だろうと言う、桜島大根を見せ背負って来た、と。

鶴田さんは奥さんの実家の愛媛県松山で暮すのですが、偉業を生地でも顕彰したいと生まれた場所作られたのが銅像と記念碑です。


なお、2000年には切手にもなっています。

最初に触れられているように、鹿児島では冬季オリンピックの選手が生まれることは難しいことです。以前、お手玉の山本先生の子供の成長とスポーツの発展に関係しての話で、自然のなかでこそその成長と発展は育まれる、と。
鶴田少年が鶴田選手となり、オリンピック二連覇という偉業を生み出した背景に甲突川や錦江湾、桜島が見えてきます。、