4月1日は三鬼忌、頭にはあったのでしたが何も見ることもなく、つぶやくことも無く過ごしました。俳人・尾崎放哉の放哉忌は昨日の今日ですので遅まきながらのつぶやきです。
彌生書房版の『尾崎放哉全集』を開いたら、「付録」
特にこの頁を紹介して放哉忌のつぶやきとします。
「臨終の日」のハガキ 藤原嘉久
遍歴放浪の末、小豆島の堂守りに住みついた尾崎放哉と一日に二度も書簡を往復させ、目に見えぬ心のきずなで固く結ばれたグループの人々がありました。
大正の終り、萩原井泉水主宰の「層雲」に属し、自由律俳句をおおいに提唱していた大分県中津の「裸の会」がそれです。
(略)
全集には「裸の会」の代表であった、島丁哉にあてた書簡約五十通が収められていますが、その中で不思議なハガキの一通があるのです。「大分ー一五・四・七ー后六ー六」の消印スタンプで、大正十五年四月七日はなんと放哉臨終の日なのです。このハガキについては師の井泉水も「層雲」誌上に、放哉の絶筆かも知れないと書いています。
病重い放哉が死の二三日前に書いたけれど投函できず、訪れたお遍路さん(たぶん九州の人)にことづけて、その人は船からあがり大分で投函したものと推定するほかはありません。
(以下略)
写真で読めましたら、目を通してみて下さい。