今回の川柳の題は「制服」、特選はひまわりさんの
制服が入学式を待ちわびる でした。
新学期どこでも新しい制服姿が見られましたが、我が家の話です。長男一家の私たちの町への引越しが遅れたため、孫が中学校の入学式のため我が家に泊まりはじめたのが先週の水曜日でした。制服が数日前から私の家に吊るされていたので、ひまわりさんのこの一句はその時の制服の在りようそのものです。
先週の木曜日午後からの入学式に母親と向かう孫を爺婆で玄関前から見送ったのですが、出る前に私が背丈を比べたら孫の方が高いとの判定。戻ってから聞いたらクラスで二番目に高かったそうで、これからどんどん差が開くでしょう。ちょっと気になったので婆さんに聞いたら、服の方は余裕をもっているので3年間の変化には対応できるとのことです。
孫の制服は詰め襟女子はブレザー、一目で男女の別が分かります。私も川柳で制服を詠むのでネットで「制服」を検索したら、
世の中は広いし変化していく、まず女生徒がセーラー服ではなくなっているのかと思っていたら、性別関係なく選ぶという学校も生まれているのです。そういえばクラスの名簿が男子と女子を分けるのは当たり前のことと思い込んでいましたが、区別なしにアイウエオ順のクラスもあるのです。
制服を詠んだ俳句があるか、とネットでみたら
ある大学主催の「青春俳句大賞」に応募した句です。
最近はネットで英文をカタカナ読みにしてくれますので、
逐語訳も、
制服は成長期にある者にとって一つの段階に達したことの象徴となっています。
定型詩として川柳も俳句も五七五を「パターン=制服」としてまとっています。その制服=パターンが自分の成長を促していくものであることは、孫の詰襟も私の五七五も同じことかと思うのです。 そしてパターンは年月のなかで発展していくもので、それに連れて自分の発展もあるでしょう。