kaeruのつぶやき

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最後まで自分の意志で歩きたい。

2018-04-23 21:43:02 | 「てんがらもんラジオ」

  「てんがらもんラジオ」のチーフ村永さんのブログの名前にならって今日のタイトルです。村永さんのブログは「最後まで自分の足で歩きたいな」というのですが、それが何故「自分の意志」になったか、先週の「てんがらもんラジオ」での児島さんの話に関連します。

  ところで今日の再放送に耳を傾けたら川柳の話で「おや?」、先々週の番組でした。実は先週の番組視聴は録音アプリを信用して「ながら仕事」でやってました。終わってから聴き直したら部分的にしか音が入っていなかったのです。

   ですからこの番組感想はまことに部分的な聴き取り分です、でも私にとっては大切な話でした。それは一昨日の畑仕事の体験によります。一昨日薩摩芋の苗を植える準備で畑の土起こし、スコップを使いながら児島さんの話を思い出していました。

「100歳までウォーク」の話です。特に踵のこと、踵を靴の踵部分にしっかりとつける、ここで思い出したのですが、以前靴を履くとトントンと靴の先で地面を叩き指先まで入れたものでした、ところがこれが間違い。「足靴一体」こそ正しい履き方なのです、そのためには踵を靴のあるべき部分にしっかりとつける、そういうことでした。

   スコップで土を起こす時、足の裏でスコップを押しこみます、さらに奥へ、と踵をスコップの縁にかけ体重をのせます。それはもっと深く土の中へという自分の意志の現れです。児島さんの話は歩こうという意志を直接脳から受ける部分が踵で、それを靴底へ伝え靴と一体になって指先へ体重を移していく、そういう趣旨と受けとめました。その体の向う先が自分の向おうと意志する方向です。

   認知症による徘徊などは脳の中では以前の「地図」があって、それに基づいて行動するのだと聞きます。歩いているのは現在の自分ではなく昔の自分なのでしょう。多分そこには過去という「現在」はあるが明日は無いのでしょう。

   意志は常に明日を伴っています。例え自分の足で歩けなくなっても、意志は自分の生活を方向づけるでしょう。