今日の「てんがらもんラジオ」で、石神さんの「川柳教室」。
https://blog.goo.ne.jp/tengaramonn/e/71c0e0ffab98f9c4241ee3af8d674011
特選は、
この句とハート型の西郷どんと愛加那の姿を見ていて、「逢う」について思いが向きました。
「あう」を漢字変換すると「会合逢遭遇」と五つ、まだある……、白川静先生の『字訓』から、媾(こう)と鬪(とう)、こう説明されています。
「あふ 両者が当たり合う関係をいう語であるから 、出会いから戦うまで、すべての関係が含まれ、語意の領域が頗(すこぶ)る広い語である」
人と人の関係のさまざまな面をどう言い表すか、「あう」はそれを考える基本語とも言えるでしょう。
因みにこの句を
会いに行く一直線に会いに行く
と書いたらこの句の真意は伝わらないのです。
例えば、百人一首でおなじみの、
逢いみてののちの心にくらぶれば 昔は物を思はざりけり
の「逢い」を「会い」と記してみればその違いは、一目瞭然というわけです。音だけのラジオの場合、そういう違いを分かってもらうためのひと工夫が要ると思いました。
今回も川柳は言葉遊びではない、と触れられていました。言葉の表面のみ関心が流されていては、人の多様性を詠みこむことはできないということで、川柳の深みは人間関係の深み、多様さでもあるようです。
田舎もんさんに刺激されて、一句
逢いに行くまっすぐ先に愛が待つ
「逢い」と「愛」、これは言葉遊びではないつもりですが。