昨日に続き三浦哲郎の本の装幀についてです。
本はこれ、
装幀を担当された司修さんの言葉です、
装幀に寄せて 司修
『流燈記』のゲラ刷りを読んでいると、初めてやって来た場所なのに、よく知っていて、懐かしい思いに浸る現象に包まれて、ぼくは、向うからやって来る少女は、「光る目をしているのだ」と思いました。
読み進むほどに、懐かしい思いは深くなって行き、「ちくま」に連載されているころに読んでいたからだろうと、ぼくは興奮を抑えました。
夜だったので、仕事場の窓の外の森を 眺めても木々は見えないのに、森の奥からの風がだんだん近づいて、木の葉を震わせ、誰かがやって来たかのように思わせられました。風は、同じ間隔と速度を保って梢を鳴らしていました。雑草の茂みからのコオロギやマツムシの鳴き声は、いつもより静かでした。
『流燈記』を読み終わったのは明け方でした。読んでいる間中、ぼくは三浦哲郎さんの、笹の葉の擦れるような響きを持つ話し声や、遠くを見つめる眼差しを感じていました。
ぼくは朝酒をやって、混血の少女のドローイングを、眠くなるまで続けていました。しかしいくらやっても眠れず、人々が昼飯を食べるころダウンしました。
暗くなってからまた『流燈記』を読み始めました。再び懐かしい思いに包まれながら、「この本の装幀は、もういない三浦哲郎さんが、喜んでくれるものにしたい」、という思いが目まぐるしく頭の中を駆けているうちに、なぜか、『井伏鱒二自選全集』の装幀が浮かんで来ました。その他、井伏鱒二さんの単行本の装幀が気になって離れませんでした。
そうしているうちに、ぼくはとんでもない決断をしました。
『流燈記』を手にした、あの世の、井伏鱒二さんが喜ぶものにしようと。
すると、ぼくは書道全集を持ち出してめくり、「流」「燈」「記」という文字を集め始めたのです。文字のみの本をイメージしていたのでしょう。そこへ森の小道に茂る野の萩を描き、墓前に手向けるよう置いたのです。