昨夜一緒に観ていた妻が、NHKじゃあないんだと気づいたように言いました、コマ―シャルが入りましたので。それが私にとっては好都合、トイレタイムになりました。
この第一作目の「男はつらいよ」を映画館で観た記憶はありません。このシリーズを妻と観に行くようになったのはいつ頃だったのか、そんなに早い時期ではなかったと思います。
トイレタイムのことが映画館につながったのはこれから映画館で観るような機会があればオムツの心配をしていかなければならないだろうと思ったからです。第一作から50年でシリーズ50作目が作られたのが昨年で、監督はじめ出演者の人生50年を映し出すことになりました。当然のことながら観てきた者の人生も50年なら50年分が反映しています。三十年前にはオムツはもちろん補聴器の心配は必要のないことでした。それだけこの映画が我がごとなのです。
そしてこの映画は映画館で観たいと思います。暗い場内スクリーンに集中する気持ち隣席には妻がいて前にも後ろにも知らない人々だが同じ気持ちの人々がいる。終わればそういう人々と幸せ気分に満たされて動きだすので‥‥‥。
本棚に「男はつらいよ」のシナリオがありました。
それは「寅の声」から始まっています。
「桜が咲いております。懐しい葛飾の桜が今年も咲いております‥‥‥思い起こせば二十年前、つまらねえことで親爺と大喧嘩、頭を血の出るほどブン殴られて、そのまんまプイッと家をおん出て、もう一生帰らねえ覚悟でおりましたものの、花の咲く頃になると、きまって思い出すのは故郷のこと、‥‥‥ガキの時分、鼻垂れ仲間を相手にあばれ回った水元公園や、江戸川の土堤や、帝釈様の境内のことでございました。風の便りに両親(ふたおや)も、秀才の兄貴も死んじまって、今はたった一人の妹だけが生きていることは知っておりましたが、どうしても帰る気になれず、今日の今日まで、こうしてご無沙汰に打ち過ぎてしまいましたが、今こうして江戸川の土堤の上に立って、生まれ故郷を眺めておりますと、何やらこの胸の奥がポッポッと火照って来るような気がいたします。そうです、私の故郷と申しますのは、東京、葛飾の柴又でございます」
この第一作目のシナリオが書かれたのが1969年、そのことに触れながら山田洋次監督がこの本の「あとがき」に書かれていることついては明日にします。