葉山の四季

葉山の四季をお伝えしたいと思います。

ワイコマさんのコメントから、 「数学と算数と算術」

2022-08-29 21:18:10 | kaeruの『資本論』

昨日の「つぶやき」へのワイコマさんのコメントのタイトルですが、昔の記憶に算術という文字があった、と思い出したのです。そしてこのところ量子力学などという分野に首を突っ込んでいる孫息子と、元高校で数学を教えていた御婦人とラインでやりとりしているうちに、「0.999999……」問題に引っかかってしまっているのです。

そして数学というものに触れさせられて愕然とと言うか、呆然というか、私の頭にある数学を数学と称したとすれば孫息子や某御婦人の言う数学は超数学と称すべきと思うのです。

夕飯を食いながら見ていた海底9,801メートルに着いた乗物とか月面に向かう乗物の話も実は数学があっての話なのです。この場合の数学はカエル基準で言えば超超数学なのでしょう、その成果の上にはじめて実現する計画であるはずです。

だとすれば自然科学の数学畑にとどまっていては、昨日の「スマホと量子力学」の終わりの部分、

ここ、「自然科学や工学技術の発展に、社会科学や政治の世界が後れを取ってはならない」この指摘の通りです。孫息子や某御婦人の数学水準に対し算術で向きあうなどドンキホーテ的立ち向かいでした。ここは「政治の世界」と入力すると「清司の世界」と表示されるように清司!遅れをとるな!社会科学の世界に戻れ!ということなのです。

そこで、例の問題に対する孫息子の解答を記して、数学話は〆にします。

(某御婦人の評価では、解答1は算数水準、解答2が数学水準だそうです)

 

大学生の孫息子の 

解答1
厳密でない解答と聞いたことがありますが、分かり易いので以下解答 

1/3=0.333・・・
1/3×3=0.999・・・=1

解答2
1≠0.99・・・とすると、任意の微少数σをいて
1>0.99・・・>1-σ
が成り立つ。ここでσをどんなに小さくしてもこの式は成り立つことからσの極限を考える。
lim σ→0とすると、
1>0.99・・・>1
を得る。
これより0.99・・・=1 


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2 コメント

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Unknown (屋根裏人のワイコマです)
2022-08-30 11:31:51
>>「自然科学や工学技術の発展に、社会科学や政治の世界が
後れを取ってはならない」<<
おっしゃる通りですが、世の中の道理は「先んずれば人を制す」
「自然科学や工学技術」の発展に政治や我々が追いつける
はずもなく、いつも後付けとなってしまいます。世のなか
その繰り返しなんですが、人間も宇宙人の一人と考えると
仮にUFO宇宙人がいたとしたら、この地球人の能力は
まだ100年遅れている??と思われている。
この数学がUFO宇宙人と競えるようになって欲しいと
願ってぃる。
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哲学・人間社会学 (カエル)
2022-08-30 21:19:59
「自然科学や工学技術」を担っているのも社会科学の
推進者も人間自身だが、人間は社会の産物になる相当
以前に自然の産物として地球という産院で育った。

人間以外の生物(動物、植物)は自然という産院から
抜け出すことなく大人になり子供をつくり自分達は死
んでいった。人間だけは産院のなかに自然の産院を真
似ながら社会という保育所を手作りし、死ぬ率を少な
くし、他の生き物の領域をも己れのものにしていっ
た。保育所の周りに農地をつくり食べ物を作るようになると領域の拡大は人間同士の領域争いになった。

(なんか長くなりそう)要は人間社会学というのは哲
学と歴史学の範疇に入るのではないかということと、
人間社会の変化流動とはその全構成物の動きの総和で
あるということを言いたかったのです。その辺を科学
とはじめて明らかにしたのがマルクスで、主書『資本
論』です、これによって始めて社会を科学の対象とし
て理解できるようになった、ということ。自然科学と
の差は100年なんていうものではないが、自然科学を
通じて科学的視点を得ている人間にとって、社会を科
学的に認識する条件は飛躍的に広がっている筈です。

このkaeruなる20世紀前半生まれの人間が、こういう
ことをつぶやき社会に発信している事実がその一事例
だと思って下さい。
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