kaeruのつぶやき

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不破さんの「未来社会論」ー6ー

2018-10-08 22:13:40 | kaeruの『資本論』

   雑誌「前衛」は月刊誌ですから8日という発売日には店に出ます。ですから当然不破さんの「未来社会論」の第2回が掲載されてます。前号の第1回は21頁分ありましたがこのブログで触れたのは7頁半でした。それも第1篇が4章で構成されているうちの4番目の章です。

   本来ならば第1章から触れていくべきでしたが、その辺は理論的な説明で筆にあまるという感じでした。加えて、第4章にあたる部分が格差、原発、温暖化と日常のニュースに関連しながら論文内容を説明できたこともありました。

   今回も掲載の最後の部分の格差、原発、温暖化に関する部分をそのまま記載しておきます。今日買ってきたばかりで、目を通したのもその部分だけですので……。

 

 

(3)  資本主義体制の危機的な諸問題は
      どう解決されるか


   未来社会の特徴づけとしては、まだ第三の特徴が残っていますが、未来社会の性格や様相のおおよそがわかったところで、前回見た現代資本主義の危機的諸問題が、未来社会でどう解決するか、この問題を検討してみたいと思います。

 

    格差拡大の根源がなくなる

   まず格差の問題です。資本主義社会で格差が存在し無制限に拡大する根源は、労働者にたいする剰余価値の搾取がこの社会の基盤であり、その無制限の拡大を追求する利潤第一主義がこの社会の運動の最大の推進力だというところにありました。社会の変革とともに、剰余価値の搾取という事態そのものがなくなり、利潤第一主義も消滅するのです。
   生産された消費手段は、部分的な〝 予備元本〟をのぞくすべてが生産者のあいだに分配されます。分配の方法は、その段階の状況におうじて生産者の集団の間で決定されることになりますが、現在のような格差が想像もできない過去の話となり、社会全体の生活水準の抜本的な向上が実現されることは、疑いないでしょう。

 

   原子力問題はどうなる

   現在の原発問題が、核エネルギーの副産物として生まれ、安全問題の科学的な保障も、危険な核廃棄物の処理の展望も、包括的な総コストの検討もないまま、ひたすら企業の利潤第一主義によってすすめられてきたことは、すでに詳しくみてきたところです。
  未来社会では、このような危険で無責任な原発政策には、きっぱりと終止符がうたれ、「原発ゼロ」の立場がつらぬかれるでしょう。

   しかし、人類の知能の進歩、人間の科学技術の進歩には、限度がありません。現在でも、宇宙生成の神秘や物質の根源への探求は日々進んでいます。いつの日にか、軍事研究の副産物としてではなく、真理を探究する科学の王道のなかから、安全の保障された新たな方法で人類が核エネルギーを利用できる時代にも到達できるでしょう。そういう日をめざして、科学研究に取り組むことが、未来社会の大方向となることを、私は確信しています。

 

   地球温暖化の傾向にストップをかける

  これは、未来社会の実現を待ってはいられない、現瞬間に緊急の解決を求められている重大問題であり、現在、地球の大部分を支配している資本主義社会そのものが、温暖化の傾向にストップをかける責任があります。

   そのことを前提として、あえて、次の時代を担う未来社会の課題をいえば、資本主義社会が果たし得ないままでこの課題を次の社会に残したとしたら、温暖化傾向をストップさせることそのことが、未来社会が取り組むべき緊急最大の課題となるでしょう。 そしてそれが果たされた段階では、さらに進んで、地球大気をより低温化しより住みやすい環境条件を回復することが、次の新しい任務、未来社会でしか担い得ない壮大な任務となるのではないでしょうか。


歴史の水脈は現在につながって……。

2018-10-06 00:44:16 | 「てんがらもんラジオ」

   今回のゲスト伊敷歴史研究会の池田会長さんの話は「元禄高野山騒動」と呼ばれる江戸時代の事件の話でした。騒動の全体についてはこちらが参考になりました。

 http://nagoyakochan.cafe.coocan.jp/CB/CB170120

koyasansinko.html

この文章の最後です。

【 元禄5年(1692)7月、幕府は服従しなかった行人方の627名を大隅、薩摩、肥前などに遠島とし、行人方寺院、902軒を潰寺(かいじ)とする裁決を下した。行人坊で存続したのはわずかに280軒、新寺院の建設は禁止された。】

この627名のなかの160人が鹿児島県の辺塚という所に送られて来たのです。辺塚とはどういう所か、番組のなかでも聞き手の前迫さんがその辺鄙(へんぴ)さを強調していましたが、ネットでしたら一気に行けるのです、

人工物が一切無い、まず自動販売機が無い、トイレ水道無し、携帯も繋がらないとのコメントが……、だから自然がそのまま在るのです。326年前に高野山から送られて来た160人の僧侶が足を下ろしたままの浜辺があるという感じです。もちろん浜を離れて少し行けば車の通る道路はあります、

 

   ここで20人ほどが亡くなったとのことです、その墓があると話されていましたが、これではないでしょうか、

 

辺塚の海岸を南に下りその突端が佐多岬ですが、ここに関連した以前の「つぶやき」です、

 

https://blog.goo.ne.jp/kaeru-23/e/e117475029fe161dc678801734808a6f

ここに書かれているように、日置市で六代御前像を護って来られた清浄寺(しょうじょうじ)のご住職が、十三日の逗子市での講演会に来られます。13世紀の繋がり17世紀での関連、地の縁人の縁を手探れば探るほど広がり深まっていくとの思いを強めています。