葉山の四季

葉山の四季をお伝えしたいと思います。

『資本論』とコロナ・パンデミック

2022-01-19 22:09:00 | マルクス・エンゲルス古典

昨日の「kaeruのつぶやき」へのワイコマさんのコメントにコロナ感染に関連して「五類」という言葉が書かれていました。

どこかで目にした用語だと思い広げたのが、

·
この本です、例により読みかじって未読のまま積読のなかにありました。
かじった部分に、この表があり「5類感染症」という用語が記憶に残っていたのです。



著者の友寄さんは、雑誌「経済」の編集長などを歴任された方でこの本を著す意義は「唯物史観の視点から今回のコロナ・パンデミックをどう見るか、その歴史的意味を考えることでした」。ですから「これまでまったく未知の分野の学問(感染症疫学)」を新たに学んでの執筆だったわけで、それだけに読み易い分かりやすいのです。

この間「kaeru のつぶやき」で「全世界の一人」を称しているkaeruとしてはその自覚を幾らかでも実のあるものにするために、奮闘努力するべきでしょう。見出の図表「歴史上の主なパンデミック」にマルクスが『資本論』で言及している14世紀のペスト流行やエンゲルとマルクスが言及している19世紀のコレラについて載せられています。

これらの言及部分は史的唯物論の視点でパンデミックを評し、パンデミックの元での社会のあり方その動向を見究める観点を提示してくれると思います 。その意味で『資本論』への新たな「読み」をと考えていたこの時期、『資本論』の「読み」に今日的意味を重ねることが出来ます。
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再び「全世界の一人として」、今日が過去最多を記録する。

2022-01-18 22:18:00 | 病は道連れ

下の図1ヶ月ほど前の「つぶやき」です、図は上が日本国のコロナ感染者数の日毎の推移、下は全世界のものです。

 


こちらは上の日本国の図に12月24日から一昨日までの推移を加えたもの、
 


この図は日程は上と同様の全世界の推移です。
 
まず、全世界の推移の方ですが、今から1ヶ月にもならない12月23日の970,817人が一日単位では最多でしたが、1月12日は3,701,643人を数えています。わずか20日間で4倍強です。
 
そして日本では、見出しの写真の通り過去最多の27,932人という数値を示しています。
この図を見ているうちに浮かんできたのが、どういう時代に生きているのかの思いです。鏡に写る己の顔も全世界の一人のうちの一つの顔であり同じ不安を抱えている顔であるという当たり前のことを鏡に向けてつぶやかねばと思いました。
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27前の今日からはじまった物語

2022-01-17 17:52:00 | 本のひと言

 宮本輝という作家、作品を読まない割には名前は知っていました。以前自分の名刺に詩人◯◯と印刷していた友人がこの作家に夢中で、小説も映画についても話してくれたのですが、余り関心を持たず本も手に取らず映画にも行かずに来ていました。
 この本は妻が買って読み終わったものでしょう。かなり前に何気なくページを開いて2巻とも読みました、それは
 

1995年1月17日から書かれ出しているからです。今から27年前の「今日」が人生の転機になった女性のその時とその後の物語です。私の印象に残った読後感は主人公の仙田希美子よりも老婦人毛利カナ江の物語でした。
 
その内容について触れる機会があるかも知れませんが、今日はこの日が私にとっても転機になったということを記しておくだけにします。
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「頼朝の腹」、旗揚げ? kaeruはお手上げ

2022-01-16 22:32:00 | 三浦半島

 タイトルの頁は「鎌倉殿の13人ー2ー」の見出しですが「挙兵の雄叫び」からは今日の分です。文字化しておきます次頁分まで。

 挙兵の雄叫び

 三浦半島が雄叫びをあげたのは、1180 (治承四)年八月、ふつうこれを頼朝の旗揚げというが、その実体は、「頼朝の」というより、それを担いだ東国武士団のクーデターだったと、私は思っている。そしてそのとき、中心になって活躍したのは、まさに三浦一族だった。彼らは、たしかに伊豆での挙兵の現場に居合わせてはいない。が、にもかかわらず、彼らを中心勢力と見るのは、一つには彼らの動員兵力を重視したいからだ。
 頼朝が事を起したとき、直接従ったのは、舅である北条時政やその付近の武士団、それに土肥実平たちだが、彼らを合計して、せいぜい三百、と『吾妻鏡』は書いている。それも石橋山(ここまでp11 次から頁を替えて)
まで出て来たときの数で、挙兵時は百にも満たなかったのではないか。これに比べて大庭景親に率いられた平家側の武士は三千というから、その数をそのまま信じるかどうかは別としても、とうてい頼朝側が互角に戦える相手ではなかった。
 これに対して三浦一族の動員兵力はどのくらいか。正確なことはわからないが、「三浦半島城郭史」を書かれた赤星直忠氏は、『源平盛衰記」を引かれて三浦氏の兵力を三百八十くらいと推定しておられる。三浦氏は頼朝が行動を開始したとき、それに呼応して、石橋山に駆けつけるべく行動を起しているが、このときは全勢力挙げての出陣ではなかったにしても、まず、かなりの数が動いたとみてよい。頼朝が彼らをあてにしていたことは、明らかである。

永井路子さんのこの一文では、特記したいのはここです。
 三浦半島が雄叫びをあげたのは、1180 (治承四)年8月、ふつうこれを頼朝の旗揚げというが、その実体は、「頼朝の」というより、それを担いだ東国武士団のクーデターだったと、私は思っている。

「私は思っている」とは言うまでもなく永井路子さんの思いですが、三浦半島に今は冬眠中のkaeruの腹の中でも「共感」の2字がジワリと広がっているのです。

 しかし、肝心のプリンターとの接続は出来ず、何時間かの奮闘努力の甲斐もなく、こちらはお手上げでした。
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寅さんの子守唄

2022-01-15 22:51:00 | 私の寅さん
今日は今年になってはじめて本格的な外出。欲しい本があってこの辺の書店にはなく藤沢のジュンク堂に出かけて来ました。久しぶりの大型書店でしたので、あちらを見こちらに立ちで時間を過ごし外に出たら暗くなっています。出がけに病み上りなのだから寒くならないうちに帰宅すること、と厳命を受けていたのでSMSで「ずーと足元の明るい所で寒さ知らずでいます」と一報を入れて無事に戻りました。

そのあとはテレビで「男はつらいよ 第14作 寅次郎子守唄」、今回は十朱幸代扮す看護婦さん、病みあがりには強すぎもせず弱すぎもせずのアイドルでした。それにしても「男はつらいよ 寅次郎子守唄」ってタイトルだが、渥美清扮する寅さんの子守唄が聴けませんでした。

赤児を背負ってヨロヨロしてとても子守唄など喉からでる状況ではない姿で九州から柴又までたどり着いたわけだから、子守唄など聴かせる場面はなかったのです。どこかで、落ち着いた寅さんが背の赤児でもいいし掛け布団から顔を覗かしている赤児にでも子守唄を聴かせる場面を見たかった。そんなとき、そばにいるさくらに「お袋がな、お前を寝かせようとして子守唄を歌っていたのを俺は見ていたような気がするよ」などと言う。

さて明日はWiFiとプリンターの接続に成功しなければ、寅さんが合唱団の大川団長と看護婦木谷京子を結びつけた様に……。
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ドコモのWi-Fiで……。

2022-01-14 22:17:00 | どこまで続くかこのブログ

何年かぶりでWIFiが我が家に設置されました。かなり以前ソフトバンクでiPadを入手した時、プリンターをネット接続したくて購入したことがあった以降です。iPadをソフトからドコモに替えて、WiFi器もドコモから送られてきたのですが、これが難物(私にとっては)で、接続が出来ず棚ざらしのままで幾歳月が過ぎてました。
 
ソフトの機種ではコンセントに差し込むだけ、あとは簡単な作業で接続できたのに、ドコモのヤツは機器音痴にとって何回やってもダメで、昨春他のことでドコモの店に行った時、ソフト型のWiFiは作らないの?と言ったら若い女性は「そうなんですよね」と。
 
それが少し前に「出来た」のです、早速と思いながら年を越し昨日買ってきたのです。何より古いiPadが再使用でき、タイトル画像に掲げました。しかし、プリンターとの接続がややこっしい、これは機器音痴のなせることですが……。
 
とにかく明日は「出来ました」とここで「つぶやき」たいです。
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鎌倉殿の13人 −2ー

2022-01-12 22:40:00 | 三浦半島
この図は永井路子さんのこの本、
 

のはじまりの方に出てくるのですが、図に関して永井さんが書かれていることをそのまま記します。


  海からの歴史地図

 友人が熱海の裏山に山荘を造ったから遊びに来ないか、という。招きをうけたその日は、稀に見る快晴で、海に面した小高い山の中腹にあるその家からは、正面に大島、右寄りに三宅島が、驚くほど近くに見えた。
 が、それより私を驚かせたのは左手の海に突出した半島が、あまりに手近に、そして鮮かに見えたことだった。
 「手前のこんもり樹の繁っているのが真鶴半島、その先が三浦半島、その先に見えるのが房総半島」
 友人の説明に私は思わず感嘆の声をあげた。
 「三浦半島って、あんなに小さいの。へえ」
 「房総半島って、随分近くにあるのね。それに、随分大きいのね」
 たしかに、房総半島は、ちっぽけな三浦半島を後から抱えるような形で、海に長々と伸びている。平面の地図を眺めるのとはまるきり違った感じである。それを見ている間に、私はふいにあることに気づかされた。
以下図が置かれてるp10】
 友人の山荘のあるのは、伊豆半島のつけ根の部分だった。
そこから真鶴、三浦、房総と海に突き出た半島つないでゆくとする。そしてそこに十二世紀末という「時」のヴェールをかぶせてみると、たちまち一つの歴史地図が浮びあがるのだ。
 すなわち、伊豆の北条、真鶴半島の土肥、三浦半島の三浦、房総の千葉——。これらこそまさに頼朝の旗揚げの中心になって働いた武士たちではないか……。
 伊豆で旗揚げした頼朝は、石橋山の合戦に敗れると、土肥実平にかくまわれて真鶴半島に逃れ、海路房総半島をめざした。三浦一族も緒戦に平家に組した畠山一族と戦って敗れると房総半島に逃れる。そこで千葉氏はじめ関東の武士団に迎えられて、一気に勢力を挽回して鎌倉入りする。この歴史の動きを考えながら海に突き出た三つの半島を眺めると、彼らの連繋プレーが、ごく自然に納得できるのだ。
 いわば彼らは、この東国クーデターの核のような存在だったのだ。現代人は陸路に馴れすぎ、
【行の途中ですが、ここからp11】
とかく海のことを忘れがちだが、あの時点を考える場合、この「海からの歴史地図」を忘れてはならないようだ。
 と、思ったとき、まことにふしぎなことだが、それまでひどくちっぽけに見えていた三浦半島が、だんだん、ずしりと重く、大きな意味を持つものとして、私の眼に映って来た。そして、かつて、この半島が歴史に向って放った雄叫びが、そのときさながら聞こえて来るような気がしたのである。
 
この一文中kaeruが抜書きしておくのは、この部分
 
まことにふしぎなことだが、それまでひどくちっぽけに見えていた三浦半島が、だんだん、ずしりと重く、大きな意味を持つものとして、私の眼に映って来た。そして、かつて、この半島が歴史に向って放った雄叫びが、そのときさながら聞こえて来るような気がした
 
ここの部分は、この人のここと通じます。
 
これは以前の「kaeruのつぶやき」ですが、
日本歴史における三浦半島、そして三浦一族への視点です。


 
 
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体調回復率50%?

2022-01-11 21:16:00 | 病は道連れ

怠け癖がつきました。昨日コメント返信もせず、「つぶやき」もせず48時間ほど過ごして2、3日前でしたら熱の体を横たえていました、と言えるのですが、ほぼ平熱で食事も普通に戻っているにも関わらず、何をしていたのでしょう。

思い出したのは一冊の新書・永井路子『相模のもののふたち』(有隣新書)、これは面白い。多分三浦半島の馴染みの地名に寄る武士たちが名を連ねてくるからでしょう。だとなるとその内容を紹介したいと思うのが筆の流れというものですが、そうなると体調完全回復と誤解されますので……。

朝のコーヒーは美味いな、でしたが……調子に乗って午後2杯目、これは半分残して冷えたまま……。普段一日三杯ですから、これで判断すると回復率50%、という程度でしょう。

体温計は36.5° 後頭部が重くなってきました。

明日は100%回復で永井路子さんの筆が起こす三浦半島を紹介したいものです。  

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本調子回復診断剤?

2022-01-09 22:31:22 | 病は道連れ

本調子回復判断診断剤? これは体温計ではもう十分に本調子だ、と言って良い数値なのに体も気分のその気にならないのです。昨日はインスタントコーヒーでそれを感じました、飲みたくて飲んだのですが美味くない、ダメ。これは味覚に象徴される体調回復不十分というわけでしょう。

昨夜は寅さんテレビ、マドンナは吉永小百合。普通だったらテレビ前に待ち構えていて箸は持ったままで口は動かさず目はテレビを離れず、なのに「まーいいや、今日は観ない」と床のなかを動かさずに……。

そこで気づいたのはもしマドンナがリリーだったら!なのです。リリーが出てる五つの作品のどれであっても、床を抜けます二階を下りますテレビを観ます、です。観終わって「お!本調子に戻った、明日からコーヒーも美味いぞ」と感じながら寝に戻ったでしょう。

今夜は「鎌倉殿と13人」観におりました観ました、箸を動かしながら。観てよかったが、明日はコーヒーが美味いぞ!という気分にはなれませんでした。さて、明日のコーヒー試し飲みの結果は?

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雲坪の画価格

2022-01-06 21:46:00 | 三浦半島
名のある画家のものとしてはかなり安いのではないでしょうか。その「名のある」というところが 問題で雲坪は南宋画を受け継ぐ画風だったそうで、日本画の主流は北宋画風にあって雲坪は外れていたのでしょう。長野に善光寺周辺で乞食画家と呼ばれたりする生活のなかで筆をとっていたようです。だからこそ畸人傳に出てくるのでしょうか。
 
雲坪について
 
絵の価格については、
 
これは3日にいただきましたワイコマさんのコメントへの返信としてここに置かしてもらいます。
 
 
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