昨年、と言っても一昨日のことですが、一昨日こちらの本に目を通していてこの話が目に止まりました。
本というのはこれです、
正月の初詣は鎌倉鶴岡八幡宮で始まった
との見出しです。
該当頁でも読めますが、文字化しておきます。
正月の初詣は鐘倉鶴岡八幡宮で始まった
正月の初詣の習慣は、頼朝により、鐘倉鶴岡八幡宮において、始まったのだろうか。
中世史家の五味文彦は、その著『王の記憶——王権と都市』の中で、初詣について次のように述べている。
(治承五年)正月元旦に鶴岡八幡に詣でた頼朝は、毎月一日に奉幣することを定めたが、実に元旦の初詣はこの時からはじまったのである。
元旦の初詣の習慣は、鎌倉において、頼朝が、治承五(一一八一)年に始めたのが最初であるという、大胆な説である。
根拠とした『吾妻鏡』の該当の部分を引用すると、次のようである。
治承五年辛丑 正月大 一日 戊申 卯の剋 前武衛 鶴岡若宮に参りた
まふ。日次の沙汰に及ばず、朔旦をもって當宮奉幣の日と定めらると云々。
…… (『全譯吾妻鏡』第一巻』新人物往来社)
日のよしあしに限らず、毎月一日を奉幣(神に幣を奉ること)の日と定めてい
る。
はたして、このことが、正月の初詣の起源であると言えるのであろうか。
一方、宮中において行われている、「四方拝」と呼ばれる行事が知られている。
元日の払暁、天皇が宮中神嘉殿前の南庭に屏風をめぐらした御座で天地四方ならびに山陵を遥拝し、伊勢の皇大神宮ならびに東西四方を遥拝、平和を祈念される儀式をいう。その昔は、清涼殿の東庭で行われており、皇室の年中行事の始まりであった。起源は詳らかではないが、宇多天皇の寛平二(八九〇)年に始まり、応仁の乱の頃、一次中断、その後皇室の慣例として今日に至っている。
四方拝は、元日の払暁に行われる点では、初詣に似ているが、神社に出向くことはなく、宮中の中の限られた行事であった。とすると、先の五味説の方が説得力を持つことになる。初詣の習慣は、鎌倉において、頼朝により始められたとする、五味説により説得力があると考えられる。