“裏金疑惑追及” と言うことになれば、「つぶやき」で済むことではないでしょう。そこで今日は「しんぶん赤旗」を借りて、「kaeruの主張」です。
今日の「しんぶん赤旗」一面、
今日・12月12日の「しんぶん赤旗」の主要記事は、以上の記事も含めてこちらで、
“裏金疑惑追及” と言うことになれば、「つぶやき」で済むことではないでしょう。そこで今日は「しんぶん赤旗」を借りて、「kaeruの主張」です。
今日の「しんぶん赤旗」一面、
今日・12月12日の「しんぶん赤旗」の主要記事は、以上の記事も含めてこちらで、
今日は新聞休刊日ですが、あらためて新聞の役割の大切さを考えるのも意義あることでしょう、
と言い出してこちらを、
赤色の1行を写すと、
今回のスキャンダルは、昨年2022年11月6日の時点で、「しんぶん赤旗日曜版」が、と続くのです。
こちらも、
これはこちらで全文読めます、
当然最近の各号でも、
11月26日号 12月3日号 12月10日号
こちらで12月10日号が紹介されてます、
岸田政権の支持率低下を更に大きくするだろう「裏金問題」への「しんぶん赤旗」の今日の主張です、
全文をこちらで、
関連記事を一面から、
記事のリード部分
岸田文雄首相は、自民党安倍派が政治資金パーティー収入の一部裏金していた問題で1000万円超のを受けた疑いがある松野博一官房長官(61)を交代させる方針を固めました。 政府・与党関係者が8日明らかにしました。 事実上の更迭とみられます。 松野氏は2021年10月の政権発足時から「内閣の要」の官長官を務めており、政権中枢を直撃する事です。
本文へ、
政治資金パーティーの裏金疑惑は、自民党主要5派閥の政治団体が政治資金パーティー収入計4000万円分を政治資金収支報告書に記載していなかっなことを「しんぶん赤旗」日曜版が特報したことが契機となって発覚しました。
安倍派はパーティー券のノルマを超えて所属議員が売った収入を政治資金収支に記載せず議員側に環流させた疑いがあり、 東京地検特捜部が捜査しています。 松野氏は官房長官就任まで約2年間、派閥の事務を取り仕切る事務総長を務め、現在も同派の意思決定機関「常任幹事会」のメンバーです。
日本共産党の志位和夫委長は7日の記者会見で、パーティー収入の議員側への還流について、安倍派の会計担当者が「事務総長に報告した」と説明したと報じられているとして、「安倍派の(歴代)事務総長は現在の官房長官や経済産業相だ」「政権中枢、派閥の中枢を直撃する事態だ」と強調してきました。
カネまみれ 底なし 安倍派計6幹部に表面化
高木・世耕・塩谷・荻生田・西村各氏も
自民党の最大派閥「清和政策研究会」(安倍派)が 政治資金パーティー収入の一部を議員側に還流させ裏金にしていた疑惑で松野博一官房長官に加え、同派幹部の高木毅党国対委長、世耕弘成党参院幹事長、塩谷立元文部科学相、萩生田光一党政調会長、西村康稔経済産業相側も約100万~1000万円超のキックバックを受け、政治資金収支報告書に収入として記載していなかった疑いがあることが9日までに、関係者への取材で分かりま
した。
関係者によると昨年まで5年間に1000万円超キックバックを受けてい疑いがあるのは松野氏、高木氏、世耕氏。塩谷氏、萩生田氏、西村氏は約100万〜数百万円のキックバックを受けていたとされます。
6人は安倍派の最高幹部。部長が塩谷氏で他の5氏は「5人衆」と呼ばれ、同派の集団指導体制を担っていました。5人衆は需要閣僚、党幹部で政権の中枢を担っており、岸田文雄首相の任命責任と説明責任が厳しく問われる事態となっています。
次は二面から、
日本共産党は国会審議で自民党派閥の政治資金パーティー収入環流疑惑を厳しく追及しています。8日の衆院予算委員会では塩川鉄也議員が「裏金疑惑の徹底解明が必要だ」と述べ、松野博一官房長ら自民党主要派閥の事務総長経験者への証人喚問を求めました。
一方、松野氏は問題発覚以降、毎日2回行われる定例の記者会見で「政府の立場」を〝盾〟に説明を拒否。8日の衆参予算委員会では、自身の政治団体の収支について適正に処理してきた」としながら、具体的な内容は
「答えは控える」と操り返しました。
野党の辞任要求にも松野氏は「引き続き所管する分野の責任を果たしたい」と拒否。岸田文雄首相は「(松野氏には)政府のスポークスマンとしてしっかり発信してもらう。 役割を果たしてほしい」とかばってきました。
安倍派を巡っては、髙木国対委員長と世耕弘成参院幹事長にも1000万円超の還流疑惑が判明。 他の複数の閣僚や閣僚経験者、自民党幹部にも還流疑惑が浮上(1面所報)しています。首相は13日の臨時国会会期末や、
今月下旬の2024年度予算案の閣議決定をにらみ、内閣改造を含め人事を検討するとみられます。
官房長官の辞任は異例。2000年10月に森内閣の中川秀直氏が女性問題で、04年5月に小泉内閣の福田康夫氏が国民年金の保険料未納でそれぞれ辞任しています。
世耕氏、説明拒む 参院幹事長辞任も否定
自民党の世耕弘成参院幹事長は9日、所属する安倍派から政治資金パーティー収入の一部の還流を受け、政治資金収支報告書に記載しなかった自身の疑惑について、「しっかりと調査して誠実に対応していく」と述べました。京都府宇治市内で記者団に語りました。
世耕氏は、「疑念を持たれることは政治不信につながる。国民に深くおわびしたい」と述べながら、進退については「職責を全うしていきたい」と述べ、参院幹事長の辞任は否定。一方、「私の発言が捜査に影響を与えてはいけない」として、詳細についての説明は拒否しました。
2日続けての「昨日の今日」で恐縮です。
タイトルにありますように昨日は日本海軍によるハワイ真珠湾攻撃のあった1941年12月8日(現地7日)から82年目でした。
ワイコマさんのブログにも書かれていまして気付きました。
雑誌「前衛」12月号の該当記事を紹介しよう思います。
こちらのページを、
海外旅行の定番といえばハワイである。しかしこの地は太平洋戦争の始まりとなったパールハーバーがあり、重要な戦争遺跡でもある。一九四一年一二月七日早朝に日本帝国海軍機が米太平洋艦隊奇襲攻撃した。日本帝国陸軍が英領マレー半島のコタバルへ敵前上陸してから1時間後である。太平洋を挟んで日本とアジアの民に未曽有の惨禍をもたらした太平洋戦争の始まりである。
パールハーバーには、将兵と共に轟沈した戦艦アリゾナを慰霊するアリゾナ記念館を中心に、米軍の太平洋戦争関連資料を展示した「世界大戦武勲記念史跡」がある。当時のローズベルト米大統領はだまし討ちだと 「Remember. Pearl Harbor」を発し、米兵と米国民をおおいに鼓舞した。 七六年後の二〇一七年にトランプ前米大統領がこの地からツイッターで同じ言葉を発した。当時日本では「鬼畜米英」と叫んでいたが死語となった。アメリカでは生きているのだ。
湾には戦艦ミズーリが係留されている。一九四五年九月二日、東京湾のこの艦上でマッカーサー連合国軍最高司令官らと、大日本帝国外務大臣重光葵らによる無条件降伏の調印が行われた。太平洋戦争の終わりである。艦には降伏文書が展示されている。 この史跡には武勲を誇る米海軍の資料が数多くある。その一つに沖縄からの疎開児童を乗せた対馬丸を沈めた潜水艦ボーフィンが係留され、見ていると怒りがこみあげてきた。
ビジターセンターの片隅に広島で被爆し一〇年後に一二歳で亡くなった佐々木禎子さんの折り鶴がある。 接眼レンズ越しに見る折り鶴はあまりにも小さく涙が出そうだった。米軍の聖地に、原爆症と闘い生存を願った少女の折り鶴を展示する運動を起こしたハワイ市民に凄みさえ感じた。終戦から七八年、「Remember Pearl. Harbor] と「No More Hiroshima Nagasaki」 の間にある深い怨念とわだかまりが存在してきた。 二つの相反する趣旨が歴史的地で共存するのは、人間の平和を希求する悶えなのかもしれない。一方、二〇二三年この史跡と広島市平和公園が姉妹協定を結んだ。しかしこの協定締結は、日米の政治パフォーマンスの匂いがプンプンする。
先制攻撃が成功したかに見えた真珠湾攻撃も数年後、 未曽有の惨禍を伴って敗戦となった。この事実はウクライナに侵攻したプーチンも日本軍の二の舞になることを示唆しているかのようである。
撮影は、二〇一四年 二〇一六年~二〇一九年。写真集 「Pearl Harbor海の彼方の戦争遺跡」として新日本出版社から発行。
書かれていますようにグラビアの説明文です、雑誌を開くと、
これを一枚目として8ページ5枚の写真が、その5枚目です
一枚目が戦艦ミズーリで、その次が潜水艦ボーフィンです、同じ文ですがもう一度読んでください。
湾には戦艦ミズーリが係留されている。一九四五年九月二日、東京湾のこの艦上でマッカーサー連合国軍最高司令官らと、大日本帝国外務大臣重光葵らによる無条件降伏の調印が行われた。太平洋戦争の終わりである。艦には降伏文書が展示されている。 この史跡には武勲を誇る米海軍の資料が数多くある。その一つに沖縄からの疎開児童を乗せた対馬丸を沈めた潜水艦ボーフィンが係留され、見ていると怒りがこみあげてきた。
写真集の案内です、こちらをクリックしてみて下さい。
昨日の会議にこのニュースが分かってたら! と思った
今日の「しんぶん赤旗」一面この見出しと写真。
記事はこちらから、
「要望書要旨」は、
「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」(市民連合)が7日、日本共産党と立憲民主党、れいわ新選組、社会民主党、「沖縄の風」の4党
会派の代表者に手渡した要望書の要旨は次の通りです。
前文 市民連合は立憲主義の回復と安保法制の廃止を求めて、立憲野党と連携しながら、5回の国政選挙を闘ってきた。基本的な共通政策(次期衆院選挙に向けた5項目の要望)を野党連携の土台とするよう要望する。
1 憲法も国民生活も無視する軍拡は許さない
憲法9条の改悪や専守防衛を逸脱する集団的自衛権の行使・敵基地攻撃能力の保有を容認せず、辺野古新基地建設等基地の強化ではなく、基地負担を軽減する。
2 物価高、燃料高騰、円安、不公平税制を放置せず、市民の生活を守る経済政策を行う
実質賃金引き上げや格差是正、インボイス制度の廃止、逆進性の強い税制の是正と社会保険料負担の適正化、保育や教育のための子ども予算の増額など市民の生活を保障し将来世代へと繋(つな)げる政策へと転換する。食料自給率の向上をめざす。
3 だれもが個人として尊重されるよう、ジェンダー平等・人権保障を実現する
政治の場、働く場、学ぶ場家庭における男女平等の実現をめざし、選択的夫婦別姓制度や同性婚制度などを整備する。あらゆる差別を禁止する。
4 将来世代へと繋げるために、気候変動対策を強化し、エネルギー転換を推進する
原発にも化石燃料にも頼らないエネルギーへの転換を進め、脱炭素社会を早期に実現し、経済や安全保障上のリスクを軽減する。
5 権力の私物化を止め、立憲主義に基づく公正で開かれた政治を行う
権力の腐敗私物化に歯止めをかけ、みんなのための政治を取り戻す。 解散権の乱用は許されない。 予備費の膨張と流用は認められない。
今日、神奈川4区市民連合と該当地区の日本共産党地区委員会の代表との「意見交換会」が行われました。会場に行ったら「日本共産党の政策を聞く会」になっていて? と思いつつ話に入って行きました。
(写真3枚をアップし、文字3行を書くまでかなりの時間を食いました、久しぶりの「iPad不調」のようです。
明日朝早いので「つぶやき」は明日に……、今夜は休みます)
昨日の「つぶやき」にアップしていた同じ写真です、
逗子の小坪に限らないのですが、郷土史とか歴史に関する「つぶやき」になると、黒田康子(しずこ)先生に.繋がるのです。そして先生の郷土史に対する構えを言葉にした次の一文を思い起こします。
郷土史とは自分の生活の場、死に場所である。〜 我々庶民が現在までこの国をどう生きてきたかを知り、永久平和に近づく手段を模索する学問である」。
更に「時の為政者の圧力の中で、如何に服従し、抵抗し、より自分達の暮らし易い生活を築こうとしてきたか、より良い未来を築くための手がかりが郷土史だ」。
それに加えてこの一冊から、
次のひと言を加えます、
人間は自然の中の存在であると同時に、時間空間の中に生死する歴史的存在である。歴史を学ぶ事は自己を知ることである。
最後の太文字部分は、先生から直接もう少し優しく伺った言葉です。
先生が古文書に触れながら郷土史について語っている場合、主に江戸時代の郷土の歴史かと思われるかと思いますが、「永久平和に近づく手段を模索する学問」と位置付けているように現代に繋がり未来を展望し得る学問であるわけです。
その意味で郷土史を学ぶということは、自分の生きて行くそして終焉地になるその「場」の人々の足跡と、明日に向けどういう足取りを記して行くべきかを学ぶという事です。
小坪の「砲台に消えた子どもたち」についての諸活動を通じて、郷土史についての認識を深めあっていく活動でありたいとの思いを深めています。
タイトルをこのようにしたのは、この爆死が「事故」なのか「事件」なのかに関わるからです。「事故と事件に違い」は、
この爆死の原因になった爆発の原因について言われている「子どもがマッチを」であっても昨日紹介しました「大人が蝋燭を」であっても爆発は「故意」ではありません。ただその後の経緯には事件性を含んでいると思われます。その問題を含みつつ来年の慰霊碑移動と新慰霊碑建立に向けて、遺族関係者の動きと関連しつつ「逗子の歴史を学ぶ会」は6月の「集い」に向けて活動を始めることになります。
そこを中心に会長を交えて会の中心のところで、明日意見交換をすることにしました。その際、会の初代会長の黒田先生の生前の郷土史に対する思いを振り返っておく必要があると考えます。
そこで、
この二つの文書に目を通しておかなければなりませんので、「つぶやき」はここまでで、明日の報告に繋げたいと思います。
「墓場」とは、いま私たちの見ている「現実」、ここです「ガザ」、
「慰霊碑」とは、逗子市の市議会議員であり「逗子の歴史を学ぶ会」会員の加藤さんのFbをお借りして、去る10月20日の慰霊祭で、
今日、小坪の慰霊碑に関連して亡くなった子供のことを調べている方とお会いし、かなり詳しく教えてもらいました。その内容については会の例会を通じてお伝えできると思います。
ここでは、戦争というものが弱者なかでも子どもに如何に犠牲を強いるか、を大人として責任をもって心に刻まなければならないかと感じてきたことを書き留めておきます。
「ガザ」での「子どもの墓場」については画像を見てもらえればと思いますが、逗子の小坪の「砲台に消えた子どもたち」は、戦場でもなければ戦時中でもありません。
78年前の8月に終戦になり2ヶ月後に砲弾爆発によって、焼けただれて死んでいったのです。
その原因について、
出火の原因は子供がマッチを摺ったのではありません。壕の奥の方に入っていた5〜6人の男の一人が蝋燭が燃え尽きたと思って捨てたのが火薬に引火して爆発したのです。壕は奥のほうからトンネルになって出口があるので大人達はみな助かりました。入り口の方にいた子達がほとんどやられたのです。
と、今日の話の資料に、当時小学生3年だった地元の方の証言を記してありますが、その人のお兄さんが被爆して亡くなっています。
この「子供がマッチを摺った」という話が当時広がったのか、その後記されるものに「原因は子供がマッチ」とされるものが多くあります。
また今日話された中心は、何人の子どもが犠牲になったのか、でした。加藤さんは14名と書かれていますし、多くの記録には14名とあり氏名も分かっていますが、15とも16名とも記された記録も出てきてます。
来年の10月には新しい慰霊碑を元の砲台跡近くに建立し、全員の霊を祀ろうという遺族のあらたな思いです。そのためにも一人の霊ももらすことは出来ません、今後関係者の誠心を集め完全を期さねばなりません。
「逗子の歴史を学ぶ会」としては、半年先の6月22日の「集い」から、10月の新慰霊碑建立に向けて黒田初代会長の遺志に応えてと、思いを固める日になりました。