昨日の「つぶやき」にアップしていた同じ写真です、
逗子の小坪に限らないのですが、郷土史とか歴史に関する「つぶやき」になると、黒田康子(しずこ)先生に.繋がるのです。そして先生の郷土史に対する構えを言葉にした次の一文を思い起こします。
郷土史とは自分の生活の場、死に場所である。〜 我々庶民が現在までこの国をどう生きてきたかを知り、永久平和に近づく手段を模索する学問である」。
更に「時の為政者の圧力の中で、如何に服従し、抵抗し、より自分達の暮らし易い生活を築こうとしてきたか、より良い未来を築くための手がかりが郷土史だ」。
それに加えてこの一冊から、
次のひと言を加えます、
人間は自然の中の存在であると同時に、時間空間の中に生死する歴史的存在である。歴史を学ぶ事は自己を知ることである。
最後の太文字部分は、先生から直接もう少し優しく伺った言葉です。
先生が古文書に触れながら郷土史について語っている場合、主に江戸時代の郷土の歴史かと思われるかと思いますが、「永久平和に近づく手段を模索する学問」と位置付けているように現代に繋がり未来を展望し得る学問であるわけです。
その意味で郷土史を学ぶということは、自分の生きて行くそして終焉地になるその「場」の人々の足跡と、明日に向けどういう足取りを記して行くべきかを学ぶという事です。
小坪の「砲台に消えた子どもたち」についての諸活動を通じて、郷土史についての認識を深めあっていく活動でありたいとの思いを深めています。