ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

トルコ日記(10)

2010-07-03 06:00:00 | 旅日記
6月16日(水) ヒエラポリスとパムッカレ
パムッカレという地名で私たちが思い浮かべるのは、棚田のように白い石灰石の窪みが
斜面に連なり、そこにエメラルドグリーンの水をたたえた光景です。
しかし石灰棚のある台地は町の一部でしかなく、その裾野に当たるところに町が拡がり、
いくつものホテルが点在しています。私たちの泊まったリゾートホテルもその一つでした。
7時、そのホテルを出発します。



バスは、まず町の公園のような所に停まりました。ホテルからはもちろん、昨日町に入る
ずっと前から見えていた、あの白い台地が目の前に拡がっています。



写真や映像で上からの棚田風の光景はお馴染みですが、下からの眺めは思いがけない角度
からのもので、青空を背に前の池に影を落とす白い城壁のような石灰棚の姿は、何とも言え
ない雄大な美しさでした。



再びバスは斜面を登って南入場口に着きます。ここで下車して驚いたのは、広々とした
廃墟のような場所だったことです。ここが「聖なる都市」ヒエラポリスです。
写真は往時の市南門。



この町の最盛期は2~3世紀、ローマの直轄統治のもとに現在残っているいくつもの神殿、
大劇場、二つの浴場が建設され、ローマの皇帝、貴族、富裕階級の人たちが保養に訪れ
ました。写真の手前から奥に伸びているのは当時の水道の遺構です。



これは大円形劇場。上から見ると内部が分るのですが…例によって時間なし。他の遺構も
回る余裕はありません。なにはともあれ石灰棚へ。



有名な石灰棚はこのヒエラポリスの一角にあります。この復元図を見ると町の大きさが
良く分かります。14世紀中頃、セルジュクトルコの時代に大地震で町は壊滅。住民が
いなくなった町は復興することなく現在に至っています。



遺構から石灰棚越しに現在の町を見下ろしたところです。ローマ人たちが、ここを訪れた
のはここの温泉がお目当て。地面から湧き出た石灰成分を含む摂氏35度の温泉水が、山肌
を流れ、沈殿した石灰が沈着して棚を作り、無数の温泉プールを現出しました。
トルコ大使館のHPによれば、『心臓病、循環器疾患、高血圧、神経性の障害、リウマチ、
目や皮膚の病気、神経や肉体の疲労、消化器疾患、栄養障害に効果」があるとのことで、
諸病に効き目がありそうです。



現在は世界遺産として指定され、景観保護のためごく一部にしか入れなくなっています。
また必ず裸足にならないといけません。石灰棚の上はぬるぬるして滑りやすく、少し前を
歩いていた別のグループの女性が派手に転倒して悲鳴をあげました。幸いたいしたことは
なかったようですが、下手すると崖から下へ転落もしかねません。



足湯風に温水に浸かってみました。やや生ぬるい感じです。



一番大きなプール。しかし浅いので泳ぐのはとても無理です。ここの水の色は一日の時間
や天候によって様々に変化するそうですが、このときは濃い空の色を映して真っ青でした。



ここが終点。その先が写真で良く見る棚田。しかし高い三脚を立てるか、ヘリコプターで
でもなければ立体感はでないのでは…。



パムッカレ観光を終えて200キロほど離れたセルチュク(エフェソス)へ。途中、スルタン
ヒサルの町でトイレ休憩、ちょうど正午にセルチュクに着きました。
ここでの昼食はこの町の名物、「チョプ・シシ」です。小さな串にさした焼き鳥のような
シシ・ケバブ。数えると10本ありました。



辛いのが好きな人はこのソースをどうぞ。ビールに良く合います。



それにサラダと



定番のチョルパス(スープ)でした。