ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

トルコ日記(20)

2010-07-13 06:00:00 | 旅日記
ボスフォラス海峡クルーズ



さあ、いよいよ乗船です。この大きな船がたった15人の貸し切りで、勿体ない気がします。



デッキのベンチに腰掛けて、心地よい海風に吹かれています。
オルタキョイの港を出て、すぐにボスフォラス大橋の下をくぐります。ヨーロッパとアジア
を結ぶ長さ1000mの橋は1973年に建設されました。



この海峡は黒海からエーゲ海に向かって結構早い流れがあり、船はそれに逆らうように上流?
へ向かいます。



左手ヨーロッパ側の海沿いに豪華な住宅が並んでいます。どの家にもプールや東屋、子供
の遊び場などが付属しています。



こちらはせめてデッキで、優雅に?チャイタイムです。



船が出てから30分ほどたつとファティフ大橋が見えてきました。この辺りが海峡の一番狭い
ところです。橋の手前に見える城塞はルーメリ・ヒサール。



この要塞は1452年、オスマントルコのマフメット2世がビザンティン帝国の都であった
コンスタンチノープル攻略のために建設しました。ルーメリはトルコのヨーロッパ側と
いう意味で、対岸のアジア側はアナドルといいます。こちら側にもアナドル・ヒサール
があり、黒海から援助物資を積んでコンスタタンチノープルへ向かう船を両岸から砲撃
しました。翌年、コンスタンチノープルはついに陥落し、ビザンティン帝国は滅亡します。



ファティフ大橋をくぐります。右手のアジア側には、ヤルと呼ばれる優雅な木造の別荘が
目立ちます。しばらくして船はUターンして引き返します。



ルーメリ・ヒサールの全容が見えます。



ボスフォラス大橋が近くなる頃、アジア側に美しいベイレルベイ宮殿が見えます。
「木蓮をたくさん植えた庭を中央に配した白い大理石造りの夢のように美しい宮殿」と、
トルコ観光局のホームページは紹介しています。
1865年、スルタン・アブドゥルアジズが建設し、その後夏の離宮や迎賓館として使われて
きました。



港近く、豪華客船や大型ヨットが停泊しています。



海上から見たブルーモスク(右)。ここからは6本のミナレットが全て見えます。
左はオルタキョイ・ジャミィ。



南方にクズ・クレシが見えます。12世紀建設のビザンティンの要塞ですが、この地の伝説や
ギリシャ神話にちなんで「クズ(乙女)のクレシ(塔)」と呼ばれています。オスマン時代
には灯台と通行税を徴収するための監視所の役割を果たしていました。



昼食はオルタキョイの海べりの露天のロカンタで。寄せては返す波に大揺れに揺れる金ぴかの
船の上で焼いているのは…。



またまた♀ペンの苦手のサバでした!大きなフランスパン半分にサバの片身、レタスと玉ネギ
が挟んであります。レモンをかけて、大口を開けてかぶりつきます。



悲運にも♀ペンのサバサンドにはこんな大きな骨が入っていました。地元の人の真似をして、
地面に吐き捨てます。嫌いな人ほど、こんな目に会います。これも「マーフィーの法則」?。
変愚院のサンドには小骨一つ入っていませんでした。



いったんホテルに帰り、自由行動をしていた人たちと合流してイスタンブールを後にしました。
あとは一路、アンカラへ走ります。