ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

城下町・大和郡山散歩(続)

2012-05-01 17:16:38 | Weblog
郡山の町歩きを続けます。



春岳院
新中町にある大納言豊臣秀長の菩提寺です。山門右の石柱に「北和八拾八箇所 第六拾一番 真言宗(横書)春岳院」。「春岳」は秀長の戒名です。足利尊氏の念持物と伝えられる千手観音を寺宝とする他、秀長時代の多くの資料も残されています。



春岳院山門横(上の写真右端)の如意地蔵尊



外堀緑地 南門
門前の説明版によると「郡山城は内堀、中堀、外堀の三重の堀に囲まれた「惣堀の構え」をとり、城下には外堀に設けられた九条町大門、鍛冶町大門、高田町大門、柳町大門の四つの大門を通して出入りしていました。門番は町民が交代であたり、門のそばには番所や火の見櫓が建てられていました。
 柳四丁目と五丁目の境に設けられた柳町大門は絵図には高麗門様式に描かれています。他の大門もよく似た構造をしていたようです。
 この外堀緑地の南門は外堀緑地の基本テーマである「城下町郡山にマッチした施設整備」の一環として、柳町大門もイメージして建築したものです。」
 つまり、もともとこの場所にあった門の復元ではなく「外堀緑地の南門」でした。しかし昔の「大門」はきっとこんな感じだったのでしょう。



緑地内説明版の一部。上の説明の「惣堀」の様子が分かります。丸印の部分が緑地公園として整備された部分です。




薬園寺
もともとは薬園八幡神社と一体のものでしたが、明治の神仏分離令によって独立しました。現在本堂が修理中です。



薬園八幡神社
鳥居横の石碑に「国史現在社薬園八幡神社」とあるのは、「続日本書紀」の「天平勝宝元年十一月、於南藥園新宮大甞」という記述によるものです。当時、奈良大仏造営のために宇佐八幡の神力を借りるため、九条大路南の梨原(現在の塩町付近?)にあった薬園荘に御旅所を設け八幡神を勧請しました。



薬園荘は奈良時代、大宮人の医療のために薬草を栽培管理していたところでした。神社はその後、東大寺に遷座されて分霊がとどまり、郡山築城の際に現在の場所(高田口町)に移されたそうです。地元では「やこうさん」と呼ばれ親しまれています。



境内には50種類ほどの薬草が植えられた見本園があります。高山植物でお馴染みのイブキジャコウソウも薬草です。
織田信長が南蛮人から薬草を入手してその菜園を作らせたことから今のお花畑で有名になった伊吹山、その名が付いているので当然かも知れませんね。



オダマキや



ダイコンソウも花盛りでした。



円融寺
建築学的に見て珍しい様式のお寺ということですが、固く門が閉ざされていて事前に拝観許可がいるようでした。
このお寺には昔、♀ペンの母方の先祖のお墓がありました。私たちがこの町に「終の栖」を定めたことも、思えば不思議な御縁です。