ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

♀ペンの故郷・堺名所巡り

2012-05-14 10:30:44 | 旅日記
**今日のBLOGは文・写真とも♀ペンが担当します**
快晴の日曜日、小学校の同窓会が故郷・堺でありました。今回はバスも使って堺の名所をガイドさんに案内して貰います。



集合場所の堺市役所。まず超高速エレベーターで21階に登り、展望ロビーから堺の街を見渡しました。



東方、仁徳天皇陵方面の展望です。



大蘇鉄で有名な妙国寺。織田信長が安土城に移したところ、夜な夜な「堺妙國寺に帰ろう」という声を出したので妙国寺に返したという伝説があります。残念ながら、境内の写真撮影は一切禁止。外観もこの瓦塀一枚だけです。妙国寺博物館の中には数々の宝物が展示されていて、見応えがありました。堺事件(慶応4年・1868年に起こったフランス海軍と土佐藩士の争いから、土佐藩士20名が切腹を命じられた事件)舞台でもあります。



土佐十一烈士墓。
宝珠院(ほうじゅいん)境内にある、堺事件で切腹した土佐藩士11名のお墓です。12人目であまりの悲惨な状況にフランス側が中止を申し入れ、9人の命は救われました。11人の墓は今は幼稚園の敷地にあって、園児たちに見守られています。



昼食後、南宗寺へ。総門には「龍興山」の山号扁額が掲げられています。



甘露門。国指定重要文化財の山門です。



千家一門のお墓。中央に千利休、右に表千家、左に裏千家、手前に武者小路千家の墓碑があります。三つの茶道流派が全て揃っているのはここだけだそうです。



利休のお茶の師、武野紹鴎の墓碑。



伝説の家康の墓???
大坂夏の陣で茶臼山の敗戦で堺へ逃れる途中、後藤又兵衛の槍に倒れた徳川家康はここに葬られたという伝説があります。



東照宮址の碑。第二次世界大戦の空襲で焼かれるまで、ここの堺東照宮と呼ばれる建物がありました。ボランティアガイドさんのお話では他にもこのお寺と徳川家の関わりを暗示することが、たくさんあるということでした。(続く)