ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

世界遺産の旅 - フランス 5 (セーヌ河岸)

2009-03-14 20:15:49 | 旅の想い出

アンヴァリッド(癈兵院)
ルイ14世が傷病兵の看護施設として建設した軍の病院が起源です。
付属の建築物・ドーム教会の地下墓所にナポレオン・ボナパルトの柩が置かれ、
親族や著名な軍人も祀られています。


エッフェル塔が見えてきました。


高さ324m。
1889年、フランス革命100周年にあたり開かれた第4回万国博覧会のモニュメントです。
 

ルーブル美術館
もとのルーブル宮殿がフランス革命後に美術館として解放されたものです。
古代エジプトの美術品をはじめローマ、ヘレニズム、中世・ルネサンス・バロック・ロココなど各時代のヨーロッパ絵画などの収蔵物をじっくり鑑賞しました。
なかでもミケランジェロのモナリザ(あまりにも小さいのにびっくり)、ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」などが印象に残っています。


ミロのヴィーナス像
日本に来たときはたいへんだったのですが、実にさりげなく置かれていました。
これは絵ハガキでなく、私の写した写真です。
中には手を触れる人もいて、その時はもちろん警備員(左下で腰かけているシルエット)が飛んできますが写真は撮り放題です。
日本ではちょっと考えられないことでした。


夕方になって外に出ると、セーヌ河岸の海軍省の前でデモが行われていました。
何のデモか忘れましたが、かなり重大な政治的問題で大規模なものだったようです。
実はこの翌日に帰国予定だったのですが、空港の管制官もデモに加わったので、帰りの飛行機が飛べないハプニングに出くわしました。(続く)

世界遺産の旅 - フランス 4 (パリセーヌ河岸)

2009-03-13 19:56:23 | 旅の想い出

コンコルド広場。
フランス革命のとき、マリーアントワネットらがギロチンで処刑された所です。




コンコルド広場に立つオベリスク。
元来、エジプトのルクソール神殿にあった一対のもので、現在もう一本はルクソールにあります。


台座に描かれているのは、このオベリスクの建造方法を記したものだそうです。


遠くにナポレオンが最初に作った「カルーゼルの凱旋門」が見えます。
門の上に女神と軍馬の像があるのが特徴です。


実はパリには凱旋門が五つあるそうで、単に「凱旋門」といえば、この「エトワールの凱旋門」を指します。
東はオベリスクのあるコンコルド広場から、西は凱旋門のあるシャルル・ド・ゴール広場(旧エトワール広場)まで、パリで一番美しいシャンゼリゼ通りが続いています。

世界遺産の旅 - フランス 3 (パリ・セーヌ河岸)

2009-03-12 20:00:12 | 旅の想い出

「モンマルトルの丘」は、セーヌ右岸にあるパリで一番高い場所です。
この住宅街は、19世紀末から若き芸術家たちが住み着いた安アパートなどがあったところです。


ここは、題名は忘れました(地下室のメロディ??)が、アラン・ドロンの映画の舞台です。
若き変愚院が格好つけてます。


丘の上の「テルトル広場」では、今も無名の芸術家たちが作品を並べています。


モンマルトルの象徴的な建物。白亜のサクレ・クール寺院。


当時、寺院周辺はジプシーの少女たちにとって観光客相手に格好の稼ぎ場でした。
二人一組の暴力スリで、オレンジの服の少女が手に持っているのは段ボール紙。
上に手作りのアクセサリなどを並べて押し売りにきて、
別の少女が下から手をのばしてバッグなどを引った繰ります。
私たちのグループの一人も、危うく被害に遭うところでした。


屋根の上に名前通り「赤い風車」があるムーラン・ルージュ。
ロートレックが踊り子たちをモデルにした多くの作品を残したことで有名で、
このキャバレーを舞台にした映画も何本も作られています。
エルビス・プレスリーやフランク・シナトラも、ここに出演したということです。

世界遺産の旅 - フランス2 (パリ ・セーヌ河岸 )

2009-03-11 08:45:56 | 旅の想い出

花の都パリを訪れたのは、1979年11月22日でした。
日までしっかり覚えているのは、この日が私の誕生日だったからです。
車窓から見たマロニエの並木道です。


パリを流れるセーヌ川のうち、市内中心部の約8kmの河岸と中洲のシテ島、サ・ルイ島が世界遺産の登録対象となっています。


これは現在のパリ市役所。パリ・コンミューンの後で再建されたものです。


サント・シャペル教会


ノートルダム大聖堂
シテ島にあるローマ・カトリックの教会堂です。
ステンドグラスの輝きと、ミサの歌声の荘厳さに圧倒されました。


映画「ノートルダムのせむし男」に出てくる怪獣は、この雨樋です。
突き出した首の口から雨水が流れ出る仕組みになっています。
よく見てください。この中に1つ人間が混っています。(下の右から二番目)
この人は、当時パリで悪名高い収税吏がモデルとか。よほど恨まれていたんでしょうねえ。

世界遺産の旅 - フランス1(ヴェルサイユ)

2009-03-10 14:21:32 | 旅の想い出
フランスではまず、ヴェルサイユ宮殿を見学しました。

ルイ14世が建造したバロック様式の豪華な建築物と広大で華麗な庭園は、
王の絶対的な権威を示すものとして、他国の宮殿の模範となりました。


内庭には大理石が敷き詰められています。


ルイ15世翼と王の礼拝堂


宮殿よりも力を注いだといわれる庭園は、数々の美しい噴水で有名です。
ピラミッド噴水


これは泉水苑「河の精」


この広い通路は「王の林間路」と名付けられています。
噴水は「ラトナの噴水」
ラトナは太陽神・アポロンの母で、村人に泥を投げられながらアポロンを守り、
神の怒りに触れた村人はカエルやトカゲに姿を変えられました。
幼時、貴族の反乱にあった時のことを象徴して、王への反抗を許さないことを宣言しています。


「アポロンの噴水」


天馬に引かれて海中から天に駆け上ろうとしてアポロンは、ルイ14世自身をあらわしています。

古民家の雛まつり (3月8日)

2009-03-08 17:19:41 | 矢田だより
暖かな日曜日のお昼前。大和民俗公園へ散歩に行きました。


元高取町の民家を移築した臼井家住宅では、美しく飾られたお雛様を展示しています。


梅林のウメはそろそろ終わりに近づきました。


寒緋桜の蕾がほころび始めています。


ツクシの坊やが、にょきにょき背比べしています。
お水取りが終わり大和に本格的な春が訪れるのは、もう間近です。

世界遺産の旅- イタリア 5 (ピサ)

2009-03-07 09:14:24 | 旅の想い出

ピサというと、すぐにガリレオの落体実験で有名な「斜塔」が頭に浮かびます。
しかし、ピサ市のドゥオモ広場全体が世界遺産で、斜塔はその構成要素の一つ…。


独立した建築物ではなく「ピサ大聖堂の鐘楼」です。
つまり「通天閣」や「東京タワー」ではなく、「法隆寺の五重塔」にあたる建物です。
この鐘楼は1173年に着工され、13世紀にはすでに傾いていることが知られています。


訪問当時(1979年)も1年に1ミリづつ傾いていて、日本の技術協力で防止しているという話でした。
「倒れては困るし、直立しても困る」と英語を話すガイドが笑っていました。
現在では300年間は倒壊の恐れがないことが、分かっているそうですが…。


塔の内壁沿いに螺旋階段がつけられています。
登る途中で何度か窓から顔を出して外を覗くと、地面が傾いて見えて確かに「斜塔」であることを実感しました。
体も傾けながら294段数えて昇ると、地上55mの頂上へ出ました。


遠くに見える山波はモンタ・カラーダ「大理石の山」。
折からの夕焼けでバラ色に輝いて、実に美しい眺めでした。

世界遺産の旅 - イタリア 4 (フィレンツェ) 

2009-03-06 10:53:51 | 旅の想い出
花の女神「フローラ」を町の名の起源とするフィレンツェ。
本当に美しい町でした。


まず高台にあるミケランジェロ広場から町全体を眺めました。
左端にヴェッキオ橋、中央にドゥーモが見えます。


「町全体が屋根のない美術館」といわれるフィレンツェのシニョーリア広場。


広場中央には海神・ネプチューン像の噴水があります。


ヴェッキオ宮殿の前に立つダビデ像(ミケランジェロ作の複製)。
宮殿はかっての政庁で、現在でも一部は庁舎として使われています。


ロジア・デラ・ジグノリア。たしか「涼み回廊」の意味と聞きました。
13~16世紀頃の地元彫刻家の作品がずらりと並んでいます。


ドゥオーモ。イタリア語で「神の家」の意味で、教会堂のことです。
フィレンツェのドゥオーモは、サンタ・マリア・デル・フィオーレ「花の聖母堂」。
名前にふさわしい美しいゴシック建築で、フィレンツェを代表する建物です。
クーポラと呼ばれる丸屋根へは階段で登れるそうです。


ファサード(正面)は19世紀に完成したネオ・ゴシック様式との混成です。


白大理石に緑やピンクの大理石を交えた美しい建物で、さまざまな彫刻や宗教画で飾られています。


世界遺産の旅 - イタリア3 (ポンペイ)

2009-03-05 17:35:39 | 旅の想い出
AC79年8月24日、町の背後に聳えるベスビオ火山の噴火で一瞬のうちに死の町と貸したポンペイ。
18世紀後半から発掘が続けられ、当時の人々の暮らしぶりが次第に明らかになってきました。


広大な地域に城壁が巡らされています。
これはパン屋通り。30軒に近いパン屋が並んでいたとか…。


石畳には、車の轍(わだち)の跡がくっきり残っています。


バシリカ(裁判所)跡。


羊毛市場。商業と交易が盛んだったことがうかがえます。


町には上水道が完備していました。
左下の人物像の口に蛇口が付いていて、今でも利用出来ます。


娯楽施設も整っていました。これは円形劇場です。


当時のポンペイ市民の一般的な暮らしは、他の都市より豊かだったようです。
メナンダー家の内部。美しい壁画で飾られています。


石タイルが敷かれた立派な浴室。


熱波と火山灰で息絶えた犠牲者の石膏像。
他にも何体か展示されていました。

世界遺産の旅 - イタリア2 (ローマ、バチカン市国)

2009-03-03 20:19:41 | 旅の想い出
私たちの世代が「ローマ」と聞くとすぐ思い浮かべるのは、オードリー・ヘプバーンとグレゴリー・ペックの映画「ローマの休日」です。
前回に紹介したエマヌエーレⅡ世記念堂の前を、二人が相乗りしたスクーターが疾走するシーンはあまりにも有名です。


ヘプバーン扮する王女が髪を切ったのは、この「トレヴィの泉」の近くという設定でした。


この泉に後向きになってコインを投げれば、もう一度ローマに来ることができ、二度投げればどんな願いも叶うといいます。
もちろん背中越しに二度投げてみたのですが…。


泉そのものは思ったより小さいものでした。
しかし中央の凱旋門の前にギリシャ神話の水神像がたち、半人半魚のトリトンが周囲を囲む彫刻の美しさは他に喩えようがありません。
ぜひ再訪を叶えたいものです。


奥に見える円形の建物はサンタンジェロ城です。
ハドリアヌス帝が霊廟として建設し、後の歴代皇帝もここに眠っています。
現在は博物館になっています。
そこに通じる橋の欄干には美しい彫刻が並んでいます。


パンテオン。
古代ローマ時代の建築をほぼ完全に残している、貴重な建物です。


バチカン市国。いうまでもなくローマ市内にある世界最小の独立国です。
国全体が世界文化遺産に登録されています。
このサンピエトロ広場の入口に一本の線が引かれ、そこが国境でした。
ここから先は、通貨も切手もすべてバチカン国のものになります。
広場の中央に立つオベリスクは、17世紀半ばにエジプトから運ばれたものです。


右端がサンピエトロ寺院。
ぐるりを半円形に囲む回廊には284本の円柱が並び、その上に140の聖人像が立っています。


上の写真の右端に続きます。
サンピエトロ寺院は、皇帝ネロの迫害にあって殺された使徒ペトロの墓の上に建築されたといわれています。