橋長戯言

Bluegrass Music lover, sometimes fly-fishing addict.
橋長です。

EHAGAKI #331≪効率という非情≫

2016年07月04日 | EHAGAKI
新築分譲マンションの販売を生業としている訳ですが、駅からの距離が大きな選択基準であることは言うまでもありません
駅から近くて、環境がよく、公園なんかがあると人気があります
そして朝などランニングやウォーキングを楽しみ、、、
 
まぁ、理想的な住まいとなるんですが、駅から徒歩10分以上歩く物件の方がウォーキングも楽しめて一石二鳥ではないかと
自分が求めているものは効率だけ?
 
などと、ひねくれて考えたりしますが、今回のお題は「効率という非情」であります
 
参考図書)
最後の職人伝
塩野 米松
平凡社
 
全国各地の漁師や職人の取材を行い、失われゆく伝統文化・技術の取材をしている塩野氏、若い頃から時々読んでる作家さんです
 
 ■  ■  ■  ■  ■

◆藁細工
 
縄、筵、蓑、草履、草鞋、米俵、敷物、壁掛け、籠、座布団、注連縄、神仏を祭る際に使われるものまでありとあらゆるものが藁でつくられた
 
材料はどこの農家にもあった稲の茎、脱穀したあとの。穂のついたままのものを石の上で叩き、柔らかくして使ったのである
工藤佐吉さんの話にもあるが、藁を細工するためにした拵(こしら)えは、簡単なものではなかった
横槌で打ち、手持ちの槌でさらに柔らかくするという、大人でも一回でせいぜい三束をちくるのが精いっぱいであったという
 
藁製品であれば、不要になったり使い終われば土に還すことが出来た
化学製品ではこうはいかない
これだけ日本全土でつくりだされている稲の茎、利用法は無いのであろうか
こうした声を無視するのは、効率という非情だ
 
◆櫓と櫂
 
船は、命を預かる道具だから板をつなぎ合わせながら、決して水の漏れがないようにつくる
その為に、材の育った山を選び、木を見、癖を読み、それを活かす
櫓や櫂も同じである
どんな木がいいか、どの部分を使うのが良いか長い経験から答えは出ている
産地を選び、製材に気をつかい、丁寧に乾燥させ、経験を積んだ腕で仕上げる
山本安平さんも述べているが樫や椎が多い、杉や檜に比べ固く世話の焼ける材である
川船は、FRPや鉄に変わった
万一の為、櫓や櫂を積んでいた時期もあったがそれも不要になった
木造船の出番はないのであろうか
 
◆爪楊枝
 
選ばれる木は柔らかで、毒がなく、出来れば薬用の効果があった方がいい
日本では楊柳(ようりゅう)、黒文字(くろもじ)、卯木(うつき)などが使われた
爪楊枝をクロモジというのもこの木がよく使われたからだ
産地にたりうるのは、消費地が近く、原材料が豊富なことが鉄則である
大阪の河内長野もそのひとつであった
黒文字や卯木の産地であった河内長野は、近在の農家の副業として楊枝づくりが進み、大阪という消費地と問屋を控える立地で、大きく成長していった
 
中国産の楊枝が日本中を席巻するようになると、クロモジの高級品づくりに狙いを絞って、手作りを守りとおしているのが、場工耕司さんだ
手作りで楊枝を削っているのは数人だけという
原木の黒文字の採取の時期、親木を残す話など、なんでもないようだが、そこには資源を尽きさせぬ知恵がある
仕事が消えるとき、自然が荒廃してしまう恐ろしさも話の裏には潜んでいる
 
座敷箒
 
畳の部屋に箪笥やちゃぶ台という日本人の生活が変わり、箒は掃除機へと変わった
箒にも座敷用と外用があった
座敷用は、ホウキモロコシの穂を綴じたもの、外用は竹箒かシュロ箒、箒草をまとめとものであった
手元に一本の座敷箒がある
土屋与五郎さんの座敷箒である
長さ90cm、屈まなくても使えるちょうどよいサイズ
柄が突き刺さった根元から穂先に向かって開き、先端は25cmほど、鳥の翼の形をしている
ホウキモロコシの茎の皮で丁寧に編み込まれ、金、青、赤、緑、黒のの糸で補強を兼ねた模様がついている
実に美しく仕上げられている 日常の道具にこれだけの意匠を凝らして、日本人は暮らしていたのである
掃除道具にも美を求める、豊かな心を持っていた人たちだった
こうした箒で掃除することを、掃き清めると言ったものだ
箒を使った跡を振り返れば、確かに清められた気がしたものである
 
◆無くしたものの大きさを
 
筆者が育った戦後の秋田の小さな街、小さな川に面した街
仕立屋、魚屋、食堂、大工、鍛冶屋、産婆、酒屋兼米の精米屋、冠婚葬祭の家に出かけて菓子をつくるおばさん、豆腐屋、八百屋、金物屋、麹屋、たばこ屋、下駄屋、床屋、桶屋、鮨屋、造り酒屋、呉服屋、石屋、砂利採取人、国鉄の職員、先生、町会議員、銀行員の家、小さな神社があった
すぐ北隣の町内にはブリキ屋、用品屋、樺細工職人、漆屋、建具屋、炭屋があり南隣には親方が住み、多くの大工たちが住んでいた
買い物はほとんど町内で間に合った
家を建てたり直したりするのも町内で間に合った
これが典型的な日本の街であった
 
それら手仕事をする人は急速に少なくなっていく
 
◆何が手仕事を消したのか

すべてが使い捨てになり、経済は雪だるまのように、転げるたびに大きくなった
使い捨てにしたのは品物ばかりではない、家も自動車もそうなった

それらを選び、買い求めたのは私たちである
気がつけば手仕事の職人たちはいなくなっていた
誰も消えて欲しいとは思わなかったし、あったほうがいいと思っていたのだが、実際に選んだのは、彼らを失う道だった。

◆手仕事と一緒に何をなくしたのか

人間は考え、悲しみ、喜ぶ精神と、訓練することで精緻で極限まで力を発揮する肉体を持っていた
体を作り、考えた物を作り上げることで、やりがいや歓びを手に入れていた

機械技術の進歩と、飽くなきコスト削減の追求、人間から肉体の意味を奪いはじめたのではないか?
バーチャルという言葉が、日常生活に入り込んでいる、バーチャルには肉体は伴わない
現代の教育も、考えや思考を中心としたもので、頭脳の訓練に、偏向し過ぎてはいるのではないか?
肉体不在の人間社会。それはあまりに不自然でもろい、歪んだ社会ではないか?

循環の知恵
自然素材を扱う職人たち
工業化の日本の中で、とうの昔に置き去られたような職業の人たちであるが、彼らから学ぶことは多い
素材はすべて違うもの
その癖や個性を見抜き、それを活かす
その素材は、自然から供給を受けるか、自ら育てる
そのためには、絶やさぬように使いつづける「循環の知恵」があった
また使いつづけるというのも、その技をもつ職人の後を継ぐ者がいて初めて持続させられる考えであった
 
◆もう遅い?
今までこんなご託を並べずに、彼らの話すままを、聞き書きの形で紹介してきた
しかし、それだけでは話が通じない時代になった
個人の話というものは、人の心を揺るがす力があり、時代や、職業など、大きな枠でくくるのでは見えないものを見せてくれる
こうした個人が集まって、本来、国は形成されていたのである

無駄と試行を排除してしまった世界は無機質だ
そこには人を育てるという姿はない
結果だけを数字で追う世界は、人を機械化する
効率だけを追わされれば、人は感情や思考を停止せねばならない
そんな世界が行き着く世界は?
 
◆手仕事の現場
現場を見ていると、なんと人は真摯で、表情豊かで、作業に歓びを見つけていることかと思う
細道に迷い込んだ現代社会に、手仕事に生きる人たちの姿は「その道は不毛だ」「そっちへ行くんじゃない」と警鐘を鳴らしてくれている
 
◆できるものなら
効率だけを求める道から、自然や季節のなかで、日々自分を磨くことが歓びである道へ、戻っていくことに気付いて、方向を変えてほしいと思っている
こうした本がなかなか出版しずらい時代になってきた

 ■  ■  ■  ■  ■
 
ということでした
 
仕事=効率、趣味=歓び・健康
 
仕事と趣味が相反している様な現在の日本人
 
何を消費するか
何を買い、何を使うか
そこから、仕事のありようを自分の求めるモノに近づけたい
そんな社会にしたい、と愚考する今日このごろです
 
ではまた

東急池上線「御嶽山」駅徒歩14分、「久が原」駅徒歩15分