お世話になります
最近、子供たちや嫁さんがお世話になった方が闘病の末、亡くなられました
そのせいか、永六輔さんや大橋巨泉さんの話題に関心が向きます
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永六輔さん
「くり煎餅知ってる?」
「くり煎餅? くりのお煎餅?」
永六輔さん
「駄菓子に近いんだけど、くり煎餅っていう煎餅があるの。くりの形してんの。ところが、このくり煎餅にはくりが入ってないの。入ってないのにくり煎餅って言うのはおかしいって公取(公正取引委員会)から入ったんですよ。
くり煎餅屋さんは困って『永さん、何とかしてください』。」
「別にくりの形してたらいいかなって。」
永六輔さん
「お役人と闘うってこういうことかと思った。僕も交渉に行きました。
うぐいす餅って、うぐいす入ってませんよ。
キリンビールって、キリン入ってませんよ。
ブルドックソースって、ブルドック入ってませんよって。
お役人が法律を決めるときに、文化っていうことを考えないってこと。零細企業ですよ、くり煎餅屋さんなんて。」
2016年7月19日放送:NHKクローズアップ現代
“ともだち あなた 戦う心”
~永六輔・最期の言葉~http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3840/3.html
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ラジオ番組での発言です
こんな反骨精神こそが、見習うべきコト、と愚考しております
永六輔さん、その昔京都の宵々山コンサートで観たり、テレビで見たり、本で読んだり、音楽、文化、仕事について随分影響を受けてます
今回のお題は「永六輔さん」 WEBやメールから拾った情報を集めてみました
※御本人の言葉や取り上げた話題等混在しております
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◆名言
人間、ヒマになると悪口を言うようになります。悪口を言わない程度の忙しさは大事です。
政治家の常識は、国民の非常識。同じことです。医者の常識は、患者の非常識なんです。
資本主義といえば、経済の弱肉強食を認めることですよね。それなら政治には、せめて弱者救済をしてもらわなければいけない。
民主主義というのはゆっくり機能するものなのです。テキパキやりたいなら独裁主義にしないとねェ。
知識がありゃいいってもんじゃない。その知識を生かす智恵がなきゃ。
◆怒りの途中退場事件
「大往生」の大ヒットの最中に起こったお騒がせ事件であった。後年、永が「徹子の部屋」に出演した際、事件の一連の顛末を話していた。
永に、テレビ朝日のワイドショー番組「こんにちは2時」から出演のオファーがあった。「発売から3ヶ月以内での、著者のテレビ出演は本の宣伝になってしまうのでやるべきではない」との考えである永は「『大往生』の名前を使わなければ構わない」と返答し出演のオファーを受けた。
そして出演・放映当日、新聞の番組表での番組サブタイトルには「永六輔・大往生、死に方教えます!」と載っていた。これでは本の宣伝になってしまうと考えた永はスタッフに抗議。
本番前の話し合いの結果「冒頭部で『新聞に掲載されている内容と異なる』旨をアナウンスする」ということで話がまとまった。
そして生放送が始まったが、番組冒頭部で『新聞に掲載されている内容と異なる』旨のアナウンスはされなかった。
フォーマット通りに番組は進行し、ようやく永の出演の出番となったが、本番前の話し合いの約束を破られたと思った永は、出番の冒頭部で
「皆さんでやってください。僕失礼します。」
と言って席を立ち、生放送中のスタジオを去っていった。そして番組は、永のいないまま進行していった。 Wikipediaから
◆名言
ひとりぽっちの孤独よりも大勢の中の孤独のほうが悲しい。
貧乏ひまなしならいいんだよ。貧乏でひまがあると、、、淋しいよ。
若いうちは貧乏がいいです。貧乏は歳をとってから経験するものではありません。
10代の夫婦はセックス夫婦、20代の夫婦は愛で結ばれる夫婦、30代の夫婦は努力して夫婦、40代の夫婦は我慢の夫婦、50代の夫婦はあきらめの夫婦、60代の夫婦は感謝しあう夫婦。
愛することの反対は、憎み合うことではありません。無関心になることです。
いいですか、夫婦ったってアカの他人ですよ。アカの他人同士が起こす奇跡、それが夫婦というものです。
人間は愛しているか、愛されているか、どっちかでないと辛いね。
叱ってくれる人がいなくなったら、探してでも見つけなさい。
◆商人
お客様は常に正しいのです、もし、お客様が間違っているとします、それは間違っていることが正しいのです。
わてら商人はお客様に頭を下げているんとちゃいます、お客様のくださるお金に頭をさげてるんですわ、「ようこそ・お越しやす」って。
農作物も、ブルセラも、作った人、使った人の顔が見えるものが、高く売れるんです。
以前なら都会にいけないと買えなかった品が、自由に買えるのである、店が無いという商売は新しいわけではない、商売の歴史では、そもそも店は無く、売り歩いていたのだから。
◆職人
「私もいっぱしの大工になりました」って威張っている職人がいたけど、「いっぱし」というのは、「いちばんはしっこ」ということなんだよね。威張って言う台詞じゃない。
いいかい、仕事は金脈じゃない、人脈だぞ。人脈の中から金脈を探せよ。金脈の何かから人脈を探すなよ。
職業に貴賤はないと思うけど、生き方には貴賤がありますねェ。
目立たないように生きる、昔はそういう考え方でしたよね。いまは、目立つように生きる、そうなってますわね。
職人が愛されるっていうんならいいですよ。でも、職人が尊敬されるようになっちゃァ、オシマイですね。
◆商人の道
農民は連帯感に生きる、安定を求める、安全を欲する、土着を喜ぶ、商人は孤独を生き甲斐にすべては競争者である、不安定こそ利潤の源泉、喜ばねば成らぬ、危険な世界を求めよ、どこからでも養分を吸いあげる浮き草でなければならぬ、他人の道は自分の道ではないというのが商人の道である。
◆糸井 重里さん
永六輔さんは、ぼくは「作詞家」として、もっともすごいなーと思ってきました。いわゆる「詩的」に見えやすいことばを、上手によけて、みごとな世界を、つくるんです。
「上を向いて歩こう」「こんにちは赤ちゃん」「遠くへ行きたい」、これらの歌が、人の心のありようまで生んだ。
「帰ろかな 帰るのよそうかな」‥もう、これだけで完成されてる。
「こんにちは赤ちゃん わたしがママよ」というシチュエーションは、ずっと前からあったんだけど、その場面に、「こんにちは赤ちゃん わたしがママよ」というタイトルができちゃった。以降、赤ちゃんを生んだママは、その場面をそのタイトルで見るようになった。
「上を向いて歩こう 涙がこぼれないように」悲しみのなかで、どんな態度をとるのか? 永六輔さんのアイディアは、これだった。たくさんの人が、それをまねしようと思うようになった。
「知らない町を歩いてみたい どこか遠くへ行きたい」そう思うことさえも、永六輔さんのアイディアだったとわかる。
「いい湯だな アハハ いい湯だな」それ以上、なにがいえようという大きな容れ物。
◆商人
安売りをして儲かるってことは、安売りじゃないってことでしょう、どうしてそこがわからないんでしょう。
「安いから買う」じゃいけません、「高くても買う」のが買物です、「欲しいから買う」じゃいけません、「必要だから買う」のが買物です。
売場を拡げると品数が増えます、品数が増えると、質にかかわっていられなくなります、そういう店が増えました。
ヤーさんというんですか、やくざは経済評論家より目先がききますから、景気のいい町にしかいません、金の動く場所にはかならず群がっています。
不景気は最初にデパートで兆しがあらわれてきましてね、最後に来るのがスーパー・マーケットです、オシャレからはじまって食費にきたら、、、これは本当に不景気です。
「安い・高い」で商売していた時代は楽でした、最近の客は「好き・嫌い」ですからね、これはむずかしい商売です。
商売は、約束を守ることで信用をつくることが一番大切です。
◆名言
人間、今が一番若いんだよ。
人間と違って、動物が死んでも気楽なのは、ペットには遺産がありませんから。
生きているということは、誰かに借りをつくること。生きてゆくということは、その借りを返してゆくこと。
子供叱るな来た道だもの 年寄り笑うな行く道だもの 来た道 行く道 二人旅 これから通る今日の道 通り直しのできぬ道
死ぬことについて心配することはありませんよ。ちゃーんと死にますから安心しなさい。
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ということでした
ご冥福をお祈りする、ということは、自分と向き合うことでもある、と愚考している今日この頃です
ではまた