「右」の説明出来るでしょうか?
右手の右、辞書での話です
・東を向いた時の南側
・ひらがなの「り」の長い側
・この辞書を開いて偶数ページ側
知らない人や正確な意味を知りたい人に
分かり易い表現で説明する、難しいものです
そしてなにより言葉は変化していくものであります
さて、今回のお題は
「知っておくと役立つ街の変な日本語」
飯間浩明著 朝日新書
変な日本語、文字通り「変な」ではなく
変わりゆく言葉でありそれこそが重要である、として
街でみかけた言葉をピックアップした本です
辞書の編纂者である著者独自の視点で書かれています
◆ ◆ ◆ ◆
◆静域
駅徒歩3分の静域「聖域」と掛けて静かな場所をアピール
ライターの大山顕氏は「マンションポエム」 と名づけた
言い得て妙
広告文の中の「杜」「住まう」など常用される語がある
香川県の物件ならば「うどんの杜に住まう」
「静域」も常用語で
「その奥の、静域へ」
「そこは、煌めく静域」など
広告の常用語は、やがて一般に広まる可能性がある
◆うまい!になる
キリンの広告
「あなたの一番うまい!になる」
「うまい」は形容詞なので
普通は「うまいを」「うまいに」などとは言わない
この広告では「うまい」は「うまいリキュール」の意味で
名詞として使われている
つまり、「あなたにとって一番うまいリキュールになる」ということ
アサヒは
「すべては、お客さまの「うまい!」のために」と
10年以上前から
サントリーにも
「うまいをつくる」という広告がある
この業界では「うまい」が名詞なのはもはや常識か
「形容詞の名詞化」に最初に気づいたのは1999年11月のこと
名鉄パスに乗った時
「地球にウレシイをこの街から」という
名古屋鉄道の広告を目に
形容詞「うれしい」が名詞として使われていた
ビール会社はなぜ「うまい」という言い切りの形を名詞として使うのか
それは、言い切りには「うまいなぁ!」という実感が伴うから
「うまさをあなたに」のように「うまさ」を使うと
意味が抽象化してしまう
一方「うまいをあなたに」と言うと
今ここで飲んで「あぁ、うまい!」という実感が出る
今後も広告で使われそうな効果的な語法
◆さん付け、から様へ
通りにレストランの地図を示す大きな看板
目印となる古書チェーン店を「ブックオフさん」と敬称つきで書いてある
ブックオフは、この看板を出したレストランのお得意さんなのかも
『朝日新聞』2000年3月27日付の「天声人語」が
「トヨタさん」「ソニーさん」と企業を「さん」づけで呼ぶことに
違和感を示している
さらに、約60年前の『言語生活』1957年7月号には
「富士銀行さん」「三菱銀行さん」と同業同士で呼び合う例が記されている
最初は同業者の間で「さん」で呼び合っていたのが
徐々にどんな場合にも 「さん」をつけるようになったのだろう
看板の地図上の店舗にまで「さん」をつけることも
21世紀になってからよく取り上げらる
口頭での表現から文字としても現れるようになった
敬語は「もっと丁寧に言わないと失礼ではないか」という心理から
地図に「ブックオフ様」と書く例もすでにあるかも?
◇橋長注
企業に対する「さん」「様」問題
「侵入ルポAmazon帝国」という本にはこうあります
◇ ◇ ◇
アルバイト面接での会話
「これまでアマゾン様で買い物をしたことがあるでしょ?」
「ああ、まぁ」
「ご存じのように、アマゾン様の荷物はすぐに届くんです。ということは、~略
私が気になったのは、「アマゾン様」という尊称だ ~略
最初の潜人時、当時の下請け業者であった日本通運は
「アマゾンさん」と呼んでいた
時がたち、今や「アマゾン様」に格上げである
その後に私が会うアルバイトたちも、「アマゾン様」と呼んでいた
「侵入ルポAmazon帝国」
横田増生著 小学館 2019年9月
「潜入ルポ アマゾン・ドット・コム」
横田増生著 朝日文庫 2010年12月
◇ ◇ ◇
もうすでに企業に対する「様」は始まっている様です
個人の感想としては、違和感以外ありませんが
◆ほぼほぼ
「ほぼほぼ」という言い方
「ほぼ」の強調形で
「ほぼほぼ完成」「ほぼほぼ决まり」などと使う
2010年代に特によく耳にするようになるが
この言い方が絶対に許せないという人がいる
一方で、優秀な校閲者がロ頭で「ほぼほぼ」を使うのを聞き
「定着したな」と感既を持った
三省堂の「今年の新語」という催しでは、2016年の大賞に
「ほぼほぼ」 を選んだ
この催しでは、近年の新語で
今後、一般の国語辞典に掲載されそうなことばを選ぶ
「ほぼほぼ」はその可能性が高いと認められた
朝日新聞2016年6月30日付の記事では
「ほぼは90%で、ほぼほぼは95%かな」という男性の語感を紹介している
ただ「ほぼほぼ」のほうが確度が低いという人も居て差はよくわからない
「ほぼほぼ」の方が主観的という感じも
飲み物の自動販売機に「ほぼほぼ100円」という看板があった
数えてみると、全36本の商品のうち100円は32本
「ほぼほぼ」は、ここでは9割弱を指す
◆瞬乾
「忙しい朝に瞬乾!!ワキ汗ケア」
これまで、すぐに乾くことは「速乾」だった
三省堂国語辞典では、「速乾」は、1974年の第2版から載っている
速乾性のペンや、速乾性の下着などが現れて、よく使われる言葉に
「瞬乾」は、それよりもさらに速く、一瞬で乾くことを表現している
「瞬」のつくことばを見る機会が増えている
あっという間に相手を倒したり
申し出を断ったりすることを、俗語で「秒殺」と言う
「提案してみたけど、秒殺された」のように
この「秒殺」は「瞬殺」とも言う
すぐに撮れる携帯写真は「瞬撮ケータイ」
見やすい画面は「瞬読性に優れる」
飲むとすぐひんやりするビールは「瞬冷辛口」
そしてこの「瞬乾」
「瞬」という漢字は、そんなに新語を作らなかった
最近、急に生産力を上げている
現代人が、何事も待ちきれなくなっているからでは
◆お昼のランチ
お食事処の看板に「お昼のランチ専門店」と
思わずニャッと学校で習った英語では、“lunch”は「昼食」のこと
すると「お昼の昼食」で重言ということになる
変なの、と笑って終わりになりそうですが、ちょっと待った
「お昼のランチ」にも、何か理由があるはずだという目で見てみる
過去に「弁当ランチ」というポスターを目撃
「弁当」も英語では“lunch”、重言のように見える
もっとすごいのは「夜ランチ」というメニュー
「夜の昼食」はさすがに矛盾なのでは?
これらは、英語で考えようとするからおかしくなる
「ランチ」は、日本語では「定食」的な意味がある
つまり「お昼のランチ」は「お昼の定食」「弁当ランチ」
「夜ランチ」は「弁当定食」「夜定食」ということ
外来語を元の意味のままで使えば、混乱はないかもしれない
しかし、それはしょせん無理
日本語で必要に応じて意味が変わるのは、ごく自然なこと
◆コミュ力
社会は私たち相互のコミュニケーションを基に成り立つ
「コミュニケーション」という言葉、長すぎて少々困る
「コミュニケーション」は、?世紀前から日本語に入ってる
よく使う語なのに、なぜか省略されることがなかった
「マスコミュニケーション」は、さすがに「マスコミ」と略されたが
街で、見かけたコピーライター養成講座のポスター
「コピーカは、コミュ力である」と訴える
「コミュカ」とは「コミュニケーション能力」のこと
文が長くなることを避けて、短く
ネット時代、お互いのやりとりがこれまでになく頻繁になり
ようやく「コミュ」という略語が現れた
コミュニケーション障害を「コミュ障」とも言う
これは失礼にもなる言い方
現在のところは「コミュ〇〇」 の形で使うが
いずれ「コミュ」単独で使う日も来るだろう
将来の会話では
「お互い、もっとコミュを取らなければ」などと
◆ ◆ ◆ ◆
ということでした
「変」は一般的にはいい意味では使われないですが
著者の飯間浩明氏は「変」「変な日本語」こそが重要だと言います
世の中の「兆し」に敏感になるには
街の中の「変」を観ることが肝要である
と愚考する次第です
ではまた