「冨田貴士さんをかこんでブルーグラスを楽しむつどい」 に参加してきました(2013.6.9)
上の写真は マーチンD-35 主の冨田くんはもういません
1984.11.17 千里セルシー“ベイカーズフィールド”のステージ
2013.6.9 「冨田貴士さんをかこんでブルーグラスを楽しむつどい」での“ベイカーズフィールド”のステージ
大学時代、真新しかったD-35、彼はいませんが、彼の人生とともに良い色になったD-35がそこにはありました
「冨田貴士さんをかこんでブルーグラスを楽しむつどい」は 4月9日に天に召された冨田貴士さんをしのぶ会として有志の方が開催されました
ごあいさつのあとこの会の為に制作されたDVDを鑑賞しました
おいたち そしてブルーグラス 家族 演劇 特に私の知らない“その後の冨田くん”の大きな柱であろう演劇は ごく一部の紹介画像でしたが圧巻でありました
彼のギター、ボーカルと同じく80%の力で周りを見ながら そして120%の表現をする演技ではないかと感じました
そしてスピーチ
■あまりに優しい冨田くん、親御さんが「貴士を男にしてください」と頼まれたご商売をされている方は「アルバイトしてもらいました。何年たっても変わらず優しい。で、私が優しくなりました」年齢の上下関係なく彼の信条は伝わっていたんですね。
■今は立派な大人の教え子さんの感謝の言葉。授業が終わると連絡事項を伝えて終わるのが普通だったのに冨田先生は ギターを出して皆で歌って終わったそうです。
■7年前からお世話になっていた病院の看護師さん
病気が病気だけに患者さんとの付き合い方は、一線を引きたい、と仰る。はい、よくわかりますよね。
「それでも冨田さんにはねぇ」その看護師さん、冨田くんに誘われ舞台に上がった、と。
冨田くんがシビアな状況ににあり無菌室にいる時も、担当じゃない看護師さんも頻繁に室へ。彼は看護師さんにとっても、何でも相談出来る先生だったんですね。
ごく一部のエピソードであります
おそらくこれを読んで頂いてるのは若い時の冨田くんを知っているがその後の冨田くんのことはあまり知らない という方が多いかと存じます
DVDを見て スピーチを聞いて感じたのは 冨田貴士という人はどの時代にあっても変わらないんだと思いました
1979年 大阪経済大学アメリカ民謡研究会 一年後輩は個性溢れる人たちが入ってきました
ドック・ワトソン流ギターを弾かせたら日本一と思っていた太田くん 同じくギター弾きの冨田くんの演奏を聞き 自分は日本で二番目だと悟り 即マンドリンに転向
程なく冨田くんはマーチンD-35を購入 身近にマーチンなど持っている人も少ない時代です 「こいつすごいなぁ」と思ったことは今でもおぼえています
私は卒業後 不動産業で水曜日定休 私の結婚披露宴では演奏してもらったものの疎遠になっておりました
年賀状だけのやりとりが続きました
闘病生活を送っている という話もききましたが
今年の年賀状には
20年ぶりに ギターを さわりはじめました。
リペアもし、D35. いい音になりました!!
とありました
会の最後に奥様と二人の息子さんが御挨拶されました
最近 3人でギターの練習はじめました、と
R.I.P.