9月13日
前回の伊勢路波田須の道は嵐の中で、入り口が見つけられなかったので歩くことができませんでしたが
あの雨の中では国道を通って徐福茶屋まで行ったことが今回歩いてみて正解だったことがわかりました。
きわどいところで目に見えない力に助けられていました。
リベンジツアーは前回不幸中の幸いだったことが発見できてそれも成果でした。
今回のコースは前回と同じく新鹿から歩き、波田須の道、初めての大吹峠を通って大泊に出て、
熊野市まで電車で行く計画。
7:00 朝食
おいしくいただけましたが、お弁当におにぎりだけお願いしていたので食べきれなかったものを
そこに追加して持って行きました。
ホテルの方に賀田駅まで送ってもらいました。こじんまりした小さなホテルで、コロナの影響で
全日営業はしていなくて曜日が限られています。お料理もおいしいし、眺めも良くて、大変でしょうが
頑張ってほしいです。「尾鷲シーサイドビュー」という気持ちのいいホテルです。
この日も平日だったこともあるのか、仕事で来ている人達がいただけでした。
JR賀田駅 7:58
この辺はほとんど無人駅。
新鹿へは10分くらいで着きます。
波田須の道まで1.6kmの標識
前回と同じように、海沿いの遊歩道を少し歩いて国道に抜けようかと・・
それにしても朝からカンカン照りの猛暑。
駅にトイレがないので、海水浴場のトイレまで行って出発の準備。
この海岸沿いの道から波田須の道までの行き方がやはり問題で地図通りではないのです。
近くを散歩している人がいたので聞いてみたら、地元の人ではなかったので話しているうちに
家の中から人が出てきて、波田須の道の入り口を教えてくれました。
やはり最初から国道をずっと歩いた方が見つけやすかったかもしれません。
糸口が見つかり、ほっとしました。
海岸沿いには熊野古道の案内は全く出ていなくて、看板と言えば津波の時の退避場所のことばかり。
住んでいる人にとっては切実なことです。また海水浴に来た人たちにとっても。
日陰があれば少し休憩して水分補給したりします。
波田須の道っぽくなってきました。
ここは竹林の間を鈴を鳴らしながら通過。
大変な所は写真を撮っている余裕がないので写真がありません。
前回は国道から少し入って見た庚申塚。
国道を少し歩いてトンネルの所に来ました。前回はここが熊野古道なんてわからなかったけれど
今回は旗が揺らめいていてわかりました。あの大雨の中とても上がる気のしない草ぼうぼうの古びた階段です。
トンネルを昔の人が越えた所かと思っていましたが、この階段が山の上の集落につながっていました。
草が生い茂り、あまり人の通らない道のようです。
西行の松は残っていませんでした。
なんと人家の軒先を通過します。
見晴らしのいい場所に集落ができていました。
波田須の道には鎌倉時代に作られた苔むした美しい石畳がありました。
木陰でしばしの休憩です。
そしてこの道が波田須神社に続いてました。
前回休憩した徐福茶屋が見えます。
前回波田須神社の入り口まで国道から登り、雨で滑りそうで泣きそうになって降りた道が
続き、晴れていたらなんでもなくて・・
暑さでグッタリですが、証拠写真だけは前回と同じところで撮っておきました。
今回は徐福ノ宮に寄ってから、大吹峠を通り、大泊に抜けます。
前回嵐を耐えしのいだ波田須駅には寄りません。
徐福ノ宮 着 11:12
徐福伝説は2年前に初めて熊野に来た時に、新宮で時間が余った時に、近くの徐福公園に行って知りました。
秦の始皇帝の時代に薬を求めて日本まで来たという伝説が残っていて、中国でも実在の人物との見方が強まっている
とのこと。
日本各地に徐福伝説は残っていて、新宮市はかなり有力候補です。秦の始皇帝の時代と言えば日本では弥生時代。吉野ケ里
遺跡とも関連している伝説も残っています。最近では伝説ではなく史実への研究が進み、歴史のロマンが広がる話です。
波田須駅には降りて行かないで進みました。秘境の駅と言われていることをあとから知りましたが、
なんとこの道路にタクシーが一台通ったことには驚きました。とにかく駅の周りには何もありませんでした。
大吹峠の入り口に向かいました。
Sep. 13 2024 Atashika → Hadasu
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