徳川園から東山荘へ
徳川園から車道駅まで歩いて桜通線で東山荘の最寄り駅瑞穂区役所まで行こうと思っていましたが、一つ手前の
桜山で降りて名古屋市博物館の前を通ることにしました。
前回は文化のみちから徳川園まで歩いたり、一部バスに乗ったりしました。
徳川園から途中寄り道をしながら車道駅まで。
途中にあった友人の母校はまったく昔の面影がなく、通った道ももっと狭かった記憶とのことでした。
学校の周りをランニングした学生時代を思い出していました。中高一貫の男子校。どんな学生時代だったのでしょう。
ルートはいつも名古屋を知らない私が歩こうとか決めるのですが、それをもとにして案内をしてもらっています。
いつもどこかしら思い出の地が入っていて、そこは今まで住んでいても訪れていない場所でした。
友人が寄り道で案内してくれたのは徳川の菩提寺、建中寺。学校の周りのマラソン・コースに入っていたとか。
さすが徳川。立派です。
尾張徳川家代々の菩提寺
建中寺は慶安三年(1650)に逝去した初代尾張藩主義直公(家康の九番目の息子)の菩提を弔い、尾張徳川家先祖代々の
菩提寺として、また尾張藩すべての人々の心のよりどころとするために、第二代尾張藩主徳川光友卿が、慶安四年(1651)
境内地約五万坪(165,000㎡)の敷地に、本堂をはじめとして諸堂伽藍十棟を建立し、茨城県結城市弘経寺の成譽廓呑上人を
招請して開山した。
広い境内で写真を撮りながら歩いていたら、一瞬彼を見失って、焦りました。
広いお寺で寺の中を道路が通っているような、また一帯が公園にもなっていて、そこの陽だまりのベンチで
休憩して水分補給。
その前に学校の手前でもお寺の横を通りましたが、大きなお寺でした。
今では立派に塀とか作り直しているとのこと。徳川園もこのお寺も、昔は荒れていた感じだったのが
きれいに整備されているようです。もう半世紀以上前のことです。
東山荘へは車道駅から地下鉄桜通線で一つ手前の桜山で降りて歩くことに変更。乗って7分で着く距離です。
桜山という駅名なので山があるのか聞いてみたら、知らないけど東山荘裏手の川の両側は桜できれいと
教えてくれました。
途中通った名古屋市博物館は恐竜展をやっていたらしいのですが、もう終わって、長期の改修期間に入っていました。
東山荘
平成25年6月21日に国の登録有形文化財(建造物)に登録
東山荘は、綿布問屋であった伊東信一氏の別荘として、名古屋市瑞穂区の山崎川沿いに建てられたものです。伊東家の山荘と
いう意味で「東山荘」と命名されました。伊東氏が昭和11年(1936)に亡くなったとき、東山荘を名古屋市に寄付し、市民に
公開してほしいという遺言を残しました。名古屋市はこの遺言を受け、東山荘を昭和14年(1939)より公園として一般公開を
開始しました。その後、戦争の影響による公開の中止、市長公舎としての活用を経て、昭和43年(1968)より茶室、和室などの
貸室として一般に利用されています。
駐車場の方から入って、受付のある建物の前に行き、近くにいた職員の方が渡してくれた園内マップを見ながら
庭を巡りました。庭というよりアップダウンのかなりある、ハイキングコースのようなものでした。
根津美術館の中のようなと書いていた方もいましたが、どちらかというと五島美術館の庭の中に近い感じですが、
日本庭園の方は建物の中からしかよく見ることはできませんでした。
苔がとても美しかったです。
この中ではお稽古やらいろいろな活動に利用されていますが、それ以外では中に入ることができません。
それで市のホームページから写真をお借りしました。
ほんとうは茶室からお庭を見たかったのですが・・・
受付の建物の近くのあずまやでお弁当を食べました。
そのうち和服を着た一団と撮影のクルーが来て、なにやらはやりの結婚写真の撮影か
玄関前に大勢で撮影を始めていました。
やっぱり中には入れないのか、門の所やらで結局私は門の写真を撮ることができませんでした。
前の日につめたブロッコリーのオムレツとラタトゥイユ、ピクルス、サラダ
フォカッチャなど。コンサートにすぐ行かないといけないのでお店を探している時間がなく、
前回日曜日は休みが多いことも知り、持って行くしかないかと思いました。
ふだん野菜をほとんど取っていなさそうな友人のために野菜ばっかり。私も最近急にセロリのピクルスが
食べたくなって作ったばかりでした。保存食と詰めて生野菜と一緒に。
今度は地下鉄瑞穂区役所駅の方に出て、桜通線で御器所で鶴舞線に乗り替え伏見まで。
他にもルートがあり地下鉄が難しい名古屋です。10数分で着きました。
Feb. 4 2024 Nagoya
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