5月6日
引越準備が順調に進んだので目途がついた前日の午後、イタリア映画祭最終日に有楽町の朝日ホールまで
行きました。
行く途中に見た看板のコピーが気に入り、撮りましたが、これから見る映画のなんと驚きに満ちた
重い映画だったのでしょう・・・
「まだ明日がある」「人生の最初の日」「僕はキャプテン」が見たかった映画でしたが、最終日に残った「まだ明日がある」
と「僕はキャプテン」のうち、「ほんとうのピノキオ」で見たことのあるマッティオ・ガッローネ監督の「僕はキャプテン」を
見ることにして前日ネットで予約していました。
D.僕はキャプテン
監督:マッテオ・ガッローネ Matteo Garrone
出演:セイドゥ・サール、 ムスタファ・ファル
目指す壮大な旅の物語。セイドゥとムッサは、豊かな生活を求めて親族に知られることなく、ダカールを離れる。
しかし、彼らを待ち受けていたのは想像を超える数々の困難だった。いわば現代版オデュッセイアの本作は、ヴェネチア
国際映画祭で銀獅子賞(監督賞)やマルチェッロ・マストロヤンニ賞(若手俳優賞)などを受賞、アカデミー賞国際長編映画賞
にノミネートされた。
この映画は私の全く知らない世界を私に突き付けてきました。とてもショッキングで見終わった後もボーッと
してしまいました。ファンタジーに過酷な現実の世界が入りまざり、私が思い描いていたヨーロッパを目指した
少年の冒険談とは全く違うものでした。
現在でも行われる人身売買、賄賂(お金で動く警察)、難民、政府でも警察でもないマフィアのような組織など
現実はもっと残酷と言われるシーンの連続で、砂漠の旅自体が過酷なのにそこに現れる人間たちのおぞましさ。
そんな中でも命を守ろうとする主人公、人間の尊さ、友情や連帯感、どんな中でも希望を失わない信念が
映画に希望を持たせました。
アフリカを内側から見た映画で、その立場に立った作り方もよかったと思いました。前半のアフリカの家族達の
暮らしやエネルギッシュな祭りのシーンも素晴らしく、アフリカの砂漠のカメラワークもよかったのですが、
旅があまりにも過酷なので美しいとか感じている暇はありませんでした。
Io Capitano - Official Trailer in HD
主人公は難民ではなく、ヨーロッパにあこがれたセネガルでは普通の暮らしのできる子どもでしたが、映画は
難民を扱った映画でした。
今の現実と排他的になって行くヨーロッパ社会にあらためて現実を突きつけたと言えるかと思います。
日本にいたらほんとうにぬるま湯にいるように難民の問題は自分たちがかかわるべき問題になっていません。
アフリカやイスラムや世界のあちこちに残る、暗黒の世界、そして核兵器やAI兵器が使用されそうな現実。
人間にとって守らなければならないことをしっかりと意識して生きて行かなければなりません。
The New York Times
Italy’s Oscar Nominee Is a Great Film, but It Doesn’t Tell the Whole Story
「イオ・カピターノ」:西アフリカからヨーロッパへの危険な移民の旅をドラマ化したオスカーノミネート映画
ヨーロッパでますます外国人排斥的で人種差別的な反移民政策や感情に直面しているクアッシのような移民にとって、この映画は
「自分自身を表現する機会」を提供し、「ヨーロッパに到着する前にアフリカの人々が苦しんでいること」を共有する機会を
提供する。
視点が反対の二つの難民映画、、、。ヨーロッパへ向かう人たちと、受け入れる島、国
「海は燃えている」を見たのは7年前。無線が入れば海へ救出に向かうイタリア最南端の島のドキュメンタリー。
人間としての務めを果たそうとするイタリアの人たちの努力には頭が下がりました。
この時から世界はさらに変わっているので、難民にとっては生きにくくなってきているかと思います。
この映画は今の世界の一部分を知ってもらうこととそんな中でも希望を持つことの大切さを
投げかけるものでした。批評をいろいろ見ても外国のものの方が圧倒的に多く、
スペイン人らしき人の翻訳が出ていたのに納得したのですが、二度とみつからず引用できません。
多くはこの映画はもっと過酷な現実を描かずに終わっていると言っていますが、ドキュメンタリー
ではなく、ファンタジーとして描きこれでもソフトにして問題を提起したのだと思います。
Io Capitano のタイトルもWhitmanの”O Captain, my captain”を連想させるような誇らしげなものになって
います。
地球上全体にはなんといろいろな世界があるのだろうと本当に狭い世界で生きている私は
改めて思うだけです。
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