自然ほど良い教育者はない。ルソオが自然に帰れと言ふた語の中には限り無く深い意味が味はれる。自然は良い教育者であると同時に、又無尽蔵の図書館である。自然の中に書かれた事実ほど多種多様にして、而も明瞭精確な記録はあるまい。音楽が人間の美魂の直射的表現である点に於て、諸他の件pに勝る如く、自然の件pほど原始的にして直射的な美神の表現は他に存在しない。自然は良教育者にして、大件p家にして、又、智識の包蔵者である。
- 石川三四郎

左:田中正造 右:石川三四郎
現在この人の名前を知っている子供たちがどれほどいるだろう。彼のように偉大な人物の名前が小中等教育を通して教科書に出てこない。少なくとも私は見たことがない。教育が行政の支配下にあると、どういうフィルターがかけられるかの良い例かもしれない。
私が敬愛する先達の受け売りであるが、石川は家永三郎が「国宝的人間」と言い、師匠や先輩を「さん」付けでしか呼ばない鶴見俊輔も、彼だけは「先生」と呼んで特別扱いし、秋田雨雀などは、「日本の良心」とまでいっている人なのである。
今回の引用は、エマソンやラスキンの論文にそのまま出てきても全く違和感なく読めてしまうだろう。彼がその80年の生涯を通して、遂にはこの日本という狭い島国の中で、自らの思想の大きさと正しさを現して見せたことに、私は全く稀有な存在を感じないではいられない。
彼の境涯は、国民などという矮小な範囲はもちろん、世界市民の範疇も超え、宇宙市民とも呼ぶべき広大さに及んでいる。だからこそ持ちえた、その透徹した“楽観主義”にも、ややもすると悲観に傾きがちな私たちは大いに学ぶべきだと思う。
彼がその骨格を形成したのはあの田中正造に師事した期間であったことはまちがいないだろう。『浪』の田中正造の章は以下のように始まる。
「『新紀元』の運動は私にとつて良い修業になりました。どんな仕事でも、心さへあれば、みな修業でありませうが、あの場合は自分が責任者になつたので、殊に自ら緊張した結果、わたしの精神生活に非常に深い影響を與へました。それにこの運動中は特に親しく田中正造翁の驥尾に付して奔走することになつたので、わたしは人生といふものに、驚異の眼を見開くに至りました。田中翁の偉大な人格に觸れて、わたしは人間といふものが、どんなに輝いた魂を宿してゐるものか、どんなに高大な姿に成長し得るものか、といふことを眼前に示されて、感激せしめられました。それと同時に、今まで種々な説教や、傳記やらで學んだ教養や人物といふものが、現實に翁において生かされ、輝かされてゐることを見て、心強く感じました。わたしは、自身が如何にも弱小な人間であることを見出しながらも、常に發奮し自重自省するやうになりました。」
- 石川三四郎

左:田中正造 右:石川三四郎
現在この人の名前を知っている子供たちがどれほどいるだろう。彼のように偉大な人物の名前が小中等教育を通して教科書に出てこない。少なくとも私は見たことがない。教育が行政の支配下にあると、どういうフィルターがかけられるかの良い例かもしれない。
私が敬愛する先達の受け売りであるが、石川は家永三郎が「国宝的人間」と言い、師匠や先輩を「さん」付けでしか呼ばない鶴見俊輔も、彼だけは「先生」と呼んで特別扱いし、秋田雨雀などは、「日本の良心」とまでいっている人なのである。
今回の引用は、エマソンやラスキンの論文にそのまま出てきても全く違和感なく読めてしまうだろう。彼がその80年の生涯を通して、遂にはこの日本という狭い島国の中で、自らの思想の大きさと正しさを現して見せたことに、私は全く稀有な存在を感じないではいられない。
彼の境涯は、国民などという矮小な範囲はもちろん、世界市民の範疇も超え、宇宙市民とも呼ぶべき広大さに及んでいる。だからこそ持ちえた、その透徹した“楽観主義”にも、ややもすると悲観に傾きがちな私たちは大いに学ぶべきだと思う。
彼がその骨格を形成したのはあの田中正造に師事した期間であったことはまちがいないだろう。『浪』の田中正造の章は以下のように始まる。
「『新紀元』の運動は私にとつて良い修業になりました。どんな仕事でも、心さへあれば、みな修業でありませうが、あの場合は自分が責任者になつたので、殊に自ら緊張した結果、わたしの精神生活に非常に深い影響を與へました。それにこの運動中は特に親しく田中正造翁の驥尾に付して奔走することになつたので、わたしは人生といふものに、驚異の眼を見開くに至りました。田中翁の偉大な人格に觸れて、わたしは人間といふものが、どんなに輝いた魂を宿してゐるものか、どんなに高大な姿に成長し得るものか、といふことを眼前に示されて、感激せしめられました。それと同時に、今まで種々な説教や、傳記やらで學んだ教養や人物といふものが、現實に翁において生かされ、輝かされてゐることを見て、心強く感じました。わたしは、自身が如何にも弱小な人間であることを見出しながらも、常に發奮し自重自省するやうになりました。」