庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

等しく

2007-01-30 21:53:17 | 言葉
Before God we are all equally wise - and equally foolish.
-Albert Einstein 

神の前では我々はみな、等しく賢く等しく愚かである。
-アルバート・アインシュタイン


若干アルコールが残っているせいもあるが、この一言を見かけて、アインシュタインはやっぱり良いこと言うな~!^^!・・・と拍手をおくりたくなった。

賢いとか愚かとか、大いなるあの存在に比べたら、この世の人間差なんてものは問題にならない。平等原理の基(もとい)はこの感覚にある。

しかしまた、あらゆる“一人の人間”が、それぞれ如何に特別な存在であることか。やはり「人はみな同じ、人はみな違う」不思議な生き物なのである。

平和

2007-01-30 16:19:00 | 創作
簡単に“平和ボケ”などと言うなかれ。賢い戦争より馬鹿な平和の方が遥かに善いのである。
平和は戦争によっても、戦争を準備することによっても決して来ない。平和は平和の準備をすることのみによって来る、いや、平和の準備そのものの中に在るのである。
♀ー太郎


堕落論

2007-01-30 12:25:37 | 拾い読み
日本国民諸君、私は諸君に、日本人及び日本自体の堕落を叫ぶ。日本及び日本人は堕落しなければならぬと叫ぶ。
 天皇制が存続し、かかる歴史的カラクリが日本の観念にからみ残って作用する限り、日本に人間の、人性の正しい開花はのぞむことができないのだ。人間の正しい光は永遠にとざされ、真の人間的幸福も、人間的苦悩も、すべて人間の真実なる姿は日本を訪れる時がないだろう。私は日本は堕落せよと叫んでいるが、実際の意味はあべこべであり、現在の日本が、そして日本的思考が、現に大いなる堕落に沈淪(ちんりん)しているのであって、我々はかかる封建遺性のカラクリにみちた「健全なる道義」から転落し、裸となって真実の大地へ降り立たなければならない。我々は「健全なる道義」から堕落することによって、真実の人間へ復帰しなければならない。
- 坂口安吾




これが『堕落論』『続堕落論」の核心部分だろう。昭和も20年近くかなたに過ぎ去った平成の今、安吾を読んでいる人がどれくらいいるか知らない。

しかし、少なくともこの国の、嘘や欺瞞やカラクリは戦前・戦後の時代と変わることなく続き、そこから生まれ出る腐敗物は沈殿槽の限界を破り溢れ出て、社会の至るところで悪臭を放っているように見える。

雲を出たら雲の形が見え、汚濁から脱して初めて汚濁を知る・・・きわめて当たり前のことではある。